August 30, 2008

うきうきビューティーパーラー

うちから歩いて5分のところに、行きつけのビューティーパーラーがある。インドの女性用のパーラーは、基本的にヘアスタイルだけでなくフルサービスでいろいろとやってくれる。ヘアカット、ヘアスパ、マニキュア、ペディキュア、フェイシャル、フェイスクリーンアップ、ヘッドマッサージ、アイブロウトリミング、などなど。私は日本にいるときはあんまり熱心に美容院なんかに行くほうじゃなかったけれど、パーラーのお姉さんと顔なじみになったこともあって、月に1回ぐらいはあいさつがてら店に顔を出している。

ところで、インドで眉セットをしてもらうときに面白いのは、綿の糸を使って眉毛を抜いてくれることだ。どうやるかというと、糸を指に巻きつけて、ねじれた糸と糸の間に眉の一本一本を挟みこみ、ねじるときの摩擦力を利用して毛を抜くのです。はじめに行ったときに感動して、サロンの女主人にやり方を訓練してもらったんだけれど、難しくてぜんぜんできない。というわけで、月に1回ぐらいちょっと眉を直してもらう。だいたい一回20から50ルピー。

フェイシャルはしっかり背中のマッサージがついてきて気持ちよい。ただ、結構力を入れてごりごり顔をマッサージしたりとか、毛穴を押したりとかするから、肌が弱い人にはあわないかもしれない。ペディキュアとマニキュアもやってみた。爪の手入れだけかと思うとそうじゃなくて、フットバスやツボ押しマッサージなどいろいろついてきて、サンダル履きとほこりっぽい外で歩き回って刻み込まれた汚れを落としてくれるのでなかなかいい。ヘアスパも一度だけやったけれど、シャンプー台のつくりがひどくて首を痛めたので、もう二度とやらない。

サロンは家族経営で、オーナーのお姉さんはサロン経営の傍らモデルやら映画女優やら、ファッションショーの企画やらレストランのマーケティングやら、新聞のファッション欄でコラムを書くやらありとあらゆることに手を出している美人。その母はスターの母、という感じの、水玉のショッキングピンクのドレスが似合う人で、彼女も別の店を持っている。パーラーに行くと、ショーの写真やら有名俳優とのツーショット写真、書いたコラムの記事など、家族の輝かしい歴史アルバムをどっさり見せてくれる。

お姉さんはアメリカ人とインド人のハーフでアメリカで俳優をやっているというフィアンセと最近結婚したのだが、それぞれが別の国に仕事を持っているので休暇にお互いの国を行き来する別居結婚の形を取っているという。お姉さんの妹はまだ17歳で、今アート系の学校で勉強しながらパーラーの仕事を学んでいる。とにかく派手な家族だ。ちなみに、お父さんはこういう女系家族に典型的な実におとなしい人で、ときどき受付に座ってしずかに微笑んでいる。

最近友人がインドに遊びに来てくれるといっているので、とりあえずこのパーラーには一回連れて行こうと思っている。

August 25, 2008

どこにいたって同じだからこそ、どこかへ行くのだ

なぜインドにしたのか、と人に聞かれると返答に困る。あまり人を説得できるようなまともな理由がなかったからだ。前に務めていた職場をやめて、学生時代に行きたくて行けなかったインドにしばらく長期滞在してぼんやりしようと旅雑誌をめくっていたのだが、貯金がなかったので就職先を探したのである。そう言うと、「へー、思い切ったねぇ」と感心してくれる人もいるけれど、私としては逆に安全なほうの道を選んだのである。旅と暮らしでは成り立ちがずいぶん違う。

インドといえば、日本人にとってはドラマティックな印象が強い国である。高校生や大学生のときに沢木耕太郎や藤原新也のノンフィクションや遠藤周作なんかを読んで、インドはなんちゅーワイルドな国なんだ、と思っていた。ガンジス川で沐浴して自分の業を川に流してみたり、のら犬に食い殺されそうになったり、とにかく価値観を大きくひっくり返すような出来事が彼らの行く道に起こる。

