December 25, 2008

ケララでケ・セラ・セラ

「・・・ケ・セラ・セラ なるようになる 未来は見えない お楽しみ・・・」

映画「ホーホケキョ となりの山田くん」はこんなテーマソングで幕を閉じる。覚えていますか?ごくまれにだけれど、頭が混乱してくると遠くのほうからこの歌がだんだん聞こえてくる。なんかややこしいことを考えていたはずが、歌がワンフレーズ頭を流れ終わったときにはいつも笑った口を開けて空を見上げながら階段を上っている自分がいる。ううむ、すごい歌だ。

今週末、休暇をとってケララに行くことにした。ケララはインドの一番南にある州で、椰子の木とビーチとアーユルベーダとハウスボートと魚がある、なんとも平和で幸せな土地らしいと話に聞いてきた。ケララか、いいなあ・・・。ケララ・・・・ケララ、ケ、セラ・セラ・・・というつながりで、最近この山田くんの歌がしょっちゅう頭を流れていて困る。ほとんど仕事にならない。新撰組の隊則みたいに、「社員はバカボンや山田君のテーマソングを歌ったら切腹すべし」という社則があったら面白いのにな。

考えてみると、「なるようになる」とは非常に完結した真実である。それゆえに、聞きようによってはほとんどなにも言ってないのと同じだが、入っていた力をふっと抜くような不思議な効果がある。出口のない問題に直面したときに人にかける常套句のもうひとつに「ものは考えよう」があるが、こっちは必ずしも正しくない。加えて、「あんたのもののとらえかたがパセティックなんだよ」とやんわり人を責める言葉に響くことがあるので、私はあまり好きではない。ここは「なるようになる」に一票を入れたい。でも何のための投票なのかと聞くのはやめてください。

とにかくまあ、ケララは自然の豊富なのんびりした土地らしいので、ムンバイの都会のほこりを落とすのにちょうどよさそうである。しかし、ほんとうにそんな都会のストレスとやらがたまっているのか?これ以上ぼんやりして一体どうするんだ?という自分の内なる声が聞こえないでもない。

December 22, 2008

野心を語る男たち

あんまりこういうことを言うのは気が引けるのだが、そこをあえて言ってみると、私は「自分の野心を語る男の姿」が大の苦手である。誰かが「俺の野心」の話をし始めると、脳が拒絶反応を起こしてしまう。耳栓をして話題が代わるまでじっと耐えている。

夢や野心をもつのはいいし、人の夢の話を聞くのも嫌いではない。しかし、「野心がある男、僕はスゴイ」という前提が話し手の目の奥にキラッと光ったときがもう駄目である。にんげん、「人に尊敬されたい」と自分で思ったらおしまいである。そして、かなりの率の男性が判で押したようにこれをどこかでやる。そういうのを見てかわいいと笑えないところは自分もオトナ気ないなぁ、と反省するんだけれども、どうしても癇に障ってしょうがないのである。

私は男ばっかりの家族・親戚の中で育ったので、女の子一人でちやほやされた部分もあったのだが、不愉快な経験をした経験もかなり多い。男の子たちが外でぎゃあぎゃあ遊んでいるときに、一人だけ大人の手伝いをしてお茶をくんだり男衆にお酒を注いだり、おじさんたちのえらぶったいやらしい薀蓄を聞かされたり。このような不幸な体験の結果として、私は思想的にはややフェミニスト的なところがある。古いと言われれば古いかもしれないが、それにしても俺はエライ武士でおんな子どもを守るのが仕事だ、と思っている現代男性は一向に減らないのはどういうわけか。非常に不気味である。

というわけで、私は幕末に生まれなくてよかった、とNHKドラマ「新撰組」を見ながら毎回ほっとしている。幕末は現代の世よりも野心語り男の率が爆発的に多いはずだからだ。しかしそれは別として、「新撰組」はかなり面白い。

リアルタイムでドラマを見ていた人にとっては「いまさら何いってんの?」という感じかもしれないが、私は最近になって、会社で一緒に働いている日本人の方に完全版DVDを借りて毎日1本のペースで鑑賞しはじめた。日本の歴史がさっぱり頭に入ってないので、新撰組がなにをやるのか、これからどうなるのか全くわからない。だから毎回ハラハラドキドキである。

今、メンバーが京都にあがって「壬生浪士組」を作って活動し始めて、芹沢鴨がめちゃくちゃに暴れているところである。鴨がこれからどうなるのかが、今の私の最大の関心事である。

December 20, 2008

陶器のお皿を買った

最近、自分のために陶器のお皿のセットを買った。インドの建物の床には硬い石のタイルが敷かれている。床に食器を落としてよく割るので、1年ほどずっとプラスティックのお皿を使ってご飯を食べていた。しかし、プラスティックがやや痛んできて使うのにうんざりしてきたのである。

会社のパントリーで雑談をしていたら、社員の一人が「プラスティックのお皿を電子レンジにかけて調理したものを食べてばっかりいると、発がん性物質が体にたまってくるよ」と教えてくれた。私はこういう食品系科学は安易に信じないようにしている。しかし、一度聞いてしまったからには気にしないわけにいかない。うちは癌家系なのである。

というわけで、2、3週間ほどかけて、暇があれば食器屋をのぞいて安い陶器の食器を探して回った。陶器は高いので、失敗するわけにいかない。店を回って食器を持ち上げては、「この食器に何を盛るのか」とひたすらシュミレーションした。

1.パスタなどの麺用食器
(スープパスタ、そうめんなどが盛られる、やや深めの大皿)

2.どんぶりもの用食器
(フライドライス、親子丼、ラーメンなどが盛られる、片手に乗せて重くないサイズの中深皿)

3.デザート、スープ用食器
(ヨーグルト、スープに兼用で使えるお茶碗)

私は趣味の生活者としては最低レベルの人間である。機能以外にこだわりがないのだが、実際に購入しようとすると、
「黄色は人間の食べ物を盛る色として本当に適切なのだろうか」
「この熊のイラストは、今はかわいくても、しばらくしたら私の食欲を殺がないだろうか」
などといちいち細かいことが気になって、なかなかレジまで持っていく勇気が出ない。

そんな風にうじうじしていたのだが、あんまりこのようなことに人生の重要な時間を費やし続けるのも無駄ではないかと考えるようになり、先週ようやく心を決めて、シンプルな白い皿の3点セットを買った。人に見せたら、それだけ悩んで結局これかい、と言われそうなものであるが、ほんのちょっと生活の質が向上したみたいでうれしい。

このお皿セットですでに、親子丼と、2色どんぶりと、にんじんのペペロンチーノと、そうめんチャンプルーを食べた。ふっふっふ。

December 11, 2008

言葉に詰まるとき

Jaya Bachchanは大スターAmitabh Bachchanの妻であり、女優である。インドの芸能雑誌「People」の10月号に彼女のロングインタビューが載っていた。ひとことで言って、「怖いおばさん」という感じの迫力のある女性である。ちなみに、彼女の息子は若手人気俳優、Abhishek Bachchan。その妻もインド一の美人女優Aishwarya Rai。ものすごいスターファミリーのいわば中心を生きている人である。

インタビューの大半は彼女と夫との関係について質問され、インタビュアーを笑い飛ばしたりにらみつけたりしながらばしばしと答えを返す。しかし、半ばで他の女性との関係がたびたび噂される夫Amitabhについて、「ああいう噂は気になるでしょう?」と聞かれると急に寡黙になり、抽象的な表現になる。

「(沈黙)・・・。人間だから、反応はします。暗く反応することもあれば、明るく反応することもある。ふるまいや、様子や、出来事によって毎秒ごとに安心させられて、それでなんとか前に進んでいく。(沈黙)・・・。傷つきやすい年齢や時期にある人はいずれにしたって自分を見失うものです。そして、悲しければ悲しいし、幸せならば幸せなのです。」

かなり正直に答えている印象である。これまで何度、マスコミから同じような質問をされたのだろう。しかし、何十年と繰り返されている質問だとしても、まだ冗談では返せないことが人にはあるのだなあと思った。嫉妬や憎しみをかみしめながら家族の中に留まり続けているからか、Jaya Bachchanの口元は普通の人よりずっときつく締まっているように見える。そういう生き方を「執着」と呼んで嫌う人もいるかもしれないが、私はそういうさわやかでない部分を持っている人に惹かれてしまう。

自分が60代になったとき、彼女のような眼光鋭いこわもておばさんになっていたいとはあんまり思わない。できれば余計な苦労をせずに暮らして、どこまでも力の抜けたおばさんがいい。でもまあ、きっとそうもいかないのだろう。

何に耐えて、何に耐えないのか。

長く暮らせば暮らすほど人に語るエピソードは増えていくが、それと同じだけ語ることのできない話も増していく。そして、語られない話が積もれば、それがふいに言葉を詰まらせる引っかかりになっていくのだろう。自分があの年になったとき、いったい何に言葉を詰まらせているのか、何を越えられずに暮らしているのか、まったく想像がつかない。

December 6, 2008

ヨガをやると寝てしまうのですが

前回、唯一のエクササイズは散歩と書いたけれど、実はときどきヨガもやっている。以前にちょこっとだけヨガのクラスに通ったときに習ったポーズをやっているのだが、だいたい一番最初の部分の、仰向けになって呼吸を整えているときにぐうぐう眠ってしまってさっぱりエクササイズにならない。

思い起こしてみると、ヨガクラスに通っていたときにも、最初のポーズで意識がなくなって先生の大声で目が覚めることがよくあった。横になると自動的に睡眠スイッチが入ってしまうのである。リラックスしながら覚醒もしているという状態が保てないのである。他のみなさんはヨガの呼吸法中にどうやって意識を維持しているのか。

さらに思い起こしてみると、病院なんかで診察台の上に横になって先生の治療を待っているときにもぐうぐう寝てしまって看護婦さんに肩をゆすられることがたびたびあった。1、2分が待てない。目を閉じたらほんとにブラックアウトなのである。

そんな風だから、最後までエクササイズをやり切れることがあまりない。眠くなっちゃうなら朝やればいいじゃないか、ということで朝起きてヨガマットに横になると、結局そこで二度寝して気づくと30分ぐらい立っているという状態である。

最近はこの現象を利用して、寝る前にベッドの上でヨガをやることにしている。目が冴えていても、ヨガの腹式呼吸を10回ぐらいやるとあっという間に体が重くベッドに沈んでくる。気づいたら朝になっている。寝つきが悪い人はぜひ試してみてください。

December 5, 2008

長い散歩

ムンバイに越してきてから1ヶ月ぐらい、毎朝ジョギングをしていたことがある。6月にモンスーンが来て、雨にぬれるのがいやでやめてしまった。それ以来は、散歩が私の唯一のエクササイズである。週末に、肩にカバンをかけてふらっと外に出る。どういうわけか、一度外に出るとなかなか帰って来れなくなって、気づくと5、6時間歩き回って夜になっているのがいつものパターンである。

家を出るときには、「鶏肉が食べたいから肉屋に行こう」などといった小さい目的がある。しかし、歩いていると、ついでに電気屋さんを回って最近どんな電化製品が出ているか見てみよう、というまったくどうでもいい仕事を思いつく。肉が腐るといけないから電気屋に先に行く。この辺から流れが変わってくる。

電気屋のある通りを巡っていると、どうしてもDVDショップの前を通るので、中をチェックしないわけにいかない。ときどき掘り出し物があるのだ。店頭の安いDVDを端から引っ張り出してタイトルを一枚一枚見て、「うん、新しいのは入ってないな」と結論する。前に買おうと思ってやめたDVDを数枚購入して、してまた歩き出す。

歩いていると、物乞いの女の子がついてきてなかなか離れないので、まくためにぐるぐるややこしいルートを回ることになる。一度なんか、その子に「ねえ、おばさん、さっきこの道通ったよ」と指摘された。君のせいでしょうが、と言いたい所だが通じないので、その辺の本屋に入って女の子があきらめるまで立ち読みしようと決める。しかし、本屋に入ってしまったらおしまいである。

本屋に入ると、最近入った面白そうな本がないか、棚を順番に眺めてしまう。やたらと時間がかかる。日本語の本だったらどんどん背表紙を飛ばし読みできるけれど、英語の本だといちいちタイトルを熟読しないと何の本なのかわからないからだ。そんなことをしているうちに1時間ぐらいあっという間に過ぎている。

店を出て、さて、と気を取り直したときには、目的の肉屋から遠く離れた場所に立っている。手には途中で買ったDVDと本の袋、水のボトルなどがぶら下がっていて、体はどっと疲れている。もう肉屋まで歩く元気がないので、しばらく立ち止まって一応悩むのだが、「うん、別に鶏肉なんか今日無理に食べなくたっていいじゃないか」と言う話になってそのままうちに帰る。家につくころには日が落ちている。

こんな意味からかけはなれた生活を続けていて本当に大丈夫なのか、と時々心配にならないでもない。せめて鶏肉を食べたかったなら肉を買って帰れよ、と自分を戒める自分がいないのである。このままいくと、どんどんアホになっていってしまうのだろうか。ふーむ。

December 2, 2008

カフェ・レオポルドの再生

今朝から会社で担当している日刊メールマガジンの原稿を書いていたのだが、さっぱり面白いネタが浮かんでこない。最近の習慣で、隣に座って忙しそうにしているマネージャーに「Help me~」と助けを求めたところ、「うーむ」としばらくあごにこぶしをあてて悩んだあと、「あ、そういえば、きのうSがカフェ・レオポルドに行ったらしいよ」と教えてくれた。Sは最近入った新しい英語講師である。

カフェ・レオポルドは例のムンバイのテロ事件で最初に銃撃が始まった現場である。水曜日の夜にたくさんの人が死傷した現場が、日曜日の朝にはもう朝食を始めていたという。その打たれ強さにびっくりしてしまった。

S君に話を聞いてみると、「いやー最高だったよ。すごく込んでて、店に入るのに15分は待ったかな。前とまったくかわらず騒々しくて、人で満杯で、ビールがうまくてさ。」と教えてくれた。各国のテレビクルーがいっぱい押し寄せていてそれがうざったかったのと、壁に銃弾の跡が生々しく残っていたのが事件をどうしても思い出させたけれど、と彼は言った。そりゃそうだろう。

会社の先輩にその話をすると、「きっとテロには屈しないという姿勢を示したんだろうね」と言った。そうかもしれない。人が死んで転がっていた写真の記憶がまだ鮮明な床の上でそんなに早くビールを楽しめるもんだろうか、という疑問がよぎったが、ひょっとしたらそういうことではないのかもしれない。ひどい事件があったからこそ、楽しく幸せにビールを飲むことがある種のリベンジになるのかもしれない。

今週になって自分が明るい気分を取り戻している事に気づいた。事件から1週間は気持ちが不安定でへとへとになってしまっていたけれど、明らかに回復しつつある。怪我もなく、健康で、家族や友達もみんな元気で、やるべき仕事があって、そんなに長くはゆううつでいられないものらしい。壁の銃弾の痕跡みたいに記憶は残る。そこから与えられた問題は山のようにある。そして、それとはパラレルに、たのしくのんきな普通の日々を暮らしていくのである。その複層構造と混沌を否定せずにまるっと受け入れられるようになりたいと思う。

カフェ・レオポルドのざわめきはその気持ちに重なるような気がする。しばらくしたら、私もビールを飲みに行ってみようと思う。

November 27, 2008

起こりえたことと、これから起こるかもしれないこと ―ムンバイの同時多発テロについて

世の中には、「実際に起こってしまったこと」と「まだ起こっていないこと」の2種類しかなく、その中間は存在しない、と村上春樹は書いている。どの小説だったかは忘れてしまったのだが。

それ以外のことを考えても仕方がない。何かを恐れそうになるとき、よくこの文章を思い出した。真実というより、これはそう生きようとする方針であると思う。この文章が心を打つのは、人の心がまさにその「中間」を生きているからなのだ。

現場は家から電車で1時間の距離で、多発テロが起こったほとんどのポイントは遊びに行ったことのある、よく知った場所である。タージマハールホテル、オベロイ、レオポルド・カフェ、ドックヤードロード駅、CST駅、メトロシネマ、マリーンドライブ、ナリマン・ポイント、サンタクルズ。

もしかしたら、自分や友人がテロの現場に居合わせていたかもしれない。たまたま平日のコンサートを聴きにコラバ地区まで遊びに出た可能性だってあった。帰りにレオポルド・カフェからタージホテルまで歩いて、タージのトイレを借りたかもしれない。亡くなった日本人の方はちょうどホテルにチェックインしようとした矢先に銃撃を受けたという。もし到着が5分でも遅かったら巻き込まれなかったのだろうか。

