March 30, 2009

一人称で語るということ NEVER LET ME GO by Kazuo Ishiguro

この前、開高健の文体が好きだ、というポストの中で、小説のストーリーなんか実はどうでもいい、言葉が心地よければそれでいい、という話を書いたけれど、意見がちょっと変わったので反対のことを書きます。やっぱり物語はスゴイ。

週末かけて、カズオ・イシグロの “NEVER LET ME GO” (邦題:「私を離さないで」)を読んだ。何年か前に一度日本語の翻訳版を読んで衝撃を受けたので、ちょっとショックが和らいで細部を忘れたころにもう一度読み返そうと思っていたのだ。

読んだことのない人のために説明すると、小説は主人公キャシーの静かな一人称で語られる。男女共学のボーディングスクール、「ハールシャム」ですごした子ども時代、その学校の奇妙な雰囲気とルール、学校を出た後の「コテージ」での青春。親友であるルースとトミーとの微妙な関係。キャシーが一見誰にでも覚えのある子ども時代の記憶にまぜて語る数々の謎の後ろには、実は恐ろしい事実が見え隠れしている。「ハールシャム」とは何なのか、子供たちが成長してから始める「donation」とは・・・。ふっふっふ。というストーリーです。

一人称の語りでは、読者はキャシーの視点からしか世界を見ることができない。私たちが普段生きているときと同じ状態だ。人間は自分が認識できるものだけを頼りに、脳の中で世界を構成している。他人にどんな世界が見えているのかは決してわからない。だから、彼女の知らないことは読者にも分からない。キャシーが誤解していることは、誤解したままの事実として読者に知らされる。それにもかかわらず、キャシーの目を通してみる他の登場人物たちの行動や言葉を通して、彼女には見えていない世界が確かにそこにあるということを、読者はずっと感じつづけている。

それが、カズオ・イシグロの作品の、ふつうの一人称スタイルの小説とは違うところである。作者と主人公のアイデンティティは完全に分離している。作者は主人公の口を借りて自分の言葉を語っているのではない。作者の意図は主人公の思いとは別のところにある。その歪みから物語の別の真実を読者に垣間見せようとしているのである。私が読んだカズオ・イシグロのほかの作品、「日の名残り」と「浮世の画家」もまた似たような構造の一人称小説だったと思う。

この一人称の構造も含め、ストーリーは読者が真実に近づくための伏線であふれている。「なにかがある」という思いが本の最後のページまで読者をすごい勢いで連れて行く。どうやったら一人称であれだけ冷静に、主人公とのコミットメントを持たずに他人の心を描けるのか、本当に不思議だと思う。

怖い。どういうわけか英語の原作のほうがずっと怖かった。原作と翻訳を両方読んだほかの人はどう感じたのか聞いてみたいのだが、翻訳を読んだときにはこの背筋が冷えるような恐怖は感じなかった。昨日の夜中に読み終わって、頭に残っているイメージが気になってうまく眠れなかった。怖い夢を見てしまった。大学の倫理学の授業で教材として使うのもいいと思う。ひょっとして、もう使っている学校あるのかな?

March 27, 2009

アルコールの限界値

最近お酒がめっきり飲めなくなった。どうもアルコールに体がアレルギー反応を起こしているらしく、お酒を飲むとしばらくして鼻水が止まらなくなり、ときどきのども痛い。ビールにもワインにも同じような症状が出るところを見ると麦アレルギーとかぶどうアレルギーとかそういう食品アレルギーとも違うみたいである。

アルコール摂取量が一生分の容量を超えたということだろうか。

というのは、大学時代の友人がよく、「うちの父親は海老が大好きで、子どものころから毎日海老ばっかり食べ続けていたら、あるとき急に海老にアレルギーが出るようになりまったく食べられなくなってしまった」と話していたからだ。「人には人生でここまでという摂取量が決まっているのだ」と彼女は主張していた。だとしたら怖い。私は酒以外にもフライドポテトが大好きなのだが、ジャガイモが食べられなくなる日が来るのだろうか。

しかし、だったらご飯はどうなのだろう。日本人は毎日食べているじゃないか。パンはどうなのか。味噌汁や豆腐や納豆をあれだけ頻繁に食べていて大豆アレルギーが発症することはないのか。そう考えるとややこの説はあやしいのだが、海老とか酒とか刺激の強いものや特殊な成分が入っているものにだけ適用できる理論なのかもしれない。