しかし、作家たちはその目や肉体に、人を魅了するドラマを追い求め発見する能力が身についているのに違いない。私が発見するインドはそれに比べていまいちドラマ性を欠いている。ものを見る視点が地味なのだろう。道端でおいしいスナックを発見したとか、スイカが小さい、とか、Bataのビニールサンダルはどんなに履いても壊れないとか、どの俳優がどの有名人と仲が悪いとか、そういう細部ばかりがつい気になる。そして、世界とそれを見る人の視点とは相互に影響を及ぼしあうのであって、私のインドにはスペクタクルやアクションはなく、人と食べ物と仕事と本と映画がある。じゃあ日本にいるときと一緒じゃないか、といわれればそうなのだが、人はインド人で、食べ物はインド料理で、仕事はインド企業で、本と映画はインド製、という違いがある。その細部の違いが意外に大きい。

「どこにいったって同じなんだから、どこにも行く必要はないじゃないか」という人もいる。日本でやったって、海外でやったって、やることは同じだから外に出る必要はないと。私はこれまでに複数の人が若年者にそう進言するのを聞いたことがある。しかしむしろどこにいったって同じだからこそ、どうせなら別の場所にいろいろいってみたらいいじゃないか、となぜ言えないのか。生き方は変えられなくても、生きる場所は好きに変えられるのである。そして、新しい場所では必ず何かを学ぶことを強いられる。

海外に出て暮らしてみたいという人に対して「そんなのやめときなさい」と言う理由を思いつけるとしたらひとつしかない。自分の手元から離れてほしくない、ということだ。スーザン・ソンタグは『良心の領界』の中で若い読者に向けて、「旅をしてください。しばらくの間別の国に住むことです。」とアドバイスしている。「海外に出るために海外に出る」というのが、海外で暮らすことを選ぶのに最も適した理由であるように思える。

夕暮れの電車で

混雑した夕方の電車に乗っていた。横の座席に座っていた女の子が降りたのでひとつ席が空くと、その隣に座っていた小さいくちゃくちゃのおばあちゃんが私の服のすそを引っ張って席に座らせてくれた。となりに座っているおばあちゃんの頭は私の肩ぐらいである。とても小さかった。よく見ると、その隣にも同じ顔のおばあちゃんが座っていて、二人はほとんど同じいろの、赤と緑のサリーを着ている。どうやら姉妹のようだった。

眠かったので目を閉じたりあけたりしていたら、電車が駅で止まって若い母親と小学1年生と保育園ぐらいの子供が二人、制服を着て、電車に乗ってきた。大きいほうの子は私の隣に座り、小さいほうの子供は人のひざを潜り抜けて電車の窓のところまで行こうとしていた。すると、さっきのおばあちゃんが子供の背中をつかんで、窓までぎゅっと押し出して外を見せてやった。子供はおばあちゃんを見るわけでもなく、当たり前のように窓枠をつかんで外を眺め始めた。

しばらくすると、子供が風景に飽きて頭をふらふらし始めた。またさっきのおばあちゃんが子供をつかんで、自分ともうひとりのおばあちゃんの片膝の間に子供を持ち上げて座らせた。もうひとりのおばあちゃんも子供の座る位置をちょっと変えて、手で子供が落ちないように支えた。子供は今度もそうされるのが当たり前のように黙って座っておちついてしまった。子供の母親をチラッと見てみたけれど、彼女は大きいほうの子が椅子から落ちないように支えていて、別にもう一人の子供がよそのおばあちゃん二人の膝にすわっているのなんか当たり前だという顔をしていた。

なんだかうらやましかった。彼らに比べて、私が他者との間に常に取ろうとする距離と無関心はなんなのか。なぜ知らない子供をひざに抱き上げることを、自分は思いつきもしないのだろうか?

ああやって、自然なしぐさでこともなく子供をだっこできる大人に自分もなれるだろうか。無理かな?そうなれたらいい。

インド人のストレス

ある雑誌のデータによると、都会に住む若いインド人の女性でうつになる人が増えているという。新聞や雑誌の生活面でもストレス対策の記事が頻繁に取り上げられ、簡易うつ診断チェックリストやディストレスを避けるための十か条といった特集が紙面で組まれている。これがインドの経済成長の影の面として起こった結果といえるのか、あるいは単にオフィスワーカーが増加したことで、メディアが彼らに人気が出そうな話題としてうつやストレスに目をつけているに過ぎないのか、それは分らない。しかしどちらにしても、これらが現代インドの都市生活者の関心を引く話題であることは確かなようだ。

