September 29, 2008

2年目のディワリ

もうすぐディワリである。ディワリは10月中旬にあるヒンドゥ教のお正月で、この時期になると街角の文房具屋でカレンダーや手帳を盛大に売り始める。10月2日のガンディーの誕生日からディワリにかけての時期には、日本のお正月と同じように大型の映画がいろいろ上映されるので楽しみが多い。

ドゥルガ・プジャーのための張りぼて寺院が今年もアッサム・バワン(アッサム地方の役場みたいな建物)の横に立ち始めている。ドゥルガ・プジャーというのは、カルカッタのほうから来たヒンドゥ教の人たちのコミュニティがするお祈り大会のようなもので(うろ覚えの知識ですが)、昼すぎから夕方にかけて参拝者に無料で食べ物が振舞われる。

去年はカルカッタ出身の会社のマネージャーが私とルームメイト2人を連れて行ってくれて、一緒に長い列に並んでタリーを食べた。彼女は昨年の秋にインドの大会社に引き抜かれて退社し、今年はいない。一緒に列に並んだルームメイト2人も引っ越したから、よくよく考えてみれば一緒に行った4人のうち残っているのは私一人である。

9月のつい最近ガナパティ祭りが終わり、モンスーンの雨がすっかり上がって、今年のラマダンが終わりかけている今、これからしばらく続くお祭りの時期を思うと、わくわく感と物悲しさが混ざった不思議な気持ちがする。よく歌なんかであるみたいに、季節と行事だけが変わりなく巡ってくるから、ふと前にいた人たちの不在に気付く、というような物悲しさが、なくもない。

ムンバイは人の移動が激しい。一年も住んでいると、なじみのレストランのボーイは総代わりする。会社も同じである。彼らは人の入れ替わりに慣れているし、人が去っても後に代わりが来るとわかっているから、一人の人間に長くいてほしいという強い思いはない。もちろんせっかく訓練した人に去られるのは痛手だけれども、かといって去る人を引き止めたりしない。他にやることがあるならいつでもやめたらいい、とはっきり言う。こういう合理的で非情緒的なところが気楽でいい。

むしろ、そうやって常に古いものが去り、新しい人材が新しい空気を連れてきては去っていく、その運動がエネルギーを生み会社を動かしているのである。日本では一時期、新入社員の30%が3年以内に仕事をやめると騒いでいたけれども、ムンバイでは3年も同じ仕事を続ける若者なんて少数派だろう。上のほうの人たちや大会社の社員なんかは状況が違うけれど、若い人が何年も同じ会社にいたら新しいことをする能力がないんだと評価される雰囲気がある。

移動はエネルギーを生む。だから、移動する人自身の中と、残された場所の両方にとって価値がある。だから、たとえば転職したいけれど勤め先に悪くて言い出せないと思っている人がいたら、こう考えたらいい。あなたはあなたにしかできない仕事をしているかもしれない。けれど、あなたが抜けた穴に来る新しい人はまた、その人にしかできない新しい仕事をするのである。人間関係だって同じである。残った人間は、抜けた穴を埋めるために変化を求められる。変化は必ずポジティヴな意味を含んでいる。要するに、川は流れているからこそ澄んでいるのである。

物理的に、または精神的に、つねに移動し流れていくことが必要なのだ。物理的に動いてしまうほうが早い。効果だってある。精神的な移動はそれよりずっと難しいし、時間がかかる。とどまった人間は、いやおうなしに後者を強いられるんだよなぁ、と建てかけの寺院の横を通り過ぎながら思った。

September 25, 2008

コロンビアのほうがすごいらしい

先日新聞を読んでいたら、AISECを通じてムンバイのAndheriという街にインターンに来ているコロンビア人の学生についての記事が載っていた。AISECというのはちなみに、学生のインターンシップを斡旋している国際組織である。この人によると、インドで「コロンビアから来た」というと、だいたいが「ああ、君はスリランカ人か」と返されるらしい。スリランカのコロンボと勘違いされるのである。