とにかく、鼻水はうっとうしいのでややお酒を控えている日々である。私はわりとよく飲むほうだが、かといって今この世から酒がなくなってもたぶん平気だとおもう。若いころはそうではなかった。自我の防衛が強すぎたのか、アルコールを飲まないと自分が何を考えているのかすらわからず、人にも自分の気持ちが言えないというような時期があった。そのおかげで毎日酒を飲んでいた。

考えてみると私の家族にも似たようなところがある。しらふのときは静かであまり話さないのだが、酔っ払うと普段思っていることをいろいろ言葉にできる。だから人に会う前に酒を飲んで出掛けたりする。私はそれをやりだしたら底がないことを観察学習からわかっているので、落ち込んでいるときと緊張しているときには飲まない、というルールを決めて、これだけは守っていた。幸せなときにだけ飲むのが一番である。

一時期、2年ほど完全に禁酒したことがある。酒の席に出ても「やめましたから」といってまったく手をつけなかった。そのころは何か自分を戒めたかったようで、周りには無理をしているのがわかっていたらしい。それからしばらくしてあっけなく酒を飲みはじめたとき、叔母が「よしよし、それがいいそれがいい」といって、ほっとしたように嬉しそうに私を眺めていたのが印象に残っている。

インドに来てからというもの、気楽な生活で、いつも酔っ払ったように浮遊したように暮らしているからだろうか、前ほど酒を飲まなくなっていった。今は食事にあわせて飲みたいだけである。といっても週に一度は鼻水を我慢しながら飲んでいるのだが。しかしこういうのはある意味、進歩なり成長といえるだろう。

March 26, 2009

アイディアは釣りあげる

今朝起きて机の上を見たら、自分の手帳が開いていて、一番最初のページのそのまた前の厚紙の見開きいっぱいに巨大なよれよれの字で「アイディアを見つけることは、釣りのようなものだ」と書いてあった。

私は記憶力が悪いので何か思いついたらメモをする習慣があるのだが、ベッドのそばに電気のスイッチがないので、寝ている間になにかひらめいたときに時々暗闇でメモを取る。そして朝起きると枕元にまったく読めない意味不明なメッセージが残っているということがしばしばある。そういえば昨夜は汚い字でも朝読めるようにできるだけでかい字でページいっぱいに書いたんだった。それにしても、お気に入りの手帳の台紙の部分にこのボールペン書きの汚い字がこのまま1年間残ってしまうのかと思うとかなりショックである。

それは一時忘れるとして、アイディアと釣りの話である。今3月で締めの月ということもあり、仕事で4月からの1年に向けて仕事の計画を立てているのだが、そのおかげで毎日アイディア不足に悩んでいる。ネタは一体どこからどうやって見つけてくるのか?と疲れてぼんやりした頭で考えていて、夜中にもういいやと思って眠りかけた瞬間に、あ、これはなんだか釣りに似ているなと思った。

色の濃い濁った川に釣り糸をたらしているような感じである。糸の先が見えない。でも魚がいるに違いないと信じて根気よく竿を抱えているしかない。もういないと思ったら道具をしまって家に帰るだけだけれど、そしたら食べるものがない。来そうな気がする。なんとなくポイントがあっているような気配がする。下で動いている魚の動きが糸に伝わった・・・ような気がする。こういう期待を心に秘めて、じっくりひとりぼっちで腰を下ろしている感じがする。

これは人とネタ出しをやってもおなじである。みんなで釣りに来ているような感じになる。チーム・ミーティングをしていると、問題だけがどんどんリストアップされていく。「さて、これをどう解決しよう」という段階になると、みんな黙って自分の信じる各ポイントに分かれて、さあ釣るか、という雰囲気になる。こういうときは、自分だけが釣れなくてもだれかが釣ってくれればいい。だれかが何かちっちゃなフナでも釣ってくれたら、そこにポイントを移動するか、それをどうやって料理するかを考えればいいからだ。

以前に別のブログで書いたことだけれど、「ネタはいっぱいある」とただ盲目に信じることが、アイディアをひねり出す一番重要なポイントであると私は思う。釣れないと思って釣りに行く人はいない。みんな釣るために釣りにいく。これが信じられない人は詰まる。川には魚がうじゃうじゃいる。ただ今はエサに引っかからないだけのことである。つれたらどんな魚もうまい。どんなネタも面白いのだ。待っていれば釣れる。あきらめたらもう釣れない。それだけの違いである。と思って、気を取り直してまた考える。

それでどうなったかというと、いろいろな問題は解決策が見つからないまま滞っているけれど、こういうたとえ話は、投げちゃわないためにちょっと役に立つんじゃないかと思っている。