以前同じオフィスで働いていた若い英語講師の女性は、独身のころには朝早くから夜の10時ごろまで毎日残業をしていたと言っていた。今の職場に移ってからはそれはなくなったけれども、結婚してからは仕事のせいでお姑さんに家事を任せているのが申し訳なくて台所の周りをうろうろしたりと、最初はずいぶん気を遣って大変だったということである。過重労働に家庭でのコンフリクトにと、働く女性はなにかと抱えている。

インド人の作家、かつ福祉活動家の女性が書いた「The Old Man and His God」というエッセー集を読んだ。これがインドの女性の悩みの煮込みおでん、という感じの本だ。嫁ぎ先の夫と舅姑との仲がうまくいっていないことを人に相談できず、外では最高に幸せな妻を演じているお嫁さん。一番の親友と貧富の差がついてしまい、気後れして友達づきあいができなくなってしまった女の子。夫婦で一生懸命お金を貯めて買った家を夫が相談もなく抵当に入れてしまったのに、どうしても夫に怒りをぶつけられない妻。などなど。みんなどこかで耳にしたような話ばかりだ。どこに生まれようが、愛や家族、暮らしといった基本的な悩みからは逃れることはできない。一歩内側に入ってみれば、みんなそれぞれが自分のソープオペラを生きているのである。

インドで暮らしてみると、日本ほどには人の感情表現にホンネとタテマエがないと感じる。人々を見ていると正直で屈託がなく、怒っているときは声を上げて怒鳴る、落ち込んでいるときは黙る、相手が気に入らないときはいやみを言う、というストレートな人が多い。だからこの人たちは比較的ストレスが蓄積しにくいんではなかろうか、というぼんやりとした印象を持っていたのだが、実際にはみんながそうともいえないようだ。彼らには彼らの、外国人には簡単に理解できない社会的な抑圧によって、外に向けて発散するのが難しい種類のものごとだってあるのだろう。

August 22, 2008

インドの役所で考えた

事情があって、一時帰国の許可を取るためにムンバイの2箇所の外国人登録機関を一日駆け回った。インド国内でVisaの再申請をして現在発行待ちの状態なので、インドを出るのに出国許可証を取らなければならなかったのである。結局、別の事情がもちあがって帰国はあきらめたのだが、久しぶりにインドの役所を行ったりきたりしたせいでぐったり疲れてしまった。

インドの役所はとにかく非効率的である。時間までに書類を別の役所に届けなければならない理由があり、役人さんに何度も「急いでいるんですが…」と声をかけてみた。しかしどういうわけか手続きの途中で急に「2分待ちなさい」と言って自分のお弁当を広げて食べ始める。困ったなーと思って観察していると、ずいぶん丁寧にご飯を噛んでいる。しかも食べた後、流しで弁当箱のタッパーの隅を丁寧に洗っている。このおじさんたちは毎日外国人の問題処理をやっているから、困った顔の外国人はもう見飽きていて同情も何もないのである。

手続きに時間がかかるのには別の理由もあって、おじさんが口述する内容を秘書の女の子がコンピューターで文章に起すのだが、彼女のスペリングが怪しい。「permission、ちがう、ピー、イー、アール、エム…、エルじゃない、エムだよ」といちいち新しい単語が出るたびにやっている。あまりの気の長さにこっちは気が遠くなりそうである。カァ、とカラスの声が遠くから聞こえてきた。

以前に帰国の用事があって仮ビザを申請したときには、下の方の役人さんに物陰に呼ばれて「お茶代として100か200ルピーくれ」と賄賂を要求された。賄賂なら手続きを始める前に要求すればいいものを、もう書類が出来上がった後に言うものだからこっちはさっぱり意味がわからない。「お金ないです」と断ると、「ふーん」という感じでさっさとあきらめて書類を渡してくれた。引き際はわりとさわやかなのが、この手の人の特徴である。

最近人気急上昇のインドの俳優、イムラン・カーンがインタビューでこれからも自分の人気を保てると思うか、と聞かれて、「世の中には自分の力でどうにかできることと、できないことがある。できる努力はするけれど、それ以外のことは僕には分らない」と答えていた。役所のベンチに腰掛けて手続きを待っているときにその言葉を思い出し、イムランは若いのに気の利いたことを言うなあ、と思って目を閉じた。