オフィスは危険を避けて自宅待機している社員を除いて、普段と変わらない。ランチを食べに外に出て街を歩くと、ショッピングモールはテロを警戒してシャッターを下ろしている。友達や知人から「気をつけてね」と連絡が来る。インド人の友達が「しばらく外を出歩かないように」と注意してくれる。しかし実際には、どうやって気をつければいいのか、いつまで気をつければいいのかわからない。1ヶ月たって恐怖が薄れ警戒を解いたころに、この街が攻撃にあう可能性がないわけではない。

心は、いいかえればこの世の中は、「起こりえたこと」と「これから起こるかもしれないこと」で満ちているのである。

November 25, 2008

ひとりで食べる蟹

「君が一人で子育てできるわけないよ。一人で食事したこともないくせに」
「あるわよ!一人で食べたことぐらい」
「いつだよ、言ってみろよ」
「みんなが食べ終わって席を立った後で、私だけ残って食べてるとき!」

というのは、ドラマ「フレンズ」の一場面である。世の中には一人で絶対に食事をしない人もいれば、一人でばかり食べる人もいる。好んでか仕方なくかは別として、結果として。皆さんはどちらですか。私は後者です。単なる習慣として、自分のための朝ごはんを作って、昼に頭に浮かんだものを近所の店に食べに出て、夜は冷蔵庫にあるものを使って何か作って、時々人の作ったものが食べたくなったらレストランに立ち寄る、という感じだ。もちろん人と食べるのも好きである。

こういう生活をしていると、だんだん「食」が生活の中心を占めてくる。人と一緒に何か食べるときには、自分以外の人のコンディションや好みがメニュー選びに影響するから受身になりがちだが、ひとりの食事が習慣になると、「次は何食べよう」、「明日の朝、私ははたして何を所望するだろう」と食事のアイディアを常に頭のどこかで考えている。どうも胃が重いから今日は野菜にしようとか、元気が落ちてきたから肉を食べよう、などなど。この「体に食べたいものを聞く」という習慣が、中国漢方の医師を自前でやってるみたいでなんだか楽しい。

問題は、インドのちゃんとしたレストランでは一人で食べられるメニューが揃っていないことである。週末に旅行ガイド本に載っていた蟹の写真を見ていたらどうしても食べたくなって、インド門の近くの中華レストラン「リンズ・パビリオン」に行った。10分ほどメニューと格闘していると、ウエイターが「一人分の料理選ぶのは難しいでしょう」と同情してくれた。その通りである。おいしそうなものがいっぱいでいろいろ食べたいのだが、一品頼んだらおなかいっぱいになってしまう。悩んだ結果、ゆで蟹一パイとシュウマイの詰め合わせを注文した。蟹は身がびっしり詰まってあまく、ものすごくうまかった。シュウマイもすばらしい味である。一人分にちょうどいい量であった。 こんなふうに成功するととてもうれしい。

例のあひるレストランに一人で飲みに行ったときにも似たようなことが起こった。鉄板焼きを食べようと思って、「どれぐらい大きな鉄板?」と聞いたら、ウエイターがでかい赤ん坊ぐらいのサイズを腕で示したのであきらめて白身魚のフライを頼んだ。これもお皿に7切れぐらい来るので、食べ終わって家に帰ると「ああ、今日は魚を食べたなあ」という印象で一日が終わってしまう。インドのちゃんとしたレストランでおひとりさまをマスターするにはもっと経験が必要みたいだ。

2つ向こうの席の男性客が小さなツマミの皿を取って、ビール片手にスティーブン・キングの新しい小説を読んでいるのが見えた。何を食べているのか気になったが、心の中で「師匠・・・」とつぶやくだけにしておいた。

November 24, 2008

死ぬ前に一度は観るべき映画(らしい)「LAGAAN」


映画、「LAGAAN -Once upon a time in India」をとうとう観た。Aamir Khan(アミール・カーン)主演・プロデュースのインド映画である。2002年のアカデミー外国語映画賞にノミネートされた作品なので、ひょっとして日本で観た方もいらっしゃるのではないかと思う。素晴らしい映画でした。



イギリス統治下のインドの内陸部の小さな農村。日照りのせいで穀物がとれず、厳しいLagaan(年貢)が納められないと訴える農民たちに、イギリス人指揮官は意外なゲームを仕掛ける。「もしクリケットでイギリス人チームを打ち負かすことができたら、3年間Lagaanを免除してやろう。」
農民たちは果たしてその挑戦を受けるのか?クリケットのルールも知らない農民たちが、イギリスチームを相手に勝利を望めるのか?・・・そんなストーリーの人間・歴史・スポーツドラマである。

主役は若き農民Bhuvanを演じるアミール・カーン。心優しく、真実と正義を追い求める、決して恐れない青年。Bhuvanの情熱と真実に心を打たれて、農民の心がひとつにまとまっていく様子が感動的で、キー場面に当たるたびに、「バ、バワン!」と鑑賞中に叫んだ私。どういうわけか、農民たちの群像は、黒澤明の「七人の侍」に出てくる日本の農民にそっくり。意外なロマンスも絡まってなかなかはらはらどきどきの4時間(長い)であった。

歌とダンスの中で特によかったのは、Bhuvanに恋するヒロインが、2人の関係をヒンドゥ教の神様で女たらしのクリシュナとやきもちやきのラーダに例えた歌。「なんでやきもちなぞやく、ラーダ」、「やかずにおらりょうか、クリシュナ」という2人のダンスが歌舞伎みたいでかっこよかった。

細かい場面についていろいろ書きたいけれど、「死ぬ前に一度は見るべき世界の映画トップ30」にリストアップされている映画なので、これから観る人のためにやめておきます。ちなみに、クリケットのルールがさっぱりわからない、という人は観る前にちょっとだけ調べておくことをおすすめします。


November 15, 2008

すべてはゴルマールになる

先週の日曜日、以前によく通っていた近所の小劇場に映画を観にいった。このごろ家の近くの新しいシネコンにばかり行くようになってしまったことにちょっと心が痛んでいたので、久しぶりに地元の商店街の売り上げに貢献しようと思ったのだ。

この劇場の問題点は、チケット売り場が決まった時間しか空いていないことである。チケット売り場の横のタバコ屋のお兄さんいわく、大体午前10時ごろと午後2時ごろに売り場が開くが、それ以外は閉まっているらしい。だから、通りかかったついでにチケットを買って置こうと思ってもできない。久しぶりに行ったのでその事をすっかり忘れていて、仕方なくチケット売り場の横のチャイ屋で1時間ほど本を読んで待った。

ムンバイの映画館では上映前に必ずインド国歌が流れて、観客はみんな起立してスクリーンの国旗に掲揚しなければならない。このルールは2003年に始まった比較的新しいものだという。ムンバイのタウン誌Time Outの「ムンバイから無くしたい100のことリスト」という特集の中では、「あれ、うざいからもうやめて欲しいよね」と批判的に取り上げていたけれど、そうはいっても曲が流れればちゃんとみんな起立する。

この日は、国歌の最後に2人ぐらいの観客がスクリーンに向かって「バラー、マッタッキ!」とヒンディ語で叫んだ。その発言をメモしておいて後日知人に確認してみたところ、正確には、

Bharat Mata Ki Jai (バラート・マッタ・キ・ジャイ)

( Bharat = India / Mata = mother / Ki = that / Jai = win )

だそうである。日本語にするなら、「母なるインドに栄光あれ」といったところだろうか。久しぶりにローカル劇場に入るとこういうことがある。ファンシーなシネコンの中で、人はあまり叫んだりしない。途中で画面がパタッと暗転してしばらく会話だけが続くというハプニングが起こって観客が一斉に「見えない!見えない!」と叫ぶという一幕もあり、なかなか面白かった。

最新のシネマコンプレックスのチケット代はRs. 150からRs.200前後であるのに対し、ローカル劇場ではRs.50からRs.100と安い。この値段の違いが客層の違いなのだ。しかし、映画への反応はどこに行っても同じみたいだ。

ちなみにこの日の映画は「Gormal returns(ゴルマール・リターンズ)」という、まじめな画面が1分もないばか映画であった。ゴルマールは主人公の名前なのだが、主題歌からして「Gormal, Gormal, everything is gonna be Gormal….」というまったく意味のない歌詞である。そうか、すべてはゴルマールになるのか・・・、とまったく訳がわからないまま劇場を出たが、気分は爽快であった。

November 13, 2008

To Yoko

Happy Birthday!

Experience full of the U.S culture and live a nonki life in Japan as usual. I will visit Tokyo to stay with you soon. Study hard and work enough to live. Just come back to India when you are stuck.
Enjoy your new life.

Ai

November 7, 2008

のんきな一人暮らし

この2ヶ月ちょっと、一人暮らしをしている。インドに来る前は実家暮らしだったので、おどろきもものき、インドにきて人生初の一人暮らしである。

9月の頭まで気の合う友達と3人でわいわい暮らしていたので、一人で暮らすとどうなるだろうといろいろ想像していたのだが、生活そのものにはまったく変化がない。あいかわらず、のんびり楽しく暮らしている。一緒に暮らしていた連れには時々会いたくなるけれど、それはまた別の話だ。私はあんまり環境に影響を受けないタイプなのかもしれない。

昔、河合隼雄がある本の中で、「2人で生きるときは1人で生きるように、1人で生きるときには2人で生きるように生きろ」と書いていた。長く家族と暮らす間、この言葉の前半部分をときどき思い出してはややこしいあれこれをしのいできた。今は後半部分の意味についてよく考える。こっちのほうがかなり難解だけれど、このごろ、こういうことかもしれないな、と答えが出そうなときがある。まだちょっとうまく説明できないのだが。

槙原典之の歌に、「武士は食わねど高楊枝」というのがある。奥さんが息子を置いてある日出て行ってしまった夫の気持ちを歌った曲で、中にこんな歌詞がある。

「子どもの代えのパンツがなくなり、
洗濯サボったのを後悔した。
そのとき気づいた、
全ては僕の選んだ未来だと。」

一人で暮らすってそんな感じである。仕事帰りに疲れて買い物をサボったら、次の日の朝食べるパンがない。卵を買いすぎておいてしばらく料理をしなかったら、1週間後に割ったとき腐っている。仕事をしすぎて過労で寝込んだとしても、世話をするのは自分である。自分の行為Aとその結果Bがストレートに結びついていて、実にシンプルなのだ。このシンプルさが私にとっては新鮮である。

人と暮らしているときには、こういう因果関係がわかりにくい。いらいらしているのは自分が疲れているせいなのか、周りの人がうっとうしいからなのか。牛乳が腐っているのは同居人が冷蔵庫に入れ忘れたからなのか、自分が間違えて冷蔵庫の電源を切ったせいなのか。そんな断片、断片のなかで、自分と他者との境目がぼんやりと浮き上がってくる。その意味では、人と暮らしたほうがオトナになりやすいんだろう、と私は思う。よく「自立したいから一人暮らししたい」という人がいるけど、私はその姿勢には基本的に同意しない。

まあどちらにも違った面白さがあるんだなぁという感想である。

November 1, 2008

企業就職の中の自由

オンラインビジネスの仕事をしているおかげで、さまざまな会社から「おたくのウェブサイトへのアクセス数をアップします」という営業電話がかかってくる。見積書にはたいてい、「クリック数に対する成果報酬制」か「月極定額制」の2種類のオプションがある。彼らにとっては仕事の内容は同じなのだが、クライアントが好きな支払い方法を選べるようになっているのだ。

私は公務員家庭に育ったせいか、商売をして暮らすという生活感覚がないまま大人になり、大学を出たとき、教員になるか研究職につくかという2通りの選択肢以外思いつかなかった。自分が一般企業の組織のしばりの中でやっていけるとはとても思えなかったし、かといってフリーランスで生きる才能も才覚もないし、という具合である。

さっきのアクセス数アップサービスに例えてみれば、3者の雇用形態は、

公務員 = 月極定額制
会社員 = 月極定額制×成果報酬
フリーランサー = 成果報酬

という感じだろうか。しかし、インドの企業で社員としてフルタイムで働いてみて、会社に勤めるのも思ったほど悪くないんだな、と少しずつ思うようになった。結局、会社員か、公務員か、フリーランスかという雇用形態は仕事の自由度の上で、さしたる問題ではないことがわかってきたのである。

ひとつには、基本的に会社では周りが適性を見て、自分の得意な仕事を積極的に回してくれる傾向がある。私は会社のブランディングとマーケティングを兼ねたポジションで働いているのだが、ブランディングのほうが面白いくてつい時間をかけているせいで、マーケティング関係の仕事の能力がさっぱりつかない。そうすると「君はこっちの仕事は駄目みたいだから、誰か他のやつに手伝ってもらおう」ということになって、その分自然にやりやすくて面白い仕事の比率が増えたりする。

もうひとつ、企業に勤めることの利点は、企画の実現が早いことである。企業には人材がある。たとえば「こんな新しい英語の教材を思いついた!」と企画を持ち上げたとき、それを実現する英語講師、ライター、デザイナー、営業担当なんかが一式そろっている。そんなの優秀な人にアウトソースすればいいじゃないかというかもしれないが、案外「外部の優秀な人」を使うよりも「内部にいる息の合った人」を使ったほうがいい仕事ができることがある。

企業就職がいい、と言っているわけではなく、単にどれだっていいのだ。どの雇用形態を選ぶかは、仕事の内容の自由度の問題ではなく、自分のお金と時間をどうやって管理するのが自分にとって心地よいのか、その部分の問題ではなかろうか。時間の自由度にしたって、9時5時生活は駄目です、というに人はフレックスタイムで働くという選択肢がある。フリーランスみたいに時間が自由すぎるとモチベーションが維持できないという人は、事務所を持てばいい。そういうことは、ホントに重要な問題ではない。

ビザが出ました!

インドの滞在ビザが出た。申請から7ヶ月後である。時間がかかりすぎる。日本で申請したら2日で取れるんだから信じられない長さである。これからインドで働くかもしれないみなさん、くれぐれも、インド国内でビザの延長申請をしないことを強くおすすめしておきます。

この半年以上、インドに軟禁状態で、国外に出るのにいちいち役所の許可を取らなければならなかった。ムンバイでビザの延長申請をすると、書類がデリーの本部に送られて、そこで審査を受けてムンバイに戻ってくる仕組みなのだが、インドの役所はアナログで意地悪なので、書類がどこかで止まってしまうのである。ビザ発行を待っている間、外国人は「Under consideration」という状態に置かれて、国外に出るのにいちいち役所に書類を通さなければならない。いざというときすぐに帰国できないんだから、結構怖い。

待っていても書類がさっぱり戻ってこないので、会社があるコンサルタントと契約して、デリーのごみの中に埋まっていた私の書類を取ってきてくれた。その書類を持ってムンバイの役所に行ったら、その日のうちにビザが下りてしまった。ううむ。偉い役人のおじさんが待ち時間にチャイをおごってくれて、ビザをもらって立ち去ろうとすると、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」と日本語で送り出してくれた。もう一生サヨナラしたいよ、と気弱に笑うしかなかった。

役所はぼろぼろの重要書類で山積みである。フタの壊れた棚のなかに、汚い字でJapan、UK、US、Koreaなどと書かれたファイルがぐちゃぐちゃに積みあがっている。台風で浸水してぼろぼろになった図書館の資料みたいである。外国人のインドでの生活を左右する超重要書類が、色画用紙に紐をつけただけの紙綴じでくくってあって、紙の四隅は完全に角がなくなっている。私の書類がデリーにちゃんと残っていたことなんて、まるで軌跡みたいだ、となるべくポジティブに状況を捉えてみたりして。

October 27, 2008

ピニャ・カラーダの日曜日

日曜日の朝、ぐったりした気分で目を覚ますと、もう10時を回っていた。ゆっくり朝食を食べてからバスルームに行くと、バスルームからベッドルームの床一面が浅い足洗い場のように水で埋まっていた。水桶の水を代えようと水道の蛇口をひねったまますっかり忘れていたのである。

私はこの種の自分の過ちに慣れているのであまりショックは受けない。「我、愚かなり」と心の中でつぶやくだけである。新聞の束を床に撒いてみたが、水の量が半端じゃないのでまったく役に立たない。水なんだから放っとけば乾くだろうという結論に至って、扇風機を最大風量で回して外に出た。

