June 6, 2009

寿司レストランに行き損ねた私 ―反復と移動

先週の木曜日、同僚の日本人二人が寿司と中華のレストランに行った。ついていけばよかったんだけれど、レストランがバンドラという電車で1.5時間ほど行ったちょっと遠くの街にあるため、かなり悩んだ末にあきらめた。基礎体力がなく、生きているだけでけっこう精一杯なため、平日に出掛けたりして週中で倒れるのが怖いのだ。だからあんまり新しいことを週中にしない習慣が付いてしまっている。しかし今深く後悔している。頭の中は寿司と中華でいっぱいである。

人の中には、新規なものを追い求めることを好むものと、同じことの反復を愛するものがいる。私は明らかに後者のグループに含まれる。通いなれた場所を好み、気に入った同じメニューを毎日食べる。新しい映画を100本観るより、気に入った1本の映画を100回繰り返し観る。新しい本を次々買うくせに、暇があると何度も読んだ古い本を開いている。

インドで暮らしているというと、知らない人には日々が冒険のように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。私のように、「今日は仕事帰りに駅前にアイスの屋台が出てるかな?」という種類の喜びを糧にして生きている人間にとっては、どこにいても暮らし方はほとんど同じである。自分が偏愛できるものを作って、それと自分との関係をどんどん密にしていくことでエネルギーを発電しているのだ。

茂木健一郎さんは仕事論の対談で以前、「仕事が退屈だ、と言う人は想像力が足りないんだ」と言っていたけれど、私もその意見におおむね賛成である。仕事に限らずたいていのことは退屈するには早すぎる。同じ味のアイスを100回食べても、自分がなぜその味に惹かれるのかまだわからない。人間にしても、同じ人を1年見ていたらかなりの変化がある。成長、成熟、衰え、荒み。関係も変わる。好きになったり嫌ったりを繰り返す。髪型も、暮らしも変わる。去る人、来る人、残っている人。定点からものを見ているからこそわかることがたくさんあり、時間をかけなければ見えないこともある。

一方で、変化がなければ考えや感情が擦り切れていく場合もある。同じことが毎日気にかかったり、同じ相手が毎日憎らしかったり、同じ仕事にうんざりしたり、同じ悩みをずっと抱え続けたり、そういうネガティヴな思考や感情のサイクルが固まってしまうと、同じところをぐるぐるめぐって自分ではそのトラックから逃れられなくなったりする。なにが問題なのかどうしてもわからないときには、さっさと今の持ち物を放り出して新しいことを始めたほうが早い。「今が移るときだ」という瞬間に気づかず逃すと、そのあとしばらくがかなりしんどくなる。

とどまるか、移動するか。

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