October 22, 2009

ブログを引っ越しました

本日よりブログを引越ししました。新しいURLはhttp://aikanoh.wordpress.com/です。

これまでこのブログと英語版のブログを別々で管理していたんですが、まとめるついでに新しいブログサービスに乗り換えました。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。英語版と日本語版のポストは、できれば交互に(多分日本語ポストの割合が圧倒的に高くなるとは思いますが)アップする予定です。英語が嫌いな人は読み飛ばして、日本語のほうだけときどき追っていただければ大変うれしいです。

お手数をおかけしますが、もしリンクを張っていただいている方がいらっしゃいましたら、URLの変更をぜひよろしくお願いします。では新ブログに飛んでください。向こうでお待ちしています。

http://aikanoh.wordpress.com/

October 12, 2009

3年目のディワリ

<お知らせ>
ブログを引越ししました。新しいURLはhttp://aikanoh.wordpress.com/です。英語ブログと日本語ブログを合体させたブログです。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。よろしくおねがいします。
<お知らせ終わり>


ムンバイの町で迎える、3度目のディワリである。9月の終わりにナブラトリの祭りが始まり、それと同時に北インドの行商人が集まるクラフトフェアがやってきて、去年と同じ顔ぶれの商人が手織りの布や家具を売り、お祭りの終わりとともに去っていった。ナブラトリが終わるとすぐに街中がディワリ一色になる。ディワリは光の祭である。電飾が街中に施されて、歩道に灯篭やランタン、ろうそくや、ランゴリのための色鮮やかな粉を売る店がたくさん現れはじめる。

ディワリには、他のヒンドゥ教の祭とは違う落ち着きと親密さがある。ホーリーのような狂乱でもなければ、ガネーシャ祭のような遊び心でもない。ガネーシャ祭がお盆なら、ディワリは正月である。新年の夜の神社の灯篭の光や焚き火を思い出して、2年も日本の正月を見ていない私はいつもこの時期になると懐かしさに駆られる。

去年のディワリには、親しい人たちが立て続けに街を離れたこともあって、残った自分がいつ同じようにここを去るのかと思うと、祭の準備に忙しい街の様子がまるで未来に見る思い出の光景のように思えた。それから1年たち、今年はまた違った種類の感慨で街の風景を見つめている。自分が見つけた、自分の街にいる、という思いがしている。なんだか「魔女の宅急便」みたいだ。

なじみの店ができ、付き合いができ、路地裏の小さな露店まで町の地図が頭に書き込まれ、以前はいちいち動揺して人に助けを求めていたトラブルや問題が、当たり前の日常になりつつある。どこに甘えていいのか、何に警戒するべきなのか、力の入れ加減が体に刻み込まれていって、少しずつ楽になった。もう詳しくは覚えていないが、何度も何度も失敗したり、小さな詐欺や危ない目にあったり、そういう経験を単純に層にして、この街の記憶の塊のようなものの実がぎっしり詰まってきた感じがする。

どこにいようと人は変わらないし、変わらない限りどこにいて何をやっても同じだと言う人もいる。しかし、人は土地によってある程度変わることができると私は思う。その人の心が柔軟でさえあれば。新しい土地には、人を謙虚にし、目を開かせる力がある。わからないという気持ちが、注意を集中して、自分の思考の枠組みの外にあるものをそのままの姿でとらえようとする態度を作り出す。そうして外にあるものを素直に自分に組み込んでいくことで、ちゃんと人格にも変化が起こり、成長する。

街の記憶が密になることによって、自分の実もまたがっしりしていくような気がするのかもしれない。そのうちまた空っぽになりたくて自分はどこかに行くのだろうか。振り捨てなければならない辛い記憶もまた同じだけ増えて、密度を増していくのだろうか。それもまたいい。いつか新しい土地を求める時のために、あるいはいつか逃げ出してどこかに行かなければならない時のために、とにかくずっと、心だけは死ぬまでやわらかいままでいたいものだ。そうしたら、どこでも何とかなる。