ムンバイの10月はものすごく暑い。家から歩いて30分ぐらいのところにあるショッピングモールのレストランで冷たいビールを飲みながら本を読んだ。このレストランは他には珍しく、ランチタイムにビールを飲みに来る若いカップルや友達同士で結構席が埋まっている。ビールの後にデザート代わりにピニャ・カラーダを頼んだ。ココナッツミルクがたっぷり泡立っていてかなりおいしかった。一口一口が濃いので、本を読むのをあきらめてしばらく味だけを満喫して何も考えずに時間を過ごした。

家に戻ると、水はほとんど乾いていた。水のことなんてすっかり忘れていたので、最初、なんでこんなに床が汚れているんだろう?と不思議に思った。雑巾がけをしたら、床は何事もなかったようにきれいになった。

昔、行き詰っていたときに、大学の先生に、「君は友達と酒を飲んで愚痴を言い合ったり、寝る前にテレビを見ながらぼーっと過ごしたりすることはあるのかな?」と言われたことがある。当時はノイローゼのように勉強していたから、枕の左右に分厚い本の山ができていて、テレビや映画はろくに観なかったし、友達からの誘いもことごとく断っていた。「一生懸命やっている」とか「必死でやっている」こと何か重要だと信じていたころの話だ。どうやったら人生のハイライトだけをつまんで生きられるのか、と真剣に悩んでいたことを思い出す。そんな疲れる人生、今なら絶対ごめんだよな。

落ちも結論もない、ある日曜日であった。

October 6, 2008

アビシェイク・バッチャンはちょっと

今週末に行った映画は「DRONA」。アビシェイク・バッチャン主演のファンタジー映画である。これが結構ひどかった。映画館を出たときどっと疲れていた。

ヒンディ語がわからないのにいいとかひどいとか判断できるのか、と聞かれたら、「ある程度はできる」とはっきり言える。せりふがわからないので効果を頼りにストーリーを追っていると、音楽、カメラの動き、シーンの切り替わり方なんかが下手なのがものすごく気になるのである。不自然な効果を延々3時間も観ていると完全にへとへとになってしまう。

簡単に映画のストーリーを説明すると、青年アビシェイクは実は不思議な力を持った伝説の勇者Dronaで、伝説上因縁のある悪の組織が彼の力を使ってなにか悪いことをたくらんでいるのを阻止してやっつける、というかなりどうでもいい内容である。

アビシェイクは寡黙な青年の役で、クールなつもりなのかまともなせりふがほとんど無い。突っ立って憎しみのこもったような目で虚空を睨んでいるかショッカーみたいな敵をやっつけているかどっちかで、きっと喋らせたらろくでもないから彼にはせりふをつけなかったんだろう、と思わせるほど演技が下手である。父親のアミタブ・バッチャンは顔がもうちょっと精密なので黙っていると寡黙に見えるけれども、息子の方は野生的な外見のせいか、見ているとだんだん「あれ、彼はひょっとして人間の言葉がわからないのかな?」という気持ちになってくる。

映画全体も意味ありげにしようとしてか、ほとんど3分に1回はスローモーションがかかる。スロモがかかってないときにもカメラが役者の下から上になめるようにゆー…っくりと動くせいで、全篇スローで観ているのと変わらない。
結論としては、アビシェイク・バッチャンはちょっと、もういい。ひょっとしてファンの人がいたらあれだけれど、私は父アミタブ・バッチャンとアビシェイクの妻アイシュワイヤ・ライは大好きなので、それで勘弁してほしい。

サンパダのあひるレストラン

あひるレストランはサンパダ駅からハイウエイをはさんでほぼ向かいにある。名前をShikaraという。入り口のアーチをくぐると広い店内の壁中に熱帯魚がディスプレイされていて、ホールの真ん中に大きな池がある。池の上に橋があり、その上にもテーブルが並んでいて、そのテーブルに座ると大きなあひるが2羽、池のほとりにいるのが見える。

会社のマネージャーにあそこはカシミール料理を出すんだよ、と教えられて、会社の先輩と二人で行ってみたのだが、残念なことにカシミールメニューはやめてしまったという。しかし料理はかなりおいしかった。

まず注文したのがマトン・カバブ。スパイスが辛くもなく薄くもなくちょうどよく効いていてビールとよく合う。マトン・カバブはやたらと塩辛かったりくさかったりするけれど、それが全然なくて、ぱくぱく食べられる。付け合せはうすく刻んだ生たまねぎ。

つぎの料理はRavaなんとかというフィッシュ・フライで、白身の魚ポンフレットを3枚におろしてセモリーナを衣にして軽く上げてある。ちょうどよく香ばしくあがっていて、中はほかほかの白身、衣はさくさくで、これもどんどんお腹に入っていく。残念なのは付け合せがまた生たまねぎだったことである。ほかの付け合せがないらしい。

この2品をつまみにしてフォスター・ビールを3本飲んだ。甘いものがほしくなったのであったかいチャイを頼んで落ち着いて、しめにライスプディングを食べる。寝ていたあひるが時々目を覚まして「ワーワー」と鳴き、また首をぐるっとひねって自分の羽根に頭を突っ込んで眠りに戻る。9時を過ぎると閑散としていた店内が突如として賑わい、席がつぎつぎに埋まって音楽グループがホールの隅で演奏を始める。

タンドールメニューが250から500ルピーぐらいで料理はけっこう高めだが、ここはなかなかよかった。アメリカに行ったルームメイトとあんなにサンパダをふらふらしていたのになぜ1年半もこの店に気付かなかったのか不思議である。また行ってみたい。

KIDNAPの無意味なセクシーシーン

イムラン・カーンとサンジェイ・ダッドが主演のサスペンス映画、KIDNAPを観に行った。イムラン・カーンは最近登場した若手で、人気俳優アミール・カーンの甥ということで注目を集めている、小柄で線の細い俳優である。サンジェイ・ダッドは中年のマフィア風悪顔俳優。

少年刑務所上がりのイムランが大企業の社長であるサンジェイ・ダットの娘を誘拐し、娘の命と引き換えにゲームを要求する、というストーリー。ある成金からお金を盗ませたり、昔の友人を刑務所から脱獄させたり、さまざまな要求をサンジェイ・ダットが娘を助けるために次々とこなしていく。ゲームをクリアするごとに謎のメッセージが犯人から届く。実は二人の間には因縁の過去があったことが次第に明らかになるのである。

逃亡するイムランを追いかけてサンジェイ・ダッドが工事中のビルの中を駆け回る長いシーンはスピーディーで迫力。お腹が出て、肝臓を完全にやられているらしい全身真っ赤の中年男がここまで跳べるものか、と真剣にはらはらどきどきして観ていた。

ひとつ問題なのは、誘拐された娘役の女優のセクシーダンスシーンがあまりにも唐突に始まることである。かなりシリアスなストーリーなのにもかかわらず、彼女の登場シーンでは、虜になっているという設定はお構いなしに、海や滝で水びたしになりながら踊ったり歌ったりする。どういうわけか着ている服も毎日変わり、ドレスだったりマイクロミニだったりやたらセクシーできれいな服を着ているので、いちいち「あれ?」と考えこんでしまって、話に入り込めない。インドでは映画に「入り込んで」観ている人はほとんどいないから、入り込もうと努力している私が悪いといえば悪いのだが。

細かい矛盾をいちいち突っ込んでいるようではまだインド的映画視聴法をマスターしているとはいえないなあと思いつつ、やっぱり突っ込まざるを得ない。しかし全体的に言えば、なかなか凝ったいい映画であった。

October 4, 2008

おばさん、かもしれない。

ムンバイの道をふらふら歩いていると、スラムの子どもたちがときどき駆け寄ってきて「1ルピーちょうだい」とねだる。5人ぐらいの子どもの集団がおおはしゃぎでついてきて左右から「ちょうだいちょうだいちょうだい!」と小鳥の大群みたいに叫ぶときもあるし、一人の子が腕をつかんで延々とどこまでもついてくることもある。

最近気づいたのだが、注意深く聞いてみると彼らは「アンティ、1ルピーちょうだい」と言っている。アンティはヒンディ語で「おばさん」という意味だ。そうか、そうなのか、おばさんなのか、と軽くショックをうける。「1ルピー、持ってない」と返事をしながら子どもの顔をついじっくり眺めて、こんな小さい子から見たら私はすごいおばさんに見えるのかもしれない。いや、子どもが小さいからではなく、それが一般的な見解なのだろうか、とつい考え込んでしまう。わりとデリケートな年齢なのだ。

会社で隣に座っているマネージャーに、「ちょっと聞きたいんだけど、アンティっておばさんって意味だよね、他の意味はないよね」とためしに確認してみたら、「アンティはauntだね」という。「ただ、お姉ちゃん、という単語が他にあって、それはインド人の年齢の低い女の子に使う言葉だから・・・、君の場合は外国人だから、使い分けた結果としてアンティになったのかもしれないよ」と、いちおう慰めてくれたがあまり説得力がない。

まあ、しょうがないけどさ、とぶつぶつ言いつつ、「アンティ」と呼ばれるたびに「ああ、やっぱりアンティか、そうか」といちいち自己確認するみたいでなんだかちょっと切ない。

October 1, 2008

サリーが着られないインド女子たち

前回サリーの話をしたけれど、それに関連した話である。自分でサリーが着られるようになりたくて時々会社に着ていって人にできばえを評価してもらうのだが、やたらと女の子に「よくやるねえ」と感心されるのでよくよく聞いてみると、最近の二十代前後の女の子の多くは自分でサリーが自分で着られないのである。

若い女子の集団で集まっているときに一人ひとりに聞いてみたら、ほとんどの子が「途中までしかできない」「やったことあるけどすぐ忘れちゃう」とかなんとかそれぞれに言い訳を言って、結局「ねえ、難しいよねえ、あれ」という合意にいたってしまった。彼女らがサリーを着るのはお祭りとかパーティーとか、特別な機会だけなのである。そういうときにはお母さんが出てきてちゃんと着せてくれるから、なかなか着付けができるようにならないのだそうだ。新しい世代である。

ひとりの女の子は、友達の結婚式でデリーに行かなければならず、かといって着付けのためだけに母親連れて行くわけにもいかないので、1ヶ月猛特訓を受けて着付けをマスターしたという。しかし結婚式当日に自力でサリーを着てみたら、体の前に来るはずのドレープが背中に回ってしまって、泣きながら母親に電話して「お願い、助けてー!」と叫んだそうである。道のりは長い。

サリーに限らず、最近の中流階級以上の若い女の子はインドの味噌汁ともいうべきダルがまともに作れない、と以前に行った料理教室の先生が嘆いていた。「豆を煮るとき水を何カップ入れたらいいんですかー?なんて基本的なこと聞いてくるからほんとに困っちゃう」ということである。彼女らのお母さん世代の多くは専業主婦で、娘が結婚して出て行くまで、毎朝お弁当を作ってもたせて学校やオフィスに送り出し、夜はご飯を作って帰りを待っているというのが普通だから、娘が料理を習う機会がないのである。


私も「ほんだし」なしでまともな和食が作れないし、浴衣の着付けは得意だけれども、和服の着付けは自分ではできないから、人のことをとやかくいえる立場ではない。しかし彼女らの子どもや孫の時代にはサリーをまともに着られる人口が相当減っているんじゃないかと思うとなんだかがっかりである。日本の着物と味噌汁が決して消えないように、インドのサリーとダルが歴史から消えることはまずないと思うけれど、サリーが着物と同じように特別な衣装になって、サリー着付け師なんてものが現れてくることはもう必至である。

テーラー通いは楽しい

7月に来た会社の新人Aちゃんの影響で最初のサリーをオーダーしてから、テーラーに行って服をオーダーするのが趣味のひとつになった。インドではつるしの服よりもテーラーメイドの服のほうが一般的である。街の服屋さんに見えるショップの多くは実は布屋さんで、そこで買った布を持って自分でテーラーに行き、サルワール・カミーズなど、そろいの服を自分にぴったりのサイズと好みのデザインでオーダーするのである。布屋さんにテーラーが付属していることもある。テーラーはたいてい仕事が速くて、簡単なもので1日、ちょっとややこしいオーダーをしても1週間以内には仕上げてくれる。

サルワール・カミーズ(パンジャビ・スーツ)を作る場合、大体トップとボトムと首にかける長いスカーフ用の布が3点セットで「ドレス・マテリアル」として売っている。好きな柄の布を買ってテーラーに持っていくと、職人が全身のサイズを測って、トップのデザインをカタログから選ばせてくれる。なかなか手の込んだデザインがたくさんあるので試してみたいんだけれど、なかなか勇気が出なくていつもシンプルなものを選んでしまう。

サリー用の布は街中に売っているけれど、要注意なのは値段によって生地の質が見た目ではっきりわかるぐらい違うことである。私は800ルピーのおしゃれサリーと100ルピーの普段着サリーの両方を作ったけれど、100ルピーのサリーを会社に着ていったとき、ファッションにうるさい社員に「私は着ないけれどね」と言われた。安い化繊のサリーは労働者のサリーなのである。会社のお掃除のお姉さんは、普段着で100から200ルピーぐらいのサリーを着ている。

サリーの布を買ったら、その布に合わせたペチコートと、ブラウス用の布を調達してテーラーに行く。テーラーではサリーの布の端っこを処理して、体にぴったりのブラウスを作ってくれる。

先週の土曜日、初めてテーラーで洋服を注文してみた。これは会社の安ファッション仲間のDさんの影響である(とにかく影響されやすいたちなのだ。)Dさんはスーパー強気のアメリカ人で、その勢いとこだわりの強さのせいか、いつもすばらしい出来上がりのオーダー服を着て会社に来る。その彼女が最近洋服をオーダーしたというので私もまねしてなるべくファンシーな看板の出ているテーラーに行ってみた。テーラーに行くと、ミシンを操っている男の子がデザイナー兼オーナーのお姉さんを電話で呼んでくれた。お姉さんはポニーテールにサングラスを頭に引っ掛けた、いかにもおしゃれな感じの人である。

普段着用のシンプルなワンピースを作りたいんだけど、と言うと、お姉さんは「かんたんかんたん、まかせてちょうだい」と言って、あなたの肌に似合う色はこれとこれと…とよさそうな布をどんどん出して並べる。だいたいのイメージを言うと、「わかったわかった」とうなづいて、「デザイナーにまかせなさいって。何が似合うかちゃんとわかるんだから」となかなかたのもしい。「じゃ、よろしく」とお願いして店を出た。布と仕立賃をあわせて一着400ルピーぐらいだからなかなかよい。どんなものができてくるのか、かなりたのしみだ。

September 29, 2008

2年目のディワリ

もうすぐディワリである。ディワリは10月中旬にあるヒンドゥ教のお正月で、この時期になると街角の文房具屋でカレンダーや手帳を盛大に売り始める。10月2日のガンディーの誕生日からディワリにかけての時期には、日本のお正月と同じように大型の映画がいろいろ上映されるので楽しみが多い。

ドゥルガ・プジャーのための張りぼて寺院が今年もアッサム・バワン(アッサム地方の役場みたいな建物)の横に立ち始めている。ドゥルガ・プジャーというのは、カルカッタのほうから来たヒンドゥ教の人たちのコミュニティがするお祈り大会のようなもので(うろ覚えの知識ですが)、昼すぎから夕方にかけて参拝者に無料で食べ物が振舞われる。

去年はカルカッタ出身の会社のマネージャーが私とルームメイト2人を連れて行ってくれて、一緒に長い列に並んでタリーを食べた。彼女は昨年の秋にインドの大会社に引き抜かれて退社し、今年はいない。一緒に列に並んだルームメイト2人も引っ越したから、よくよく考えてみれば一緒に行った4人のうち残っているのは私一人である。

9月のつい最近ガナパティ祭りが終わり、モンスーンの雨がすっかり上がって、今年のラマダンが終わりかけている今、これからしばらく続くお祭りの時期を思うと、わくわく感と物悲しさが混ざった不思議な気持ちがする。よく歌なんかであるみたいに、季節と行事だけが変わりなく巡ってくるから、ふと前にいた人たちの不在に気付く、というような物悲しさが、なくもない。

ムンバイは人の移動が激しい。一年も住んでいると、なじみのレストランのボーイは総代わりする。会社も同じである。彼らは人の入れ替わりに慣れているし、人が去っても後に代わりが来るとわかっているから、一人の人間に長くいてほしいという強い思いはない。もちろんせっかく訓練した人に去られるのは痛手だけれども、かといって去る人を引き止めたりしない。他にやることがあるならいつでもやめたらいい、とはっきり言う。こういう合理的で非情緒的なところが気楽でいい。