黙って座ってないで、腹を立てて怒鳴って、あるいは説得して、少しでも状況を改善しようと努力すればいいじゃないか、という人もいるかもしれない。もちろんそうやって納得できないものごとと戦うことで何かを変えていこうという志のある人たちがいることもわかっている。しかし、道徳心が弱いのか単に気弱なのか、どうもそういう気持ちになれなくて、「ちょっととりあえず座ろう」という感じでぼんやり様子を観察し、観察の結果得たちいさなテーゼなり教訓なりを自己の反省材料とすることでたいていのことをやりすごしている。


だいたい、インドの役所のおじさんを変えるのなんか百回生まれ変わっても無理だから、不毛な戦いにエネルギーを使うよりは、おじさんはそっとしておいて自分のことをやっていたほうが得である。こういう生き方は非福祉的といわれれば、それはもちろん同意せざるを得ないのだが。

August 21, 2008

別のものを買って帰る

会社の先輩が飲んでいたオーガニック・インディアのハーブティーがおいしかったので、土曜日に買いに行った。店に入ってお茶のパックを発見し、店員さんにどれぐらい入ってるのか、葉っぱそのままか、ティーバックか、といろいろ質問して、さて買おうと思ったら隣のチョコレートの棚が気になった。チョコレートを吟味していたら、その向こうの美容コーナーが目に入ったのでマッサージクリームなんかを手にとって眺めてみた。店員のお姉さんが、「向こうにもいろいろあるから見てみたら」と勧めるので、「うん」とうなづいてついていって、いろいろ肌タイプのカウンセリングなんかをしてくれるので熱心に聞いていたら、スキンケアがすごく大事なように思えてきて、なんだか化粧水やらスクラブ洗顔料やらいろいろ買ってしまった。

店を出てしばらくして、「あ、お茶買わなかったなぁ…」と気付いた。

以前に兄が、よく何か買いたいものがあってお金を握って街に出たはずなのに、どういうわけかそのお金で別のものを買って帰ってきてしまうことがよくある、と言っていた。それでもなんだか満足してしまうというのである。そのときはおかしな話だと思ったけれど、考えてみると自分も似たようなことをしている。きょうだいそろって移り気なのである。

お茶を買いに行くぞ、と決めたら初心貫徹してお茶を買って帰る、それだけのことがなかなかできない。お茶を買おうと計画していても、一度街へ出てみれば、そのお金で買えるいろんな可能性がわーっと開けてしまうのである。フレキシブルというべきか意志薄弱というべきかは微妙なところだ。世の中にはこれと反対のタイプの人間がいる。たとえばちょっと前に雑誌なんかでよくピックアップされていた、「夢がかなう手帳術」なんてのはその典型である。十年後の目標を手帳に書いて、ゴール達成に必要なやるべきことを逆算して書き込んでいき、小さな計画をこつこつ実行していくことで夢を確実に実現できる、というやつだ。多分そういう生き方ができる人が世の中にはちゃんといるのだろう。私にはできない。5分後の自分が何を考えているのかさえ分らないというのに。

故池田晶子さんは、「私には将来という感覚がない」と書いていた。未来なんて観念に過ぎないんだから、未来のことを憂うことなんてできないじゃないか、という話である。たびたびこの言葉を思い出して、時間を越えた首尾一貫性を生き方にどれだけ求めるべきかと考える。暫定的な結論としては、そんなもんどうでもいいよ、というところで落ち着いている。5分前の自分にこだわるより、その瞬間の情熱やひらめきが運んでいくところにいつも自分を置いていたほうが楽しそうだ。そんな人生に達成は訪れないか?どうだろう、そうとも限らない。それに、そもそも人生において何らかの達成が必要なのかどうかもわからない。ただ、そういう生き方をしていると周りの人に「あの時ああいってたくせに」としょっちゅう文句を言われるのは必至である。

August 18, 2008

乗り物酔いを克服する方法

先日、インドの独立記念日に会社のピクニックがあってバスで大きなプールのある施設に行った。ウォータースライダーがたくさんあるなかなか充実したパークでした。久しぶりに長時間バスに乗ってみると、あらためて「ずいぶん揺れるなぁ」と思った。ところどころ道が悪いので、バスがすごい横揺れをするのである。揺れるバスに乗っていると、小さいころによく車酔いした思い出とか、車酔いした子供を開放したときの思い出とか、いろんなことが思い出された。