メンディ地獄

ディワリの準備でうきうきした街を歩いていたら、メンディの露店に出会った。メンディというのは、インドの女の人のおしゃれのひとつで、ヘナという染料で腕や足に模様を描くのである。ヘナは茶色い泥のような染料で、髪染めにも用いられる。肌にヘナの泥でケーキのデコレーションのように模様を描いて、乾かしてから泥をはがすと、肌が模様の通りに赤茶色に染まるのである。見た目は刺青のようにみえるけれど、1週間もすると消えてしまう。

ま、お祭だしね、と思って椅子に座ると、アーティストのお兄さんが、「片手?両手?」と聞いたので、「もちろん、両手、両面、全部おねがいねっ」と景気よくお願いした。以前会社のめぐみさんとはじめてメンディをやった時には手の甲の面にだけ模様を施したのだが、会社でインド人の女の子たちに見せたら、「手のひらもやんないとかっこわるいじゃん」と言われて悔しかったので、次の機会にはちゃんと両手両面をやろうと決めていたのである。

アーティストのお兄ちゃんは若く、仕事は速いがわりと雑であった。片手が終わった時、なにかヒンディ語で私に訴えかけてきたので、「何?」とこっちも一生懸命聞いていたのだが何を言っているのかわからない。しばらくやり取りがあって、どうやら「残りの手をやる前に代金を払ってくれないと、手が使えなくなって財布がかばんから出せなくなるから、今払え」と言っているのだとわかった。「ああ、それもそうだね」といって代金を払いながら、自分の置かれた状況に気付いてはっとした。考えてみれば兄ちゃんの言うとおりで、両手の裏と表に、それも指の先っちょまでヘナで模様を描かれてしまったら、ヘナが乾燥するまでの1時間、まったく何もできなくなる。

リキシャで家まで帰って財布から代金を払うこともできなければ、鍵をかばんから出して家のドアを開けることもできない。お腹が強烈にすいているのに気付いたが、道の露店でサモサや果物を買って食べるのも無理だし、家に帰って運よくルームメイトがなにか作っていたとしても、箸すら持てない。家までは時間をかければ歩いて帰られるとしても、ルームメイトがいなかったらどうしたらいいのか。携帯で電話をかけるのも無理だ。

私がぐるぐる考えている間に、お客が何度か立ち寄ってメンディの値段を聞いたり染料を買ったりしていった。家族で買い物途中の主婦や、夫とデート中の若い妻が「両手両面おねがい」と言っているのを聞きながら、ああ、この人たちは家族がいるからそんな気楽なことが言えるんだよな、ちくちょう、と恨めしい気持ちになった。家族連れならメンディの後にレストランにさえ入っちゃって、夫か姑かなんかがチャパティを小さくちぎってかいがいしく口に入れてくれるに違いない。うらやましい。

メンディ・アーティストが私の仕事を終え、両手の裏と表がヘナの模様でいっぱいになった。ありがとう、とお礼を言って店を出ようとすると、お兄さんが模様を崩さないようにそーっと私のショルダーバッグを肩にかけてくれ、「手のひらを広げてつっぱって、乾くまで模様にしわが入らないようにしないとだめだよ」と注意した。そうか、手のひらを広げて錆びたブリキのロボットみたいな状態でこのまま家まで40分近く歩かなきゃならないのか、と思うと複雑な思いでいっぱいになった。

手を硬直させて人がいっぱいの歩道を歩いていると、周りの人がよけてくれているのがわかってなかなか恥ずかしい。いつもの角にいる物乞いの女の子がかけてきたが、私の姿をみて「あ、今日はしつこくしちゃだめだな」と判断したのか、一度だけ私に声をかけただけで、私の硬直した両腕を見るとすぐに引き下がって去っていった。賢い子である。長い道のりを一人で歩き、自分のアパートの明かりが見えた時、気が緩んだのか肩から革のショルダーバッグの肩かけの部分が落ちてきて左の手首の模様をつぶしてしまった。

「げげっ」と叫んで模様を救おうとして肩掛けをずらすと、肩掛けについたヘナが左の二の腕にびーっと広がってしまった。大変である。そのまま乾いたら、二の腕に謎の茶色いあざのような模様がどでかく残ってしまって一週間は取れない。「ひょえー」と動揺して叫びながら、思わず右手で左腕を触ってヘナを取ろうとしたら、右手の指先にも模様があったことに気づいた。いろいろな部分を取り繕おうとして、いろいろな部分にヘナがへばりついたりはがれたりして、わけがわからない状態になって大混乱である。