むしろ、そうやって常に古いものが去り、新しい人材が新しい空気を連れてきては去っていく、その運動がエネルギーを生み会社を動かしているのである。日本では一時期、新入社員の30%が3年以内に仕事をやめると騒いでいたけれども、ムンバイでは3年も同じ仕事を続ける若者なんて少数派だろう。上のほうの人たちや大会社の社員なんかは状況が違うけれど、若い人が何年も同じ会社にいたら新しいことをする能力がないんだと評価される雰囲気がある。

移動はエネルギーを生む。だから、移動する人自身の中と、残された場所の両方にとって価値がある。だから、たとえば転職したいけれど勤め先に悪くて言い出せないと思っている人がいたら、こう考えたらいい。あなたはあなたにしかできない仕事をしているかもしれない。けれど、あなたが抜けた穴に来る新しい人はまた、その人にしかできない新しい仕事をするのである。人間関係だって同じである。残った人間は、抜けた穴を埋めるために変化を求められる。変化は必ずポジティヴな意味を含んでいる。要するに、川は流れているからこそ澄んでいるのである。

物理的に、または精神的に、つねに移動し流れていくことが必要なのだ。物理的に動いてしまうほうが早い。効果だってある。精神的な移動はそれよりずっと難しいし、時間がかかる。とどまった人間は、いやおうなしに後者を強いられるんだよなぁ、と建てかけの寺院の横を通り過ぎながら思った。

September 25, 2008

コロンビアのほうがすごいらしい

先日新聞を読んでいたら、AISECを通じてムンバイのAndheriという街にインターンに来ているコロンビア人の学生についての記事が載っていた。AISECというのはちなみに、学生のインターンシップを斡旋している国際組織である。この人によると、インドで「コロンビアから来た」というと、だいたいが「ああ、君はスリランカ人か」と返されるらしい。スリランカのコロンボと勘違いされるのである。

前にも書いたかも知れないけれど、このあたりでは日本もなじみのある国ではないらしく、出身は?と聞かれて「ジャパン」というと、「ネパール」と聞き間違えられる。「ああ、ネパールか、ふーん」と返されるので、「Not Nepal, Japan」と主張すると、「ほー、ジャパンか、あーあー」となんだかよくわかんないけどどうでもいいや、という感じの返事をされることが多い。

ところで、このコロンビア人の青年の話によると、インドはどうも息苦しくていかん、というのである。ラテン文化に育った者としては、インド人の女の子に「ボーイフレンドいるの?」なんて下手に聞くとどぎまぎされてしまうし、いっしょに遊びに行こうと誘おうものならやたら真剣に取られるし、やりにくいったらないということである。たしかにそういう面ではインドとコロンビアはかなりかけ離れた国なのだろう。私の感覚からすると、インドは日本の10倍はナンパが多い国だと認識しているのだが。

さらに彼は、コロンビアでダンスしていた日々が恋しい、という。これについても、私にしてみればインド人はそこらじゅうで公衆の場で歌ったり踊ったりしているという印象がかなり強いのだが、コロンビア人からすれば、踊りのうちに入らないらしい。いったいどれだけ踊っているのか、どれほどオープンでハッピーな国なのか、これはコロンビアに一度は行ってみなければなるまい、と記事を読んで思った。

アジアの明るさと南アメリカの明るさは、きっと根本的に成り立ちが違うのだろう。インドの「チャレガ、チャレガ」とは違う種類の明るさがあるのならちょっと比較してみたい。私はアメリカ大陸にもヨーロッパにも足を踏み入れたことがないので、どんな雰囲気なのかまったくわからないのだが、どちらも先々行ってみよう、できれば暮らしてみたいとぼんやりと思う。おすすめの土地がありましたら教えてください。

しかしこのコロンビア青年にしてみたら、日本は相当陰気な国として認識されるんじゃないかと思うんだけど、いかがでしょうか。

September 16, 2008

ムンバイの超厳重セキュリティ問題

先週の土曜日、Delhiで3箇所の爆弾テロがあって、20人の人が亡くなった。犯行声明らしきEメールには、「ムンバイは次のターゲットに入っている」と書かれていたそうだ。Eメールの発信元はまたうちの近くの町だったらしいから、なお怖い。今回、最初の爆弾は道端に止められていた無人のリキシャに仕掛けられていて、爆発のときにリキシャが空に飛び上がったらしい。怪しい空のリキシャには要注意です。

ところで、テロを警戒してなのかなんなのか、ムンバイのショッピングモールに入るときには必ず厳重なセキュリティ・チェックがある。日本では空港でしか見ないようなやつである。金属探知機のゲートを通ると、ガードがカバンのチャックを開けてすみからすみまで中身をチェックする。男の人は、腰に銃器を携帯していないかをチェックするために体を触られている。それを眺めながら、奥さんと子どもと日曜日の買い物に来ているだけのこんなおっちゃんが腰に爆弾なんかもってるわけないよ、といつもあきれてしまう。

さらに、ショッピングモールの中のスーパーマーケットに入るときに、手荷物預かり所がある。大きなバッグや買い物袋、傘を携帯して入ってはいけないのである。傘なんかいいじゃないか、と思うんだけれど、「あっちに置いて来い」というから、仕方なく預けて番号札をもらう。バッグに関しては万引き防止なのかな、と分かるけれど、傘はなんなのだろう。傘も武器になりうる、ということなのだろうか。謎である。

本や水筒をぶら下げて入店しようとすると、セキュリティの人に止められて、「商品ではありませんよ、この人の持ち物ですよ」という意味のシールを貼られる。本なんかに貼られちゃうとあとできれいにはがせないんだよな~と思うんだけれど、思うだけで、ぶつぶつ言いながらいつもおとなしくシールをもらっている。しかし、厳重にも程があるなあと思う。

昨日アパートのエレベーターで親子に出会った。子どもが必死に自分の手のひらをこすりながら母親に何事か訴えているのでよく見てみたら、子どもの手のひらに「EXIT」というスタンプがばっちり押されていた。「いまスーパーからの帰りなの」と母親は私に言って、子どもに「あとで洗ってあげるから!」と叫んでいた。普通、EXITスタンプは、スーパーを出るときにレシートの上に押すのだが、子ども連れの場合は子どもの手に押すのだろうか。それがいったい何の証明になるのだろうか。しばらく頭を抱えていたのだが、だんだんおかしくなってきてなんだか笑ってしまった。

September 2, 2008

浦沢派と立花派

私は会社のマーケティング部に所属して、ブランド・マネージャーをしている。この半年で3回上司が変わったのだが、今の上司はインド人で、私より一歳下のエネルギッシュなアイディアマンで、思いついたアイディアを次々に私のタスクリストに追加していく。アイディアはだいたい、実現できるのかできないのか、ぎりぎりのラインのものが多い。新ネタを聞くたびに、心の中で「マジ?」と一瞬思うのだが、まあなんでもとにかくやってみよう、ということでこれまでいくつかの仕事をこなしてきた。

彼の思考を聞いていると、漫画家の浦沢直樹がNHKのインタビュー番組で話していたことを思い出す。浦沢直樹は、漫画の構想を練っていると、最初に映画の予告編のような形でアイディアが出るというのである。すごい面白そうなキャッチコピーと絵がバーンと出る。その時点ではどんな話になるのか決まっていないけれど、その予告編から細部をつめていくのだという。最初の「これはすごい面白そうだ」というところを裏切らない作品を作るように努力しているのだそうだ。面白い。

私の上司もおそらく似たような思考の持ち主である。アイディアを話すとき、右手を左右にたかだかとふりかざして、「なんとかなんとか!」とまずどでかいタイトルを言う。その後キャッチコピーを思いつく。で、具体的にどういうことをやるんですか?と聞くと、わかんないけど、それは次のミーティングで話し合おう、となる。次の週までに細部を練っておくのは私の仕事なのである。人から来たアイディアの細部を練るのは案外難しいんだけどな、とぶつぶつ言いながらいつも仕事をしている。

一方で、私は逆にごく細部から始めてものを作っていくタイプの人間である。絵を描くときには、最初に思いつきで丸を書いて、その丸から連想される部品をおもいつくままに付け足して、「お、これはどうやら顔だな」などと、見えてきた形に合わせて手を入れていく。このブログも、書きたいことがあってそれに向かって書いているわけではない。最初の一行目を書いているときには、二行目に何を書くのか、結論としてどういう話になるのかさっぱり見えていない。真ん中ぐらいまで書いたところでなんとなく文章が意味するところがぼんやり見えてくるだけだ。いきあたりばったりで、自分が向かっているゴールが見えていない。まるで自分の人生の縮図みたいでちょっとこわい。

そんな風だから、大学院生時代に論文を書いていて結構苦労した。時間をかけてアウトラインを作っても、実際に文章を書き始めると、計画通りの結論にならない。これは今も同じで、上司に「こんな広告を作ってほしい」といわれて仕事を始めても、細かい部分にこだわっていると最初のコンセプトとあわなくなって、出来上がりはぜんぜん別のものになった、ということがままある。「できました」といって見せると、「最初に頼んだやつと違うじゃん」といわれる。確かにぜんぜん違うのだが、なんだか知らないけどそうなっちゃったんだからどうしようもない。

私は思考をオーガナイズするのが苦手なことを引け目に感じていて、若いころに論理思考の技術なんかをかなり熱心に勉強した。それはそれで今かなり役に立っているけれど、あるとき立花隆が「知的ノンフィクション術」の中で「無意識の力を信じろ。論理はもう頭の中にあるから、アウトラインなんか気にしないで、書き出して、止まったら考えて、また書くを繰り返せ」というようなことを言っていたのを読んで、あ、それでいいのか、じゃあそれで生きていこう、と開き直って今に至っている。

二人のやり方の違いがあまりにも大きくて、うまくいくときは役割分担がぴったりといくときもあるのだが、ときどきちぐはぐになることもある。「僕が思っていたのとちょっとちがうんだけど」、「いや、そうなんだけど、なんかそっちはうまくいかなくて・・・」という状況に結構何度も陥ってきた。結局、うーん、おかしい、どうしてこうなるんだ、どうしたもんか、と頭を抱えて長時間ミーティングを繰り返しているのが今の日常である。

September 1, 2008

インドは人を癒しうるか(2) なんだかんだいって、いい国

この間モールでサブウェイ・サンドイッチを買っていたら、たまたま隣のドアの住人夫婦とばったり出会って、車で送ってくれることになった。聞いてみると彼らはビジネスで日本やアメリカ、中国なんかに長期滞在していたことがあったそうだ。若い夫は、日本は物がとにかく高かったけれど、人がすごく親切にしてくれてすごくよかった、といっていた。ちなみに中国、香港の人はひどく冷たかったという。ふーむ。彼は私に「インド人の印象はどう?」と聞いた。私はしばらく考えて、「リラックスしていて、オープン」と答えた。彼は、「ふんふん、そうだね」と同意し、「インド人は、君が自分から話しかけて聞いたら、とにかくみんな親切に助けてくれるね。君が黙ってたらまあ、何にもしてくれないだろうけどね」と言った。まさにおっしゃるとおりである。家に着くころに、彼は「まあなんだかんだいって、インドってなかなかいい国でしょ」と結論した。「ここで働いて、結婚して、一生暮らしなよ」
「ははは、まあそれもいちプランかな」と私は笑った。

彼の言うとおりで、「なんだかんだいって」という前置きは必要だけれど、インドはなかなかいい国だと私も思う。政治はややこしいし、宗教もややこしいし、テロがしょっちゅう起きているし、道や建物のつくりはかなりあやしくて信用できないし、役所はまともに機能してないし、道には物乞いがあふれているし、スラムがそこらじゅうにあるし、環境汚染は深刻だし、人は多すぎるし、要するにあらゆる面で整備されていない。細部をみれば、決してのんびりした環境ではない。しかし、どういうわけかここでは生きるのが少し楽なのである。日本にない種類の気楽さがあるのだ。

おそらく私自身の心理的要素も含まれているだろう。生まれた土地のしがらみや習慣、これまでのキャリアや人間関係を放り出して離れた土地に住んでいることの開放感が、私のインドに対する印象をより開かれた魅力的なものにしている。でも、それだけではない。

夕方道を歩いていると、いろいろなものに遭遇する。汚いどぶ川でサリーを洗濯しているおばさん。二人乗りのバイクから口笛を浴びせてくる男の子。電車の中で怒鳴りあいのけんかをしている人。バスの中でどういうつもりか子供におしっこをさせている母親。いやらしいことを言ってくる電気屋のおじさん。子供を抱きしめて頭にキスしながらいつまでもゆすっている父親。歩道の上でうんちをしている子供。キャッシュカウンターに小銭のおつりがないことに気付いて、その場で値段を変える面倒くさがりの店員。・・・なんといったらいいか、ありとあらゆる欲望や利己心や、人前では見せないような愛情や、みっともない暮らしの断片が目に見えるところにどこにでもちらばっている。そういうものを眺めていると、不思議な安堵感がやってくることがある。

自分が見まいとして押入れの奥に押し込めておいたさまざまな醜いものやかっこ悪いものが、ぜんぜん隠す必要のないものに思えてきたような。自分が業だと思っていたものが、単なる人間の営みの一部に過ぎないと感じるようになる。まわりのあれこれ、汚れたものや、人のなまなましい感情表現や、みえみえの欲やわがままや、そういうものを、「そういうもんか」と受け入れていくたびに、自分の中の受容できる部分もおなじように広がっていくからだろう。何に対してとも知れず、「ああ、べつにいいんじゃないか」と、ぼんやりと腑に落ちる。

インドは人を癒しうるか(1) 油断のならない街、ムンバイ

ムンバイという街自体は、決してのんきな街ではない。一歩外に出ると、大量のリキシャが二重三重になってタクシーと追い越し追い抜きしながら道を走っている。すごい排気ガスで、空気は基本的に悪い。それに加えて道は砂ぼこりだらけで歩いていると目が痛いし、100メートル歩く間にかならず1人は歩道から茂みに向かっておしっこをしている男性を見かける。それが結構臭う。同じ100メートルの間に、5匹はでかい犬とすれ違うので、怒りを買わないかと思って怖い。さらにその同じ100メートルの間に、どういうわけか歩道にいきなり1平方メートルぐらいの大きな深い穴が1箇所か2箇所開いていて、うっかり落ちたら確実に足の骨を折るか、下手すると死ぬ可能性もあるのでこれもなかなか怖い。川はこれでもかというほど生活・工業排水で汚れていて、油や洗剤でピカピカに光っている。窓を開けていると日によって悪臭がする。

アパートで暮らしていると、夜の10時をすぎてから隣のビルでお祭りやら結婚式やらパーティーが始まり、夜中までダンスミュージックが大音量で延々とかかることが頻繁にある。静かな夜には、1キロほど先にある駅のアナウンスが部屋まで届く。夜中にふと目を覚ますと、台所で巨大なネズミが活動している音が聞こえる。一度ネズミが部屋のワードローブの引き出しのタオルに包まってぐうぐう寝ていたこともあったので、それ以来恐ろしくて部屋のドアを閉める癖がついた。ゴキブリも家の中を元気に走り回っている。それがどんどん増える。モンスーンの時期は特にひどくて、家中カビだらけになる。関係ないけどトイレの排水はすぐに詰まる。

駅に行けば、切符売り場は大体いつも25メートルぐらいの行列ができていて、並ぶのにうんざりする。郵便局に行くと、係の人が休憩時間に入っていて30分も40分も待たされる。電車はまずい時間に乗ると隣の人が肉に突き刺さるほど込んでいるし、走りだした電車の手すりをつかんで電車のへりに足を引っ掛けるときは、まちがったら死ぬよな、といつも一瞬思う。チカンも結構いる。役所や警察の人は不親切だし、書類関係の手続きは気が遠くなるほど時間がかかる。道を歩いていると、外国人だと思って知らない人がいちいち声をかけてきてなかなか面倒である。

スーパーに買い物に行くと、いちいち入り口で荷物検査をされて、赤外線探知機をくぐらなければならない。店舗に入るときには傘やかばんを預けて荷札をもらわなければならない。夕方のレジは気が遠くなるほど混雑していて、お客が商品について文句を言ったり、店員が割引商品の値段を定価で打ち込んだり、停電でレジが使えなくなって手集計になったりして、とにかく時間がかかる。スーパーやモールやビジネスビルは原色の赤や黄色や緑で塗りたくられていて形もキテレツで、見ていると気が変になりそうである。モールのエスカレーターはどういうわけか一階上るごとにその階を半周しないと次のエスカレーターが発見できない奇妙な導線で作られていて、4階に行くまでに相当歩かなければならない。たくさん買い物をして荷物が重いのでリキシャに乗って帰ろうとしても、行く方向や天候によって3、4台のリキシャに乗車拒否されることもある。

