October 22, 2009

ブログを引っ越しました

本日よりブログを引越ししました。新しいURLはhttp://aikanoh.wordpress.com/です。

これまでこのブログと英語版のブログを別々で管理していたんですが、まとめるついでに新しいブログサービスに乗り換えました。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。英語版と日本語版のポストは、できれば交互に(多分日本語ポストの割合が圧倒的に高くなるとは思いますが)アップする予定です。英語が嫌いな人は読み飛ばして、日本語のほうだけときどき追っていただければ大変うれしいです。

お手数をおかけしますが、もしリンクを張っていただいている方がいらっしゃいましたら、URLの変更をぜひよろしくお願いします。では新ブログに飛んでください。向こうでお待ちしています。

http://aikanoh.wordpress.com/

October 12, 2009

3年目のディワリ

<お知らせ>
ブログを引越ししました。新しいURLはhttp://aikanoh.wordpress.com/です。英語ブログと日本語ブログを合体させたブログです。これからのポストは新ブログ上でアップデートしますので、よかったら訪問してください。よろしくおねがいします。
<お知らせ終わり>


ムンバイの町で迎える、3度目のディワリである。9月の終わりにナブラトリの祭りが始まり、それと同時に北インドの行商人が集まるクラフトフェアがやってきて、去年と同じ顔ぶれの商人が手織りの布や家具を売り、お祭りの終わりとともに去っていった。ナブラトリが終わるとすぐに街中がディワリ一色になる。ディワリは光の祭である。電飾が街中に施されて、歩道に灯篭やランタン、ろうそくや、ランゴリのための色鮮やかな粉を売る店がたくさん現れはじめる。

ディワリには、他のヒンドゥ教の祭とは違う落ち着きと親密さがある。ホーリーのような狂乱でもなければ、ガネーシャ祭のような遊び心でもない。ガネーシャ祭がお盆なら、ディワリは正月である。新年の夜の神社の灯篭の光や焚き火を思い出して、2年も日本の正月を見ていない私はいつもこの時期になると懐かしさに駆られる。

去年のディワリには、親しい人たちが立て続けに街を離れたこともあって、残った自分がいつ同じようにここを去るのかと思うと、祭の準備に忙しい街の様子がまるで未来に見る思い出の光景のように思えた。それから1年たち、今年はまた違った種類の感慨で街の風景を見つめている。自分が見つけた、自分の街にいる、という思いがしている。なんだか「魔女の宅急便」みたいだ。

なじみの店ができ、付き合いができ、路地裏の小さな露店まで町の地図が頭に書き込まれ、以前はいちいち動揺して人に助けを求めていたトラブルや問題が、当たり前の日常になりつつある。どこに甘えていいのか、何に警戒するべきなのか、力の入れ加減が体に刻み込まれていって、少しずつ楽になった。もう詳しくは覚えていないが、何度も何度も失敗したり、小さな詐欺や危ない目にあったり、そういう経験を単純に層にして、この街の記憶の塊のようなものの実がぎっしり詰まってきた感じがする。

どこにいようと人は変わらないし、変わらない限りどこにいて何をやっても同じだと言う人もいる。しかし、人は土地によってある程度変わることができると私は思う。その人の心が柔軟でさえあれば。新しい土地には、人を謙虚にし、目を開かせる力がある。わからないという気持ちが、注意を集中して、自分の思考の枠組みの外にあるものをそのままの姿でとらえようとする態度を作り出す。そうして外にあるものを素直に自分に組み込んでいくことで、ちゃんと人格にも変化が起こり、成長する。

街の記憶が密になることによって、自分の実もまたがっしりしていくような気がするのかもしれない。そのうちまた空っぽになりたくて自分はどこかに行くのだろうか。振り捨てなければならない辛い記憶もまた同じだけ増えて、密度を増していくのだろうか。それもまたいい。いつか新しい土地を求める時のために、あるいはいつか逃げ出してどこかに行かなければならない時のために、とにかくずっと、心だけは死ぬまでやわらかいままでいたいものだ。そうしたら、どこでも何とかなる。

メンディ地獄

ディワリの準備でうきうきした街を歩いていたら、メンディの露店に出会った。メンディというのは、インドの女の人のおしゃれのひとつで、ヘナという染料で腕や足に模様を描くのである。ヘナは茶色い泥のような染料で、髪染めにも用いられる。肌にヘナの泥でケーキのデコレーションのように模様を描いて、乾かしてから泥をはがすと、肌が模様の通りに赤茶色に染まるのである。見た目は刺青のようにみえるけれど、1週間もすると消えてしまう。

ま、お祭だしね、と思って椅子に座ると、アーティストのお兄さんが、「片手?両手?」と聞いたので、「もちろん、両手、両面、全部おねがいねっ」と景気よくお願いした。以前会社のめぐみさんとはじめてメンディをやった時には手の甲の面にだけ模様を施したのだが、会社でインド人の女の子たちに見せたら、「手のひらもやんないとかっこわるいじゃん」と言われて悔しかったので、次の機会にはちゃんと両手両面をやろうと決めていたのである。

