先週の日曜日に、会社の上司の結婚式に出席した。一緒に行った同僚は、「これはいわゆるボリウッド式ね」と言っていた。会場は有名なお寺の結婚式場で、一応30分ほどヒンドゥ教のプジャが行われたが、かなり短い。その後カンタンなブッフェスタイルの食事。小ぢんまりして簡略化された現代的な式で、どちらの家族も特に宗教や伝統にはさほどかまってない、という印象である。
とはいえ、それが現代のインドのスタンダードかといえば、そうでもない。インドには日本にあるようなスタンダードや流行なんてない。それぞれの家族によって、保守的であるか進歩的であるかは家庭や個人によってぜんぜん違う。ある家庭では1週間以上かけて伝統的な結婚の儀式を行う。またある家庭では同じカーストであってさえ、生まれたコミュニティや細かい条件の違いで結婚を反故にする。そして、全く宗教に関係なく結婚するカップルや、結婚式に宗教色を入れないカップルもいるらしい。
インドにおいて、結婚はかなり不自由である。必ずしも愛し合っている恋人と一緒になれるわけではない。実際かなり難しい場合が多い。しかし、そういう宗教や文化によって生じる困難を後進的だと判断するのは単純すぎる。アレンジド・マリッジで幸せに一生を送るカップルはいっぱいいる。家族全員の幸せが一人の幸せであるという価値観に立てば、たった2人の愛し合う男女の幸福は、より公共の利益のために犠牲になる、という考え方だって別に間違ってはいない。
価値は相対的なのだ。正しい価値と誤った価値を見分ける方法もなければ、どの価値がより重要であるかを測るものさしもない。問題は価値そのものにあるのではなく、周りの圧力や無知によって価値を選べないことにある。たいていの人間は、自分が叩き込まれてきた価値観や、苦労して築き上げてきた価値観を世界で一番まともな考え方だと思いがちである。人間は伝統や文化のしばりから自由であればあるほど、それが人間のあるべき姿であり、幸福により近づく、と考えがちだが、実はそうとはかぎらない。
日本では最近「婚活」なんていう、聞くだけで疲れる言葉がはやっているらしいが、ラブ・マリッジの率が高くなればなるほど、結婚したいのに相手が見つからない若い男女があふれて困っているではないか。こういう報道を見ていると、あんまり日本も自由な国じゃないな、という気がする。
しかし、日本のいわゆる「婚活」現象は実に奇妙である。若い人たちは「別に結婚しなくてもよい」という自由を享受しているのにもかかわらず、結婚することをいまだに目標にしている。ヨーロッパのカップルみたいに、結婚しないままパートナーとして何年も連れ添って暮らしたり、気が向いたら子どもを作ったりして好きなようにのんびりやったらいいのに、なぜ日本人はそういう方向に向かわないのだろう?なにをやったって自由なんだから、もっと勝手にすればいいのに、意外とそういうのんきな世代が現れないのが実に不思議である。
そんなところを比較していると、自分の中の進歩と保守、あるいは後進という価値観の境界がどんどんあいまいになる。実にわからない。私個人としては、愛し合うカップルは自由に一緒になれなきゃ嫌だけれど、男女の愛を一番に追求して生きているわけではない人たちだって、世の中にはいっぱいいるのだ。
最近、ジュエリーショップのテレビCMで、こんなのがやっている。結婚1年と2ヶ月目の夫婦。「They arranged everything…」でストーリーは始まる。お見合い結婚で結ばれた二人。知らない同士が結婚してぎこちない結婚生活。それから、「And, we laugh…」、ちょっとずつ相手に慣れていく。そして1年2ヶ月目。「And we found…」お互いをはじめて見つけた二人。記念のプラチナ・ペアリング。これがインドの夫婦に指輪を売りつけるためのメッセージらしい。なかなか興味深いと思いませんか?