とまあ、油断のならない環境である。何もかもが不便といえば不便だ。暮らしているだけでそれなりに神経を使っているし、結構疲れる。しかし、それにもかかわらず、気分的にはとてものんきに暮らしている。不思議なものだ。私のiPodの背中には、ソンタグの “Comfort Isolates” という言葉が刻んである。「安寧は人を孤独にする」。不便で、頭にくることが多くて、心配事がいっぱいあるとき、ひとは一人ではなくなる。快適さには、意外に大きな弊害があるのだ。

August 30, 2008

うきうきビューティーパーラー

うちから歩いて5分のところに、行きつけのビューティーパーラーがある。インドの女性用のパーラーは、基本的にヘアスタイルだけでなくフルサービスでいろいろとやってくれる。ヘアカット、ヘアスパ、マニキュア、ペディキュア、フェイシャル、フェイスクリーンアップ、ヘッドマッサージ、アイブロウトリミング、などなど。私は日本にいるときはあんまり熱心に美容院なんかに行くほうじゃなかったけれど、パーラーのお姉さんと顔なじみになったこともあって、月に1回ぐらいはあいさつがてら店に顔を出している。

ところで、インドで眉セットをしてもらうときに面白いのは、綿の糸を使って眉毛を抜いてくれることだ。どうやるかというと、糸を指に巻きつけて、ねじれた糸と糸の間に眉の一本一本を挟みこみ、ねじるときの摩擦力を利用して毛を抜くのです。はじめに行ったときに感動して、サロンの女主人にやり方を訓練してもらったんだけれど、難しくてぜんぜんできない。というわけで、月に1回ぐらいちょっと眉を直してもらう。だいたい一回20から50ルピー。

フェイシャルはしっかり背中のマッサージがついてきて気持ちよい。ただ、結構力を入れてごりごり顔をマッサージしたりとか、毛穴を押したりとかするから、肌が弱い人にはあわないかもしれない。ペディキュアとマニキュアもやってみた。爪の手入れだけかと思うとそうじゃなくて、フットバスやツボ押しマッサージなどいろいろついてきて、サンダル履きとほこりっぽい外で歩き回って刻み込まれた汚れを落としてくれるのでなかなかいい。ヘアスパも一度だけやったけれど、シャンプー台のつくりがひどくて首を痛めたので、もう二度とやらない。

サロンは家族経営で、オーナーのお姉さんはサロン経営の傍らモデルやら映画女優やら、ファッションショーの企画やらレストランのマーケティングやら、新聞のファッション欄でコラムを書くやらありとあらゆることに手を出している美人。その母はスターの母、という感じの、水玉のショッキングピンクのドレスが似合う人で、彼女も別の店を持っている。パーラーに行くと、ショーの写真やら有名俳優とのツーショット写真、書いたコラムの記事など、家族の輝かしい歴史アルバムをどっさり見せてくれる。

お姉さんはアメリカ人とインド人のハーフでアメリカで俳優をやっているというフィアンセと最近結婚したのだが、それぞれが別の国に仕事を持っているので休暇にお互いの国を行き来する別居結婚の形を取っているという。お姉さんの妹はまだ17歳で、今アート系の学校で勉強しながらパーラーの仕事を学んでいる。とにかく派手な家族だ。ちなみに、お父さんはこういう女系家族に典型的な実におとなしい人で、ときどき受付に座ってしずかに微笑んでいる。

最近友人がインドに遊びに来てくれるといっているので、とりあえずこのパーラーには一回連れて行こうと思っている。

August 25, 2008

どこにいたって同じだからこそ、どこかへ行くのだ

なぜインドにしたのか、と人に聞かれると返答に困る。あまり人を説得できるようなまともな理由がなかったからだ。前に務めていた職場をやめて、学生時代に行きたくて行けなかったインドにしばらく長期滞在してぼんやりしようと旅雑誌をめくっていたのだが、貯金がなかったので就職先を探したのである。そう言うと、「へー、思い切ったねぇ」と感心してくれる人もいるけれど、私としては逆に安全なほうの道を選んだのである。旅と暮らしでは成り立ちがずいぶん違う。

インドといえば、日本人にとってはドラマティックな印象が強い国である。高校生や大学生のときに沢木耕太郎や藤原新也のノンフィクションや遠藤周作なんかを読んで、インドはなんちゅーワイルドな国なんだ、と思っていた。ガンジス川で沐浴して自分の業を川に流してみたり、のら犬に食い殺されそうになったり、とにかく価値観を大きくひっくり返すような出来事が彼らの行く道に起こる。

しかし、作家たちはその目や肉体に、人を魅了するドラマを追い求め発見する能力が身についているのに違いない。私が発見するインドはそれに比べていまいちドラマ性を欠いている。ものを見る視点が地味なのだろう。道端でおいしいスナックを発見したとか、スイカが小さい、とか、Bataのビニールサンダルはどんなに履いても壊れないとか、どの俳優がどの有名人と仲が悪いとか、そういう細部ばかりがつい気になる。そして、世界とそれを見る人の視点とは相互に影響を及ぼしあうのであって、私のインドにはスペクタクルやアクションはなく、人と食べ物と仕事と本と映画がある。じゃあ日本にいるときと一緒じゃないか、といわれればそうなのだが、人はインド人で、食べ物はインド料理で、仕事はインド企業で、本と映画はインド製、という違いがある。その細部の違いが意外に大きい。

「どこにいったって同じなんだから、どこにも行く必要はないじゃないか」という人もいる。日本でやったって、海外でやったって、やることは同じだから外に出る必要はないと。私はこれまでに複数の人が若年者にそう進言するのを聞いたことがある。しかしむしろどこにいったって同じだからこそ、どうせなら別の場所にいろいろいってみたらいいじゃないか、となぜ言えないのか。生き方は変えられなくても、生きる場所は好きに変えられるのである。そして、新しい場所では必ず何かを学ぶことを強いられる。

海外に出て暮らしてみたいという人に対して「そんなのやめときなさい」と言う理由を思いつけるとしたらひとつしかない。自分の手元から離れてほしくない、ということだ。スーザン・ソンタグは『良心の領界』の中で若い読者に向けて、「旅をしてください。しばらくの間別の国に住むことです。」とアドバイスしている。「海外に出るために海外に出る」というのが、海外で暮らすことを選ぶのに最も適した理由であるように思える。

夕暮れの電車で

混雑した夕方の電車に乗っていた。横の座席に座っていた女の子が降りたのでひとつ席が空くと、その隣に座っていた小さいくちゃくちゃのおばあちゃんが私の服のすそを引っ張って席に座らせてくれた。となりに座っているおばあちゃんの頭は私の肩ぐらいである。とても小さかった。よく見ると、その隣にも同じ顔のおばあちゃんが座っていて、二人はほとんど同じいろの、赤と緑のサリーを着ている。どうやら姉妹のようだった。

眠かったので目を閉じたりあけたりしていたら、電車が駅で止まって若い母親と小学1年生と保育園ぐらいの子供が二人、制服を着て、電車に乗ってきた。大きいほうの子は私の隣に座り、小さいほうの子供は人のひざを潜り抜けて電車の窓のところまで行こうとしていた。すると、さっきのおばあちゃんが子供の背中をつかんで、窓までぎゅっと押し出して外を見せてやった。子供はおばあちゃんを見るわけでもなく、当たり前のように窓枠をつかんで外を眺め始めた。

しばらくすると、子供が風景に飽きて頭をふらふらし始めた。またさっきのおばあちゃんが子供をつかんで、自分ともうひとりのおばあちゃんの片膝の間に子供を持ち上げて座らせた。もうひとりのおばあちゃんも子供の座る位置をちょっと変えて、手で子供が落ちないように支えた。子供は今度もそうされるのが当たり前のように黙って座っておちついてしまった。子供の母親をチラッと見てみたけれど、彼女は大きいほうの子が椅子から落ちないように支えていて、別にもう一人の子供がよそのおばあちゃん二人の膝にすわっているのなんか当たり前だという顔をしていた。

なんだかうらやましかった。彼らに比べて、私が他者との間に常に取ろうとする距離と無関心はなんなのか。なぜ知らない子供をひざに抱き上げることを、自分は思いつきもしないのだろうか?

ああやって、自然なしぐさでこともなく子供をだっこできる大人に自分もなれるだろうか。無理かな?そうなれたらいい。

インド人のストレス

ある雑誌のデータによると、都会に住む若いインド人の女性でうつになる人が増えているという。新聞や雑誌の生活面でもストレス対策の記事が頻繁に取り上げられ、簡易うつ診断チェックリストやディストレスを避けるための十か条といった特集が紙面で組まれている。これがインドの経済成長の影の面として起こった結果といえるのか、あるいは単にオフィスワーカーが増加したことで、メディアが彼らに人気が出そうな話題としてうつやストレスに目をつけているに過ぎないのか、それは分らない。しかしどちらにしても、これらが現代インドの都市生活者の関心を引く話題であることは確かなようだ。

以前同じオフィスで働いていた若い英語講師の女性は、独身のころには朝早くから夜の10時ごろまで毎日残業をしていたと言っていた。今の職場に移ってからはそれはなくなったけれども、結婚してからは仕事のせいでお姑さんに家事を任せているのが申し訳なくて台所の周りをうろうろしたりと、最初はずいぶん気を遣って大変だったということである。過重労働に家庭でのコンフリクトにと、働く女性はなにかと抱えている。

インド人の作家、かつ福祉活動家の女性が書いた「The Old Man and His God」というエッセー集を読んだ。これがインドの女性の悩みの煮込みおでん、という感じの本だ。嫁ぎ先の夫と舅姑との仲がうまくいっていないことを人に相談できず、外では最高に幸せな妻を演じているお嫁さん。一番の親友と貧富の差がついてしまい、気後れして友達づきあいができなくなってしまった女の子。夫婦で一生懸命お金を貯めて買った家を夫が相談もなく抵当に入れてしまったのに、どうしても夫に怒りをぶつけられない妻。などなど。みんなどこかで耳にしたような話ばかりだ。どこに生まれようが、愛や家族、暮らしといった基本的な悩みからは逃れることはできない。一歩内側に入ってみれば、みんなそれぞれが自分のソープオペラを生きているのである。

インドで暮らしてみると、日本ほどには人の感情表現にホンネとタテマエがないと感じる。人々を見ていると正直で屈託がなく、怒っているときは声を上げて怒鳴る、落ち込んでいるときは黙る、相手が気に入らないときはいやみを言う、というストレートな人が多い。だからこの人たちは比較的ストレスが蓄積しにくいんではなかろうか、というぼんやりとした印象を持っていたのだが、実際にはみんながそうともいえないようだ。彼らには彼らの、外国人には簡単に理解できない社会的な抑圧によって、外に向けて発散するのが難しい種類のものごとだってあるのだろう。

August 22, 2008

インドの役所で考えた

事情があって、一時帰国の許可を取るためにムンバイの2箇所の外国人登録機関を一日駆け回った。インド国内でVisaの再申請をして現在発行待ちの状態なので、インドを出るのに出国許可証を取らなければならなかったのである。結局、別の事情がもちあがって帰国はあきらめたのだが、久しぶりにインドの役所を行ったりきたりしたせいでぐったり疲れてしまった。

インドの役所はとにかく非効率的である。時間までに書類を別の役所に届けなければならない理由があり、役人さんに何度も「急いでいるんですが…」と声をかけてみた。しかしどういうわけか手続きの途中で急に「2分待ちなさい」と言って自分のお弁当を広げて食べ始める。困ったなーと思って観察していると、ずいぶん丁寧にご飯を噛んでいる。しかも食べた後、流しで弁当箱のタッパーの隅を丁寧に洗っている。このおじさんたちは毎日外国人の問題処理をやっているから、困った顔の外国人はもう見飽きていて同情も何もないのである。

手続きに時間がかかるのには別の理由もあって、おじさんが口述する内容を秘書の女の子がコンピューターで文章に起すのだが、彼女のスペリングが怪しい。「permission、ちがう、ピー、イー、アール、エム…、エルじゃない、エムだよ」といちいち新しい単語が出るたびにやっている。あまりの気の長さにこっちは気が遠くなりそうである。カァ、とカラスの声が遠くから聞こえてきた。

以前に帰国の用事があって仮ビザを申請したときには、下の方の役人さんに物陰に呼ばれて「お茶代として100か200ルピーくれ」と賄賂を要求された。賄賂なら手続きを始める前に要求すればいいものを、もう書類が出来上がった後に言うものだからこっちはさっぱり意味がわからない。「お金ないです」と断ると、「ふーん」という感じでさっさとあきらめて書類を渡してくれた。引き際はわりとさわやかなのが、この手の人の特徴である。

最近人気急上昇のインドの俳優、イムラン・カーンがインタビューでこれからも自分の人気を保てると思うか、と聞かれて、「世の中には自分の力でどうにかできることと、できないことがある。できる努力はするけれど、それ以外のことは僕には分らない」と答えていた。役所のベンチに腰掛けて手続きを待っているときにその言葉を思い出し、イムランは若いのに気の利いたことを言うなあ、と思って目を閉じた。

黙って座ってないで、腹を立てて怒鳴って、あるいは説得して、少しでも状況を改善しようと努力すればいいじゃないか、という人もいるかもしれない。もちろんそうやって納得できないものごとと戦うことで何かを変えていこうという志のある人たちがいることもわかっている。しかし、道徳心が弱いのか単に気弱なのか、どうもそういう気持ちになれなくて、「ちょっととりあえず座ろう」という感じでぼんやり様子を観察し、観察の結果得たちいさなテーゼなり教訓なりを自己の反省材料とすることでたいていのことをやりすごしている。


だいたい、インドの役所のおじさんを変えるのなんか百回生まれ変わっても無理だから、不毛な戦いにエネルギーを使うよりは、おじさんはそっとしておいて自分のことをやっていたほうが得である。こういう生き方は非福祉的といわれれば、それはもちろん同意せざるを得ないのだが。

August 21, 2008

別のものを買って帰る

会社の先輩が飲んでいたオーガニック・インディアのハーブティーがおいしかったので、土曜日に買いに行った。店に入ってお茶のパックを発見し、店員さんにどれぐらい入ってるのか、葉っぱそのままか、ティーバックか、といろいろ質問して、さて買おうと思ったら隣のチョコレートの棚が気になった。チョコレートを吟味していたら、その向こうの美容コーナーが目に入ったのでマッサージクリームなんかを手にとって眺めてみた。店員のお姉さんが、「向こうにもいろいろあるから見てみたら」と勧めるので、「うん」とうなづいてついていって、いろいろ肌タイプのカウンセリングなんかをしてくれるので熱心に聞いていたら、スキンケアがすごく大事なように思えてきて、なんだか化粧水やらスクラブ洗顔料やらいろいろ買ってしまった。

店を出てしばらくして、「あ、お茶買わなかったなぁ…」と気付いた。

以前に兄が、よく何か買いたいものがあってお金を握って街に出たはずなのに、どういうわけかそのお金で別のものを買って帰ってきてしまうことがよくある、と言っていた。それでもなんだか満足してしまうというのである。そのときはおかしな話だと思ったけれど、考えてみると自分も似たようなことをしている。きょうだいそろって移り気なのである。

お茶を買いに行くぞ、と決めたら初心貫徹してお茶を買って帰る、それだけのことがなかなかできない。お茶を買おうと計画していても、一度街へ出てみれば、そのお金で買えるいろんな可能性がわーっと開けてしまうのである。フレキシブルというべきか意志薄弱というべきかは微妙なところだ。世の中にはこれと反対のタイプの人間がいる。たとえばちょっと前に雑誌なんかでよくピックアップされていた、「夢がかなう手帳術」なんてのはその典型である。十年後の目標を手帳に書いて、ゴール達成に必要なやるべきことを逆算して書き込んでいき、小さな計画をこつこつ実行していくことで夢を確実に実現できる、というやつだ。多分そういう生き方ができる人が世の中にはちゃんといるのだろう。私にはできない。5分後の自分が何を考えているのかさえ分らないというのに。