アーティストのお兄ちゃんは若く、仕事は速いがわりと雑であった。片手が終わった時、なにかヒンディ語で私に訴えかけてきたので、「何?」とこっちも一生懸命聞いていたのだが何を言っているのかわからない。しばらくやり取りがあって、どうやら「残りの手をやる前に代金を払ってくれないと、手が使えなくなって財布がかばんから出せなくなるから、今払え」と言っているのだとわかった。「ああ、それもそうだね」といって代金を払いながら、自分の置かれた状況に気付いてはっとした。考えてみれば兄ちゃんの言うとおりで、両手の裏と表に、それも指の先っちょまでヘナで模様を描かれてしまったら、ヘナが乾燥するまでの1時間、まったく何もできなくなる。

リキシャで家まで帰って財布から代金を払うこともできなければ、鍵をかばんから出して家のドアを開けることもできない。お腹が強烈にすいているのに気付いたが、道の露店でサモサや果物を買って食べるのも無理だし、家に帰って運よくルームメイトがなにか作っていたとしても、箸すら持てない。家までは時間をかければ歩いて帰られるとしても、ルームメイトがいなかったらどうしたらいいのか。携帯で電話をかけるのも無理だ。

私がぐるぐる考えている間に、お客が何度か立ち寄ってメンディの値段を聞いたり染料を買ったりしていった。家族で買い物途中の主婦や、夫とデート中の若い妻が「両手両面おねがい」と言っているのを聞きながら、ああ、この人たちは家族がいるからそんな気楽なことが言えるんだよな、ちくちょう、と恨めしい気持ちになった。家族連れならメンディの後にレストランにさえ入っちゃって、夫か姑かなんかがチャパティを小さくちぎってかいがいしく口に入れてくれるに違いない。うらやましい。

メンディ・アーティストが私の仕事を終え、両手の裏と表がヘナの模様でいっぱいになった。ありがとう、とお礼を言って店を出ようとすると、お兄さんが模様を崩さないようにそーっと私のショルダーバッグを肩にかけてくれ、「手のひらを広げてつっぱって、乾くまで模様にしわが入らないようにしないとだめだよ」と注意した。そうか、手のひらを広げて錆びたブリキのロボットみたいな状態でこのまま家まで40分近く歩かなきゃならないのか、と思うと複雑な思いでいっぱいになった。

手を硬直させて人がいっぱいの歩道を歩いていると、周りの人がよけてくれているのがわかってなかなか恥ずかしい。いつもの角にいる物乞いの女の子がかけてきたが、私の姿をみて「あ、今日はしつこくしちゃだめだな」と判断したのか、一度だけ私に声をかけただけで、私の硬直した両腕を見るとすぐに引き下がって去っていった。賢い子である。長い道のりを一人で歩き、自分のアパートの明かりが見えた時、気が緩んだのか肩から革のショルダーバッグの肩かけの部分が落ちてきて左の手首の模様をつぶしてしまった。

「げげっ」と叫んで模様を救おうとして肩掛けをずらすと、肩掛けについたヘナが左の二の腕にびーっと広がってしまった。大変である。そのまま乾いたら、二の腕に謎の茶色いあざのような模様がどでかく残ってしまって一週間は取れない。「ひょえー」と動揺して叫びながら、思わず右手で左腕を触ってヘナを取ろうとしたら、右手の指先にも模様があったことに気づいた。いろいろな部分を取り繕おうとして、いろいろな部分にヘナがへばりついたりはがれたりして、わけがわからない状態になって大混乱である。

あせって汗をかいて顔に髪がへばりついたが、指にもヘナの模様があるので髪をかきあげられない。誤まって染料が顔についたりしたら最悪である。一瞬パニックになったが、深呼吸をして気を取り直し、ルームメイトが家にいることにかけてダッシュで家まで帰った。染料が完全に乾く前に助けてもらわなければならない。

幸運なことに、ルームメイトはちゃんと家にいて、あわてた私を見てびっくりしていた。布を持ってきて腕についたヘナをはがしてくれ、アイスティーを作ってくれた。手が乾いていないのでアイスティーのグラスを持ち上げられず、あきらめてしばらく一緒にテレビを見た。一時間してヘナが乾いたときには、ほっとしてグラスのアイスティを一気に飲み干し、それから台所にあったジンを飲んで気持ちをおちつけ、ラーメンを作って食べた。もう深夜であった。

インドでひとりで生きるのは容易くない…。次にメンディを両手にやるときには誰かを誘って、ちゃんとご飯を食べてから行こうと心に決めた。でも友達と行って二人とも両手両面にメンディをやったら事態は同じである。やはりその誰かは家族か、男か、どっちかであるべきなのか。いや、友達と買い物の途中で行って、一時間交代でやればいいのか。などなどと、いろいろ思いをめぐらせる。まあ、勢いだけで生きるのではなく、ある程度の計画性は必要である、という戒めかもしれない。

