July 30, 2009

仕事との距離

仕事が楽しくなっている。人に恵まれて、新しいことやいままでやれなかったことに手をつけられるようになったことが一つ、信頼関係がしっかりしてきて、手足の自由が効くようになったことが一つ、いろいろやってきたことの結果が少しずつ返ってきて、先のヴィジョンが少しだけだが見えかけてきたことが一つ。

私はかなり物事にのめりこみやすく、一度のめりこんでしまうと自己と対象との区別が完全につかなくなるたちなので、今の仕事に関しては常に心理的な距離をとるように慎重にやってきた。メンタルが弱いので、何かと同一化して物事がうまく回らなくなったときに、いつかクラッシュするのが恐ろしい。だから神経回路が固まらないように、オフィスを出たら頭を切り替えて、家にいるときには他の好きなことをすると決めている。この一線を維持するのはなかなか難しいのだが、今のところはまあまあうまく言っていると思う。

月並みなことだが、チームにいいスタッフが集まっていることも仕事が楽になった理由の一つだ。できないことは、自分よりできる人に手伝ってもらえばいい。人には得意不得意がある。会社は、人数によって個人の欠落を埋められる場所である。組織によって文化はそれぞれだろうが、私の働いているチームでは、自分が個人としてどれだけ業績を上げたか、ということはほとんど意識に上らない。企画は関わったスタッフのアイディアの複合体であって、成功も失敗も個人に還元されることはないからである。たとえ自分が関わらなくても、だれかが成功させてくれればいい。「自己実現」のような幼稚なゴールは目指されていない。この文化もまた、仕事に適度な距離感を保つことに一役かっている。

以前にも書いたことだが、頭をやわらかくして、自分に飛んでくる球を打って言われたとおり走っていれば、だんだんゲームのルールがわかってくる。自分がどのポジションを得意としているのか、他の人がどんなプレイをするのか、ゲームの状況が立体になって見えてくる。やみくもにやっていたことに、自分なりの理論や意図がついてくるようになる。そうすれば仕事がちょっと面白くなってくるのは仕方がない。

1年単位の契約を更新しまがら、「仕事は面白いか?」と常に自分に訊ねている。1年契約だとつづけるか選択をすぐに迫られるから、常に考えないわけにはいかない。自分がどこに向かっているかはわからないけれど、まあこいつはもうちょっとだけつづけられそうだ、といつもおそるおそる考えてきた。べつにおそるおそる考えることもないのだが、しらふでいるために、「いえいえ、前線には立っていませんよ」、という心理的距離を保っている必要がある。とりあえず、今のご時世に贅沢な話みたいだけれど、まだまだぜんぜん面白い。

July 21, 2009

寿司と日本人アイデンティティ

最近家族がそろそろ日本に帰ってこいとアピールしてくる。父は「日本人の平均寿命はどんどん延びている。それに比べてインドは空気汚染と水質汚染もひどく環境が悪いらしい。だから早く日本に帰ってこないと、長生きできないぞ」と寿命を理由に脅してくる。母のほうは、「私はどうでもいいんですけど」と言いながら、「ところで、あなたの歯科助手のお友達が最近結婚して仕事をやめたから、近所の歯科医院でスタッフを募集してるよ」と軽くプレッシャーをかけつつ転職をすすめてくる。

心配してくれる人がいるのはありがたいことだと思います。しかし日本のテレビや新聞はあんまり愛知方面にインドのよくない情報を流さないようにしていただければ私としては助かります。

ところで、インドでしばらく暮らしているうちに、だんだんインドを対照として見た自分の日本人アイデンティティが徐々に薄れているように思う。以前にも書いたかもしれないが、インドと日本は社会の構造も人間の行き方も仕事のやり方もかなりちがうために、インドにやってきた日本人は必然的に「日本人としての自分」を意識せざるを得なくなる。その結果、日本の文化にやたらこだわりを強めていく日本人もいる。

私も最初は「何でこんなに常識が違うんだ」、とびっくりして、仕事上で葛藤を起こすこともあったし、自分の理屈が通用しなくて困ったこともかなりあったように思う。でもなんだか今はなじんでしまった。正直なところ、今自分には日本的常識があるかどうかがわりと心配である。

日々の生活でも、ささいなことでインドによって照らし出される日本の異質さと、逆に日本によって照らし出されるインドの異質さがひたすら面白かった。もちろん今でも知らないことばかりで、インドの文化や社会そのものに対する興味は底を尽きない。しかし、以前ほど自分の中に「日本とインド」という強烈な対照性が存在しない。その部分へのこだわりが弱くなったような感じである。時々日本に一時帰国すると、昔の感覚が少しだけよみがえるのだが。