あせって汗をかいて顔に髪がへばりついたが、指にもヘナの模様があるので髪をかきあげられない。誤まって染料が顔についたりしたら最悪である。一瞬パニックになったが、深呼吸をして気を取り直し、ルームメイトが家にいることにかけてダッシュで家まで帰った。染料が完全に乾く前に助けてもらわなければならない。

幸運なことに、ルームメイトはちゃんと家にいて、あわてた私を見てびっくりしていた。布を持ってきて腕についたヘナをはがしてくれ、アイスティーを作ってくれた。手が乾いていないのでアイスティーのグラスを持ち上げられず、あきらめてしばらく一緒にテレビを見た。一時間してヘナが乾いたときには、ほっとしてグラスのアイスティを一気に飲み干し、それから台所にあったジンを飲んで気持ちをおちつけ、ラーメンを作って食べた。もう深夜であった。

インドでひとりで生きるのは容易くない…。次にメンディを両手にやるときには誰かを誘って、ちゃんとご飯を食べてから行こうと心に決めた。でも友達と行って二人とも両手両面にメンディをやったら事態は同じである。やはりその誰かは家族か、男か、どっちかであるべきなのか。いや、友達と買い物の途中で行って、一時間交代でやればいいのか。などなどと、いろいろ思いをめぐらせる。まあ、勢いだけで生きるのではなく、ある程度の計画性は必要である、という戒めかもしれない。

October 7, 2009

ビーフステーキと昔の男

週末にムンバイのダウンタウンにある「インディゴ・カフェ」に行った。客席の半分がリッチな白人で埋まっている、もちろん残りの半分はリッチなインド人で埋まっている高級洋風カフェである。久々に予定のない週末の午後をカフェでビールでも飲みながらのんびり過ごそうと思って街に出たら、ふとなんだかすごく贅沢でおいしいものが食べたくてたまらなくなったのだ。

インディゴ・カフェでものを食べるのははじめてである。店内にはベーカリーがあり、輸入チーズ、ハムとソーセージ、前菜やディップ、キッシュのショーケースが並んでいる。壁一面にはめ込みのワインの棚が備え付けられている。おしゃれなのである。カフェに座りたくて並んでいる人と買い物に来ている人で店内はけっこう混雑している。メニューの値段は普段の私の生活の「まあまあ高級なごはん」の2~3倍ぐらいの値段である。

メニューには、ハムやソーセージの入ったサンドイッチ、ビーフバーガー、チーズフォンデュ、パスタなどいろいろある。普通のカフェじゃん、とインドにきたことがない人は言うかもしれない。しかし想像していただきたい。ポークでできたまともなハムやソーセージ、ましてやビーフなんてムンバイの街角の普通のカフェではめったに出していない。パスタは調理法が普及していないのか、レストランで食べるとたいてい5分ぐらいは茹で過ぎのおじや状態で出てくるし(持ち上げると切れるぐらいやわらかいのだ)、ソースは微妙にインド風なのが普通である。

そんなわけで、値段は高いし失敗はできないと思い、仔細にメニューを検分していたら、ビーフステーキがあるのに気付いた。ビーフステーキ。遠い響きである。考えてみたらビーフステーキなんてもう5年以上は食べていないはずだ。ひょっとすると、大学院1年目の時に家庭教師先のご家族にフランチャイズのステーキハウスに連れて行ってもらって食べた「ガーリックステーキ」が最後かもしれない。7年ぐらい前だ。かなり昔である。思い出をたどっているうちに、これはひょっとして今どうしても食べるべきなんじゃないかという気がしてきた。

私は牛肉がかなり好きなのだが、よく食べていたのはすき焼きやら焼肉、牛丼、カレーなどといった和風の牛肉料理ばかりで、ステーキみたいな食べ物にはあまり愛着がなかった。父親の洋食嫌いのおかげで子供のころにあんまり食べる機会がなかったからかもしれない。あるいは、ステーキという料理そのものが一般的に日常食としてなじまないのかもしれない。牛丼は毎日食べられるけれど、ステーキは毎日は食べられない。このあたりは人によっては異存があるかもしれません。ひょっとしたら夕食は毎日ファミレスのステーキ定食です、という人もわりといるのかもしれない。