前にも書いたかも知れないけれど、このあたりでは日本もなじみのある国ではないらしく、出身は?と聞かれて「ジャパン」というと、「ネパール」と聞き間違えられる。「ああ、ネパールか、ふーん」と返されるので、「Not Nepal, Japan」と主張すると、「ほー、ジャパンか、あーあー」となんだかよくわかんないけどどうでもいいや、という感じの返事をされることが多い。

ところで、このコロンビア人の青年の話によると、インドはどうも息苦しくていかん、というのである。ラテン文化に育った者としては、インド人の女の子に「ボーイフレンドいるの?」なんて下手に聞くとどぎまぎされてしまうし、いっしょに遊びに行こうと誘おうものならやたら真剣に取られるし、やりにくいったらないということである。たしかにそういう面ではインドとコロンビアはかなりかけ離れた国なのだろう。私の感覚からすると、インドは日本の10倍はナンパが多い国だと認識しているのだが。

さらに彼は、コロンビアでダンスしていた日々が恋しい、という。これについても、私にしてみればインド人はそこらじゅうで公衆の場で歌ったり踊ったりしているという印象がかなり強いのだが、コロンビア人からすれば、踊りのうちに入らないらしい。いったいどれだけ踊っているのか、どれほどオープンでハッピーな国なのか、これはコロンビアに一度は行ってみなければなるまい、と記事を読んで思った。

アジアの明るさと南アメリカの明るさは、きっと根本的に成り立ちが違うのだろう。インドの「チャレガ、チャレガ」とは違う種類の明るさがあるのならちょっと比較してみたい。私はアメリカ大陸にもヨーロッパにも足を踏み入れたことがないので、どんな雰囲気なのかまったくわからないのだが、どちらも先々行ってみよう、できれば暮らしてみたいとぼんやりと思う。おすすめの土地がありましたら教えてください。

しかしこのコロンビア青年にしてみたら、日本は相当陰気な国として認識されるんじゃないかと思うんだけど、いかがでしょうか。

September 16, 2008

ムンバイの超厳重セキュリティ問題

先週の土曜日、Delhiで3箇所の爆弾テロがあって、20人の人が亡くなった。犯行声明らしきEメールには、「ムンバイは次のターゲットに入っている」と書かれていたそうだ。Eメールの発信元はまたうちの近くの町だったらしいから、なお怖い。今回、最初の爆弾は道端に止められていた無人のリキシャに仕掛けられていて、爆発のときにリキシャが空に飛び上がったらしい。怪しい空のリキシャには要注意です。

ところで、テロを警戒してなのかなんなのか、ムンバイのショッピングモールに入るときには必ず厳重なセキュリティ・チェックがある。日本では空港でしか見ないようなやつである。金属探知機のゲートを通ると、ガードがカバンのチャックを開けてすみからすみまで中身をチェックする。男の人は、腰に銃器を携帯していないかをチェックするために体を触られている。それを眺めながら、奥さんと子どもと日曜日の買い物に来ているだけのこんなおっちゃんが腰に爆弾なんかもってるわけないよ、といつもあきれてしまう。

さらに、ショッピングモールの中のスーパーマーケットに入るときに、手荷物預かり所がある。大きなバッグや買い物袋、傘を携帯して入ってはいけないのである。傘なんかいいじゃないか、と思うんだけれど、「あっちに置いて来い」というから、仕方なく預けて番号札をもらう。バッグに関しては万引き防止なのかな、と分かるけれど、傘はなんなのだろう。傘も武器になりうる、ということなのだろうか。謎である。

本や水筒をぶら下げて入店しようとすると、セキュリティの人に止められて、「商品ではありませんよ、この人の持ち物ですよ」という意味のシールを貼られる。本なんかに貼られちゃうとあとできれいにはがせないんだよな~と思うんだけれど、思うだけで、ぶつぶつ言いながらいつもおとなしくシールをもらっている。しかし、厳重にも程があるなあと思う。