故池田晶子さんは、「私には将来という感覚がない」と書いていた。未来なんて観念に過ぎないんだから、未来のことを憂うことなんてできないじゃないか、という話である。たびたびこの言葉を思い出して、時間を越えた首尾一貫性を生き方にどれだけ求めるべきかと考える。暫定的な結論としては、そんなもんどうでもいいよ、というところで落ち着いている。5分前の自分にこだわるより、その瞬間の情熱やひらめきが運んでいくところにいつも自分を置いていたほうが楽しそうだ。そんな人生に達成は訪れないか?どうだろう、そうとも限らない。それに、そもそも人生において何らかの達成が必要なのかどうかもわからない。ただ、そういう生き方をしていると周りの人に「あの時ああいってたくせに」としょっちゅう文句を言われるのは必至である。

August 18, 2008

乗り物酔いを克服する方法

先日、インドの独立記念日に会社のピクニックがあってバスで大きなプールのある施設に行った。ウォータースライダーがたくさんあるなかなか充実したパークでした。久しぶりに長時間バスに乗ってみると、あらためて「ずいぶん揺れるなぁ」と思った。ところどころ道が悪いので、バスがすごい横揺れをするのである。揺れるバスに乗っていると、小さいころによく車酔いした思い出とか、車酔いした子供を開放したときの思い出とか、いろんなことが思い出された。

小さいときはよく車酔いをした。たった5キロ車に乗っただけでも気分が悪くなって、家族によく迷惑をかけていた。隣の市に行くだけにも酔い止め薬を飲んでいた。あまりいい思い出がないので、いまだに乗り物が億劫で、電車や飛行機や船でどこか遠くへ行く計画があると、なんとなく不安な気持ちになる。しかし、実際には高校生のころを境に、かなりのレベルまで乗り物酔いを克服している。 きっかけは生物の授業である。

人体の授業を受けているときに、耳の中にある半規管がバランス感覚を司っていると習った。半規管がちゃんと機能していると、体が揺られていても平衡感覚を保っていられる。生物の先生は、「車酔いしやすい人は、揺れに抵抗しようとするからいけない。揺れに体を任せるようにすれば、半規管が揺れに慣れて、しだいに平衡感覚をとりもどしてくれるんだな」と付け加えた。そうか、と思った。これは私の小人生におけるエポックメイキングな教えで、それ以来先生の教えを実践し、ひどい乗り物酔いをすることはほとんどなくなった。

「揺れに抵抗するな、揺れに体を任せろ」
あるいは、乗り物酔い以外にも言えるだろう。移動し続ける暮らしの中で、知らなかった文化に出会い、新しい考え方をする人と知り合い、これまでとは違うやり方の中に自分を投入するとき、時には平衡感覚がおかしくなることもあるだろう。いわゆる周波数が合わない、といった状態である。自分を保とうとして踏ん張りつづけることでむしろ状況が悪くなることもあるのだ。力を抜いて、いっしょに揺れてしまえばいいのだろう。

August 16, 2008

失敗したことは忘れて、成功したときにこそ考えよ

今働いている会社には、「成功から学べ」という社風がある。ビジネスが落ち込んでいるときにその問題の原因を探るのと同じように、うまくいっているときの成功要因を洗い出して、同じ要素を先のプランにも適用してみよう、という考え方がわりと浸透しているのである。例えば、お客さんがたくさん来た週明けに上司から「なんで週末にそんなに調子がよかったのか調査してみなさい」と指令が来たりする。

以前に会社の元先輩が「日本人は失敗から学び、インド人は成功から学ぶ」という格言を持っていた、という話をブログで書いた。私はこの気風がインドの他の企業にも共通するものなのかどうかは知らない。ただ、私自身は「なんで成功したのか理由を言ってみなさい」といわれると、いつもちょっと新鮮な気持ちがする。多分、うまくいったときこそ反省してみるなんてマインドセットが私の中になかったからだと思う。皆さんはいかがですか?

ふつう、何かアクションを起こすときには、動因なり誘引なりといった何らかのストレスが必要である。「なんとかしなきゃ」と思うときはたいてい何か悪いことが起こった後なのだ。物事がうまくいってないときには、何でなんだろう、どうしたらいいんだろう、と頭が自動的に解決を求めて思考しはじめる。ところがハッピーなときには、傾向として「なんでこんなにハッピーなんだろう」とぐるぐる反省したりしない。うまくいったなぁ、じゃあ次なにやろうか?と自然と思考が未来に向かいがちになる。

だから私の場合は、うまくいっている状態から何かを学ぼうとするのにはわりと努力が必要である。これまでに学んだ本当に役立っている能力は、ほとんどがかなり痛い思いをして得たものばかりである。つまりはかかるストレスの分だけ少しずつ賢くなるということだが、そういう人生はできればもう勘弁してほしいと思わないでもない。「失敗したことはどんどん忘れてトライし、とりあえずうまくいったときに考えよう」というやり方にシフトできるとしたら、どんなに人生楽しいだろうと思う。試してみよう。

August 11, 2008

“Can They Afford You?”

2ヶ月ほど前、知人の日本人がインドを離れることになり、さよならパーティーに出席した。そのときに出会った日本人のビジネスマンと話していて、給料の話題になり、自分が現地採用の社員であると告げると、相手の方は目を丸くして、「それは…勇気がありますねぇ。いや、女性はすごいなぁ」と妙な感想を言った。女性がすごいかどうかは別として、現地採用の日本人と日本の企業からの駐在員とでは生活レベルにかなりの差があるのは確かである。

先日あった台湾人のビジネスマンにも、どの企業にお勤めですか、と聞かれてインドの中企業で名前は言っても分らないと思う、と答えると、「Really?」と言ったまま5秒ほど絶句して、「Can they afford you…?」と恐る恐る聞かれた。「うーん、Kind of」と言うしかなかった。こういうことは、どのレベルで話すかによって話が変わってくる。

私の暮らしは、だいたいインドの中流階級レベルの生活である。インドではまあお金がある内に入ると思う。あんまり贅沢はできないけれど、かといって暮らしに困ることはないし、少しは貯金もできる。パスタやパンを買うときには棚の全種類をチェックして1ルピーでも安いものをかごに入れるけれど、本やDVD、服など、ほしいものがあるとときどきは値段を考えずに買う、というふうに、ごく普通の生活である。

それでも日本に帰ると、物価の高さに愕然とすることになる。前回日本に数週間滞在したとき、名古屋の駅地下のオムライスが高くて食べられなかった。日本で暮らしていたときにも高いとは思ったけれど、高いからといって本気で食べるのをやめたのははじめてだった。インドに戻ったら一番安いオムライス一皿の値段で高級ホテルのランチビュッフェに行けると思ったら、店に入る気がしなくなったのである。

要はどの場所を基盤として生活を考えるかである。何かが起きて日本に帰国しなければならなくなることを考えると、貧乏はもちろん怖い。しかしそれはどこにいても同じである。あらゆるネガティヴな可能性を考えて慎重に暮らすよりは、何も起きないことに賭けて楽しくのんきに暮らしたいと思う。

歌いながら道を行く人々

朝、仕事に行こうとアパートの門を出たら、除草剤を背中に背負った青年が歌いながら横を通り過ぎた。道で歌っている人を見るのはちょっとうれしい。そして、道端で実にたくさんの人が歌を歌いながら歩いている。電車の中で女の子のグループが合唱を始めたこともある。これは、すごくうまかったです。

昨日も雨が降ってきたのでリキシャに乗ったら、若いリキシャドライバーがエンジンをかけたとたんに大声で歌い出した。それもなかなかいい声で、エキゾチックで繊細な音程の歌だったので、ちょっと得したな、と思った。あまり真剣に歌っているから、曲がり角を通り過ぎてしまうんじゃないかと思ってちょっと肩をつつくと、「わかってる、わかってるって」という感じでうるさそうにこっちを睨み返した。

日本で道を横切った人があんな大声で歌っていたら人は驚くに決まっている。ちょっと頭が緩んでいるか、酔っ払っているか、よっぽどいいことがあったんだろうと思うだろう。ムンバイではカラオケが今結構はやっていると雑誌で読んだけれど、この人たちカラオケなんかぜんぜんいらないじゃないか、と思う。どうせいつでもどこでも歌っているじゃないか。でもまあこれにも文化差があって、若くてファンシーで育ちのよい人たちはあんまり道で歌ったりしないんだろう。

私もわりと日常的に鼻歌がすぐに出てしまうほうだけれど、あれだけ声を張り上げて歌えない。以前、早朝に散歩をしているときに、ためしに大声でスガシカオを歌って周りの反応を確かめたら、通勤途中のサラリーマンや牛乳配達の男の子にじろじろ見られたので、あれは外国人の女が早朝の道端でやっても自然なこととして受け入れてもらえないらしいことはわかった。単に下手だったのかな?いずれにせよ、もう少し修行が必要である。

極東アジア人同盟

私と陽子はよく日本、中国、韓国、台湾の人間をまとめて「極東アジア人」と総称している。面白いことに、ムンバイで暮らす極東アジア人たちは国をまたがった不思議な連帯感を持っているように見える。

日本人が集まるパーティーなどに顔を出すと、メンバーの日本人が連れてくる韓国人や台湾人の友人たちをよく見かける。同じようにインドで暮らす外国人といっても、ヨーロッパやアメリカの人たちは門外で、極東アジアメンバーだけが集まる、という現象が起こる。これはとても興味深い。言葉も食べ物も文化もぜんぜん違うのに、それでも「インドに比べたら近い(欧米に比べても近い)」という種類の親近感が発生するのである。インド在住欧米人の間でも似たような現象が起きているのかどうかは分らない。起きていないとすれば、極東アジア人特有の現象として十分研究に値すると思う。

先日もスーパーマーケットのレジで並んでいたら、後ろにいた台湾人の駐在員に声をかけられた。「なに人?」という質問から始まり、彼は「ムンバイにはあんまり台湾人はいないんだよね。韓国人や日本人も少ない。デリーにはもっと一杯いるんだけどねぇ」と語った。極東アジア人会話の典型である。「韓国、日本、台湾はひとくくり」という認識が、当たり前のようにごく自然に顔を出すのが不思議である。

多分、極東アジア人同盟メンバーたちはインド滞在の経験後、「極東アジアはみんな仲間」という認識を持ってその先も生きていくのではないか。これを世界平和に適用するなら、地球人が各国代表を選出してみんなでイスカンダルに引っ越したらいいじゃないか、ということになる。宗教や思想や見た目が違っても宇宙人に比べたら近いじゃないかという理屈でみんなで仲良く暮らせるかもしれない。

しかし、自分と近いか遠いか、似ているかいないかが、「相手を信頼できるか否か」の基準になっているとしたら、それはよくよく考えてみるとちょっと恐ろしい。もちろん、異国にいて自分と似た顔を見てほっとする気持ちは私も同じである。その感覚にどんな意味が含まれうるかを、時々は自己点検する必要があるのだろう。

インドに持ってくるもの

最近、今度会社に来る予定の台湾人のインターン生とメール交換する機会があった。人事が新しい外国人研修生(と送り出す家族)の不安を解消しようと、私のメールアドレスを渡したのである。たかが1年少し暮らしただけのくせに、物知り風に一応インド生活の先輩としてあれこれ持ち物や心構えをアドバイスしたりするのはなかなか楽しかった。

ところで、「インドに何を持っていけばいいの?」という質問はなかなか答えるのが難しい。その質問は、インドでどんな風に暮らすか、という問いと直結しているのだが、その人がどんな暮らしをするのかは実際に暮らしてみないと分らないからである。ムンバイなら生活に必要な基本的なものはなんでも手に入るが、どんなにインドに憧れてやってきても、水や食べ物が体に合わないことだってある。清潔の観念や生活習慣など、どうしても受け入れられないものがあるかもしれない。

たとえば以前に出会ったカナダ人のバックパッカーは、インド料理が食べられないので毎日サブウェイ・サンドイッチを食べていると話していた。半年もインドを旅していてサブウェイ・サンドイッチはないでしょうと思うが、食べられないものはしょうがない。もちろん料理以外にも見るべきものは山ほどあるんだから、そこは我慢してサンドイッチを探して歩くしかない。

また、日本の大企業の駐在員の方の家にお邪魔したときに、キッチンの戸棚と冷蔵庫に日本のインスタント食品、米、調味料がびっしり詰まっているのをみたことがある。こういう生活ももちろんありうる。お金と購入ルートがあれば、物質的には日本にいるのと大して変わらない生活をすることだって可能である。

私自身は人生に指針を打ち立てて、決めたスタンスを守って生きていく…、というようなタイプではないので、現地の文化習慣に慣れなくてつらい思いをした経験はない。「こういうもんだよ」と教えられれば、「あ、そう」というふうにするすると通り抜けてきてしまった。たとえば、「トイレで紙は使わないんだよ」といわれれば、「そうか、使わないのか」と思って家にはトイレットペーパーを置いていないし、バスタブに浸からない生活で足の裏が硬くなってきても、「ああ、硬くなってきたなぁ」と時々触ってみるだけである。

「これがないと困る」という物をなるべく作らないようにすることで、すこしでも不自由さから開放されようという意図も、少しはある。日本製の爪切りじゃなきゃ爪が切れない、と言っていたら、爪を切りたいときにはいつも日本製の爪切りを探し回らなければならない。そういうのがただ単に億劫なのである。

とはいえ、この1年でどうしても手放せないでいるのが醤油と出汁だ。あなたが和食党の日本人なら、この二つはインドに持ってくることをお勧めします。それから海のそばに育って毎日新鮮な魚を食べていたせいか、どうしても妄想から逃れられないのが「さしみ」。ぼんやりしていると時々、きすのさしみや中とろが濃密な思い出のある昔の恋人のように眼裏に浮かんできてとても困る。

July 28, 2008

忘れ物を取りにいく

雨季になってからの2ヶ月で、傘を3本買った。だらしない性格なので、すぐに物をなくす。昨日も実はテーラーに傘を忘れかけて、雨がぽつぽつ降ってきたおかげで気がついて歩いて戻った。あの、傘を忘れたことに気づいて戻るとき「・・・戻るか。」と決断するときの悔しさといったらない。自分にあたるしかない。いらいらしそうな自分をなだめて呼吸を整えながら、来た道を振り返る姿は果敢である。

最近、キャッシュカードの暗証番号を自分が覚えていないことに気づいた。しばらくキャッシュカードを使わなかったから、暗証番号を忘れてしまったのである。昔銀行から届いた手紙を確認してその番号を押したが、エラーになってしまった。ということは、自分は暗唱番号を変えたのだろうか。しかし変えたかどうかすら覚えていない。そもそもどうしてしばらくキャッシュカードを使ってなかったかというと、キャッシュカードをなくして、再発行するのに3ヶ月もかかったからで、その間チェックでお金を大量におろしてあったので、カードを使うあてがなかったのである。「どうして私ってこうなんだろう?」と今までの人生でもう10万回は唱えた文言を唱えて、しぶしぶ銀行に電話をかけている毎日である。どういうわけかつながらないので困っている。

高校時代にエッセーの課題があり、「私はだらしない。しかしこれは生まれつきのようで、何度直そうとしても直らないのであきらめようと思う」という内容の文を書いたら、先生の評価に「誰でも気をつければ直せるから直しなさい」と加えられていた。そうなのだろうか。いまだにそれがわからない。しかし、少なくとも、息をしずかに飲み込んで、自分のした失敗の後処理をすることにはだんだん慣れてきたように思う。別にだからどうということはないが、ポジティヴに考えればある部分は成長しているといって差し支えないと思う。

「自分を知ることが大事だ」と百万人の立派な人が言っているが、自分を知るといいことのひとつは、自分のアホさ加減に気づいてしまったら、もう簡単に人の非難なんかできなくなることである。一生懸命生きているのに、それでもこれだけ欠落がある自分の状態を思うと、人に立派さを求めるのはフェアではない。一方で、自分以外の人はせめて自分よりまともであって欲しい、と思わないでもないが、それはわがままというものだろう。


毎日非常にくだらないことのために時間と労力を費やして生きている。もっとずっと若いころは、そういう自分に我慢が出来なかったが、最近はもう仕方ないやとすこしは思うようになった。「忘れ物を取りに行く」という行為が自分の人生の時間の、あるいは6分の1を占めていたとしても、まあ黙って取りに戻るしかない。一見くだらないと思える時間と、貴重なことをしていると思える時間の区別がだんだんつかなくなってくる。まあいいか、という気がしてくる。

