May 27, 2013
May 23, 2013
October 22, 2009
ブログを引っ越しました
本日よりブログを引越ししました。新しいURLはhttp://aikanoh.wordpress.com/です。
これまでこのブログと英語版のブログを別々で管理していたんですが、まとめるついでに新しいブログサービスに乗り換えました。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。英語版と日本語版のポストは、できれば交互に(多分日本語ポストの割合が圧倒的に高くなるとは思いますが)アップする予定です。英語が嫌いな人は読み飛ばして、日本語のほうだけときどき追っていただければ大変うれしいです。
お手数をおかけしますが、もしリンクを張っていただいている方がいらっしゃいましたら、URLの変更をぜひよろしくお願いします。では新ブログに飛んでください。向こうでお待ちしています。
http://aikanoh.wordpress.com/
これまでこのブログと英語版のブログを別々で管理していたんですが、まとめるついでに新しいブログサービスに乗り換えました。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。英語版と日本語版のポストは、できれば交互に(多分日本語ポストの割合が圧倒的に高くなるとは思いますが)アップする予定です。英語が嫌いな人は読み飛ばして、日本語のほうだけときどき追っていただければ大変うれしいです。
お手数をおかけしますが、もしリンクを張っていただいている方がいらっしゃいましたら、URLの変更をぜひよろしくお願いします。では新ブログに飛んでください。向こうでお待ちしています。
http://aikanoh.wordpress.com/
October 12, 2009
3年目のディワリ
<お知らせ>
ブログを引越ししました。新しいURLはhttp://aikanoh.wordpress.com/です。英語ブログと日本語ブログを合体させたブログです。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。よろしくおねがいします。
<お知らせ終わり>
ムンバイの町で迎える、3度目のディワリである。9月の終わりにナブラトリの祭りが始まり、それと同時に北インドの行商人が集まるクラフトフェアがやってきて、去年と同じ顔ぶれの商人が手織りの布や家具を売り、お祭りの終わりとともに去っていった。ナブラトリが終わるとすぐに街中がディワリ一色になる。ディワリは光の祭である。電飾が街中に施されて、歩道に灯篭やランタン、ろうそくや、ランゴリのための色鮮やかな粉を売る店がたくさん現れはじめる。
ディワリには、他のヒンドゥ教の祭とは違う落ち着きと親密さがある。ホーリーのような狂乱でもなければ、ガネーシャ祭のような遊び心でもない。ガネーシャ祭がお盆なら、ディワリは正月である。新年の夜の神社の灯篭の光や焚き火を思い出して、2年も日本の正月を見ていない私はいつもこの時期になると懐かしさに駆られる。
去年のディワリには、親しい人たちが立て続けに街を離れたこともあって、残った自分がいつ同じようにここを去るのかと思うと、祭の準備に忙しい街の様子がまるで未来に見る思い出の光景のように思えた。それから1年たち、今年はまた違った種類の感慨で街の風景を見つめている。自分が見つけた、自分の街にいる、という思いがしている。なんだか「魔女の宅急便」みたいだ。
なじみの店ができ、付き合いができ、路地裏の小さな露店まで町の地図が頭に書き込まれ、以前はいちいち動揺して人に助けを求めていたトラブルや問題が、当たり前の日常になりつつある。どこに甘えていいのか、何に警戒するべきなのか、力の入れ加減が体に刻み込まれていって、少しずつ楽になった。もう詳しくは覚えていないが、何度も何度も失敗したり、小さな詐欺や危ない目にあったり、そういう経験を単純に層にして、この街の記憶の塊のようなものの実がぎっしり詰まってきた感じがする。
どこにいようと人は変わらないし、変わらない限りどこにいて何をやっても同じだと言う人もいる。しかし、人は土地によってある程度変わることができると私は思う。その人の心が柔軟でさえあれば。新しい土地には、人を謙虚にし、目を開かせる力がある。わからないという気持ちが、注意を集中して、自分の思考の枠組みの外にあるものをそのままの姿でとらえようとする態度を作り出す。そうして外にあるものを素直に自分に組み込んでいくことで、ちゃんと人格にも変化が起こり、成長する。