Showing posts with label インドの結婚式. Show all posts
Showing posts with label インドの結婚式. Show all posts
September 29, 2009
March 6, 2009
インドのビッグ・ウエディング(3) 親戚いっぱい
友人には、おじさんとおばさんとおじいさんとおばあさんがいっぱいいる。おばあちゃんを数えていたら6人いた。6人おばあちゃんがいるのは絶対おかしい、と思って聞いてみると、3人は実のおばあちゃんの姉とか妹だった。アンティ(おばさん)もいっぱいいる。とにかくいっぱいいる。家の中はサリーを着て忙しく動き回る女であふれている。家のあっちとこっちでおばあちゃんたちが2グループに分かれてだれかの悪口を言ったり、悪い噂話をしている(ように見える)。
私は家族に典型的な「インドの文化にすごく興味がある外人」として受け入れられ、アンティたちにずいぶんかわいがってもらった。花嫁が支度をしている間に、アンティたちに連れられて街に買い物に行き、親戚の家を一軒一軒回って家族の一人ひとりに挨拶する。なかなかの人数であった。英語ができる友人や同僚たちから離れてアンティと子どもたちだけになると、マラティ語がわからないので、片言の英語と手まねと顔の表情だけでなんとか会話する。どうせ難しい話をすることもないのだから、それでけっこう何とかなるものである。ひさしぶりに外人としてちやほやされた。道端で一人のアンティがジャスミンとバラの花を買って、髪につけてくれた。
おどろくべきことに、3軒の親戚が並んで隣同士に家を建てて住んでいる。一軒目でお茶を飲んだあとで、おばさんが「じゃあ次の家に行こうか」というので、「は?」と思いながらついていくと、隣の家がまた別のおばさんの家なのである。そこで2階のトイレからベランダまで隅々を案内されておやつを食べた後、「じゃあ、今度は隣の家に行くわよ」といって外へ出ると、またその隣がもう一人のおばさんの家である。3軒目のおばさんの家を出た後で、庭先から「ちょっとちょっと、もう一回おいでよ」と前のおばさんに呼ばれて、さっきはいなかった娘やらいとこやらを紹介される。しばらくボーっとしていると、向こうの家から子どもがやってきて「あっちのアンティが来いって言ってるよ」と呼びに来る。
お茶やらお菓子やらバナナやらを立て続けに食べてお腹いっぱいになってしまった。
親戚の子どもたちもいっぱいいる。小さい子どもたちは、親世代とちがって英語が話せる。聞いてみると、学校で習っているのではなく独学しているのだという。こっちの英語はかなりヤクザなのに、彼らは「今、おれ英会話の勉強してんの」という感じで英語で話してくるのでばつが悪い。くだらない宴会芸の手品を教えたり、日本語を教えたり、折り紙を一緒に折ったりして遊んだ。
とにかくうじゃうじゃいる。私は平素よりさほど社交的なことを好むほうではないが、2件目のおばさんの家でお茶を飲んでいるあたりで、「ここは完全に頭を空っぽにして、この流れに完全に飲み込まれて進もう」と決心して、人数をカウントするのも名前を覚えるのもあきらめて、手を引かれるままにぐるぐると回っていたら、ちょっと楽になった。流れ流れて、ちゃんと最後には友人の家までたどり着き、髪につけた花をみんなにほめてもらった。
私は家族に典型的な「インドの文化にすごく興味がある外人」として受け入れられ、アンティたちにずいぶんかわいがってもらった。花嫁が支度をしている間に、アンティたちに連れられて街に買い物に行き、親戚の家を一軒一軒回って家族の一人ひとりに挨拶する。なかなかの人数であった。英語ができる友人や同僚たちから離れてアンティと子どもたちだけになると、マラティ語がわからないので、片言の英語と手まねと顔の表情だけでなんとか会話する。どうせ難しい話をすることもないのだから、それでけっこう何とかなるものである。ひさしぶりに外人としてちやほやされた。道端で一人のアンティがジャスミンとバラの花を買って、髪につけてくれた。
