January 6, 2009

ノー・プロブレムにもいろいろある

「Outsourced」を観に行った。タイトルのとおり、自分の部署の仕事がインドにアウトソースされてしまった主人公が教育係として現地に滞在する、というストーリーのアメリカ映画である。インドに長く滞在したことのある人ならきっと共感できる部分があると思うのでおすすめしたい。

主人公はインドの現地のコールセンターの現状を見てはじめはぎょっとする。周りのインド人が「ノー・プロブレム」を連発するなか、「どこがノー・プロブレムなんだよ、プロブレムだらけじゃねえかよ」と腹を立てるのだが、まいにちの小さな出来事をくぐりぬけながらインドの文化を受け入れていった結果、自分も最後には「ノー・プロブレム」の境地に至ってしまう。主人公が徐々にリラックスしてインドの生活に溶け込んで行く様子は、インドに新しくやってくる日本人が数ヶ月たったころに見せる表情と非常によく似ていて気持ちよかった。

ノー・プロブレムといっても、単に気にしないで放っておこうというのではない。何が起きてもいちいちあわてないで、その場でなんとかしちゃおうという意味のノー・プロブレムである。映画の最初と最後で、主人公のこの「ノー・プロブレム」に対する考え方の変化がとても上手く描かれていて面白い。

文化による考え方の違いは、場合によっては同じものを物差しで計るのと秤で計るのとの違いぐらいにねじれている。それはいったん自分とは異なる文化に浸かって内側からものを見なければ気付かないことである。内側に入るためには自分の信念をある程度捨てなければならない。「正しい」とか「正しくない」とか、万人に共通の正義とか、真理とか、そういうことにこだわりのある人にはこれが結構難しい。

映画の中で、インド人がアメリカ人に「あなたたちは親と一緒に住まないんでしょ?なんで?おかしいよ。そんなに近くに住んでて、めったに会いに行かないなんて」と尋ねるシーンがある。主人公は返事に困り、笑ってごまかす。一緒に映画を見に行ったアメリカ人のDさんは、「あれは、私たちは単にそうしないの。大学に入ったあとはもう親から離れて暮らすのが普通なんだから」とつぶやいていた。私の田舎では、子供夫婦が親の敷地内に親のお金で離れ屋を建てて住むのがわりに一般的である。アメリカとインドの文化の差は、日本とインドよりずっと深いのかもしれない。

どちらにせよ、2つの文化の狭間に一度立ってみると、ねじれた無限の数のものの見方が世の中に存在することに気付かされる。

2 comments:

  1. 特定の社会階層に規定され、経験値のあまり多くないインド人は、多少のことであればノープロブレムの一言で軽い問題にまとめ上げてしまう面もあるのではと感じてます。とかく日本人;特に自分はあれこれの影響等を考え(過ぎ)、ノープロブレムの一言で乗り切れない局面もあり、インド人のある面での柔軟性に惚れ惚れすることもあります。

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  2. わかります。柔軟でうらやましいですよね。

    私もインド人と働いていると、自分がワーッとパニックになっているときに、みんなわりと澄まして大丈夫大丈夫、心配するなよ、と言っているので、「落ち着いてないで同じぐらいパニクってくれよな」とフラストレーションがたまることが結構あります。

    基本的に、問題が起きる前に予防するという意識があまり強くないと思いませんか?問題が起きてから対処するのにはかなり慣れているように見えます。

    どっちのスキルも身に付けられるといいんですけど、長くインドで働いていると、だんだんインド方式に自分が傾いている事に気づいてやや心配です。

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