街の記憶が密になることによって、自分の実もまたがっしりしていくような気がするのかもしれない。そのうちまた空っぽになりたくて自分はどこかに行くのだろうか。振り捨てなければならない辛い記憶もまた同じだけ増えて、密度を増していくのだろうか。それもまたいい。いつか新しい土地を求める時のために、あるいはいつか逃げ出してどこかに行かなければならない時のために、とにかくずっと、心だけは死ぬまでやわらかいままでいたいものだ。そうしたら、どこでも何とかなる。
ブログを引越ししました。新しいURLはhttp://aikanoh.wordpress.com/です。英語ブログと日本語ブログを合体させたブログです。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。よろしくおねがいします。
<お知らせ終わり>
ムンバイの町で迎える、3度目のディワリである。9月の終わりにナブラトリの祭りが始まり、それと同時に北インドの行商人が集まるクラフトフェアがやってきて、去年と同じ顔ぶれの商人が手織りの布や家具を売り、お祭りの終わりとともに去っていった。ナブラトリが終わるとすぐに街中がディワリ一色になる。ディワリは光の祭である。電飾が街中に施されて、歩道に灯篭やランタン、ろうそくや、ランゴリのための色鮮やかな粉を売る店がたくさん現れはじめる。
ディワリには、他のヒンドゥ教の祭とは違う落ち着きと親密さがある。ホーリーのような狂乱でもなければ、ガネーシャ祭のような遊び心でもない。ガネーシャ祭がお盆なら、ディワリは正月である。新年の夜の神社の灯篭の光や焚き火を思い出して、2年も日本の正月を見ていない私はいつもこの時期になると懐かしさに駆られる。
去年のディワリには、親しい人たちが立て続けに街を離れたこともあって、残った自分がいつ同じようにここを去るのかと思うと、祭の準備に忙しい街の様子がまるで未来に見る思い出の光景のように思えた。それから1年たち、今年はまた違った種類の感慨で街の風景を見つめている。自分が見つけた、自分の街にいる、という思いがしている。なんだか「魔女の宅急便」みたいだ。
なじみの店ができ、付き合いができ、路地裏の小さな露店まで町の地図が頭に書き込まれ、以前はいちいち動揺して人に助けを求めていたトラブルや問題が、当たり前の日常になりつつある。どこに甘えていいのか、何に警戒するべきなのか、力の入れ加減が体に刻み込まれていって、少しずつ楽になった。もう詳しくは覚えていないが、何度も何度も失敗したり、小さな詐欺や危ない目にあったり、そういう経験を単純に層にして、この街の記憶の塊のようなものの実がぎっしり詰まってきた感じがする。
どこにいようと人は変わらないし、変わらない限りどこにいて何をやっても同じだと言う人もいる。しかし、人は土地によってある程度変わることができると私は思う。その人の心が柔軟でさえあれば。新しい土地には、人を謙虚にし、目を開かせる力がある。わからないという気持ちが、注意を集中して、自分の思考の枠組みの外にあるものをそのままの姿でとらえようとする態度を作り出す。そうして外にあるものを素直に自分に組み込んでいくことで、ちゃんと人格にも変化が起こり、成長する。
街の記憶が密になることによって、自分の実もまたがっしりしていくような気がするのかもしれない。そのうちまた空っぽになりたくて自分はどこかに行くのだろうか。振り捨てなければならない辛い記憶もまた同じだけ増えて、密度を増していくのだろうか。それもまたいい。いつか新しい土地を求める時のために、あるいはいつか逃げ出してどこかに行かなければならない時のために、とにかくずっと、心だけは死ぬまでやわらかいままでいたいものだ。そうしたら、どこでも何とかなる。
メンディ地獄
ディワリの準備でうきうきした街を歩いていたら、メンディの露店に出会った。メンディというのは、インドの女の人のおしゃれのひとつで、ヘナという染料で腕や足に模様を描くのである。ヘナは茶色い泥のような染料で、髪染めにも用いられる。肌にヘナの泥でケーキのデコレーションのように模様を描いて、乾かしてから泥をはがすと、肌が模様の通りに赤茶色に染まるのである。見た目は刺青のようにみえるけれど、1週間もすると消えてしまう。
ま、お祭だしね、と思って椅子に座ると、アーティストのお兄さんが、「片手?両手?」と聞いたので、「もちろん、両手、両面、全部おねがいねっ」と景気よくお願いした。以前会社のめぐみさんとはじめてメンディをやった時には手の甲の面にだけ模様を施したのだが、会社でインド人の女の子たちに見せたら、「手のひらもやんないとかっこわるいじゃん」と言われて悔しかったので、次の機会にはちゃんと両手両面をやろうと決めていたのである。