小さいときはよく車酔いをした。たった5キロ車に乗っただけでも気分が悪くなって、家族によく迷惑をかけていた。隣の市に行くだけにも酔い止め薬を飲んでいた。あまりいい思い出がないので、いまだに乗り物が億劫で、電車や飛行機や船でどこか遠くへ行く計画があると、なんとなく不安な気持ちになる。しかし、実際には高校生のころを境に、かなりのレベルまで乗り物酔いを克服している。 きっかけは生物の授業である。

人体の授業を受けているときに、耳の中にある半規管がバランス感覚を司っていると習った。半規管がちゃんと機能していると、体が揺られていても平衡感覚を保っていられる。生物の先生は、「車酔いしやすい人は、揺れに抵抗しようとするからいけない。揺れに体を任せるようにすれば、半規管が揺れに慣れて、しだいに平衡感覚をとりもどしてくれるんだな」と付け加えた。そうか、と思った。これは私の小人生におけるエポックメイキングな教えで、それ以来先生の教えを実践し、ひどい乗り物酔いをすることはほとんどなくなった。

「揺れに抵抗するな、揺れに体を任せろ」
あるいは、乗り物酔い以外にも言えるだろう。移動し続ける暮らしの中で、知らなかった文化に出会い、新しい考え方をする人と知り合い、これまでとは違うやり方の中に自分を投入するとき、時には平衡感覚がおかしくなることもあるだろう。いわゆる周波数が合わない、といった状態である。自分を保とうとして踏ん張りつづけることでむしろ状況が悪くなることもあるのだ。力を抜いて、いっしょに揺れてしまえばいいのだろう。

August 16, 2008

失敗したことは忘れて、成功したときにこそ考えよ

今働いている会社には、「成功から学べ」という社風がある。ビジネスが落ち込んでいるときにその問題の原因を探るのと同じように、うまくいっているときの成功要因を洗い出して、同じ要素を先のプランにも適用してみよう、という考え方がわりと浸透しているのである。例えば、お客さんがたくさん来た週明けに上司から「なんで週末にそんなに調子がよかったのか調査してみなさい」と指令が来たりする。

以前に会社の元先輩が「日本人は失敗から学び、インド人は成功から学ぶ」という格言を持っていた、という話をブログで書いた。私はこの気風がインドの他の企業にも共通するものなのかどうかは知らない。ただ、私自身は「なんで成功したのか理由を言ってみなさい」といわれると、いつもちょっと新鮮な気持ちがする。多分、うまくいったときこそ反省してみるなんてマインドセットが私の中になかったからだと思う。皆さんはいかがですか?

ふつう、何かアクションを起こすときには、動因なり誘引なりといった何らかのストレスが必要である。「なんとかしなきゃ」と思うときはたいてい何か悪いことが起こった後なのだ。物事がうまくいってないときには、何でなんだろう、どうしたらいいんだろう、と頭が自動的に解決を求めて思考しはじめる。ところがハッピーなときには、傾向として「なんでこんなにハッピーなんだろう」とぐるぐる反省したりしない。うまくいったなぁ、じゃあ次なにやろうか?と自然と思考が未来に向かいがちになる。

だから私の場合は、うまくいっている状態から何かを学ぼうとするのにはわりと努力が必要である。これまでに学んだ本当に役立っている能力は、ほとんどがかなり痛い思いをして得たものばかりである。つまりはかかるストレスの分だけ少しずつ賢くなるということだが、そういう人生はできればもう勘弁してほしいと思わないでもない。「失敗したことはどんどん忘れてトライし、とりあえずうまくいったときに考えよう」というやり方にシフトできるとしたら、どんなに人生楽しいだろうと思う。試してみよう。

August 11, 2008

“Can They Afford You?”