おどろくべきことに、3軒の親戚が並んで隣同士に家を建てて住んでいる。一軒目でお茶を飲んだあとで、おばさんが「じゃあ次の家に行こうか」というので、「は?」と思いながらついていくと、隣の家がまた別のおばさんの家なのである。そこで2階のトイレからベランダまで隅々を案内されておやつを食べた後、「じゃあ、今度は隣の家に行くわよ」といって外へ出ると、またその隣がもう一人のおばさんの家である。3軒目のおばさんの家を出た後で、庭先から「ちょっとちょっと、もう一回おいでよ」と前のおばさんに呼ばれて、さっきはいなかった娘やらいとこやらを紹介される。しばらくボーっとしていると、向こうの家から子どもがやってきて「あっちのアンティが来いって言ってるよ」と呼びに来る。
お茶やらお菓子やらバナナやらを立て続けに食べてお腹いっぱいになってしまった。
親戚の子どもたちもいっぱいいる。小さい子どもたちは、親世代とちがって英語が話せる。聞いてみると、学校で習っているのではなく独学しているのだという。こっちの英語はかなりヤクザなのに、彼らは「今、おれ英会話の勉強してんの」という感じで英語で話してくるのでばつが悪い。くだらない宴会芸の手品を教えたり、日本語を教えたり、折り紙を一緒に折ったりして遊んだ。
とにかくうじゃうじゃいる。私は平素よりさほど社交的なことを好むほうではないが、2件目のおばさんの家でお茶を飲んでいるあたりで、「ここは完全に頭を空っぽにして、この流れに完全に飲み込まれて進もう」と決心して、人数をカウントするのも名前を覚えるのもあきらめて、手を引かれるままにぐるぐると回っていたら、ちょっと楽になった。流れ流れて、ちゃんと最後には友人の家までたどり着き、髪につけた花をみんなにほめてもらった。
March 5, 2009
インドのビッグ・ウエディング(2) 運命のある人生、運命のない人生
とにかく数え切れないほどの儀式が立て続けに行われるインドの結婚式。インドの中でも、地域やカーストによってしきたりや衣装なんかがぜんぜん違うらしい。友人のカーストでは、結婚前夜に次のような儀式を執り行う。
1. 白いサリーを着て、ドラムバンドに見送られて、家の近くの祠におまいりする。
2. 家族で地域の一番大きなパールバティ寺院とシバ寺院に行き、お参りして花をもらってくる。
3. 家に司祭が来て、おじさんとおばさんと花嫁の3人で長いお祈りをする。
4. つづけてお母さんとお父さんと花嫁の3人でお祈りをする。
5. それから親戚のおばさんとおばあちゃんが勢ぞろいして、ひとりひとり花嫁に向けてお祈りする。
6. 一同で植木にターメリックを塗りつけてお祈りする。
7. そのあとみんなで花嫁にターメリックを塗りつけてお祈りする。
8. 夕方になったら近所の人や友達、遠い親戚まであつまって、庭でご馳走を食べる。
9. バンドがボリウッド音楽を演奏して、みんなで踊りまわる。花火と爆竹が深夜まで続く。
書いただけでけっこう疲れてしまったが、おもしろいのは儀式に参加する誰もが、そこで何をすべきかを知っていたことだ。
おばさんたちがお盆に色のついた粉や砂糖、線香を乗せてかわるがわる花嫁に向かって祈りをささげている。見ていると、だれも「えーっと、次にどうするんだっけ?」と迷っている人はいない。おばあちゃんたちが儀式の途中でエキゾチックな歌を誰となく歌いだし、合唱になる。よくよく聞いてみると、歌の中に花嫁の名前が歌いこまれている。伝統的な結婚の歌らしい。きっとこれまでに何十回も同じことを繰り返してきたんだろう。
来客にふるまう料理、儀式で着るべき衣装の色や化粧、祈りの言葉、すべてが古くから決められてるしきたりに従っている。彼女の結婚相手すら、同じ街で生まれ、伝統に従って占星術で選ばれた人である。誰と結婚するのか、どうやって結婚するのか、なにもかもが定めなのだ。迷うところがない。結婚は当人たちのものではなく、一族の命運をかけた一大イベントなのである。結婚する友人はもちろん、参加する家族たちみんなが役割に燃えて、喜びに満ちている。
結婚は、生きたら死ななければいけないのと同じレベルで人生に組み込まれた運命なのだ。
「自由という不自由」というのがある。伝統やしきたりから離れた暮らしでは、あらゆることにおいて、自分自身で選び、決断しなければならない。何が正しいのか、何が間違っているか、未熟な心で一抹の判断を下す。あとで失敗の責任を取るのも一人、後悔を味わうのも一人ぼっちである。現代人の生涯には、その種の孤独と不安が常につきまとって、人の精神を不自由にしている。友人たちの暮らしを考えながら、私はそういう「運命のない人生」を送っているんだ、と思った。
どちらが自由で、創造的なのか?