March 21, 2009

反省しません

向田邦子は「手袋を探す」という有名なエッセーの中で「謙虚は奢り」と書いた。いちいち自分の性格やら行動やらを反省するのはヤメて好きなように欲望のままにどんどん突き進んだらいいじゃないか、と言う話である。意外なことに、向田さんはそう決めるのにけっこう覚悟がいったみたいである。

ごくたまーにだが、気が滅入ったり自己嫌悪に陥りかけたときにこの話を思い出して、「反省しない。」と自分に言い聞かせる。人にちょっとひどいことを言ってしまった後でも「反省しない」。わがままをしたり意固地になって引っ込みがつかなくなったときにも「反省しない」。何かの拍子に高価なものを買ってしまって財布が空になっても「反省しない」。そうすると、ものごとがポンと前に開く。うじうじして人に迷惑をかけなくてすむ。

これには品を保つためのちょっとしたルールがある。反省しないかわりに、「自分は正しいことをした」と思い込むための言い訳もしてはいけないのである。たとえば、誰かに意地悪を言ってしまったあとで、「あれは意地悪じゃない。彼のことを思って言ったんだから親切だったんだ」とかなんとかいって自己弁護をしてはいけない。私って意地悪だなあ、と単に認識するだけである。まわりにも、あの人ちょっと意地悪なところがあるよな、と受け入れられればいいのである。

もちろんだめなところは直らない。同じ失敗を延々とくりかえす。しかし、かわりに「らしい」ところが伸びてもっと面白くなる。放射線状グラフで言ったら、五角形の形が徹底的に崩れた、とがったりまがったりつぶれた人間がだんだん出来上がっていく。人間は歳をとればとるほど遺伝子的な差異が表面化して個性が強くなっていくというが、だったら最初からそういうつもりでやったら面白い。

それに、「あ、この人ぜんぜん反省してないなー」という人を見るとちょっと嬉しくなりませんか?

March 18, 2009

らくらくケララっぽいカレー

前回ブログにコメントを下さった方に、特定の苦味がわからないからといって舌が鈍感というわけではない、と教えていただいたので、気をよくして今日は最近開発した新しいレシピを紹介します。インド(風)料理です。

ケララカレー、というのは、インドの南端にあるケララで作られる、ココナッツがたっぷり入ったカレーです。料理本を見るとココナッツの胚乳を砕いてカレーを作るみたいですが、そういうことをやっていると日が暮れるので、乾燥ココナッツの粉(ココナッツパウダー)を使うのがすぐできるポイントです。

【 らくらくケララっぽいカレー 】

1.ボールにココナッツパウダー(たくさん、たぶんひとつかみかふたつかみぐらい)を入れ、チリパウダー、ターメリックパウダーをスプーンいっぱいずつぐらい入れて混ぜる。あったらジーラというスパイスを入れる。普通ないと思うから気にしないで下さい。牛乳、水を適当に入れて、ペースト状にする。

2.ペーストをフライパンかなべに入れて煮詰める。適当に水を足しながらカレー汁っぽくする。

3.好きな野菜を切って、ガーリックと塩で炒める。トマト、にんじん、マッシュルーム、オクラ、などなど。肉とか海老とかあったらすごい。

4.炒めた野菜とか肉類をカレー汁に投入。煮る。おわり。


簡単です。やや粉っぽいが、味はかなりおいしい。日本では、ココナッツパウダーはお菓子の材料売り場に売ってるはず。チリパウダーは唐辛子の粉。ターメリックはカレー類のスパイス売り場に売ってるかな、と思いますがいかがでしょうか。

March 17, 2009

皺から眠る 開高健の「夏の闇」

開高健の「夏の闇」を読んでいる。久しぶりに、読み出したら字を追う目が止まらなくなる文体に出会った。

物語の内容は、本当はどうでもいい。細部を偏愛するたちなので、本を読むときにストーリーなんかほとんど真剣に追っていない。言葉づかいと、一文の中にあるぎゅっとするひねり、漢語と和語とカタカナのバランスと並び、そういうものを求めているだけである。読んでいて脳に波打つような心地よい文を見つけたら、ずっとぐるぐる同じものばかり読んでいて飽きない。

本の半分ぐらいまで来たが、「夏の闇」は精神的な剥離の恐怖におびえながら旅に拘泥し、怠惰な性と眠りに沈みこんだ中年男の話である。いつも眠たがっていることと、モツが大好きなことをのぞけば、主人公の男と読者である自分との間にほとんど共通点がなく、独白と自己分析を読んでもほとんど身に覚えがないし、その苦悩に共感できない。しかしそれが鋭くて面白い。そんな感じ方をするのか、と新しい他人の感性を学んでいるような感じである。

