January 30, 2009

The Art of Losing

1月は会社で企画したイベントの準備に追われ、気づいてみるともうすぐ2月である。1月の間に、長く一緒に働いていた人が4人会社を去った。ルームメイトが「親しい人が急にたくさんいなくなって、さみしいんじゃないの」と同情してくれた。代わりにもちろん新しい人との出会いもどんどんやってくる。しかし、やってくる人たちもまた、短い契約期間が決まっているか、いつまで留まるかわからない人たちばかりである。

もちろん日常から親しい人がいなくなるのはさみしい。しかしよく言うように、移動手段が発達した今、距離はさほど重要な問題ではない。自分が知っている人たちが新しい場所に移り、新しい生活をはじめる様子を遠くから聞くのはなかなか楽しい。日本やらチェンナイやらノルウェーやら、いろんなところに暮らす友達のことを考えると、彼らと一緒に自分の想像力も空間的に広がるみたいだ。そんな風に考えたら、喪失感も新たな価値に変えられるような気がする。

「喪失の技術をマスターするのは難しくなんかない」、とエリザベス・ビショップは書いている。

The art of losing isn't hard to master;
so many things seem filled with the intent
to be lost that their loss is no disaster.

(- One Art / Elizabeth Bishop


ほんとにそうだったらいい。

人や人の気持ちのありようは移り変わるから、自分の中になにか変化しない確固としたものを確保しておきたいという思いがある。ある人にとってはそれが家族を作ることであり、ある人にとっては一生の仕事を持つことであるかもしれない。

自分にとってはそのどちらでもなく、では何かと言って、今とくに思い当たるものがない。できればこれからも、背骨がなくてもぐにゃぐにゃと生きていけるようなこだわりのないものでありたい。しかしどこかの節目で自分の存在を外から確認するための何かがほしいと思うときがあるかもしれない、とちょっと想像する。

もし家族でも、仕事でも、自分の能力や技術でもないとしたら、それは何でありうるのか?あるいはこれから先もそんな種類の不安にからめとられず、のらくらと暮らしていけるのだろうか。そうだったらいいが、先のことはわからない。

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