ともかくステーキを注文したわけだが、これがものすごくおいしかった。まず焼きたてふわふわのパンとほどよく溶かしたバターがたっぷり届く。このパンがおいしい。ちゃんと卵を使って焼いてあって腰がある。普通のインドのパンはだいたいベジタリアン用に作られているので卵が使われておらず、持ち上げるとぼろぼろに崩れてしまうし、焼くとカリカリになってしまうのだ。パンを食べ終わるころにミディアム・レアに焼いた3センチぐらいの厚さの肉の塊がやってくる。ほろほろになったベイクド・ポテト、オーブンで丸焼きにしたかたまりのにんにくがついて、たっぷりのサワークリームとソースが添えてある。切ると牛肉の荒い繊維から肉汁が出てきてソースと混ざる。よく噛めば噛むほどあまい味が染み出してくる。食べる悦びが湧き出てくるかんじだ。

そうか、ステーキって、牛肉ってこんな風だったな…、と食べながら悦に入っていると、ふと、ステーキを食べる行為は昔付き合って別れたものすごくいい男にずっと後になってばったり再会し、一夜だけ盛り上がった状況にかなり近いのではないかと思いはじめた。別に普段は思い出しもしないんだけれど、ばったり出会ってみたらいまだに昔と同じようにかなりいい男なのである。昔のあれこれの思い出をめぐりながら二人で一瞬だけ盛り上がるのだが、盛り上がった後はもう満足してしまって、じゃあいつかと言って、連絡先も交換せずに別れるのである。うん、似ている。似ているといっても現実にそういう状況にめぐり合ったことは別にない。ただ、私とステーキとの気持ちの交流をたとえて説明すれば、それにかなり近いと言いたいのである。

そんなふうに私はステーキとの邂逅を終えて、満足した幸せな気持ちでカフェを出た。牛肉を食べるといつも「ああ、食べてよかったな」と思う。食べた肉のたんぱく質が吸収されて、体のくたびれた部分をどんどん補修して新しくしてくれるところを想像する。最近、会社の人事の人に呼ばれて、「顔色が悪いし痩せすぎているから毎日卵と牛乳を採って体を作りなさい」と注意を受けた。そんなことまで注意してくれるなんてびっくりするほど親切な人事課である。それをおもいだして、ああ、私の体にはチキンでは血が足りなかったんだ、と納得した。私に不足している栄養素は赤い肉なのだ。そんな理由をあれこれつけて、この先頻繁にステーキとの逢瀬に行くかもしれない自分を想像している。いつかは愛も生まれるかもしれない。

September 29, 2009

大事なのは男女の愛か? -インドにおける結婚の価値観

先週の日曜日に、会社の上司の結婚式に出席した。一緒に行った同僚は、「これはいわゆるボリウッド式ね」と言っていた。会場は有名なお寺の結婚式場で、一応30分ほどヒンドゥ教のプジャが行われたが、かなり短い。その後カンタンなブッフェスタイルの食事。小ぢんまりして簡略化された現代的な式で、どちらの家族も特に宗教や伝統にはさほどかまってない、という印象である。

とはいえ、それが現代のインドのスタンダードかといえば、そうでもない。インドには日本にあるようなスタンダードや流行なんてない。それぞれの家族によって、保守的であるか進歩的であるかは家庭や個人によってぜんぜん違う。ある家庭では1週間以上かけて伝統的な結婚の儀式を行う。またある家庭では同じカーストであってさえ、生まれたコミュニティや細かい条件の違いで結婚を反故にする。そして、全く宗教に関係なく結婚するカップルや、結婚式に宗教色を入れないカップルもいるらしい。

インドにおいて、結婚はかなり不自由である。必ずしも愛し合っている恋人と一緒になれるわけではない。実際かなり難しい場合が多い。しかし、そういう宗教や文化によって生じる困難を後進的だと判断するのは単純すぎる。アレンジド・マリッジで幸せに一生を送るカップルはいっぱいいる。家族全員の幸せが一人の幸せであるという価値観に立てば、たった2人の愛し合う男女の幸福は、より公共の利益のために犠牲になる、という考え方だって別に間違ってはいない。

