September 1, 2008

インドは人を癒しうるか(1) 油断のならない街、ムンバイ

ムンバイという街自体は、決してのんきな街ではない。一歩外に出ると、大量のリキシャが二重三重になってタクシーと追い越し追い抜きしながら道を走っている。すごい排気ガスで、空気は基本的に悪い。それに加えて道は砂ぼこりだらけで歩いていると目が痛いし、100メートル歩く間にかならず1人は歩道から茂みに向かっておしっこをしている男性を見かける。それが結構臭う。同じ100メートルの間に、5匹はでかい犬とすれ違うので、怒りを買わないかと思って怖い。さらにその同じ100メートルの間に、どういうわけか歩道にいきなり1平方メートルぐらいの大きな深い穴が1箇所か2箇所開いていて、うっかり落ちたら確実に足の骨を折るか、下手すると死ぬ可能性もあるのでこれもなかなか怖い。川はこれでもかというほど生活・工業排水で汚れていて、油や洗剤でピカピカに光っている。窓を開けていると日によって悪臭がする。

アパートで暮らしていると、夜の10時をすぎてから隣のビルでお祭りやら結婚式やらパーティーが始まり、夜中までダンスミュージックが大音量で延々とかかることが頻繁にある。静かな夜には、1キロほど先にある駅のアナウンスが部屋まで届く。夜中にふと目を覚ますと、台所で巨大なネズミが活動している音が聞こえる。一度ネズミが部屋のワードローブの引き出しのタオルに包まってぐうぐう寝ていたこともあったので、それ以来恐ろしくて部屋のドアを閉める癖がついた。ゴキブリも家の中を元気に走り回っている。それがどんどん増える。モンスーンの時期は特にひどくて、家中カビだらけになる。関係ないけどトイレの排水はすぐに詰まる。

駅に行けば、切符売り場は大体いつも25メートルぐらいの行列ができていて、並ぶのにうんざりする。郵便局に行くと、係の人が休憩時間に入っていて30分も40分も待たされる。電車はまずい時間に乗ると隣の人が肉に突き刺さるほど込んでいるし、走りだした電車の手すりをつかんで電車のへりに足を引っ掛けるときは、まちがったら死ぬよな、といつも一瞬思う。チカンも結構いる。役所や警察の人は不親切だし、書類関係の手続きは気が遠くなるほど時間がかかる。道を歩いていると、外国人だと思って知らない人がいちいち声をかけてきてなかなか面倒である。

スーパーに買い物に行くと、いちいち入り口で荷物検査をされて、赤外線探知機をくぐらなければならない。店舗に入るときには傘やかばんを預けて荷札をもらわなければならない。夕方のレジは気が遠くなるほど混雑していて、お客が商品について文句を言ったり、店員が割引商品の値段を定価で打ち込んだり、停電でレジが使えなくなって手集計になったりして、とにかく時間がかかる。スーパーやモールやビジネスビルは原色の赤や黄色や緑で塗りたくられていて形もキテレツで、見ていると気が変になりそうである。モールのエスカレーターはどういうわけか一階上るごとにその階を半周しないと次のエスカレーターが発見できない奇妙な導線で作られていて、4階に行くまでに相当歩かなければならない。たくさん買い物をして荷物が重いのでリキシャに乗って帰ろうとしても、行く方向や天候によって3、4台のリキシャに乗車拒否されることもある。

とまあ、油断のならない環境である。何もかもが不便といえば不便だ。暮らしているだけでそれなりに神経を使っているし、結構疲れる。しかし、それにもかかわらず、気分的にはとてものんきに暮らしている。不思議なものだ。私のiPodの背中には、ソンタグの “Comfort Isolates” という言葉が刻んである。「安寧は人を孤独にする」。不便で、頭にくることが多くて、心配事がいっぱいあるとき、ひとは一人ではなくなる。快適さには、意外に大きな弊害があるのだ。

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