「私は足の裏や睾丸の皺から眠り始めるのである。そこから形を失い、体重を失っていくのである。」

さっぱりわからない。そういうもんなのか。それはよいとして、「皺から眠り始める」というこの「…から…」の使い方にぐっときてしまい、音楽で言ったら絶妙のところで半音下げられたみたいに頭に残る。ふつう体の部分「から」眠り始めるとは言わない。でもわかりそうな気がする、このもやっとしたところが好きである。

「旅はとどのつまり異国を触媒として、動機として静機として、自身の内部を旅することであるように思われるが、自身を目指すしかない旅はやがて、遅かれ早かれ、ひどい空虚に到達する。空虚の袋に毎日々々私は肉やパンや酒をつぎこんでいるにすぎないのではないか。」

私は旅人をやったことがないし自己の内部を旅する傾向もないので、この内省が身につまされてわかるわけではない。それはどうでもよくて、この「静機として」という聞いたこともない言葉をさくっと使っているところがなんかかっこいい。ここで「動機として」の一回だけでは音感的に物足りなくて「静機として」を思いついて入れたのだろうと思う。「静機」とは何を言うのかよくわからないのだが、こういう飾りが好ましい。一文一文の音と形にこだわっている。

ようはスタイルである。形が全てである。ソンタグはスタイルのない“内容そのもの”は存在しないと言っている。私はそういう深い芸術論は本当はよくわからないけれど、ひとつひとつの文章がかっこよければそれでいいし、そこに全てがあるんじゃないかと感じる。そういう意味では、論文と小説は同じように長文で成り立っているという点を除けば、ほとんど共通点はない。

March 13, 2009

恐怖の問いかけ

マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」の中で、アメリカのメディアがいかに人間の恐怖をあおって市民を購買に駆り立てているかを描写していた。その傾向は日本のメディアでもかなり強い。

「あなたの肌年齢はいくつですか?」とか、「あなたの彼女はホントにそれで満足していますか?」とか、「女子社員があなたの匂いに顔を背けていませんか?」とか、「この体じゃ水着が着れない!」、「あなたの睡眠の質は何点?」、「正しい枕、使ってますか?」、「え、私の収入、平均以下?」、などなど。この手のメッセージは、例え日本から遠く離れたインドにいて耳をふさいでいても入ってくる。ジャンクメールや、Mixi広告、サーチエンジンの検索結果ページ、Yahooニュースなど、ほとんどがインターネットを介してやってくる。

私はオンラインの教育関連事業のマーケティングの仕事をしていて、広告やPRに携わることもある。そのため、自分はこの手の、人の恐怖を煽り立てる問いかけを世の中に流布する立場にはなるまいと努力している。しかし効果が高いことはよく知っているから、「あちら側」に下る誘惑は常にある。「あれ、自分はどうかな?」と思わせるような意表をつくメッセージを狙ったりすると、けっこうぎりぎりのものができあがることもある。だから、不安や恐怖ではなく、もっとなにか自然でよきものを駆り立てられないかとよく考えている。

不安や恐怖に駆り立てられて取る行動は長く続かない。なぜなら、不安や恐怖はモチベーションとは別のものだからである。つらいダイエットが続かないのと同じように、「やりたいな~」というポジティヴな志向がそこになければ、ながく愛着を持ってことをおこなうことは難しい。逆に、もしそこになにか自発的で求心的なものが存在すれば、行動の結果を滋養にして、自家発電しながら続けていくことができる。

そういう意味では、ダイエット・グッズの販売なんかは一度買ったら終わりだから、肥満の恐怖を駆り立てて新規の客をどんどん増やすことが目標なのだろう。なにも購買者が1年以上そのグッズを毎日使い続けることを望んでいるわけではない。むしろそれは押入れにしまってもらって、また新しいグッズを買ってもらうほうが助かるわけである。

それとは逆に、教育産業では、利用者がどれだけ長くサービスに愛着を持ってくれるかが問われてくる。勉強は、基本的にしちめんどくさいものである。そこを、利用者個人の中に「もっと学びたい」というモチベーションを発見して、サービスを通じてさらにそれを消えないように育てるわけだ。クライアントはみんな個性的過ぎて標準化できない。「いろいろな人がいて、いろいろなニーズがある」というところを越えて、「一般的な人」に受け入れられる何か標準的なものを打ち出すということができない。だから、マスを対象にそのマーケティングを行うのはあんまり簡単なことではない、と常々感じている。