価値は相対的なのだ。正しい価値と誤った価値を見分ける方法もなければ、どの価値がより重要であるかを測るものさしもない。問題は価値そのものにあるのではなく、周りの圧力や無知によって価値を選べないことにある。たいていの人間は、自分が叩き込まれてきた価値観や、苦労して築き上げてきた価値観を世界で一番まともな考え方だと思いがちである。人間は伝統や文化のしばりから自由であればあるほど、それが人間のあるべき姿であり、幸福により近づく、と考えがちだが、実はそうとはかぎらない。

日本では最近「婚活」なんていう、聞くだけで疲れる言葉がはやっているらしいが、ラブ・マリッジの率が高くなればなるほど、結婚したいのに相手が見つからない若い男女があふれて困っているではないか。こういう報道を見ていると、あんまり日本も自由な国じゃないな、という気がする。

しかし、日本のいわゆる「婚活」現象は実に奇妙である。若い人たちは「別に結婚しなくてもよい」という自由を享受しているのにもかかわらず、結婚することをいまだに目標にしている。ヨーロッパのカップルみたいに、結婚しないままパートナーとして何年も連れ添って暮らしたり、気が向いたら子どもを作ったりして好きなようにのんびりやったらいいのに、なぜ日本人はそういう方向に向かわないのだろう?なにをやったって自由なんだから、もっと勝手にすればいいのに、意外とそういうのんきな世代が現れないのが実に不思議である。

そんなところを比較していると、自分の中の進歩と保守、あるいは後進という価値観の境界がどんどんあいまいになる。実にわからない。私個人としては、愛し合うカップルは自由に一緒になれなきゃ嫌だけれど、男女の愛を一番に追求して生きているわけではない人たちだって、世の中にはいっぱいいるのだ。

最近、ジュエリーショップのテレビCMで、こんなのがやっている。結婚1年と2ヶ月目の夫婦。「They arranged everything…」でストーリーは始まる。お見合い結婚で結ばれた二人。知らない同士が結婚してぎこちない結婚生活。それから、「And, we laugh…」、ちょっとずつ相手に慣れていく。そして1年2ヶ月目。「And we found…」お互いをはじめて見つけた二人。記念のプラチナ・ペアリング。これがインドの夫婦に指輪を売りつけるためのメッセージらしい。なかなか興味深いと思いませんか?

September 25, 2009

有機アパート

ムンバイにあるうちのアパートには、この季節になるとどういうわけかみのむしが発生する。長さが1センチから2センチぐらい、幅が2、3ミリのかなり小さなみのむしで、よく見ないとただのほこりの塊にしかみえない。これが、白い漆喰の壁にぽつぽつとついていてなかなか不気味である。

私は虫が大の苦手なのだが、みのむしは小さいながらも自分で家も構えているし、特に動きもしないで壁に引っ付いているだけなので、まあそういうことならご自由に、というかんじで見逃してやっている。何日も朝から晩まで壁に引っ付いたまままったく動く気配がなく、どういうつもりで生きているのか謎だし、どこで食物を手に入れているのか、男女がどこで出会って繁殖しているのか不思議であるが、それは私には関係がない。まあ大して関心もないといっていい。

最近、ヤモリもどういうわけか大発生している。家にいてボーっとしていると、しょっちゅうヤモリと目が合う。3センチぐらいの生まれたばっかりのから、7センチぐらいの大きなやつまでいるから、一応家の中で繁殖しているに違いない。ヤモリは爬虫類だから、どこかに卵を産んでいるはずなのだが、一度も発見したことはない。あるいは外の草むらで繁殖して、亀みたいに生まれてすぐ7階までどんどんのぼってくるのかもしれない。

ゴキブリとネズミ、ハトについては言わずもがなである。このムンバイの3大嫌われ者たちは、勝手に外で生きていれば別にこっちも文句は言わないのだが、人間の生活空間にどんどん入ってきて荒らすわけだから、こっちとしては懲罰して当然である。この点カラスや野良犬は自立して暮らしているので、私としては特に文句を言う筋合いではない。

ハトに関しては、部屋の窓を開けておくとどんどん飛び込んでくるので非常に困る。日曜なんかに窓を開けて昼寝をしていると、ハトがカーテンを突き抜けて飛び込んできて、自分で飛び込んだくせに大パニックに陥る。別に静かに入ってきて、「あ、すいません」と言って出て行ってくれるのならこっちとしても別に「あ、そう」と言って済ませられるものを、こっちが悪いみたいに大騒ぎしてい部屋中を飛び回るもんだからかなり迷惑である。