October 7, 2009

ビーフステーキと昔の男

週末にムンバイのダウンタウンにある「インディゴ・カフェ」に行った。客席の半分がリッチな白人で埋まっている、もちろん残りの半分はリッチなインド人で埋まっている高級洋風カフェである。久々に予定のない週末の午後をカフェでビールでも飲みながらのんびり過ごそうと思って街に出たら、ふとなんだかすごく贅沢でおいしいものが食べたくてたまらなくなったのだ。

インディゴ・カフェでものを食べるのははじめてである。店内にはベーカリーがあり、輸入チーズ、ハムとソーセージ、前菜やディップ、キッシュのショーケースが並んでいる。壁一面にはめ込みのワインの棚が備え付けられている。おしゃれなのである。カフェに座りたくて並んでいる人と買い物に来ている人で店内はけっこう混雑している。メニューの値段は普段の私の生活の「まあまあ高級なごはん」の2~3倍ぐらいの値段である。

メニューには、ハムやソーセージの入ったサンドイッチ、ビーフバーガー、チーズフォンデュ、パスタなどいろいろある。普通のカフェじゃん、とインドにきたことがない人は言うかもしれない。しかし想像していただきたい。ポークでできたまともなハムやソーセージ、ましてやビーフなんてムンバイの街角の普通のカフェではめったに出していない。パスタは調理法が普及していないのか、レストランで食べるとたいてい5分ぐらいは茹で過ぎのおじや状態で出てくるし(持ち上げると切れるぐらいやわらかいのだ)、ソースは微妙にインド風なのが普通である。

そんなわけで、値段は高いし失敗はできないと思い、仔細にメニューを検分していたら、ビーフステーキがあるのに気付いた。ビーフステーキ。遠い響きである。考えてみたらビーフステーキなんてもう5年以上は食べていないはずだ。ひょっとすると、大学院1年目の時に家庭教師先のご家族にフランチャイズのステーキハウスに連れて行ってもらって食べた「ガーリックステーキ」が最後かもしれない。7年ぐらい前だ。かなり昔である。思い出をたどっているうちに、これはひょっとして今どうしても食べるべきなんじゃないかという気がしてきた。

私は牛肉がかなり好きなのだが、よく食べていたのはすき焼きやら焼肉、牛丼、カレーなどといった和風の牛肉料理ばかりで、ステーキみたいな食べ物にはあまり愛着がなかった。父親の洋食嫌いのおかげで子供のころにあんまり食べる機会がなかったからかもしれない。あるいは、ステーキという料理そのものが一般的に日常食としてなじまないのかもしれない。牛丼は毎日食べられるけれど、ステーキは毎日は食べられない。このあたりは人によっては異存があるかもしれません。ひょっとしたら夕食は毎日ファミレスのステーキ定食です、という人もわりといるのかもしれない。

ともかくステーキを注文したわけだが、これがものすごくおいしかった。まず焼きたてふわふわのパンとほどよく溶かしたバターがたっぷり届く。このパンがおいしい。ちゃんと卵を使って焼いてあって腰がある。普通のインドのパンはだいたいベジタリアン用に作られているので卵が使われておらず、持ち上げるとぼろぼろに崩れてしまうし、焼くとカリカリになってしまうのだ。パンを食べ終わるころにミディアム・レアに焼いた3センチぐらいの厚さの肉の塊がやってくる。ほろほろになったベイクド・ポテト、オーブンで丸焼きにしたかたまりのにんにくがついて、たっぷりのサワークリームとソースが添えてある。切ると牛肉の荒い繊維から肉汁が出てきてソースと混ざる。よく噛めば噛むほどあまい味が染み出してくる。食べる悦びが湧き出てくるかんじだ。

そうか、ステーキって、牛肉ってこんな風だったな…、と食べながら悦に入っていると、ふと、ステーキを食べる行為は昔付き合って別れたものすごくいい男にずっと後になってばったり再会し、一夜だけ盛り上がった状況にかなり近いのではないかと思いはじめた。別に普段は思い出しもしないんだけれど、ばったり出会ってみたらいまだに昔と同じようにかなりいい男なのである。昔のあれこれの思い出をめぐりながら二人で一瞬だけ盛り上がるのだが、盛り上がった後はもう満足してしまって、じゃあいつかと言って、連絡先も交換せずに別れるのである。うん、似ている。似ているといっても現実にそういう状況にめぐり合ったことは別にない。ただ、私とステーキとの気持ちの交流をたとえて説明すれば、それにかなり近いと言いたいのである。

そんなふうに私はステーキとの邂逅を終えて、満足した幸せな気持ちでカフェを出た。牛肉を食べるといつも「ああ、食べてよかったな」と思う。食べた肉のたんぱく質が吸収されて、体のくたびれた部分をどんどん補修して新しくしてくれるところを想像する。最近、会社の人事の人に呼ばれて、「顔色が悪いし痩せすぎているから毎日卵と牛乳を採って体を作りなさい」と注意を受けた。そんなことまで注意してくれるなんてびっくりするほど親切な人事課である。それをおもいだして、ああ、私の体にはチキンでは血が足りなかったんだ、と納得した。私に不足している栄養素は赤い肉なのだ。そんな理由をあれこれつけて、この先頻繁にステーキとの逢瀬に行くかもしれない自分を想像している。いつかは愛も生まれるかもしれない。