よくある問いかもしれないが。どちらが幸福であるか、という価値的な意味ではない。例えば、運命の定まった人生を送れば、自分が人生に何をもとめているのか、というような内向的な問いの解決に時間を使うことなく、何かもっと外交的なことに向けて時間と力を使えるかもしれない。でも逆に、選択肢が多いがゆえに生じる内向的な問いを解決することだって、創造的である。わからない。たぶん「どちらが」という問いを立てることじたいが間違っているのだろう。
1. 白いサリーを着て、ドラムバンドに見送られて、家の近くの祠におまいりする。
2. 家族で地域の一番大きなパールバティ寺院とシバ寺院に行き、お参りして花をもらってくる。
3. 家に司祭が来て、おじさんとおばさんと花嫁の3人で長いお祈りをする。
4. つづけてお母さんとお父さんと花嫁の3人でお祈りをする。
5. それから親戚のおばさんとおばあちゃんが勢ぞろいして、ひとりひとり花嫁に向けてお祈りする。
6. 一同で植木にターメリックを塗りつけてお祈りする。
7. そのあとみんなで花嫁にターメリックを塗りつけてお祈りする。
8. 夕方になったら近所の人や友達、遠い親戚まであつまって、庭でご馳走を食べる。
9. バンドがボリウッド音楽を演奏して、みんなで踊りまわる。花火と爆竹が深夜まで続く。
書いただけでけっこう疲れてしまったが、おもしろいのは儀式に参加する誰もが、そこで何をすべきかを知っていたことだ。
おばさんたちがお盆に色のついた粉や砂糖、線香を乗せてかわるがわる花嫁に向かって祈りをささげている。見ていると、だれも「えーっと、次にどうするんだっけ?」と迷っている人はいない。おばあちゃんたちが儀式の途中でエキゾチックな歌を誰となく歌いだし、合唱になる。よくよく聞いてみると、歌の中に花嫁の名前が歌いこまれている。伝統的な結婚の歌らしい。きっとこれまでに何十回も同じことを繰り返してきたんだろう。
来客にふるまう料理、儀式で着るべき衣装の色や化粧、祈りの言葉、すべてが古くから決められてるしきたりに従っている。彼女の結婚相手すら、同じ街で生まれ、伝統に従って占星術で選ばれた人である。誰と結婚するのか、どうやって結婚するのか、なにもかもが定めなのだ。迷うところがない。結婚は当人たちのものではなく、一族の命運をかけた一大イベントなのである。結婚する友人はもちろん、参加する家族たちみんなが役割に燃えて、喜びに満ちている。
結婚は、生きたら死ななければいけないのと同じレベルで人生に組み込まれた運命なのだ。
「自由という不自由」というのがある。伝統やしきたりから離れた暮らしでは、あらゆることにおいて、自分自身で選び、決断しなければならない。何が正しいのか、何が間違っているか、未熟な心で一抹の判断を下す。あとで失敗の責任を取るのも一人、後悔を味わうのも一人ぼっちである。現代人の生涯には、その種の孤独と不安が常につきまとって、人の精神を不自由にしている。友人たちの暮らしを考えながら、私はそういう「運命のない人生」を送っているんだ、と思った。
どちらが自由で、創造的なのか?
よくある問いかもしれないが。どちらが幸福であるか、という価値的な意味ではない。例えば、運命の定まった人生を送れば、自分が人生に何をもとめているのか、というような内向的な問いの解決に時間を使うことなく、何かもっと外交的なことに向けて時間と力を使えるかもしれない。でも逆に、選択肢が多いがゆえに生じる内向的な問いを解決することだって、創造的である。わからない。たぶん「どちらが」という問いを立てることじたいが間違っているのだろう。
インドのビッグ・ウエディング(1) Virar の黄色い家
先週の土日、2日がかりで同僚の結婚式に行ってきた。式はきっかり3月1日。彼女は去年の7月に婚約して今年の1月に結婚のために退社し、今月末には夫の仕事についてノルウェーに引っ越すことになっている。
ムンバイの北、Virarという村が彼女の出身地。そこからムンバイのビジネスの中心的都市であるAndheriのオフィスまで急行で40分かけて毎日通っていたのだ。実際行ってみると、相当な田舎である。よくも2年もこの長距離をコミュートしていたなあ、とひたすら感心してしまう。
Virar駅を出て彼女の家まで歩いて向かう。舗装されていない土の道である。道の脇に牛やヤギがいる。学校帰りの制服を着た小学生たちがアイスクリーム屋の屋台を囲んで5センチぐらいのちっちゃな赤い棒アイスをみんなで食べている。村の人たちはほとんどマラティ語をしゃべっているのでい、何を言っているのか一言も聞き取れない。そんな村だ。