アーティストのお兄ちゃんは若く、仕事は速いがわりと雑であった。片手が終わった時、なにかヒンディ語で私に訴えかけてきたので、「何?」とこっちも一生懸命聞いていたのだが何を言っているのかわからない。しばらくやり取りがあって、どうやら「残りの手をやる前に代金を払ってくれないと、手が使えなくなって財布がかばんから出せなくなるから、今払え」と言っているのだとわかった。「ああ、それもそうだね」といって代金を払いながら、自分の置かれた状況に気付いてはっとした。考えてみれば兄ちゃんの言うとおりで、両手の裏と表に、それも指の先っちょまでヘナで模様を描かれてしまったら、ヘナが乾燥するまでの1時間、まったく何もできなくなる。
リキシャで家まで帰って財布から代金を払うこともできなければ、鍵をかばんから出して家のドアを開けることもできない。お腹が強烈にすいているのに気付いたが、道の露店でサモサや果物を買って食べるのも無理だし、家に帰って運よくルームメイトがなにか作っていたとしても、箸すら持てない。家までは時間をかければ歩いて帰られるとしても、ルームメイトがいなかったらどうしたらいいのか。携帯で電話をかけるのも無理だ。
私がぐるぐる考えている間に、お客が何度か立ち寄ってメンディの値段を聞いたり染料を買ったりしていった。家族で買い物途中の主婦や、夫とデート中の若い妻が「両手両面おねがい」と言っているのを聞きながら、ああ、この人たちは家族がいるからそんな気楽なことが言えるんだよな、ちくちょう、と恨めしい気持ちになった。家族連れならメンディの後にレストランにさえ入っちゃって、夫か姑かなんかがチャパティを小さくちぎってかいがいしく口に入れてくれるに違いない。うらやましい。
メンディ・アーティストが私の仕事を終え、両手の裏と表がヘナの模様でいっぱいになった。ありがとう、とお礼を言って店を出ようとすると、お兄さんが模様を崩さないようにそーっと私のショルダーバッグを肩にかけてくれ、「手のひらを広げてつっぱって、乾くまで模様にしわが入らないようにしないとだめだよ」と注意した。そうか、手のひらを広げて錆びたブリキのロボットみたいな状態でこのまま家まで40分近く歩かなきゃならないのか、と思うと複雑な思いでいっぱいになった。
手を硬直させて人がいっぱいの歩道を歩いていると、周りの人がよけてくれているのがわかってなかなか恥ずかしい。いつもの角にいる物乞いの女の子がかけてきたが、私の姿をみて「あ、今日はしつこくしちゃだめだな」と判断したのか、一度だけ私に声をかけただけで、私の硬直した両腕を見るとすぐに引き下がって去っていった。賢い子である。長い道のりを一人で歩き、自分のアパートの明かりが見えた時、気が緩んだのか肩から革のショルダーバッグの肩かけの部分が落ちてきて左の手首の模様をつぶしてしまった。
「げげっ」と叫んで模様を救おうとして肩掛けをずらすと、肩掛けについたヘナが左の二の腕にびーっと広がってしまった。大変である。そのまま乾いたら、二の腕に謎の茶色いあざのような模様がどでかく残ってしまって一週間は取れない。「ひょえー」と動揺して叫びながら、思わず右手で左腕を触ってヘナを取ろうとしたら、右手の指先にも模様があったことに気づいた。いろいろな部分を取り繕おうとして、いろいろな部分にヘナがへばりついたりはがれたりして、わけがわからない状態になって大混乱である。
あせって汗をかいて顔に髪がへばりついたが、指にもヘナの模様があるので髪をかきあげられない。誤まって染料が顔についたりしたら最悪である。一瞬パニックになったが、深呼吸をして気を取り直し、ルームメイトが家にいることにかけてダッシュで家まで帰った。染料が完全に乾く前に助けてもらわなければならない。
幸運なことに、ルームメイトはちゃんと家にいて、あわてた私を見てびっくりしていた。布を持ってきて腕についたヘナをはがしてくれ、アイスティーを作ってくれた。手が乾いていないのでアイスティーのグラスを持ち上げられず、あきらめてしばらく一緒にテレビを見た。一時間してヘナが乾いたときには、ほっとしてグラスのアイスティを一気に飲み干し、それから台所にあったジンを飲んで気持ちをおちつけ、ラーメンを作って食べた。もう深夜であった。
インドでひとりで生きるのは容易くない…。次にメンディを両手にやるときには誰かを誘って、ちゃんとご飯を食べてから行こうと心に決めた。でも友達と行って二人とも両手両面にメンディをやったら事態は同じである。やはりその誰かは家族か、男か、どっちかであるべきなのか。いや、友達と買い物の途中で行って、一時間交代でやればいいのか。などなどと、いろいろ思いをめぐらせる。まあ、勢いだけで生きるのではなく、ある程度の計画性は必要である、という戒めかもしれない。
ま、お祭だしね、と思って椅子に座ると、アーティストのお兄さんが、「片手?両手?」と聞いたので、「もちろん、両手、両面、全部おねがいねっ」と景気よくお願いした。以前会社のめぐみさんとはじめてメンディをやった時には手の甲の面にだけ模様を施したのだが、会社でインド人の女の子たちに見せたら、「手のひらもやんないとかっこわるいじゃん」と言われて悔しかったので、次の機会にはちゃんと両手両面をやろうと決めていたのである。