September 29, 2009

大事なのは男女の愛か? -インドにおける結婚の価値観

先週の日曜日に、会社の上司の結婚式に出席した。一緒に行った同僚は、「これはいわゆるボリウッド式ね」と言っていた。会場は有名なお寺の結婚式場で、一応30分ほどヒンドゥ教のプジャが行われたが、かなり短い。その後カンタンなブッフェスタイルの食事。小ぢんまりして簡略化された現代的な式で、どちらの家族も特に宗教や伝統にはさほどかまってない、という印象である。

とはいえ、それが現代のインドのスタンダードかといえば、そうでもない。インドには日本にあるようなスタンダードや流行なんてない。それぞれの家族によって、保守的であるか進歩的であるかは家庭や個人によってぜんぜん違う。ある家庭では1週間以上かけて伝統的な結婚の儀式を行う。またある家庭では同じカーストであってさえ、生まれたコミュニティや細かい条件の違いで結婚を反故にする。そして、全く宗教に関係なく結婚するカップルや、結婚式に宗教色を入れないカップルもいるらしい。

インドにおいて、結婚はかなり不自由である。必ずしも愛し合っている恋人と一緒になれるわけではない。実際かなり難しい場合が多い。しかし、そういう宗教や文化によって生じる困難を後進的だと判断するのは単純すぎる。アレンジド・マリッジで幸せに一生を送るカップルはいっぱいいる。家族全員の幸せが一人の幸せであるという価値観に立てば、たった2人の愛し合う男女の幸福は、より公共の利益のために犠牲になる、という考え方だって別に間違ってはいない。

価値は相対的なのだ。正しい価値と誤った価値を見分ける方法もなければ、どの価値がより重要であるかを測るものさしもない。問題は価値そのものにあるのではなく、周りの圧力や無知によって価値を選べないことにある。たいていの人間は、自分が叩き込まれてきた価値観や、苦労して築き上げてきた価値観を世界で一番まともな考え方だと思いがちである。人間は伝統や文化のしばりから自由であればあるほど、それが人間のあるべき姿であり、幸福により近づく、と考えがちだが、実はそうとはかぎらない。

日本では最近「婚活」なんていう、聞くだけで疲れる言葉がはやっているらしいが、ラブ・マリッジの率が高くなればなるほど、結婚したいのに相手が見つからない若い男女があふれて困っているではないか。こういう報道を見ていると、あんまり日本も自由な国じゃないな、という気がする。

しかし、日本のいわゆる「婚活」現象は実に奇妙である。若い人たちは「別に結婚しなくてもよい」という自由を享受しているのにもかかわらず、結婚することをいまだに目標にしている。ヨーロッパのカップルみたいに、結婚しないままパートナーとして何年も連れ添って暮らしたり、気が向いたら子どもを作ったりして好きなようにのんびりやったらいいのに、なぜ日本人はそういう方向に向かわないのだろう?なにをやったって自由なんだから、もっと勝手にすればいいのに、意外とそういうのんきな世代が現れないのが実に不思議である。

そんなところを比較していると、自分の中の進歩と保守、あるいは後進という価値観の境界がどんどんあいまいになる。実にわからない。私個人としては、愛し合うカップルは自由に一緒になれなきゃ嫌だけれど、男女の愛を一番に追求して生きているわけではない人たちだって、世の中にはいっぱいいるのだ。

最近、ジュエリーショップのテレビCMで、こんなのがやっている。結婚1年と2ヶ月目の夫婦。「They arranged everything…」でストーリーは始まる。お見合い結婚で結ばれた二人。知らない同士が結婚してぎこちない結婚生活。それから、「And, we laugh…」、ちょっとずつ相手に慣れていく。そして1年2ヶ月目。「And we found…」お互いをはじめて見つけた二人。記念のプラチナ・ペアリング。これがインドの夫婦に指輪を売りつけるためのメッセージらしい。なかなか興味深いと思いませんか?

September 25, 2009

有機アパート

ムンバイにあるうちのアパートには、この季節になるとどういうわけかみのむしが発生する。長さが1センチから2センチぐらい、幅が2、3ミリのかなり小さなみのむしで、よく見ないとただのほこりの塊にしかみえない。これが、白い漆喰の壁にぽつぽつとついていてなかなか不気味である。

私は虫が大の苦手なのだが、みのむしは小さいながらも自分で家も構えているし、特に動きもしないで壁に引っ付いているだけなので、まあそういうことならご自由に、というかんじで見逃してやっている。何日も朝から晩まで壁に引っ付いたまままったく動く気配がなく、どういうつもりで生きているのか謎だし、どこで食物を手に入れているのか、男女がどこで出会って繁殖しているのか不思議であるが、それは私には関係がない。まあ大して関心もないといっていい。