2ヶ月ほど前、知人の日本人がインドを離れることになり、さよならパーティーに出席した。そのときに出会った日本人のビジネスマンと話していて、給料の話題になり、自分が現地採用の社員であると告げると、相手の方は目を丸くして、「それは…勇気がありますねぇ。いや、女性はすごいなぁ」と妙な感想を言った。女性がすごいかどうかは別として、現地採用の日本人と日本の企業からの駐在員とでは生活レベルにかなりの差があるのは確かである。

先日あった台湾人のビジネスマンにも、どの企業にお勤めですか、と聞かれてインドの中企業で名前は言っても分らないと思う、と答えると、「Really?」と言ったまま5秒ほど絶句して、「Can they afford you…?」と恐る恐る聞かれた。「うーん、Kind of」と言うしかなかった。こういうことは、どのレベルで話すかによって話が変わってくる。

私の暮らしは、だいたいインドの中流階級レベルの生活である。インドではまあお金がある内に入ると思う。あんまり贅沢はできないけれど、かといって暮らしに困ることはないし、少しは貯金もできる。パスタやパンを買うときには棚の全種類をチェックして1ルピーでも安いものをかごに入れるけれど、本やDVD、服など、ほしいものがあるとときどきは値段を考えずに買う、というふうに、ごく普通の生活である。

それでも日本に帰ると、物価の高さに愕然とすることになる。前回日本に数週間滞在したとき、名古屋の駅地下のオムライスが高くて食べられなかった。日本で暮らしていたときにも高いとは思ったけれど、高いからといって本気で食べるのをやめたのははじめてだった。インドに戻ったら一番安いオムライス一皿の値段で高級ホテルのランチビュッフェに行けると思ったら、店に入る気がしなくなったのである。

要はどの場所を基盤として生活を考えるかである。何かが起きて日本に帰国しなければならなくなることを考えると、貧乏はもちろん怖い。しかしそれはどこにいても同じである。あらゆるネガティヴな可能性を考えて慎重に暮らすよりは、何も起きないことに賭けて楽しくのんきに暮らしたいと思う。

歌いながら道を行く人々

朝、仕事に行こうとアパートの門を出たら、除草剤を背中に背負った青年が歌いながら横を通り過ぎた。道で歌っている人を見るのはちょっとうれしい。そして、道端で実にたくさんの人が歌を歌いながら歩いている。電車の中で女の子のグループが合唱を始めたこともある。これは、すごくうまかったです。

昨日も雨が降ってきたのでリキシャに乗ったら、若いリキシャドライバーがエンジンをかけたとたんに大声で歌い出した。それもなかなかいい声で、エキゾチックで繊細な音程の歌だったので、ちょっと得したな、と思った。あまり真剣に歌っているから、曲がり角を通り過ぎてしまうんじゃないかと思ってちょっと肩をつつくと、「わかってる、わかってるって」という感じでうるさそうにこっちを睨み返した。

日本で道を横切った人があんな大声で歌っていたら人は驚くに決まっている。ちょっと頭が緩んでいるか、酔っ払っているか、よっぽどいいことがあったんだろうと思うだろう。ムンバイではカラオケが今結構はやっていると雑誌で読んだけれど、この人たちカラオケなんかぜんぜんいらないじゃないか、と思う。どうせいつでもどこでも歌っているじゃないか。でもまあこれにも文化差があって、若くてファンシーで育ちのよい人たちはあんまり道で歌ったりしないんだろう。

私もわりと日常的に鼻歌がすぐに出てしまうほうだけれど、あれだけ声を張り上げて歌えない。以前、早朝に散歩をしているときに、ためしに大声でスガシカオを歌って周りの反応を確かめたら、通勤途中のサラリーマンや牛乳配達の男の子にじろじろ見られたので、あれは外国人の女が早朝の道端でやっても自然なこととして受け入れてもらえないらしいことはわかった。単に下手だったのかな?いずれにせよ、もう少し修行が必要である。

極東アジア人同盟

私と陽子はよく日本、中国、韓国、台湾の人間をまとめて「極東アジア人」と総称している。面白いことに、ムンバイで暮らす極東アジア人たちは国をまたがった不思議な連帯感を持っているように見える。

日本人が集まるパーティーなどに顔を出すと、メンバーの日本人が連れてくる韓国人や台湾人の友人たちをよく見かける。同じようにインドで暮らす外国人といっても、ヨーロッパやアメリカの人たちは門外で、極東アジアメンバーだけが集まる、という現象が起こる。これはとても興味深い。言葉も食べ物も文化もぜんぜん違うのに、それでも「インドに比べたら近い(欧米に比べても近い)」という種類の親近感が発生するのである。インド在住欧米人の間でも似たような現象が起きているのかどうかは分らない。起きていないとすれば、極東アジア人特有の現象として十分研究に値すると思う。