そんなふうで、じゃあ自分にとって何が最後まで捨てきれない日本へのこだわりだろうか、と考えたら、これは寿司かな、と思う。やはり人間、最初に来るのも最後に残るのも低次の欲求ということなのか、日本の食べ物への愛とこだわりだけがいつまでも薄れずに残っていく。人によってはラーメンとかお好み焼きらしいが、私にとっては生の乗った寿司である。お祭りのちらしや、コンビニのパック寿司、農協の火曜日の寿司バイキング、それから祖母が市場で買いたてのまぐろを、酢を混ぜたばっかりのまだほんのりあたたかいごはんに乗せてくれたふわふわの家族にぎりの記憶が、ふしぎなぐらい強い記憶になっていくのだ。

ココナッツオイルに効果あり

先日、新しいサンダルを購入したところ、今までのサンダルと素材が当たる場所が違ったので、足が靴ずれでずるむけになってしまった。一日歩き回っていたら、足の3箇所ぐらいから血が出てとても痛かった。

会社でファッションチェックの厳しい社員のお姉さんに「新しいサンダル見せてよ」と言われたので、「あれはだめ。痛くてはけたもんじゃない」というと、「そういうときは慣れるまでココナッツオイルを塗りなさい」という。またココナッツオイルか、と適当に聞き流していると、彼女は傷口のために絆創膏を持ってきてくれた。

インド人の女子は何かというと「ココナッツオイルを塗りなさい」と言う。ピアスの穴が炎症を起こしたときもココナッツオイル。髪が日焼けで痛んだときもココナッツオイル。なんかがまのあぶらみたいな話なのであんまり信用できないなー、と思いながら会社のレセプションのベンチに座って足に絆創膏を貼っていた。

すると通りかかった受付の女の子が「あ、くつずれ!ちゃんと新しいサンダルにはココナッツオイルを塗りなよ」と言う。またかよ、と思ってスルーしていると、別の女の子が話を聞いていて、「そうそう、ココナッツオイル」と言う。3人に言われたからにはこれは本当かもしれない、と思い翌朝からサンダルと足が当たるところにたっぷりココナッツオイルを塗って出勤することにした。

最初の日はオイルでつるつる滑ってこけそうになり、「これ、危ないんですけど」と文句を言っていたのだが、2日目ですっかり調子がよくなり、くつずれれもできなくなった。買ったばかりだけど捨てちゃおうと思っていただけに、かなりうれしい。人の話はちゃんと聞くものである。

というわけで、毎日靴の手入れや髪のオイルパックにと、ココナッツオイルは大活躍である。近寄るとココナッツくさいかもしれないですが、南国の香りということで許していただきたい。

July 13, 2009

雨が降ればよい

6月の半ばにモンスーンに入ってから、ムンバイは毎日雨が降っている。朝起きると家の中が薄暗く、空はいつもねずみ色に曇っている。この天気がこのまま9月の末まで続くのである。

2年前の7月は、陽子と二人でポワイ湖まで自転車でサイクリングに行った。ポワイまではタクシーで大体2時間ぐらいの距離である。走り始めてしばらくは晴天で、ランニングシャツで走っていた陽子の肩が直射日光でじりじりやけて、低温やけどになってしまった。走り始めてから2,3時間でたるをひっくり返したようなどしゃぶりになり、嵐の中を逆風に向かって自転車で駆け抜ける日本人たちという感じで道端のインド人たちの注目を集めたのを覚えている。あんなとんでもない体験をしたのは、中学校2年生のときに学校のキャンプで連れて行かれた明神山登山以来であった。

その後しばらくして、毎日雨が降って外に出られない鬱々とした状態を打破するべく、電車に乗ってダウンタウンに行き、オベロイ・トライデントの2,000ルピーもするブランチブュッフエランチを食べた。あれは本当においしかった。オベロイ・トライデントのブュッフエには和食のコーナーと大きなデザートのコーナーがある。それだけでなく、メニューに載っている料理は何でも注文できて、シャンパンなんか飲み放題なのだ。

夏が大好きな、以前一緒に働いていた会社の先輩は、「太陽がカーンと照ってるとうれしくなっちゃうんだよね」とよく言っていて、私はそのたびに「へー・・・そうかねえ~」と言っていた。私もお天気は大好きなのだが、どちらかというと普段低めのボルテージで暮らしているので、くもりや雨降りはなんとなくちょうどいい感じがして好ましい。「あー雨だし、遊びに行かなくていいや」とか「空も曇ってるしやる気が出なくてもしょうがないやね」というくらいが安心するのだ。