最近、ヤモリもどういうわけか大発生している。家にいてボーっとしていると、しょっちゅうヤモリと目が合う。3センチぐらいの生まれたばっかりのから、7センチぐらいの大きなやつまでいるから、一応家の中で繁殖しているに違いない。ヤモリは爬虫類だから、どこかに卵を産んでいるはずなのだが、一度も発見したことはない。あるいは外の草むらで繁殖して、亀みたいに生まれてすぐ7階までどんどんのぼってくるのかもしれない。

ゴキブリとネズミ、ハトについては言わずもがなである。このムンバイの3大嫌われ者たちは、勝手に外で生きていれば別にこっちも文句は言わないのだが、人間の生活空間にどんどん入ってきて荒らすわけだから、こっちとしては懲罰して当然である。この点カラスや野良犬は自立して暮らしているので、私としては特に文句を言う筋合いではない。

ハトに関しては、部屋の窓を開けておくとどんどん飛び込んでくるので非常に困る。日曜なんかに窓を開けて昼寝をしていると、ハトがカーテンを突き抜けて飛び込んできて、自分で飛び込んだくせに大パニックに陥る。別に静かに入ってきて、「あ、すいません」と言って出て行ってくれるのならこっちとしても別に「あ、そう」と言って済ませられるものを、こっちが悪いみたいに大騒ぎしてい部屋中を飛び回るもんだからかなり迷惑である。

一度は窓を閉めわすれて出かけて、家に帰ってくると、2匹のハトが並んで私の布団の上で寝ていたことがあった。これらのハトは、2匹いたから心強かったのか知らないが妙に落ち着いており、私がドアを開けると、「あ、帰ってきちゃったね」、「ね」、みたいなかんじで顔を見合わせて、特に騒ぎもせずに歩いて窓から出て行った。奇妙な二人組みであった。

かわいい生き物がぜんぜんいない、というのがムンバイの特徴のひとつだ。しかし虫であれ、鳥であれ、動物であれ、共生できるか否かの境界線は、互いの物理的、心理的なパーソナルスペースをどれだけ侵さずにやっていけるかというところだろう。ゴキブリだって、あんなに速く歩きまわって人を驚かせなければさほど嫌われることはなかったに違いない。他者とはそういうものである。

一方で、自分の好きな対象や相手については話はまったく逆である。呼んでも絶対そばに来ないような猫は飼っていても悲しいだけである。誰に、どれだけ近づいてほしいか、自分の生活を邪魔しちゃってほしい物事や相手はだれか。そういう自分のごく生理的な反応に実はすべての答えがあるのだ。

September 17, 2009

インド話は尽きない

最近、以前のルームメイトであるたまこが人類学の調査でVashiの街に滞在している。久しぶりに会って話していてまた改めて、インドに住んでいると、インドについて語るべきことは永遠に出てきてぜんぜん果てがないと感じている。たぶんすんなり理解できない文化がたくさんありすぎるからだろう。

どんなにこちらでの生活に慣れても、ムンバイの生活にはなんだかよく事情がわからないことばかりである。言葉が不自由なので、文脈からその場の状況を推測する特殊な能力がかなりついてきたけれど、やはり社会の不文律や言葉にされない社会的事情の細部がよくわからない。日本では起こらないようなことが日常茶飯事のほうに起こるし、その解決のプロセスもあまりにもちがう。気になることがありすぎて、誰と話し始めてもインド談義は延々と終わることがない。

面白いことに、これは外国人だけの傾向ではない。インド人もまた、インドについて語りだすと果てなく話し続ける。自分の家庭の伝統や風習について語り、その風習が同一宗教内の他のミュニティとどんなふうに違うかについて語り、インドのスピリチュアリティについて語り、ビジネスについて語り、政治について語り、家庭で話されている複数の言語と先祖の起源について語る。彼らもまた、自分たちの細分化された文化の多様性に興味津々であり、語ることで日々自己発見をしているようにうかがえる。

意外というべきか、当然というべきか、ヒンドゥ教徒のインド人は隣人であるイスラム、シーク、キリスト教の文化についてほとんどといって語らない。他の宗教に属するインド人も同様である。例え隣どうしに住んでいても、彼らはお互いに文化を共有しておらず、あまり自分以外の宗教についてよく知らないし、強い関心もないようである。少なくとも私は周りの人からそんな印象をうける。さまざまな種類の宗教や文化が並列して存在しながら、混ざり合っていない。インドの文化は水質性ではなく、固体性なのである。一緒にまぜても、コーヒーと牛乳のようにカフェオレ色にならない。赤い小豆と白い大豆を混ぜたみたいに、個々の色と形状はそのままに残っている。

「わかった」と言えるときが、誰にとってもおそらくずっと来ないのがインドであろうと思う。永久に話し続けられるし、永久に書き続けられる。人はその文化を混沌と形容する。私はいつも生活の視点からしかインドを見ていないが、どんな角度からでも、高みからでも底辺からでも、切り口は無限にあって、ほんとうに果てしない。インド人でも外国人でも、人がそれぞれの立場から語るインドには、新しい定義と魅力がある。