昨日アパートのエレベーターで親子に出会った。子どもが必死に自分の手のひらをこすりながら母親に何事か訴えているのでよく見てみたら、子どもの手のひらに「EXIT」というスタンプがばっちり押されていた。「いまスーパーからの帰りなの」と母親は私に言って、子どもに「あとで洗ってあげるから!」と叫んでいた。普通、EXITスタンプは、スーパーを出るときにレシートの上に押すのだが、子ども連れの場合は子どもの手に押すのだろうか。それがいったい何の証明になるのだろうか。しばらく頭を抱えていたのだが、だんだんおかしくなってきてなんだか笑ってしまった。

September 2, 2008

浦沢派と立花派

私は会社のマーケティング部に所属して、ブランド・マネージャーをしている。この半年で3回上司が変わったのだが、今の上司はインド人で、私より一歳下のエネルギッシュなアイディアマンで、思いついたアイディアを次々に私のタスクリストに追加していく。アイディアはだいたい、実現できるのかできないのか、ぎりぎりのラインのものが多い。新ネタを聞くたびに、心の中で「マジ?」と一瞬思うのだが、まあなんでもとにかくやってみよう、ということでこれまでいくつかの仕事をこなしてきた。

彼の思考を聞いていると、漫画家の浦沢直樹がNHKのインタビュー番組で話していたことを思い出す。浦沢直樹は、漫画の構想を練っていると、最初に映画の予告編のような形でアイディアが出るというのである。すごい面白そうなキャッチコピーと絵がバーンと出る。その時点ではどんな話になるのか決まっていないけれど、その予告編から細部をつめていくのだという。最初の「これはすごい面白そうだ」というところを裏切らない作品を作るように努力しているのだそうだ。面白い。

私の上司もおそらく似たような思考の持ち主である。アイディアを話すとき、右手を左右にたかだかとふりかざして、「なんとかなんとか!」とまずどでかいタイトルを言う。その後キャッチコピーを思いつく。で、具体的にどういうことをやるんですか?と聞くと、わかんないけど、それは次のミーティングで話し合おう、となる。次の週までに細部を練っておくのは私の仕事なのである。人から来たアイディアの細部を練るのは案外難しいんだけどな、とぶつぶつ言いながらいつも仕事をしている。

一方で、私は逆にごく細部から始めてものを作っていくタイプの人間である。絵を描くときには、最初に思いつきで丸を書いて、その丸から連想される部品をおもいつくままに付け足して、「お、これはどうやら顔だな」などと、見えてきた形に合わせて手を入れていく。このブログも、書きたいことがあってそれに向かって書いているわけではない。最初の一行目を書いているときには、二行目に何を書くのか、結論としてどういう話になるのかさっぱり見えていない。真ん中ぐらいまで書いたところでなんとなく文章が意味するところがぼんやり見えてくるだけだ。いきあたりばったりで、自分が向かっているゴールが見えていない。まるで自分の人生の縮図みたいでちょっとこわい。

そんな風だから、大学院生時代に論文を書いていて結構苦労した。時間をかけてアウトラインを作っても、実際に文章を書き始めると、計画通りの結論にならない。これは今も同じで、上司に「こんな広告を作ってほしい」といわれて仕事を始めても、細かい部分にこだわっていると最初のコンセプトとあわなくなって、出来上がりはぜんぜん別のものになった、ということがままある。「できました」といって見せると、「最初に頼んだやつと違うじゃん」といわれる。確かにぜんぜん違うのだが、なんだか知らないけどそうなっちゃったんだからどうしようもない。

私は思考をオーガナイズするのが苦手なことを引け目に感じていて、若いころに論理思考の技術なんかをかなり熱心に勉強した。それはそれで今かなり役に立っているけれど、あるとき立花隆が「知的ノンフィクション術」の中で「無意識の力を信じろ。論理はもう頭の中にあるから、アウトラインなんか気にしないで、書き出して、止まったら考えて、また書くを繰り返せ」というようなことを言っていたのを読んで、あ、それでいいのか、じゃあそれで生きていこう、と開き直って今に至っている。