July 25, 2008

結婚の習慣

最近、職場の何人かが婚約したり結婚したりしている。婚約した一人は私とすごーく密に働いているウェブデザイナーの女の子で、結婚した一人は同じくウェブのマネージャーをしている人。

ウェブデザイナーの彼女は、ある週に急に休みをとってしばらくいないなーと思ったら戻ってきて、「なにやってたの?」と聞いたら、「婚約した」と言われてびっくり。本人も自分が婚約するとは知らなかったというから、さらにびっくりである。彼女によると、彼女のコミュニティでは占星術で相性の会う相手を両親がまず選んで、そのあと両者をあわせて気に入るかどうか確認するのだそうです。すごい。これはヒンドゥ教の人たちの中ではわりと行われている習慣だということです。

一方、キリスト教徒の女の子に聞いてみると、彼女はインターネットのお見合いサイトで探したかなりの人数の人とお見合いをしてみて、自分と同じ故郷出身で、同じ宗教で、いますぐ結婚したい人をがんばって見つけたと言っていた。なかなか大変だ。宗教や食べ物といった条件が人によってかなりちがうので、ランダムに恋愛をして結婚相手を見つけるのはなかなか難しいのである。悲恋の話もよく聞く。宗教に関係なく結婚している人たちも、もちろん存在する。

お見合い結婚している人たちは、ホントのところはどうなのか知らないにしても、みんな幸せそうにしている。婚約した彼女もすごく嬉しそうである。結婚に対する認識は、場所や宗教、家族や個人によって本当にそれぞれだ。もちろん恋愛結婚の割合も増えているそうだが、増えているといっても少数派である。

基本的に統一されたルールがないので、この人はこのルールで生きているけど、あっちの人はちがったルールで生きている、という状態が、オフィス内で繰り広げられている。自分が掲げているルールや習慣もそのひとつに過ぎない、と思う。

July 19, 2008

No Sorry, No Thank You

日曜日に一人で映画を観にいった。「Jaane Tu Ya Jaane Na」 というヒンディ映画で、若い大学生6人グループの友情と恋愛といった内容だ。インドの有名俳優アミール・カーン(Amir Khan)が監督した映画で、おしゃれ、さわやか、ハッピー、だけどちょっと複雑な心理描写もあり、という素敵な映画。主人公のジェイ役、イムラン・カーン(Imran Khan)ハリーポッター役をやっている男の子にそっくりでなかなかかわいかったです。

ところで、私はヒンディ語がさっぱりわからない。映画の中で唯一わかったのは「クッチュ・ナヒン・ヘ(なんでもない)」だけだった。最近はもう慣れてしまったので、言葉がわからなくても映画が楽しめるようになった。想像力で観るのです。文脈と表情と語調で大体何が起こっているのかを想像しながら観る。時々英語でしゃべってくれるから大体それで何を話しているのかわかることもあります。

ただし、ストーリーの大筋はわかっても、やっぱり細部はわからないので悔しい。それで休憩時間に隣に座っていた女の子に「ちょっとちょっと」と頼んでわからなかったところを教えてもらうことにした。主人公のお母さんが児童福祉の仕事についている、とか、誰が仲良しグループに後から入ったとか、細かい設定を親切に教えてくれた。これは非常によい体験でした。

インドで外国人として暮らしていたら、困ったら人にとりあえず聞こう、できなかったら頼もう、という生き方がけっこう習慣化してきた。よくインドのガイドブックには、「インド人に道を聞くと、だいたい間違った情報を教えられる」と書かれているけれど、これは自分が少しでも知っていることをとりあえず教えてあげよう、という親切心の結果なのだ、と陽子は言う。私もその説を信じている。「知らない」と言う代わりに「多分、あっちのほうだったと思うから、ちょっと行ってみなよ」と言うわけだ。町の誰をつかまえても、だいたいは親切に助けてくれる。困った表情をしているだけでも向こうから声をかけてきて「手伝おうか?」と聞かれることもある。

ヒンディ語では「ありがとう」と「ごめん」があまり使われないが、それは人に頼んだり手伝ったりといったことが当たり前のこととして行われている社会だからだ、というのもインドで暮らし始めたころに陽子に教わったことだが、実際、これも正しかった。それをRudeと考えるのはちょっとちがう。人によって違うけれど、私の場合はそれに慣れることで、ずいぶん楽に暮らしている。ちょっと人生観が変わったといってもいいくらいだ。「ありがとう」といちいちいうことで、そこにあったはずの共感や協力精神みたいなものを切り捨てて、気づかずに人との距離をとってしまうことだってあるのだ。

もうちょっと厳密に説明すると、お礼を言うことで、人はそこで起こっていた出来事を「自分のために起こったこと」にしてしまうのである。感謝されるのは嬉しいことだが、お礼を言われた瞬間に、言われたほうは「ああ、自分はその内側にいたわけじゃなかったのか」と気づかされる。協力して仕事をしていたはずの人に、「手伝ってくれてありがとう」と最後に言われて拍子抜けするのと同じ感覚である。

日本はカタ(形式)を美とみなす文化を持っている。私自身は田舎の、とくに生活におけるカタを重視する土地に育っているため、あいさつや礼儀を見せる、という習慣を、みっちりと暮らしの中で教えられてきた。前にも書いたかもしれないが、私は教わったことに過剰適応するたちなので、「他人に迷惑をかけること」を最も気にかけて生きてきたような気さえする。しかしインドでの暮らしの中には、日本であんなにはっきり見えていた「他人」と「身内」との境界線が見えない。「他人に迷惑をかける」ということはどういうことなのか、ここではもうよくわからないぐらいである。あの境界線を見つめてひたひたと孤独を感じて暮らしている人は、日本を出ることをおすすめします。

そんなわけで、出かけるときにはろくに地図も持たず、たった1時間の行程に5人も6人も道行く人に声をかけて、知らない人と肩を並べて道を歩いている。問題は、こっちはほとんど誰も助けられないということである。

シャー・ルク・カーンの去年の大ヒット映画、「オーム・シャンティ・オーム」の中のセリフに、「友達どうしの間には、ノー・ソーリー、ノー・サンキュー」という素敵なセリフがある。そうだよな、と私も思う。

July 15, 2008

カーマ・スートラ 愛の物語

「Whatever happens, life can never be wrong」

というのは、最近見たインド映画、「Kama Sutra, The story of love」 の最後のせりふである。なかなか素敵な言葉で感心したので、よい格言リストの一番に加えました。そうかー、Life can never be wrongかぁ、そうだ、その通り、と酒の席のおじさんのようにひざを叩きたい。主人公がかなり不幸な身の上の女の子だっただけあって、なかなか説得力がある。

主人公のマヤは召使の身分に生まれて、親友が王様の后になる結婚式の晩に、身分を妬んでいた親友への嫌がらせに王様と一夜を共にする。親友が嫁に行く日に、「あなたは私にいつも古い服をくれたけれど、これからはあなたが一生私のお古を着るのね」というせりふを吐いて、親友を泣かせます。いうなあ。

王様との関係が両親に知れて、マヤは家を追い出されて放浪の身となり、カジュラホでカーマ・スートラを嫁入り前の女の子たちに指導する美人の先生に出会い、恋人もできる。ところがマヤにぞっこんの王様がとうとう彼女の居場所を付きとめ、側室に迎えます。この映画にはすごい処刑シーンが登場して、なんと石の上に乗せた罪人を象に踏み潰させるのです。すごく痛そう。そんなふうに死にたくない。

このマヤ役の女の人はいわゆる美人というのではなく、ちょっとやつれた感じだけれど雰囲気のあるタイプの女優で、ジュリエット・ビノシュをインド人にしたような人。ああ、美人というのと色っぽいというのはちがうんだなー、と思わせる感じの人です。

カーマ・スートラといえばインドの愛の奥義書とかいうので有名なものですが、映画は古いインドを舞台にしたラブストーリーです。インド映画にしてはときどき色っぽいシーンが結構あるけれど、その程度です。問題は、映画を最後まで見ても、カーマスートラっていったい何なのか結局よくわからないということかな。いったい、なんなんだろう?

遅れすぎる電車と、遅れなすぎる電車

駅で切符を買う列に並んでいたときのことだった。長い列だったので、退屈した学生風の青年がうしろから私に話しかけてきて、どこの国から着たのか、と聞く。「当ててみたら」といつものように返すと、彼は中国人かフィリピン人だ、と言った。フィリピン人と間違われたのは初めてである。

青年は続けて、「ぼくはインドなんかより日本に住みたい。インドをどう思うか?」と尋ねた。これもよくある質問である。こういう質問には、郷土愛と母国を憂う(というか批判的な)気持ちがないまぜになっているのがわかる。私はインドに暮らしているほうが日本にいるよりけっこう快適なのだが、ややこしいことを言って「Why」と質問されると返答に困るので、こういうとき単純に「Good!」と親指を上げて答えて話を切り上げようとする。

しかしこのときはいつもと違い、横から別のおっちゃんが口を挟んできて、Goodじゃねえよ、と議論を始めた。「どの国と比べても、インドはひどい。外人はGoodとか言うけど、そんなこと簡単に言うのはよくない」と真剣である。確かに、おじさんのいうことも一理ある。そりゃGoodじゃねえよな、と思って静かに会話から離れた。おじさんは結構貧乏そうだったので、いろいろ苦労があるのだろう。かといって、日本人の幸福度の平均値(そんなものがもし取れたら)をインド人の幸福度と比較しても、決してインド人より高くならないのではないか、と思う。

ひとつましなのは、おじさんは少なくともインドの何が問題なのかをはっきりわかっている、ということである。問題がわかっていれば、それが解決できなくても、少なくとも文句を言うことが出来る。日本では、いったい何が悪くてろくでもない事が起こるのかを突き止めるのが難しいと感じる。例えば、最近陽子がGoaに行くとき、電車が6時間も遅れて駅で待っていた、という話を聞いたけれど、これだったら「怠けないでちゃんと時間通りに走らなきゃ駄目じゃないか」というだけのことである。しかし、日本の電車は死んでも時間を守り、守らなければならないプレッシャーの中でスピードを上げた電車がカーブを曲がりきれずビルに飛び込んだ。何に文句を言っていいのかわからない。ただ、日本の事件や問題を見聞きするとき、いつも「わからない」という不気味な感じがある。


いずれにせよ、インドと日本では社会的な問題の種類が違いすぎて、人に説明しようとしてもできない無力感に陥る。外国人の愛嬌でにっこりわらってかわしつつ、頭は混乱していくばかりである。

想像せよ、しからば叶えられん

ずっと若いころ、「深夜特急」の中で、沢木耕太郎が金子光春が「人間、27歳までに外に出なければならない」といっているのを聞いて旅に出た、という話を読んだ。それで、自分も27歳になったらでかい転機が訪れて思いがけない場所にいるのだろう、とくに根拠もなく信じていた。故郷の田舎町を離れてインドに上京(?)してきたのが28歳になる10日前だったから、気づいてみればその予想は当たっていたわけだ。あるいは、無理やり自分の信念に人生を合わせた、とも言えるかもしれない。

「想像せよ、しからば叶えられん」
というのは、今の会社の前のインド人の上司の格言である。プロジェクトを進めるときに、例えばこのプロジェクトを成功させればお客さんがこんなに来て、電話がじゃんじゃん鳴って、という具体的なピクチャーを頭に描いて仕事をすればそれが現実になるが、そのイメージを持たないで仕事をしていても成功しないというのである。

最初に聞いたときにはあまりにもポジティヴで思わず笑ってしまったけれど、実際、これは人生におけるひとつの真理である。自分が27歳「以内に」インドに来たというエピソードもこの一事例なのだ。頭の中でどんなことをイメージするかが現実の行き先を決めるのである。悪いことが起こると想像していたら、悪いことが本当に起こってしまう、あるいは、直接的間接的に、起こしてしまう。村上春樹は「海辺のカフカ」の中で、「夢の中で責任は始まる」と書いているが、たぶん本当にそうなんだろうと思う。

たとえば、よくある適用例を上げると、なんだか知らないけど何度も似たような恋愛をしてしまうとか、いつも似たような理由で分かれてしまうという人なんかは、案外付き合い始めた時点で同じような結末を頭に描いてしまっているのではないか。「彼が浮気して、最後自分が見捨てられる」というイメージを自然ともっているは、そのイメージが現実の関係に響いているんじゃなかろうか。

とりあえず、まだ起こっていない悪いことを想像して憂鬱になって部屋にこもってしまうタイプの人は、想像力のベクトルを変えてみたほうがいいかもしれない。と、人に言うようにして自分に言い聞かせている毎日である。

July 8, 2008

泣け、シャー・ルク・カーンとともに

シャー・ルク・カーン(Shah Lukh Khan)がわりと好きである。シャー・ルクといわれてもわからない人に説明すると、彼はインドで超有名なボリウッド俳優です。

顔は香港俳優ジャッキー・チェンにやや似ていて、てかてかむきむきボディ、織田裕二を舞台俳優にしたような演技が彼の特長である。貧乏だけど心根が優しくピュア、家族や恋人の危機にはぶるぶる震えながら涙し、それとはいたって無関係に半裸セクシーシーンを繰り広げる、というのが私が見たいくつかの映画において大体共通する彼の役どころであった。実際、シャー・ルクは他の俳優に比べてさほどハンサムではない。しかし、いってみればチャーミングで、見ているとだんだんその愛嬌が心に染み入ってきて、「ああ、シャー・ルク・カーン、結構かわいいかもな」という感じになってくる。

最近見たシャー・ルクのよかった映画は「Devdas」という悲恋物語で、私はボリウッド映画で初めて泣いてしまった。やや、くやしいような、そんな気分。どんな映画でもよく泣くほうだけれど、ボリウッド映画はダンスシーン満載のせいか、あるいはあまりにもコンテクストと無関係なシーンに気を取られるためか、あんまり情緒的になる瞬間がない。でもこれはよかったです。ストーリーも音楽も美術もよくて、懐古的な気分になる映画でした。


ヒロインはこれもまたボリウッド一の(?)人気美人女優、アイシュワイヤ・ライ。初恋の女性パロとの恋に破れたデヴ(シャー・ルク)が、酒で身を持ち崩し、死にかけていく様は見るに耐えないほどかわいそう。シャー・ルクに片思いし、必死に救おうとするが、愛情を拒み続けられる踊り子のチャンドラムキもすごくかわいそう。よよよよよよ。ラストシーンははらはらどきどき、かつ、「そこで終わりますか!」と叫びたくなる素晴らしいラストショット。ちなみに、このチャンドラムキ役の女優は妖艶だけどピュアというかんじの演技がうまくて、この人もまたすごくよかったです。

いつもはシャー・ルクが泣くと、「あ、また泣いちゃったよこの人」という感じで、横目で眺めていたけれど、この映画に関しては、「わかったよ、シャー・ルク。今回は私も泣くわ」とパソコン画面につぶやきながら観た私。最初は異文化的に面白がっていたボリウッド映画が、だんだん自分のスタンダードになっていく。いいんだか、わるいんだか、しらないけど。

June 28, 2008

のんきなインドの文化

先日、会社で半期に一度のパフォーマンス評価があった。上司が部下と面接して、一緒に働いている数人のスタッフからのフィードバックと自己評価のデータをもとに、仕事のパフォーマンスを評価して、今後の改善点などを話し合うイベントである。いちおう、この評価が昇進や昇給・ボーナスの額にも反映されたりする。

私は前の上司にも、今の上司にも、「困ったときに、もっとすぐ人に相談しなさい」と同じことを指摘された。そうでないと大丈夫だと思ってほうっておくし、ストレスを溜め込んでいても気づけない、だから心配される前に自分からアプローチしてきなさい、という。同じことを違う人から二度続けて言われたら、これは明らかに私の性格上のパーマネントな問題である。私は相談が下手で、行き詰ると自分の殻に閉じこもる傾向があるのだ。鋭い指摘である。

一方で、これにはインドの文化的背景も関係している。Mark Tullyというノンフィクション作家が著書 “India’s Unending Journey” の中で指摘していることだが、「インド文化は話し合いの文化」なのである。チャイ屋や電車や街角で人々を観察していると、人々はどこでも誰とでもなんだかんだと議論しあっているのを目にする。とりあえず人に話す。困ったら尋ねる。文句があったら言う。それでその場に居合わせた数人でわいわいと議論して解決するのである。だからインド人から見ると、他人に自分の問題を持ち込んだら迷惑をかけるんじゃないかとか、そういう余計な気遣いが見ていて歯がゆいのかもしれない。「もっと人に助けを求めなきゃだめじゃないか」とクチをすっぱくしていわれる。Mark Tullyはこの「話し合いの文化」こそが、多宗教、多民族、多文化が混在し妥協しあいながらインドがひとつの国として成立していることの秘訣であると書いている。いわれてみればそんな気がしてくる。