ムンバイとの大きな差として、庭付き一戸建ての家が中流家庭の主流である。友人の家は黄色とクリーム色でかわいく塗られた2階建ての大きな家で、庭が2つと花と野菜のガーデンがあった。パパイヤ、マンゴー、チクー、バナナ、イチジク、ココナッツ、ナス、オレンジ、ねぎなどを庭で栽培している。玄関には天井からつった木のブランコがある。ムンバイではよっぽどの金持ちでもこんな家には住めない。聞くと、もともと土地持ちの大きなご家族らしい。
庭には結婚式前夜のパーティーのために赤い大きなテントが張られていて、中では料理人たちががご馳走の支度をしている。入り口にはどういうわけかすでにドラムやキーボードをたずさえたバンドが控えている。友人やその家族が玄関で出迎えてくれて家に入ってみると、とにかくおじさんやらおばさんやらいとこやらすでにいろんな人が集まっていてすでにてんやわんやの雰囲気である。前日からすでにいくつか結婚前の伝統行事をこなしてきているらしい。
ひろい螺旋階段をあがって2階の彼女の部屋から外を眺めると、新しくできた高校の建物と、木と山と森と、広い空き地で遊んでいる中学生から高校生ぐらいの少年たちの集団が見える。物売りみたいな人が風呂敷包みを抱えて歌うような宣伝文句を繰り返しながら家の前の道を通り過ぎていく。静かで平和な田舎町だ。
友人の親戚のおじさんやおばさんたちに会うと、「Viraruはどう?」とみんなが聞いてくる。「うん、平和でいいところだね」と言うと、年配の人は「そうでしょう、そうでしょう」とにんまりするけれど、若い人たちは「ね!平和すぎるでしょ!もー、通勤が大変なんだから。退屈だし!」みたいなことを言う。なんか典型的だ。じっさいここから市街地まで通勤するのはたいそうである。私だったら街に部屋を借りて一人で住んだほうがずっと楽だと思うけれど、村の若い人たちはそんなことしない。お母さんが作るお弁当をもって2時間のコミュートに耐え、夜帰ってきてうちのご飯を食べる。なんだかこういうのを見ていると、自分がずいぶんやくざな暮らしをしているみたいに思えてならない。
ムンバイの北、Virarという村が彼女の出身地。そこからムンバイのビジネスの中心的都市であるAndheriのオフィスまで急行で40分かけて毎日通っていたのだ。実際行ってみると、相当な田舎である。よくも2年もこの長距離をコミュートしていたなあ、とひたすら感心してしまう。
Virar駅を出て彼女の家まで歩いて向かう。舗装されていない土の道である。道の脇に牛やヤギがいる。学校帰りの制服を着た小学生たちがアイスクリーム屋の屋台を囲んで5センチぐらいのちっちゃな赤い棒アイスをみんなで食べている。村の人たちはほとんどマラティ語をしゃべっているのでい、何を言っているのか一言も聞き取れない。そんな村だ。
ムンバイとの大きな差として、庭付き一戸建ての家が中流家庭の主流である。友人の家は黄色とクリーム色でかわいく塗られた2階建ての大きな家で、庭が2つと花と野菜のガーデンがあった。パパイヤ、マンゴー、チクー、バナナ、イチジク、ココナッツ、ナス、オレンジ、ねぎなどを庭で栽培している。玄関には天井からつった木のブランコがある。ムンバイではよっぽどの金持ちでもこんな家には住めない。聞くと、もともと土地持ちの大きなご家族らしい。
庭には結婚式前夜のパーティーのために赤い大きなテントが張られていて、中では料理人たちががご馳走の支度をしている。入り口にはどういうわけかすでにドラムやキーボードをたずさえたバンドが控えている。友人やその家族が玄関で出迎えてくれて家に入ってみると、とにかくおじさんやらおばさんやらいとこやらすでにいろんな人が集まっていてすでにてんやわんやの雰囲気である。前日からすでにいくつか結婚前の伝統行事をこなしてきているらしい。
ひろい螺旋階段をあがって2階の彼女の部屋から外を眺めると、新しくできた高校の建物と、木と山と森と、広い空き地で遊んでいる中学生から高校生ぐらいの少年たちの集団が見える。物売りみたいな人が風呂敷包みを抱えて歌うような宣伝文句を繰り返しながら家の前の道を通り過ぎていく。静かで平和な田舎町だ。
友人の親戚のおじさんやおばさんたちに会うと、「Viraruはどう?」とみんなが聞いてくる。「うん、平和でいいところだね」と言うと、年配の人は「そうでしょう、そうでしょう」とにんまりするけれど、若い人たちは「ね!平和すぎるでしょ!もー、通勤が大変なんだから。退屈だし!」みたいなことを言う。なんか典型的だ。じっさいここから市街地まで通勤するのはたいそうである。私だったら街に部屋を借りて一人で住んだほうがずっと楽だと思うけれど、村の若い人たちはそんなことしない。お母さんが作るお弁当をもって2時間のコミュートに耐え、夜帰ってきてうちのご飯を食べる。なんだかこういうのを見ていると、自分がずいぶんやくざな暮らしをしているみたいに思えてならない。
Subscribe to:
Posts (Atom)