そんなわけで、毎日傘をもって、降ってはさし、やんではたたみ、ぼつぼつと散歩なんかしたり、朝雨の中を会社に向かったりするのは、やや楽しい。豪雨というのもまた気持ちいいものだ。モンスーンはなかなかいい。

July 10, 2009

インドのニューヨーク

韓国から来た私のルームメイトは、「ムンバイはインドのニューヨークだって聞いてたのに、ぜんぜんニューヨークと違うじゃん、これ」とぼやいていた。

ニューヨーク・・・。まあ、デリーはインドのワシントン、ムンバイはニューヨーク、という例えは正しいんじゃないかとおもう。デリーはインドの政治の中心都市であり、ムンバイは経済と文化の中心都市という位置づけである。しかしだからといってムンバイがニューヨークみたいな街かといったら明らかに間違っていると思う。

しかし私にとってのムンバイはけっこうな都会である。たぶん、東京、大阪、名古屋の次ぐらいの都会だと思う。

ムンバイの中心街に行くとコンサートや舞台、アートエキジビジョンなどを頻繁にやっている。アーティストがけっこう集まる街のようである。だからギャラリーやら小さいイベントやらには事欠かない。そういうところは都会だなあと思う。私は愛知出身なので名古屋が文化の中心地たるべきだとは思うのだが、名古屋はいまいちそういう文化的な雰囲気がない土地だ。だから愛知と比べてムンバイは断然都会である。愛知と比べられてもわからないとは思いますが。

さらに若者の町バンドラなんかに行ったら、おしゃれなクラブやバー、ディスコなんかがいろいろあって、いろいろな都会っぽいギラギラしたことが繰り広げられているらしい(が、ホントはよく知らない)。私の以前のルームメイトはよく金曜の夜にクールにパーティーメイクをして、特別な服を着てバンドラのバーに繰り出していた。だから遊びたい人にはちゃんと場所があるのだと思う。

楽しそうだから私もちょっとはのぞいてみたのだがなかなか機会がない。暗くなってから外出して疲れるぐらいなら家でイカでもあぶって飲んでたほうが楽でいいや、という根性だと、なかなかチャンスがめぐってこない。ちょっと気合いを入れてそのあたりの文化を開拓してみるのもいいかもしれない。

July 1, 2009

人生はマッチポンプ

問題が特定できない、という段階が一番困る。「どうもおかしい、うまくいってない」ということだけはよくわかっていても、なにがどうおかしいのかがわからない。この原因探しの前の段階、問題の特定が一番むずかしい。

具体的に言うと、例えば自分の部屋がどうも落ち着かない場合。汚れているわけでもないし、足りないものがあるわけでもないのに、なぜか部屋でゆっくりする気になれない。問題がどこにあるのかわからない。色調なのか、家具のサイズなのか、天井の高さなのか、かけている音楽なのか。

広告の効果がないとき。色なのか、掲載場所なのか、視聴者なのか、メッセージなのか、時期なのか、アイディアそのものなのか。

人間関係がうまくいかないとき。自分が言った言葉ややったことなのか、相手の状況が変わったのか、なにか事件があったのか、ストレスなのか、タイミングなのか、コミュニケーションなのか。

考え抜いて問題が発見できればいいのだけれど、たいていの場合、問題になりうる仮説のリストばかりが大きくなる一方で、どこがおかしいのかはわからずじまいになることが多い。時間切れで、やみくもに何らかのアクションをとらざるを得なくなる。

問題がなんだかわからないと、次にはその存在の定義そのものに疑問をもつようになる。そもそも「落ち着く部屋」とは何か。部屋の機能とはなんなのか。広告とは?人間関係はそもそもつねに良好である必要があるのか?

そんなことをやっているとだんだん疲れてきて、今度はそもそも問題なんて本当に存在するのだろうか、と考えはじめる。今の状態がしかるべき形なのではあるまいか。なにかがおかしいなんて感覚自体が思い込みに過ぎないのではないか。世の中に、「間違った状態」などというものが存在するのか。・・・と思い始めると、だんだんどうにでもなれという気になってきて、ちょっと一晩寝て明日考えよう、という感じになる。

たいていの場合、問題は「決める」しかない。解決策も同じである。「決める」ということは、一番自分が解決したい問題を選んで、一番自分がやってみたい、好きな解決策を選ぶということだ。世界のどこかに自分の知らない真実が存在しているわけではない。作るしかないのである。結局のところ、延々とマッチポンプをやっているだけなのである。むなしいような、楽しいような。