二人のやり方の違いがあまりにも大きくて、うまくいくときは役割分担がぴったりといくときもあるのだが、ときどきちぐはぐになることもある。「僕が思っていたのとちょっとちがうんだけど」、「いや、そうなんだけど、なんかそっちはうまくいかなくて・・・」という状況に結構何度も陥ってきた。結局、うーん、おかしい、どうしてこうなるんだ、どうしたもんか、と頭を抱えて長時間ミーティングを繰り返しているのが今の日常である。

September 1, 2008

インドは人を癒しうるか(2) なんだかんだいって、いい国

この間モールでサブウェイ・サンドイッチを買っていたら、たまたま隣のドアの住人夫婦とばったり出会って、車で送ってくれることになった。聞いてみると彼らはビジネスで日本やアメリカ、中国なんかに長期滞在していたことがあったそうだ。若い夫は、日本は物がとにかく高かったけれど、人がすごく親切にしてくれてすごくよかった、といっていた。ちなみに中国、香港の人はひどく冷たかったという。ふーむ。彼は私に「インド人の印象はどう?」と聞いた。私はしばらく考えて、「リラックスしていて、オープン」と答えた。彼は、「ふんふん、そうだね」と同意し、「インド人は、君が自分から話しかけて聞いたら、とにかくみんな親切に助けてくれるね。君が黙ってたらまあ、何にもしてくれないだろうけどね」と言った。まさにおっしゃるとおりである。家に着くころに、彼は「まあなんだかんだいって、インドってなかなかいい国でしょ」と結論した。「ここで働いて、結婚して、一生暮らしなよ」
「ははは、まあそれもいちプランかな」と私は笑った。

彼の言うとおりで、「なんだかんだいって」という前置きは必要だけれど、インドはなかなかいい国だと私も思う。政治はややこしいし、宗教もややこしいし、テロがしょっちゅう起きているし、道や建物のつくりはかなりあやしくて信用できないし、役所はまともに機能してないし、道には物乞いがあふれているし、スラムがそこらじゅうにあるし、環境汚染は深刻だし、人は多すぎるし、要するにあらゆる面で整備されていない。細部をみれば、決してのんびりした環境ではない。しかし、どういうわけかここでは生きるのが少し楽なのである。日本にない種類の気楽さがあるのだ。

おそらく私自身の心理的要素も含まれているだろう。生まれた土地のしがらみや習慣、これまでのキャリアや人間関係を放り出して離れた土地に住んでいることの開放感が、私のインドに対する印象をより開かれた魅力的なものにしている。でも、それだけではない。

夕方道を歩いていると、いろいろなものに遭遇する。汚いどぶ川でサリーを洗濯しているおばさん。二人乗りのバイクから口笛を浴びせてくる男の子。電車の中で怒鳴りあいのけんかをしている人。バスの中でどういうつもりか子供におしっこをさせている母親。いやらしいことを言ってくる電気屋のおじさん。子供を抱きしめて頭にキスしながらいつまでもゆすっている父親。歩道の上でうんちをしている子供。キャッシュカウンターに小銭のおつりがないことに気付いて、その場で値段を変える面倒くさがりの店員。・・・なんといったらいいか、ありとあらゆる欲望や利己心や、人前では見せないような愛情や、みっともない暮らしの断片が目に見えるところにどこにでもちらばっている。そういうものを眺めていると、不思議な安堵感がやってくることがある。

自分が見まいとして押入れの奥に押し込めておいたさまざまな醜いものやかっこ悪いものが、ぜんぜん隠す必要のないものに思えてきたような。自分が業だと思っていたものが、単なる人間の営みの一部に過ぎないと感じるようになる。まわりのあれこれ、汚れたものや、人のなまなましい感情表現や、みえみえの欲やわがままや、そういうものを、「そういうもんか」と受け入れていくたびに、自分の中の受容できる部分もおなじように広がっていくからだろう。何に対してとも知れず、「ああ、べつにいいんじゃないか」と、ぼんやりと腑に落ちる。