恐怖のメッセージを受け取る視聴者側として一つ心得ておくといいのは、「その問いは “自分にとって” 価値があるか」と一度考えてみることだ。「あなたの睡眠の質は何点?」と問いかけられて、すかさず「うーん、そういえば何点だろうな・・・」と考えたり、反省してしまってはいけない。その前に、「は?睡眠の質とかって、それ、何?意味あるの?っていうか、ばかじゃないの」という態度で、一度人から投げられた問いの価値自体を問うてみたほうがいい。なげかけられる情報やメッセージが、何もかも自分に関係すると思ってはいけない。

これは山田ズーニーさんがコンテンツ「大人の小論文教室」の中で書いていたことから学んだ。山田さんはインタビューでいろいろな質問をされたあと、できた原稿を見てこれは自分ではない、と感じ、なぜそんなことが起きたか考えたという。結果、他人から投げられた、「自分の中に存在しない問い」に無理やり答えることで、自分の表現したいものとは違うものが現れてしまった、みたいなことを振り返っていた。睡眠の質テストのスコアが100点中30点だったからって、ヘンな枕を買ってはいけない。売る側のつまらない標準化に乗せられてはいけない。自分の頭で、自分だけの問いを立てないといけない。

March 10, 2009

電子レンジで作る秘密の蒸しケーキ

私は料理がさほど得意ではない。作るのは好きなのだが、面倒くさがりなので細かいところをとことんはしょるためか、基本的に味に深みがない、というか味がない料理ができる。ヘタなくせに、料理本に書いてある通りに作るのが悔しいので、どうでもいいオリジナリティを入れたりしてだいたいおかしくなる。食材をちゃんと用意するのが面倒なのですべてを「にたやつ」で間に合わせた結果、まったく最初の目標と違ったものになる。

前提として、私はちょっと味盲なのである。高校時代に遺伝の授業で生物の先生がなにかの薬品を湿らせた紙をクラス全員に配って、「口に入れてください。はい、味がしなかった者、手を挙げて」と言う。張り切って手を挙げると、先生が「あっ」と嬉しそうにこっちを見た。一番前の席に座っていたので、後ろを振り返ると、ほかに挙手しているものはいなかった。みんななんか苦い味がしたらしい。先生が薬品の紙の束をくれて、家族全員に試してみるように言った。父方の親族は同様に味がわからなかった。そんなふうに鈍感だからか、料理の味にもいまいちこだわりが持てず雑になるみたいだ。というのは単なる言い訳で、あらゆることに大雑把で雑な性格なだけかもしれない。

そんなわけで、普段作る料理はそれでもまともな大人か、というほど雑なものばかりであり、基本的に電子レンジを多用する。電子レンジクッキングの神様、村上祥子さんが私の料理の師匠だが、村上さんの「おいしくするポイント」的な注意をほとんど守っていないのが、師匠に今一歩近づけない理由である。

今日はそんなレシピの中から、私が朝パンがないときによく作っている秘密の電子レンジ蒸しケーキの作り方をご紹介します。

【 秘密の蒸しケーキの作り方 】

1. 深めのタッパーに小麦粉か米粉を入れる。量、適当。「多分、これぐらいだったら、水を入れてのばしてそのあと焼いて膨らんでも食べきれる量だろう」、というぐらい。勘が大切である。

2. ベーキングパウダーを、小麦粉の40分の一の量ぐらいを見繕って入れる。どうやって見繕うかというと、適当。なんとなく40分の一ぐらいかな、というのを粉の面積と深さから判断する。経験がものを言う。

3. 卵1個を溶いて入れる。なかったら無視してよい。入れなくてもとりあえずいける。溶く気力がなかったら、溶かなくてもいきなり入れてかき混ぜたらいける。

4. バター、スプーン1杯から50グラムぐらいの間で調節。「最近、肌が油っぽいわ、私」と思ったら少なめ、「最近、ひじがかさかさしてるわ」と思ったら大目。なしでもいける。今朝はバター入れるの忘れたけれど、ちゃんとできたから大丈夫。砂糖または蜂蜜を、同じ感覚で適当に入れる。

5. 牛乳を入れて生地をのばす。なんとなくもったりとしているぐらい、てんぷらの生地ぐらいがちょうどいい。しゃばしゃばにならない程度。一度でもホットケーキを焼いたことある人なら大体わかるはず。ここでポイントなのは、最悪、牛乳でなくてもいい。水でいい。今朝水で作ったけど、ちゃんとおいしかったです。