先日もスーパーマーケットのレジで並んでいたら、後ろにいた台湾人の駐在員に声をかけられた。「なに人?」という質問から始まり、彼は「ムンバイにはあんまり台湾人はいないんだよね。韓国人や日本人も少ない。デリーにはもっと一杯いるんだけどねぇ」と語った。極東アジア人会話の典型である。「韓国、日本、台湾はひとくくり」という認識が、当たり前のようにごく自然に顔を出すのが不思議である。

多分、極東アジア人同盟メンバーたちはインド滞在の経験後、「極東アジアはみんな仲間」という認識を持ってその先も生きていくのではないか。これを世界平和に適用するなら、地球人が各国代表を選出してみんなでイスカンダルに引っ越したらいいじゃないか、ということになる。宗教や思想や見た目が違っても宇宙人に比べたら近いじゃないかという理屈でみんなで仲良く暮らせるかもしれない。

しかし、自分と近いか遠いか、似ているかいないかが、「相手を信頼できるか否か」の基準になっているとしたら、それはよくよく考えてみるとちょっと恐ろしい。もちろん、異国にいて自分と似た顔を見てほっとする気持ちは私も同じである。その感覚にどんな意味が含まれうるかを、時々は自己点検する必要があるのだろう。

インドに持ってくるもの

最近、今度会社に来る予定の台湾人のインターン生とメール交換する機会があった。人事が新しい外国人研修生(と送り出す家族)の不安を解消しようと、私のメールアドレスを渡したのである。たかが1年少し暮らしただけのくせに、物知り風に一応インド生活の先輩としてあれこれ持ち物や心構えをアドバイスしたりするのはなかなか楽しかった。

ところで、「インドに何を持っていけばいいの?」という質問はなかなか答えるのが難しい。その質問は、インドでどんな風に暮らすか、という問いと直結しているのだが、その人がどんな暮らしをするのかは実際に暮らしてみないと分らないからである。ムンバイなら生活に必要な基本的なものはなんでも手に入るが、どんなにインドに憧れてやってきても、水や食べ物が体に合わないことだってある。清潔の観念や生活習慣など、どうしても受け入れられないものがあるかもしれない。

たとえば以前に出会ったカナダ人のバックパッカーは、インド料理が食べられないので毎日サブウェイ・サンドイッチを食べていると話していた。半年もインドを旅していてサブウェイ・サンドイッチはないでしょうと思うが、食べられないものはしょうがない。もちろん料理以外にも見るべきものは山ほどあるんだから、そこは我慢してサンドイッチを探して歩くしかない。

また、日本の大企業の駐在員の方の家にお邪魔したときに、キッチンの戸棚と冷蔵庫に日本のインスタント食品、米、調味料がびっしり詰まっているのをみたことがある。こういう生活ももちろんありうる。お金と購入ルートがあれば、物質的には日本にいるのと大して変わらない生活をすることだって可能である。

私自身は人生に指針を打ち立てて、決めたスタンスを守って生きていく…、というようなタイプではないので、現地の文化習慣に慣れなくてつらい思いをした経験はない。「こういうもんだよ」と教えられれば、「あ、そう」というふうにするすると通り抜けてきてしまった。たとえば、「トイレで紙は使わないんだよ」といわれれば、「そうか、使わないのか」と思って家にはトイレットペーパーを置いていないし、バスタブに浸からない生活で足の裏が硬くなってきても、「ああ、硬くなってきたなぁ」と時々触ってみるだけである。

「これがないと困る」という物をなるべく作らないようにすることで、すこしでも不自由さから開放されようという意図も、少しはある。日本製の爪切りじゃなきゃ爪が切れない、と言っていたら、爪を切りたいときにはいつも日本製の爪切りを探し回らなければならない。そういうのがただ単に億劫なのである。

とはいえ、この1年でどうしても手放せないでいるのが醤油と出汁だ。あなたが和食党の日本人なら、この二つはインドに持ってくることをお勧めします。それから海のそばに育って毎日新鮮な魚を食べていたせいか、どうしても妄想から逃れられないのが「さしみ」。ぼんやりしていると時々、きすのさしみや中とろが濃密な思い出のある昔の恋人のように眼裏に浮かんできてとても困る。