インドは人を癒しうるか(1) 油断のならない街、ムンバイ

ムンバイという街自体は、決してのんきな街ではない。一歩外に出ると、大量のリキシャが二重三重になってタクシーと追い越し追い抜きしながら道を走っている。すごい排気ガスで、空気は基本的に悪い。それに加えて道は砂ぼこりだらけで歩いていると目が痛いし、100メートル歩く間にかならず1人は歩道から茂みに向かっておしっこをしている男性を見かける。それが結構臭う。同じ100メートルの間に、5匹はでかい犬とすれ違うので、怒りを買わないかと思って怖い。さらにその同じ100メートルの間に、どういうわけか歩道にいきなり1平方メートルぐらいの大きな深い穴が1箇所か2箇所開いていて、うっかり落ちたら確実に足の骨を折るか、下手すると死ぬ可能性もあるのでこれもなかなか怖い。川はこれでもかというほど生活・工業排水で汚れていて、油や洗剤でピカピカに光っている。窓を開けていると日によって悪臭がする。

アパートで暮らしていると、夜の10時をすぎてから隣のビルでお祭りやら結婚式やらパーティーが始まり、夜中までダンスミュージックが大音量で延々とかかることが頻繁にある。静かな夜には、1キロほど先にある駅のアナウンスが部屋まで届く。夜中にふと目を覚ますと、台所で巨大なネズミが活動している音が聞こえる。一度ネズミが部屋のワードローブの引き出しのタオルに包まってぐうぐう寝ていたこともあったので、それ以来恐ろしくて部屋のドアを閉める癖がついた。ゴキブリも家の中を元気に走り回っている。それがどんどん増える。モンスーンの時期は特にひどくて、家中カビだらけになる。関係ないけどトイレの排水はすぐに詰まる。

駅に行けば、切符売り場は大体いつも25メートルぐらいの行列ができていて、並ぶのにうんざりする。郵便局に行くと、係の人が休憩時間に入っていて30分も40分も待たされる。電車はまずい時間に乗ると隣の人が肉に突き刺さるほど込んでいるし、走りだした電車の手すりをつかんで電車のへりに足を引っ掛けるときは、まちがったら死ぬよな、といつも一瞬思う。チカンも結構いる。役所や警察の人は不親切だし、書類関係の手続きは気が遠くなるほど時間がかかる。道を歩いていると、外国人だと思って知らない人がいちいち声をかけてきてなかなか面倒である。

スーパーに買い物に行くと、いちいち入り口で荷物検査をされて、赤外線探知機をくぐらなければならない。店舗に入るときには傘やかばんを預けて荷札をもらわなければならない。夕方のレジは気が遠くなるほど混雑していて、お客が商品について文句を言ったり、店員が割引商品の値段を定価で打ち込んだり、停電でレジが使えなくなって手集計になったりして、とにかく時間がかかる。スーパーやモールやビジネスビルは原色の赤や黄色や緑で塗りたくられていて形もキテレツで、見ていると気が変になりそうである。モールのエスカレーターはどういうわけか一階上るごとにその階を半周しないと次のエスカレーターが発見できない奇妙な導線で作られていて、4階に行くまでに相当歩かなければならない。たくさん買い物をして荷物が重いのでリキシャに乗って帰ろうとしても、行く方向や天候によって3、4台のリキシャに乗車拒否されることもある。

とまあ、油断のならない環境である。何もかもが不便といえば不便だ。暮らしているだけでそれなりに神経を使っているし、結構疲れる。しかし、それにもかかわらず、気分的にはとてものんきに暮らしている。不思議なものだ。私のiPodの背中には、ソンタグの “Comfort Isolates” という言葉が刻んである。「安寧は人を孤独にする」。不便で、頭にくることが多くて、心配事がいっぱいあるとき、ひとは一人ではなくなる。快適さには、意外に大きな弊害があるのだ。