6. 生地をよくかき混ぜたら、ふたをして電子レンジに入れて、レンジ強で3~4分間かける。ここはちょっと注意。かけすぎると硬くなる。心配なら、2分、1分、1分みたいな感じでかける。焼く直前に、果物や野菜などを入れてもよい。これで完成。


以上、6分でできます。かなりおいしい。そう思っているのは自分だけなのか。今朝は小麦粉がなかったのでRawaという名のよくわからない粉と、ベーキングパウダーと水と砂糖だけを使って作ったけど、なかなかおいしかった。いい加減な人間は、試してみてください。

March 9, 2009

痴人か愛か

インドの結婚式については、もう少し書く内容があるのだが、ちょっと息が切れたので別の話題を。

以前、会社の同僚に、「タニザキの小説に『痴人の愛』ってのがあるが、君の名前の意味は『痴人』のほうか『愛』のほうか、どっちなんだ」と聞かれたことがある。『痴人』のわけないじゃないか。

『痴人の愛』の英訳のタイトルは確か『Naomi』だったと思うが、どこかで邦題の直訳の意味を知ったのだろう。先月日本に帰ったときに、日本の本をいくつか持って帰ろうと本屋を物色していてこの話を思い出し、読んでみることにした。谷崎を読むのは多分初めてである。

念のため簡単に紹介すると、大正時代、主人公の譲二という男が、カフェで見初めた奈緒美という15歳の美少女を家に引き取り世話をすることになる。西洋人のような容姿を持つ奈緒美は成長するにしたがって妖艶で性に奔放になり、主人公は誘惑と嫉妬と生活苦に病み・・・という話である。奈緒美も譲二も、昔は新しいタイプの人間として描かれていたのかもしれない。今読めば、意外によくいそうなカップルと言う感じがする。ややマゾヒスティックな男の純愛小説という感じかもしれない。

小説は譲二の語りですすむ。この自己心理描写が、男の理性と欲望のうごきをなんだか生々しく描いていて面白い。たとえば、譲二はしばしばわがままな奈緒美に強く出ようと決心するのだが、奈緒美が実際に目の前にいると、誘惑に負けてどうしてもうまく叱ることができない。だから、腹を立てていたはずの男が、次のページをめくると必死で女に謝っている。「おっ、早いなあ」と感心する。目に余る浮気振りに決別しようと心から決心するのに、また奈緒美のふくらはぎやら長じゅばんやらそういう細かな誘惑にあっさり負ける。ああ、と思って次の章にすすむと、「読者の皆さんは、もうお分かりでしょう」と始まって、ちゃんと女とよりを戻している。笑える。ほほえましい。

こういう女は雑に扱えば向こうから執着してくるだろうに、わからんやつだな、とつっこみを入れながら読む。男は、自分をだまそうとする女にだまされたふりをして、ふりをしている自分が実は女をだましているのだと悦に入ったりする。女に振り回されている男の描写はこっけいでおかしい。くるくる変わる譲二の信念のありようが、男のかかえた心と行動の矛盾そのものである。これは同じ矛盾に悩む男性が読んだら共感できて、自己反省してしまう人もいるんではあるまいかと推測する。しかし、女の立場からからすると「まーた男はありもしない心の矛盾とやらに悩んで、まったく愚かなんだから」と思ってあきれたりする。ことストレートな男女間の相違という観点からものを見るとき、女性というのは基本的に男性を見下げているものである。

本は、いかに自分にひきつけて、自分のために書かれたものとして読むかどうかがカギである。しかし、それをやると自分の場合、ついつい話が下世話になって、そこから学び取る内容は名作からもワイドショーからでもたいして変わらないのが問題である。

March 6, 2009

インドのビッグ・ウエディング(3) 親戚いっぱい

友人には、おじさんとおばさんとおじいさんとおばあさんがいっぱいいる。おばあちゃんを数えていたら6人いた。6人おばあちゃんがいるのは絶対おかしい、と思って聞いてみると、3人は実のおばあちゃんの姉とか妹だった。アンティ(おばさん)もいっぱいいる。とにかくいっぱいいる。家の中はサリーを着て忙しく動き回る女であふれている。家のあっちとこっちでおばあちゃんたちが2グループに分かれてだれかの悪口を言ったり、悪い噂話をしている(ように見える)。