ところで、その話の続きで上司がなかなか興味深いアドバイスをしてくれた。インドと日本では文化がかなりちがう。インドでは、事が起こってから考え始める。君もそれをうまく利用したらいい、というのである。
「君は日本で、何かが起こる前に前もって計画を立てて事に備えて行動する、というのが当たり前の文化で育っているけれども、インドはそういう文化じゃない。インドでは、人は何かが起こってから考え始める。だから、予定に入ってないから来週会った時まで待って相談しよう、と思わないで、いつでも思いついたときにすぐ問題を持ち込んでくるようにしなさい。」と彼は言った。これを聞いて、うーん、なるほど、と思わず唸ってしまった。かなり含蓄ある話である。こういう比較文化的な観点から物事を見直してみると、いろんなことが腑に落ちてくる。単にずぼらだと思っていた人々の性格も、見ようによっては合理的なものに思えてくる。

考えてみれば、1年かけて完璧な計画を立ててから実行に移すのと、1日も考えずに実行に移して、問題にぶつかったら軌道修正して、1年かけてまともなものにに改善していくのとで、一年後の成果にどう差がつくのだろうか。場合によっては、最初はかなりの不備があって人から苦情なんかが出たとしても、うまくやれば後者のほうが世の中の動きにあったいいものができるかもしれない。どちらがどうとは簡単にはいえない。

インドに住んでいると、日本人や韓国人、台湾人のビジネスマンに会って話を聞く機会が何度となくあるのだが、彼らはインド人のビジネス能力を低く評価している。「インド人は怠け者だ」とはっきり言う人もいる。このような日本の優秀なビジネスマンは、自分たちのビジネスのやり方が “正解” でありインドはまだそのレベルに至っていない、と信じているように見受けられる。しかし、こういった評価はフェアではない。そういうことじゃないのである。やり方が違うだけなのである。ただこの「そういうことじゃないんだけどな」というセンスをわかってもらうのは至難の業だ。伝わる人はそんなこと最初から知っているし、伝わらない人には、ただ単にわからない。

いずれにしても、日本とインドの間で仕事をしている人たちは、この2国の文化と国民性の大きな隔たりをひしひしと感じているから、「いちげん」持っている人がけっこういるものである。そういえば、職場の先輩の日本人は「日本人は失敗から学ぶが、インド人は成功から学ぶ。」という格言を持っていた。のんきだ。どっちがより効果的か?それは長期的に見ればわかりません。しかし、どっちがよりハッピーかといえば、これはもう比較のしようがない。

June 24, 2008

クロフォードマーケット

月曜日に、休みを取って一人でサウス・ムンバイに出かけた。暇だし月曜日なので、ここはこれ、ということで、クロフォードマーケットに1年越しでとうとう行ってきました。「ムンバイの台所」と(地球の歩き方に)言われている、巨大な食料品、雑貨マーケットです。なんで1年後しかというと、ここは日曜日に休業しているからです。

クロフォードマーケットでてくてく歩いて、輸入雑貨屋で牡蠣の燻製を買った。同居人の陽子がちょっと前に牡蠣食べたいとつぶやいていたので、お土産にしようと思った。それからマカロニチーズを買った。以前友人のニックが母国アメリカから郵送したマカロニチーズの箱が、インドのひどい郵便事情のおかげでぼろぼろになり、マカロニが完全に粉砕された状態で届いたという事情を思い出して、これもお土産のつもりで。自分のために照り焼きチキンのタレを買った。中国語パッケージの醤油も売っていたけど、重いし持って帰るのがいやだからあきらめた。ちなみにインドの普通の街角で、日本の醤油とか味噌はまったく売っていません。クロフォードマーケットにも味噌はなかったな。

そんなわけで買い物袋を振り回しながら、食料品マーケットを抜けて動物マーケットに向かいました。動物マーケットは、食用の動物と観賞用、ペット用の動物がごたまぜに売っているので、ある意味では人間存在の不思議について考えさせられるといえなくもないです。七面鳥とか鶏とかうこっけいみたいな鳥なんかは食用とわかるんだけど、ときどき小さくてかわいいふわふわの鳥の雛がかごに入っていると、「ううむ、このかわいい子は食用か、観賞用か?」と悩む。その横にうじゃうじゃいるハツカネズミは。そのまた横につくなったウサギの子たちは。

ううむ。ネズミとウサギは境界線で、ペットにする人もいれば食べる人もいる、というあたりだろうと見当をつける。お兄さんがケージから出してウサギと子犬は抱っこさせてくれました。犬は一匹2,000ルピー。値段からしてこれは食用ではない。猫は明らかに観賞用の毛のふさふさした洋猫ばかり。

(食用) 七面鳥、鶏、うこっけい(?)----ねずみ---うさぎ---モルモット----犬、猫 (ペット)

というあたりか。
帰りに乗ったタクシーに買った牡蠣とマカロニチーズと照り焼きチキンのタレを忘れたので、これらの戦利品は闇のかなたに葬られました。

June 22, 2008

買い物大好き

先週の日曜日、お風呂に置くプラスティックの小さい椅子を買った。そのついでに石鹸やシャンプーを入れる三角コーナー用の小さい棚と、化粧品を入れるケースを買った。うちの近くのサンパダ駅付近にある商店街の、行きつけの小さな雑貨屋である。その前の週は、40ワットと60ワットと75ワットの電球をアプナ・バザールというスーパーマーケットで買った。そういえば昨日は紙をくくっていたゴムが仕事中に切れてしまったので、別の雑貨屋に行って髪留めを買った。

買い物が好きだ。こまごましたものを買うために、街を歩き回るのが好きだ。だいたい、はっきりとした目的意識を持って買い物に行く。たとえば電球とか。そうすると買ったときに「ああ、ちゃんと買えたなぁ」という達成感が味わえていい。でもその興奮からいつもちょっと余計なものも買ってしまう。電球は一個でいいのに、いろんなワットの電球をいくつか買ってみよう、と色気を出してしまう。

「目的を持って買い物をする」習慣は、インドに来てからついたものだと思う。インドの街角で買い物をしていると、ぶらぶらなんとなくウインドーショッピングをするのは割と難しい。小さい商店だと、自分で棚から商品を取ってきてレジに持っていってお金を払うシステムになっていないからだ。文房具屋なんかはたいてい商品がカウンターの奥に隠れているので、店員さんに「ボールペンの黒」とか「ノートの、リングがついてて、でも分厚くないの」とか注文をだして、めぼしいものをいくつか出してもらって選ぶ。とにかくどこの店にも店員がいっぱいいる。人件費を減らす必要がないのだ。

買い物の用事がないと、少し悲しい。それで古本屋に行く。自由に商品を手にとっていつまでも選んでいられる本屋なんかは、久しぶりに行くととても楽しい。小さい買い物の用事が、いつも常にある生活が理想だ。

How to tell the difference between a living dog and a dead dog(生きている犬と死んでいる犬の違いの見分け方)

There are many dogs on the way to the office in Mumbai. I see more than 7 wild dogs in 5 minutes when I am walking. Most dogs are alive and walking around or deadly sleeping. But some dogs are sometimes really dead. Am I able to tell which dog is just deadly sleeping, and which dog is truly dead? Actually I can. I have found the difference between a living dog and a dead dog.

The most remarkable point is that dead dogs’ four legs are stretched out straight. There is air space between the left legs and right legs, and upper legs don’t touch the earth. This is because dead dogs get “rigor mortis” which means your body stiffens after your death. Dead dogs sometimes open their jaws because of the same reason. The appearance of dead dogs is stuffed specimens laid on the street. On the other hand, deadly sleeping dogs’ legs touch and tangle each other, and you can feel the flexible muscle. Also, sleeping dogs’ jaws aren’t open.

When I see these dead dogs, I hope not to be stiff like them. I want to keep being soft and flexible. Dead stiff bodies are easy to be broken, and flies and crows come to eat bodies aiming the gaps between the broken cells. This can be applicable for mind too. Dead mind could be easily possessed by bad spirits. I think my mind is sometimes almost sleeping but is not dead. I am safe.

Do I know how to tell the difference between a living mind and a dead mind?
Not yet, unfortunately.

June 20, 2008

胃潰瘍は伝染する

仕事でへとへとに疲れていると、どういう加減か、ついつい職場の仲間にも自分と同じようなプレッシャーをかけてしまう。これは悪循環というもので、よくないのでやめよう、と思うのだがなかなか思うようにいかない。ちゃんと仕事が進んでいるか信用ならずに何度も確認したり、余裕がないのでつい語調が荒くなったり、口うるさくなったり。こっちはこっちで大変だけれど、されるほうにとっては楽しくないだろう。疲労で胃が痛いのはたぶん私一人ではないと思う。胃潰瘍は人為的な伝染性の病である。

ところで、私がこれまでに学んだ一番手痛い教訓のひとつはこれだ。
「人はものすごく傷つきやすい。そして傷ついた人間は自分を守るためにはどんなことでもやる」
傷つけられた人間にとっては、周りには悪に見えることも自分の存在を守るためにやらざるを得ない、正当防衛である。だから罪悪感もない。むしろ、自分は正しいことをしていると信じていることもある。こういう人の内側にある理屈は本人になってみないとわからないものだ。

逆に言えば、守られて信用されていて、恐れのないときには、人は自分を守る必要がないので、のびのび自分の力を発揮できるということになる。この理屈に従えば、人をとことん信じて受け入れて、理解するように努め、決して否定しない、という地道な努力が人を育てて、その人のパフォーマンスを最大限に引き出すということになる。そうするとその人も自分を信用してくれるようになるから、こっちものびのび怖がらずに表現できるようになって、パフォーマンスも上がる、という相互の好循環が起こる、はずである。

問題は関係性である。自分の位置からいい循環が起こるような流れを作る努力をするのが大事なのだな、と思う。しかし、相手をとことん信頼するための持久力を保つのにはとても努力がいる。自分の方にも、それなりに心の中に飼っている恐怖があるものだからである。とりあえず、自分の胃痛を治しながら、これを蔓延させない策をねっているところである。

June 7, 2008

海外で暮らすということ

外国人として海外で暮らすことで、人は2つの自由を手に入れる。ひとつは自分の国の伝統からの自由であり、もうひとつは住んでいる国の伝統からの自由である。

久しぶりに日本に帰国して、短期間ではあったけれど、日本人として最低限の礼儀や態度をとろうとわりに一生懸命がんばったおかげか、そこから開放された今の生活はずいぶん楽だ。日本にいるときは、コンビニでレジ係に「ありがとうございました」と言われると、単なる形式とはわかっていてもやや恐縮したりした。私はプレッシャーを感じやすいたちなので、これが他の方にどれだけ当てはまるのかはちょっとわからない。インドにいるときは「日本人」をしなくてよい、という感覚は、少しだけなら想像していただけるのではなかろうか。

そして一方で、インドで生まれ育った人たちとは違い、外国人として、インド人の家族を持つでもなく暮らしている私には、「インド人」として振舞わなければならないという縛りはない。インドの人たちはそれぞれに家族や宗教や地域の様々な伝統の中で生きている。彼らは日本にいるときの私と同じように、その土地の伝統から自由ではない。私のような外国人はそれを興味を持って外から眺めているだけである。現地の人と結婚でもすれば、その伝統に頭から飛び込むことになるのだろう。

どれだけインドで人と親しくなろうと、土地と習慣に慣れて暮らそうと、「外側にいる人」としての立場が変わることはない。それが今は楽しく、自由で、新鮮である。そのうちいつか、それを少しはさびしいと思うだろうか。

モンスーン到来

予報ぴったりに、火曜日に最初の雨が降った。
会社で残業をしていると、ルームメイトから電話に「雨だ!早く帰っておいで」とメッセージが届いていたので、ひとりで暗いオフィスの窓にへばりついて外を見たら、外はちょっとした嵐になっていた。いそいでオフィスを出てアパートに戻ると、雨に興奮して酔っ払った2人の友人がへろへろに笑いながら階段を下りてくるところに出くわした。大人も子供もなんだかわくわくして浮かれてしまう、それがインドのモンスーン。

道では傘のない人がびしょぬれになって人が歩いている。シーク教の人たちがターバンの上にシャワーキャップのようなビニールのカバーをかけて歩いている。町の男たちは黒い合羽やレインジャケットを着て仕事をしている。街角ではどこでも折り畳み傘を売っている。去年買った傘を全部壊してしまった私は、今年また新しく黄緑色の傘を買った。

モンスーンは涼しい。
じわじわと部屋を侵略し始めたカビにおそれおののきながら、それでも夜はなかなか快適になった。実際のところ、ムンバイで本気で暑い時期というのはあまり長くない。モンスーンの前の4月から5月にかけてと、モンスーンをすぎてからの10月、11月あたりを除けば、かんかん照りで死にそうに暑い、という日はそう多くないのだ。
あと1ヶ月もすれば、真っ青な空が懐かしくなるだろうな、と去年を思い出しながら雨を眺めている。

極楽は去り難し。

ムンバイから日本へのトランジットでシンガポール空港に立ち寄った。動く歩道に乗っていると左の壁にこんなシンガポール空港のキャッチコピーが何枚も掲げられていた。

If you find a heaven, it’s always hard to leave.

極楽は去り難し。確かに。しかし去ることを強いられるのが世の理です。切ない。もちろんこれはシンガポール空港がいかに快適であるかを訴えたコピーですが、よくよく考えてみると空港は天国に似ていると言えなくもない。

音のしないフロア、ぴかぴかのショップ、そして数え切れない数のレストラン、バー、カフェ。あのふわふわと所在のなく、目的的行動と目的的行動のはざまで一時その目的自体を忘れるような心持が、まだ行ったことのない極楽の様子に似ているような気がします。しかしもちろん本当の極楽とはちがって、お金がなければどの店にも入れない。

ひとりで空港のバーでビールを飲みながら、フロアをうろうろする人たちをぼんやり眺めていると、自分がこれから再びインドに戻って暮らそうと望んでいる、その意思をふと遠くから見つめているような不思議な感じがする。うーん、なぜ戻りたいのだろう?と思いをめぐらすが、よくわからないのでまたビールを飲む。

ゲートまで移動して、いよいよ搭乗の手続きをして、「さて」、と飛行機に乗り込むと、ようやく生きた心地がしてくる。意思を持つことと生きることとはかなり密着した関係にあるのだな、と思った。その意思や目的そのものに、自分や人を説得できるような何かがあっても、なくても。

May 31, 2008

アリババ店主の理屈

石ころは思いがけない方向にころころ転がるもので、インドで二度目のモンスーンを迎えようとしている。5月の最後の週になってから、少しずつ青空を覆う雲の面積が増えてきた。予報では来週中に最初の雨が降るという。

5月中に久しぶりに日本に一時帰国して、家族や友達など都合がつく人たちにできるだけたくさん会ってきた。私の出不精に似合わず、榊原温泉や伊勢神宮に行ったり、熊野古道を歩いたりしました。和食がなにを食べてもおいしかった。日本に着く前は、さしみ、すし、うなぎ、なっとう、たけのこごはん、ラーメン、お好み焼き、うどん、そば、カレーライス、牛肉、豚肉…と念仏のように唱えて、想像上の和食を拝んで暮らしていたが、それらもしっかり成仏してくれるほど、みんなが協力していろんなものを食べさせてくれた。

インドに3週間ぶりに帰ってきて何を食べたい?と聞かれて、考えた挙句、行き着けのレストランのフレンチフライと卵ヌードル、という取り合わせになった。ほんとは一番大好きなタリー屋「アリババ」のタリーが食べたいんだけれど、どういうわけかずっと屋根の工事をしていてタリーが出せないという。

よくよく話を聞いてみると、「タリーは人気メニューだから、タリーを出すとお客さんがたくさん来てしまう。しかし屋根がないからたくさんの人を収容できない。だからタリーを出さないで人気のないメニューだけしばらく出す」という。理屈は通るけれど、それにしても奇妙な理屈である。アリババ店主はメニューを差し出しながらさりげなく高いもの勧めるやり手の商売人のはずなのだが、やる気があるのかなぁ、と少し疑う。こういう、商売人が心底がっついていないところも、このあたりで暮らすことの気持ちよい点ではあります。