アーティストのお兄ちゃんは若く、仕事は速いがわりと雑であった。片手が終わった時、なにかヒンディ語で私に訴えかけてきたので、「何?」とこっちも一生懸命聞いていたのだが何を言っているのかわからない。しばらくやり取りがあって、どうやら「残りの手をやる前に代金を払ってくれないと、手が使えなくなって財布がかばんから出せなくなるから、今払え」と言っているのだとわかった。「ああ、それもそうだね」といって代金を払いながら、自分の置かれた状況に気付いてはっとした。考えてみれば兄ちゃんの言うとおりで、両手の裏と表に、それも指の先っちょまでヘナで模様を描かれてしまったら、ヘナが乾燥するまでの1時間、まったく何もできなくなる。
リキシャで家まで帰って財布から代金を払うこともできなければ、鍵をかばんから出して家のドアを開けることもできない。お腹が強烈にすいているのに気付いたが、道の露店でサモサや果物を買って食べるのも無理だし、家に帰って運よくルームメイトがなにか作っていたとしても、箸すら持てない。家までは時間をかければ歩いて帰られるとしても、ルームメイトがいなかったらどうしたらいいのか。携帯で電話をかけるのも無理だ。
私がぐるぐる考えている間に、お客が何度か立ち寄ってメンディの値段を聞いたり染料を買ったりしていった。家族で買い物途中の主婦や、夫とデート中の若い妻が「両手両面おねがい」と言っているのを聞きながら、ああ、この人たちは家族がいるからそんな気楽なことが言えるんだよな、ちくちょう、と恨めしい気持ちになった。家族連れならメンディの後にレストランにさえ入っちゃって、夫か姑かなんかがチャパティを小さくちぎってかいがいしく口に入れてくれるに違いない。うらやましい。
メンディ・アーティストが私の仕事を終え、両手の裏と表がヘナの模様でいっぱいになった。ありがとう、とお礼を言って店を出ようとすると、お兄さんが模様を崩さないようにそーっと私のショルダーバッグを肩にかけてくれ、「手のひらを広げてつっぱって、乾くまで模様にしわが入らないようにしないとだめだよ」と注意した。そうか、手のひらを広げて錆びたブリキのロボットみたいな状態でこのまま家まで40分近く歩かなきゃならないのか、と思うと複雑な思いでいっぱいになった。
手を硬直させて人がいっぱいの歩道を歩いていると、周りの人がよけてくれているのがわかってなかなか恥ずかしい。いつもの角にいる物乞いの女の子がかけてきたが、私の姿をみて「あ、今日はしつこくしちゃだめだな」と判断したのか、一度だけ私に声をかけただけで、私の硬直した両腕を見るとすぐに引き下がって去っていった。賢い子である。長い道のりを一人で歩き、自分のアパートの明かりが見えた時、気が緩んだのか肩から革のショルダーバッグの肩かけの部分が落ちてきて左の手首の模様をつぶしてしまった。
「げげっ」と叫んで模様を救おうとして肩掛けをずらすと、肩掛けについたヘナが左の二の腕にびーっと広がってしまった。大変である。そのまま乾いたら、二の腕に謎の茶色いあざのような模様がどでかく残ってしまって一週間は取れない。「ひょえー」と動揺して叫びながら、思わず右手で左腕を触ってヘナを取ろうとしたら、右手の指先にも模様があったことに気づいた。いろいろな部分を取り繕おうとして、いろいろな部分にヘナがへばりついたりはがれたりして、わけがわからない状態になって大混乱である。
あせって汗をかいて顔に髪がへばりついたが、指にもヘナの模様があるので髪をかきあげられない。誤まって染料が顔についたりしたら最悪である。一瞬パニックになったが、深呼吸をして気を取り直し、ルームメイトが家にいることにかけてダッシュで家まで帰った。染料が完全に乾く前に助けてもらわなければならない。
幸運なことに、ルームメイトはちゃんと家にいて、あわてた私を見てびっくりしていた。布を持ってきて腕についたヘナをはがしてくれ、アイスティーを作ってくれた。手が乾いていないのでアイスティーのグラスを持ち上げられず、あきらめてしばらく一緒にテレビを見た。一時間してヘナが乾いたときには、ほっとしてグラスのアイスティを一気に飲み干し、それから台所にあったジンを飲んで気持ちをおちつけ、ラーメンを作って食べた。もう深夜であった。
インドでひとりで生きるのは容易くない…。次にメンディを両手にやるときには誰かを誘って、ちゃんとご飯を食べてから行こうと心に決めた。でも友達と行って二人とも両手両面にメンディをやったら事態は同じである。やはりその誰かは家族か、男か、どっちかであるべきなのか。いや、友達と買い物の途中で行って、一時間交代でやればいいのか。などなどと、いろいろ思いをめぐらせる。まあ、勢いだけで生きるのではなく、ある程度の計画性は必要である、という戒めかもしれない。
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