私は家族に典型的な「インドの文化にすごく興味がある外人」として受け入れられ、アンティたちにずいぶんかわいがってもらった。花嫁が支度をしている間に、アンティたちに連れられて街に買い物に行き、親戚の家を一軒一軒回って家族の一人ひとりに挨拶する。なかなかの人数であった。英語ができる友人や同僚たちから離れてアンティと子どもたちだけになると、マラティ語がわからないので、片言の英語と手まねと顔の表情だけでなんとか会話する。どうせ難しい話をすることもないのだから、それでけっこう何とかなるものである。ひさしぶりに外人としてちやほやされた。道端で一人のアンティがジャスミンとバラの花を買って、髪につけてくれた。

おどろくべきことに、3軒の親戚が並んで隣同士に家を建てて住んでいる。一軒目でお茶を飲んだあとで、おばさんが「じゃあ次の家に行こうか」というので、「は?」と思いながらついていくと、隣の家がまた別のおばさんの家なのである。そこで2階のトイレからベランダまで隅々を案内されておやつを食べた後、「じゃあ、今度は隣の家に行くわよ」といって外へ出ると、またその隣がもう一人のおばさんの家である。3軒目のおばさんの家を出た後で、庭先から「ちょっとちょっと、もう一回おいでよ」と前のおばさんに呼ばれて、さっきはいなかった娘やらいとこやらを紹介される。しばらくボーっとしていると、向こうの家から子どもがやってきて「あっちのアンティが来いって言ってるよ」と呼びに来る。
お茶やらお菓子やらバナナやらを立て続けに食べてお腹いっぱいになってしまった。

親戚の子どもたちもいっぱいいる。小さい子どもたちは、親世代とちがって英語が話せる。聞いてみると、学校で習っているのではなく独学しているのだという。こっちの英語はかなりヤクザなのに、彼らは「今、おれ英会話の勉強してんの」という感じで英語で話してくるのでばつが悪い。くだらない宴会芸の手品を教えたり、日本語を教えたり、折り紙を一緒に折ったりして遊んだ。

とにかくうじゃうじゃいる。私は平素よりさほど社交的なことを好むほうではないが、2件目のおばさんの家でお茶を飲んでいるあたりで、「ここは完全に頭を空っぽにして、この流れに完全に飲み込まれて進もう」と決心して、人数をカウントするのも名前を覚えるのもあきらめて、手を引かれるままにぐるぐると回っていたら、ちょっと楽になった。流れ流れて、ちゃんと最後には友人の家までたどり着き、髪につけた花をみんなにほめてもらった。

March 5, 2009

インドのビッグ・ウエディング(2) 運命のある人生、運命のない人生

とにかく数え切れないほどの儀式が立て続けに行われるインドの結婚式。インドの中でも、地域やカーストによってしきたりや衣装なんかがぜんぜん違うらしい。友人のカーストでは、結婚前夜に次のような儀式を執り行う。

1. 白いサリーを着て、ドラムバンドに見送られて、家の近くの祠におまいりする。
2. 家族で地域の一番大きなパールバティ寺院とシバ寺院に行き、お参りして花をもらってくる。
3. 家に司祭が来て、おじさんとおばさんと花嫁の3人で長いお祈りをする。
4. つづけてお母さんとお父さんと花嫁の3人でお祈りをする。
5. それから親戚のおばさんとおばあちゃんが勢ぞろいして、ひとりひとり花嫁に向けてお祈りする。
6. 一同で植木にターメリックを塗りつけてお祈りする。
7. そのあとみんなで花嫁にターメリックを塗りつけてお祈りする。
8. 夕方になったら近所の人や友達、遠い親戚まであつまって、庭でご馳走を食べる。
9. バンドがボリウッド音楽を演奏して、みんなで踊りまわる。花火と爆竹が深夜まで続く。

書いただけでけっこう疲れてしまったが、おもしろいのは儀式に参加する誰もが、そこで何をすべきかを知っていたことだ。

おばさんたちがお盆に色のついた粉や砂糖、線香を乗せてかわるがわる花嫁に向かって祈りをささげている。見ていると、だれも「えーっと、次にどうするんだっけ?」と迷っている人はいない。おばあちゃんたちが儀式の途中でエキゾチックな歌を誰となく歌いだし、合唱になる。よくよく聞いてみると、歌の中に花嫁の名前が歌いこまれている。伝統的な結婚の歌らしい。きっとこれまでに何十回も同じことを繰り返してきたんだろう。

来客にふるまう料理、儀式で着るべき衣装の色や化粧、祈りの言葉、すべてが古くから決められてるしきたりに従っている。彼女の結婚相手すら、同じ街で生まれ、伝統に従って占星術で選ばれた人である。誰と結婚するのか、どうやって結婚するのか、なにもかもが定めなのだ。迷うところがない。結婚は当人たちのものではなく、一族の命運をかけた一大イベントなのである。結婚する友人はもちろん、参加する家族たちみんなが役割に燃えて、喜びに満ちている。