※会社の日刊メルマガでもインド情報を配信しているので、インドについてもっとコネタが欲しい方はぜひ登録してください。

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September 16, 2009

みんな、ブログを更新しよう

うちの会社でインターンシップを終えてインドから日本に帰った若者たちは、みんな急に自分のブログを更新しなくなって、私はとても寂しい。みんな・・・、頼むよ。見回りをするブログの数が減って悲しいので、「なんならわたしのブログを読みますか?」とおっしゃってくれる親切な方はぜひリンクを送ってください。

ブログのなにが楽しいかって、他人ががなにを考えているのかをリアルタイムで追えるところだ。「あの人、最近どんなこと考えてるんだろう?」と思って誰かのブログを開く。いろんな事件が起こっていたり、意外な事を考えていたり、前と逆のことを書いていたり、くだらない自慢話をしていたり、落ち込んでいたり、生きているその人の人生が垣間見えて面白い。だから、どんなに短くても意味のない話でも、ブログは更新することに最大の意義があるのであって、中身はその次にくればいい、と私は思う。

このブログをときどき読んでくれている友達が以前、「普通に友達づきあいしてたら、友達がなにを考えているのかここまでわからないよね」と言っていた。書いている自分もまた、自分がなにを考えているのか、どんな風にものを考えるのか、日々文章にしていなければここまでわからない。どんな短い文章にもなにかしら結論が必要だから、書き始めちゃったら考えて答えを出すしかないわけで、そのプレッシャーが日々の考えを深めていく。いわば思考のペースメーカーとしてブログが役に立っている。

私がブログを書くときには、子どものころに学校の先生か誰かに習った「作文はあったことを書くんじゃなくて、考えたことを書きなさい」という教えに純粋にしたがっている。「考えたことを伝える」という目的で書いていると、自分の生活や人間関係を必要以上に暴露しなくてすむから、単純に書きやすいのだ。理論と実践がいつも一致するわけではないように、自分が考えたことと自分自身とは必ずしも同一ではない。一方で、考えを人に披露することで、自分の行動が影響を受けて自然と正される。そうやって、自分の文章につられて自分そのものもまた襟を正して、いい方向に変化していけたらいい。

今年からややハードルを上げるために、本名でブログを書き始めた。せっかく一生懸命書いているんだから、いつかは、初めて会った人に、「私について興味がありましたら、とりあえずブログをご覧下さい」とURLを差し出せるブログにできたらいいと思うのだが、先は長い。

September 10, 2009

ストイックな男の人生 山崎豊子「沈まぬ太陽」

山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読み始めてそろそろ3週間目になる。以前会社にいたインターンの青年が日本に帰るときに置いていったのを借りて読んでいるのだ。かなり面白い。

日本にいるときは、企業ドラマなんておっさんばっかり出てくるし登場人物は多いしポリティクスやらなんやらいちいち理解するのが面倒くさいからキライ、と思って読んだことがなかったのだが、「ドラマ 華麗なる一族」は面白かったし、読んでない日本語の本がもう残ってないという差し迫った理由もあり、読み始めたら止まらなくなって朝ごはんの時間まで本を広げている。全5巻だからなかなか読み応えがある。

ストーリーを簡単に解説すると、主人公の恩地は、官から民に移行しつつある巨大な航空会社「国民航空」の社員で、優秀さを買われて労組の委員長に任命される。正義感が強く実直な彼は、「空の安全」を守るために、社員の労働環境を改善しようと死力を尽くすが、その結果、会社はその存在を疎んじて「アカ」のレッテルを貼って迫害し、懲罰人事で海外の僻地をたらいまわしにする。飛行機事故を契機に、半官営の汚れきった大企業と、それを変えようと戦うストイックな組合員たちのドラマ、というような話です。

主人公の恩地さんは、スーパーストイック男である。そんなひどい仕打ちを受けて出世の見込みもないような会社さっさとやめたらいいのに、戦っている他の組合員たちのために耐えて耐えて耐え続ける。それでいて、その苦しみのなかでも心だけは澄んでいる。アフリカやらパキスタンやらにぼんぼん飛ばされて孤独な単身赴任の生活のなかでも、美女に情熱的に迫られても決して興味を示さない。まさに女の書く男、という感じの主人公である。

こんな男は世の中にはいないか、いたら頭のおかしい人である。表で極度に「倫理的」な人間は、裏ではかなり性格破綻しているというセオリーを私は信用している。なんだかごつごつして妙なこだわりがあったり、「あ、ヘン」と見てわかる人のほうが付き合ってみるとまともなものである。だが、これは小説だからいいのだ。恩地さんはストイックだけれど変態ではない男なのである。

世の中には、「本当は周りがおかしいのに、自分がおかしいと見られてしまってる」という悲惨な状況に立たされている人はたくさんいるはずである。「周り」が大多数で、力がある場合には、そちらが単純に正義になり、声を上げている個人は迫害される。そんなケースは大なり小なりごろごろしている。経験したものにしかその恐怖はわからない。一度もそんな経験をしたことがない、という人がいたら、それは自分が常に「周り」の側にいただけの話である。

