March 27, 2009

アルコールの限界値

最近お酒がめっきり飲めなくなった。どうもアルコールに体がアレルギー反応を起こしているらしく、お酒を飲むとしばらくして鼻水が止まらなくなり、ときどきのども痛い。ビールにもワインにも同じような症状が出るところを見ると麦アレルギーとかぶどうアレルギーとかそういう食品アレルギーとも違うみたいである。

アルコール摂取量が一生分の容量を超えたということだろうか。

というのは、大学時代の友人がよく、「うちの父親は海老が大好きで、子どものころから毎日海老ばっかり食べ続けていたら、あるとき急に海老にアレルギーが出るようになりまったく食べられなくなってしまった」と話していたからだ。「人には人生でここまでという摂取量が決まっているのだ」と彼女は主張していた。だとしたら怖い。私は酒以外にもフライドポテトが大好きなのだが、ジャガイモが食べられなくなる日が来るのだろうか。

しかし、だったらご飯はどうなのだろう。日本人は毎日食べているじゃないか。パンはどうなのか。味噌汁や豆腐や納豆をあれだけ頻繁に食べていて大豆アレルギーが発症することはないのか。そう考えるとややこの説はあやしいのだが、海老とか酒とか刺激の強いものや特殊な成分が入っているものにだけ適用できる理論なのかもしれない。

とにかく、鼻水はうっとうしいのでややお酒を控えている日々である。私はわりとよく飲むほうだが、かといって今この世から酒がなくなってもたぶん平気だとおもう。若いころはそうではなかった。自我の防衛が強すぎたのか、アルコールを飲まないと自分が何を考えているのかすらわからず、人にも自分の気持ちが言えないというような時期があった。そのおかげで毎日酒を飲んでいた。

考えてみると私の家族にも似たようなところがある。しらふのときは静かであまり話さないのだが、酔っ払うと普段思っていることをいろいろ言葉にできる。だから人に会う前に酒を飲んで出掛けたりする。私はそれをやりだしたら底がないことを観察学習からわかっているので、落ち込んでいるときと緊張しているときには飲まない、というルールを決めて、これだけは守っていた。幸せなときにだけ飲むのが一番である。

一時期、2年ほど完全に禁酒したことがある。酒の席に出ても「やめましたから」といってまったく手をつけなかった。そのころは何か自分を戒めたかったようで、周りには無理をしているのがわかっていたらしい。それからしばらくしてあっけなく酒を飲みはじめたとき、叔母が「よしよし、それがいいそれがいい」といって、ほっとしたように嬉しそうに私を眺めていたのが印象に残っている。

インドに来てからというもの、気楽な生活で、いつも酔っ払ったように浮遊したように暮らしているからだろうか、前ほど酒を飲まなくなっていった。今は食事にあわせて飲みたいだけである。といっても週に一度は鼻水を我慢しながら飲んでいるのだが。しかしこういうのはある意味、進歩なり成長といえるだろう。

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