一度は窓を閉めわすれて出かけて、家に帰ってくると、2匹のハトが並んで私の布団の上で寝ていたことがあった。これらのハトは、2匹いたから心強かったのか知らないが妙に落ち着いており、私がドアを開けると、「あ、帰ってきちゃったね」、「ね」、みたいなかんじで顔を見合わせて、特に騒ぎもせずに歩いて窓から出て行った。奇妙な二人組みであった。

かわいい生き物がぜんぜんいない、というのがムンバイの特徴のひとつだ。しかし虫であれ、鳥であれ、動物であれ、共生できるか否かの境界線は、互いの物理的、心理的なパーソナルスペースをどれだけ侵さずにやっていけるかというところだろう。ゴキブリだって、あんなに速く歩きまわって人を驚かせなければさほど嫌われることはなかったに違いない。他者とはそういうものである。

一方で、自分の好きな対象や相手については話はまったく逆である。呼んでも絶対そばに来ないような猫は飼っていても悲しいだけである。誰に、どれだけ近づいてほしいか、自分の生活を邪魔しちゃってほしい物事や相手はだれか。そういう自分のごく生理的な反応に実はすべての答えがあるのだ。

September 17, 2009

インド話は尽きない

最近、以前のルームメイトであるたまこが人類学の調査でVashiの街に滞在している。久しぶりに会って話していてまた改めて、インドに住んでいると、インドについて語るべきことは永遠に出てきてぜんぜん果てがないと感じている。たぶんすんなり理解できない文化がたくさんありすぎるからだろう。

どんなにこちらでの生活に慣れても、ムンバイの生活にはなんだかよく事情がわからないことばかりである。言葉が不自由なので、文脈からその場の状況を推測する特殊な能力がかなりついてきたけれど、やはり社会の不文律や言葉にされない社会的事情の細部がよくわからない。日本では起こらないようなことが日常茶飯事のほうに起こるし、その解決のプロセスもあまりにもちがう。気になることがありすぎて、誰と話し始めてもインド談義は延々と終わることがない。

面白いことに、これは外国人だけの傾向ではない。インド人もまた、インドについて語りだすと果てなく話し続ける。自分の家庭の伝統や風習について語り、その風習が同一宗教内の他のミュニティとどんなふうに違うかについて語り、インドのスピリチュアリティについて語り、ビジネスについて語り、政治について語り、家庭で話されている複数の言語と先祖の起源について語る。彼らもまた、自分たちの細分化された文化の多様性に興味津々であり、語ることで日々自己発見をしているようにうかがえる。

意外というべきか、当然というべきか、ヒンドゥ教徒のインド人は隣人であるイスラム、シーク、キリスト教の文化についてほとんどといって語らない。他の宗教に属するインド人も同様である。例え隣どうしに住んでいても、彼らはお互いに文化を共有しておらず、あまり自分以外の宗教についてよく知らないし、強い関心もないようである。少なくとも私は周りの人からそんな印象をうける。さまざまな種類の宗教や文化が並列して存在しながら、混ざり合っていない。インドの文化は水質性ではなく、固体性なのである。一緒にまぜても、コーヒーと牛乳のようにカフェオレ色にならない。赤い小豆と白い大豆を混ぜたみたいに、個々の色と形状はそのままに残っている。

「わかった」と言えるときが、誰にとってもおそらくずっと来ないのがインドであろうと思う。永久に話し続けられるし、永久に書き続けられる。人はその文化を混沌と形容する。私はいつも生活の視点からしかインドを見ていないが、どんな角度からでも、高みからでも底辺からでも、切り口は無限にあって、ほんとうに果てしない。インド人でも外国人でも、人がそれぞれの立場から語るインドには、新しい定義と魅力がある。

※会社の日刊メルマガでもインド情報を配信しているので、インドについてもっとコネタが欲しい方はぜひ登録してください。

英語でどーでもインド学 ~カレーからITまで~ 携帯版

英語でどーでもインド学 ~カレーからITまで~ PC版