そういう人数や力による迫害のまっただなかにいる人には、ストレートに、励みになる物語だろうと思う。秋の夜長にはおすすめです。

September 8, 2009

「愛」についてのそれていく話

今週はすさまじい量の仕事に追われて気持ちが殺伐としているので、愛についてつれづれなるままに語ろうと思う。

マラティ語で「アイ」は「お母さん」という意味なんだそうだ。だからムンバイに住んでいて自分の名前を言うと、「え?」という顔をされることが非常にひんぱんにある。家族連れがいっぱいのショッピングモールの食堂なんかでごはんを食べていると、子どもが「アイー」とおかあさんを呼ぶ声がいろんなところから聞こえてきて、いちいち振り返ってしまう。

インドのオフィスでは英語が公用語なのだが、「Ai」 は 「I am」 の「I (私)」 と発音が同じなので、時々混乱を生じる。例えば仕事の打ち合わせをしていて、「アイ ウィル ドゥ ザット」 と誰かが言ったとき、Aiがやりますよ、といいたいのか、自分がやります、と言いたいのかがとっさにわからない。そのため、混乱を避けるために「Ai Kanoh will do that.」 とフルネームで言われることがしばしばである。「アイカノウ、ランチもう食べた?」とか聞かれるとかなり違和感があるものの、まあ仕方ないから我慢している。

谷川俊太郎さんの詩にこんなのがある。

悲しみは むきかけのりんご
比喩ではなく
詩ではなく
ただそこにある むきかけのりんご

感情はその場限り、対象に宿る。悲しみだけでなく、愛も同じだ。ひざの上の猫や、流しに立てかけられたぬれたままの食器や、朝のさめた湯たんぽや、書いたけど出さないままの手紙や、そういうもの、それそのものの中にあるわけで、だから優しい言葉や態度や、愛を表現するための特別な媒介はいちいち必要ないといってもいい。感受性さえあれば。

人間の感受性はとても偏っているので、たとえば机に置きっぱなしになったコーヒーカップ一つを見ても、そこに悲しみを見る人もいれば愛を見る人もいる。恋人のぶっきらぼうを無関心と取るか、信頼と取るかも、その人、そのときによって変わる。もしそれがある程度自分の心がけしだいでコントロールできるものなら、愛とか、なるべくよきものをいつもそこに見ていたい。

教師が一途に信頼することによって生徒を成長させるように、意外なことに、対象になにを見出すかによってその対象そのものが現実に姿を変えていく。だからせめて自分からの視線は常にあたたかいものにして、そういうソフトな方法で物事を変化させていけたらいい。

という、それつづける愛についての話であった。

August 25, 2009

プロとアマの境界線

日本に住んでいたときに一番楽しみにしていた番組に、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」がある。無農薬りんご農園の竹本さんの話なんかは、ビデオにとって何度も繰り返し観た。自分もプロフェッショナルになりたいと思っていたし、今もそう思っている。

今の仕事を始めて最初のころ、自分はマーケティングの素人という意識で働き始めた。2年目を続けるか続けないかを上司と相談していたときに、上司に「この仕事の先には自分のゴールがなさそうだし、今のポジションではずっと素人でしかないかもしれない」と正直に言ったら、彼は「Things change.」、だからそんなに専門にこだわりを持たずに、面白いと思っている間は仕事を続けたらいいじゃないか、と言った。どうしても辞めたくなったらいつでも辞めたらいい、別に引き止めはしない、という話だった。それからの2年目は、素人の域を出て、意識だけでもプロにシフトチェンジしようとわりとがんばってきた。

アマチュアにはアマチュアの利点がある。ユーザーとしての純粋な目で物事を見ることができるし、経験や理論にとらわれずに「好み」でジャッジできる。私の会社はインド企業で日本をマーケットにしたビジネスを行っているので、日本人ユーザーとしての批判的な目を持っているだけでも最初のうちは重宝がられた。そういう素朴な能力が求められていた。しかし今はそうではない。1年目と同じ事を繰り返しやっているわけにはいかない。

自分の考え方も少し変わって、今の分野で将来的に仕事を続けるかどうかは特に問題ではなく、それよりもこの瞬間にプロでありたいと思うようになった。仕事を深くやればやるほど、「わからないこと」に対する焦燥感も生まれてくる。わけがわかっている者になりたいという欲も出てくる。企業の社員としてのプロ、使われる人間としてのプロ、人に仕事を頼む人間としてのプロ、あるいは書き手としてのプロ、などなど、一つの仕事にもさまざまな側面があり、あらゆる面でプロフェッショナルを追求することにはかなりの努力が必要である。

自分が仕事をしているフィールドに対する深い知識もなく、経験も浅い人間が、まがりなりにもプロフェッショナルとしてのアイデンティティを築くためには、ちょっとした裏道がある、と私は思っている。一つはアイディアであり、もう一つは自己批判の能力をつけることである。特に後者が重要で、自らをプロと呼ぶためには、自分で自分の仕事を批判できる目を早く育てることが近道である。つまりは自分を指導できる教師としての目を自分の中に持つのである。