結婚は、生きたら死ななければいけないのと同じレベルで人生に組み込まれた運命なのだ。

「自由という不自由」というのがある。伝統やしきたりから離れた暮らしでは、あらゆることにおいて、自分自身で選び、決断しなければならない。何が正しいのか、何が間違っているか、未熟な心で一抹の判断を下す。あとで失敗の責任を取るのも一人、後悔を味わうのも一人ぼっちである。現代人の生涯には、その種の孤独と不安が常につきまとって、人の精神を不自由にしている。友人たちの暮らしを考えながら、私はそういう「運命のない人生」を送っているんだ、と思った。

どちらが自由で、創造的なのか?

よくある問いかもしれないが。どちらが幸福であるか、という価値的な意味ではない。例えば、運命の定まった人生を送れば、自分が人生に何をもとめているのか、というような内向的な問いの解決に時間を使うことなく、何かもっと外交的なことに向けて時間と力を使えるかもしれない。でも逆に、選択肢が多いがゆえに生じる内向的な問いを解決することだって、創造的である。わからない。たぶん「どちらが」という問いを立てることじたいが間違っているのだろう。

インドのビッグ・ウエディング(1) Virar の黄色い家

先週の土日、2日がかりで同僚の結婚式に行ってきた。式はきっかり3月1日。彼女は去年の7月に婚約して今年の1月に結婚のために退社し、今月末には夫の仕事についてノルウェーに引っ越すことになっている。

ムンバイの北、Virarという村が彼女の出身地。そこからムンバイのビジネスの中心的都市であるAndheriのオフィスまで急行で40分かけて毎日通っていたのだ。実際行ってみると、相当な田舎である。よくも2年もこの長距離をコミュートしていたなあ、とひたすら感心してしまう。

Virar駅を出て彼女の家まで歩いて向かう。舗装されていない土の道である。道の脇に牛やヤギがいる。学校帰りの制服を着た小学生たちがアイスクリーム屋の屋台を囲んで5センチぐらいのちっちゃな赤い棒アイスをみんなで食べている。村の人たちはほとんどマラティ語をしゃべっているのでい、何を言っているのか一言も聞き取れない。そんな村だ。

ムンバイとの大きな差として、庭付き一戸建ての家が中流家庭の主流である。友人の家は黄色とクリーム色でかわいく塗られた2階建ての大きな家で、庭が2つと花と野菜のガーデンがあった。パパイヤ、マンゴー、チクー、バナナ、イチジク、ココナッツ、ナス、オレンジ、ねぎなどを庭で栽培している。玄関には天井からつった木のブランコがある。ムンバイではよっぽどの金持ちでもこんな家には住めない。聞くと、もともと土地持ちの大きなご家族らしい。

庭には結婚式前夜のパーティーのために赤い大きなテントが張られていて、中では料理人たちががご馳走の支度をしている。入り口にはどういうわけかすでにドラムやキーボードをたずさえたバンドが控えている。友人やその家族が玄関で出迎えてくれて家に入ってみると、とにかくおじさんやらおばさんやらいとこやらすでにいろんな人が集まっていてすでにてんやわんやの雰囲気である。前日からすでにいくつか結婚前の伝統行事をこなしてきているらしい。

ひろい螺旋階段をあがって2階の彼女の部屋から外を眺めると、新しくできた高校の建物と、木と山と森と、広い空き地で遊んでいる中学生から高校生ぐらいの少年たちの集団が見える。物売りみたいな人が風呂敷包みを抱えて歌うような宣伝文句を繰り返しながら家の前の道を通り過ぎていく。静かで平和な田舎町だ。

友人の親戚のおじさんやおばさんたちに会うと、「Viraruはどう?」とみんなが聞いてくる。「うん、平和でいいところだね」と言うと、年配の人は「そうでしょう、そうでしょう」とにんまりするけれど、若い人たちは「ね!平和すぎるでしょ!もー、通勤が大変なんだから。退屈だし!」みたいなことを言う。なんか典型的だ。じっさいここから市街地まで通勤するのはたいそうである。私だったら街に部屋を借りて一人で住んだほうがずっと楽だと思うけれど、村の若い人たちはそんなことしない。お母さんが作るお弁当をもって2時間のコミュートに耐え、夜帰ってきてうちのご飯を食べる。なんだかこういうのを見ていると、自分がずいぶんやくざな暮らしをしているみたいに思えてならない。