学生がなぜ学生なのかというと、指導者がいないと自分の間違いに気づかないからだ。算数の問題を解くにせよ、卒業論文を書くにせよ、自分の解法や論証の誤りに自分で気づくことができないから、よりメタな物の見方ができる教師が必要なのである。一方で、プロの数学者や研究者は自分の解法や論証を自己批判してひとりでに鍛える能力を訓練されているから、いちいち誰かに指導を仰がなくても自分で研究を進めていけるのである。

仕事も同じである。会社に入ってきた新入社員には仕事のトレーニングをするわけだが、「もう指導は必要ない」とわかる瞬間ははっきりしている。自分のやった仕事のダメさに自分で気づくことができる能力がついたときである。なんでもかんでもやったままに「できました」といって持ってきていた人が、「やってみたんですけど、ここがどうしてもうまくできません」とい言いはじめたら、ほとんど卒業である。あとは本人が勝手に学習していく。自分のやっていることのレベルがわかれば目標や向上心も出てくるし、自分がやった仕事のどの部分はそのまま使えて、どの部分は人に指導を仰いだほうがいいのか自分で判断することができるようになる。

それがプロと素人の分かれ道であり、指導する立場としては一番エキサイティングで、かつ同時に安堵する瞬間でもある。

自分について言えば、正直なところ、自分がやっている仕事の9割近くは自分が正しいトラックを走っているという自信はない。しかし、自分のした仕事が、もし偏差値で例えるならどれぐらいのあたりにいるのかはなんとなく想像がつくようになった。自分が作った広告コピーがいかにつまらないか、自分の水準とするデザインのレベルがどれほど低いかはわかってきている。そこをとっかかりにして、優れたケースを勉強したり、品質の高い作品にたくさん触れたりして、より自分の能力と仕事のレベルの相対的な位置づけを少しずつ明確にしていくしかない。とりあえず、取っ掛かりはあるのだ。

August 20, 2009

英語で文章を書くということ(1) 英語は英語で書く

今うちの会社で夏の英語エッセイ・評論コンテストを主催していますので、興味のある方はぜひ参加してみてください。(お知らせです)

さて、このコンテストのプロモーションのために社員の英語リレーエッセイの企画があり、私も久しぶりにまとまった英語エッセイを書いてみた。500から600ワードの英語エッセイというと、日本語にしたらおよそ私が普段このブログで書いている一記事と同じぐらいの量だ。このぐらいだと、最後の三分の一を書ききるのに少し力がいるけれど、まとまったことを一つ言うのにはちょうどいい。

英語で文章を書くときのポイントは、最初から英語で書くことである。日本語で書いた文章を英語に翻訳するのはあんまりおすすめしない。端々の表現で、「日本語ではこう言いたいんだけれど、英語ではどう表現するのかな」と辞書を引くのはもちろんかまわないけれど、文章全体を日本語で書いてそれを翻訳すると、英文としてはおかしなかんじになる。読者が違うからである。

英語で文章を書くときには、英語がわかる人たちに向かって文章を書く。そうすると、必然的に日本語で文章を書くときとは説明する内容も変わってくる。例えば、日本人に向かって花見についていちいち文章で説明しようとは思わないから、日本語で花見についての文章を書くと、日本人以外の読者に対する配慮が自然と失われてしまう。最初から英語で書いていると、自然と「ここはもっと説明しないと日本人以外にはわかんないよな」という部分を補足できる。

たとえば、日本語の文章なら、単純に「花見」、と書くところを、英語の文章では「hanami, the Japanese traditional custom of enjoying the beauty of cherry blossom」と書くわけである。これは日本語からの直訳ではできない。だからせっかく日本語で完璧な文章を書いたとしても、英語の文章にはかなり修正を加えなければならない。

だから、へたくそでも語彙力不足でもなんでもいいから、英語の文章は最初から英語で書き始めてみるといい。別に時間制限なんか無いんだから、2、3時間集中して書き続ければ一応まとまった量の文章になる。英語を勉強している人は、週末に時間があったらぜひ試していただきたいと思う。

August 18, 2009

ザ・トーカティヴ・アメリカン

アメリカ人の友人がいる。彼女は元同僚で、驚くほど人の話を聞かない。放置しておくと、1、2時間は平気で一人で話し続けている不思議な人である。

こう言ってはアメリカ人の人たちは心外に思うかもしれないけれど、私の少ない経験からすると、アメリカンは一般的傾向として、説明過多である。ものすごいスピードの英語で、話題の背景をことこまかく説明する。意見を言うときには詳細な理屈を欠かさずつける。「だいだい雰囲気でわかってくれるだろー」という甘えがない。10回に3回は結論のない話をし、残りの7回は笑ってごまかす、という私のような投げやりな態度では生きていない。そのため結果的に、ひとつひとつの話が長くなるのであろう、と推察する。

その友人は、そのアメリカン傾向に10をかけたぐらい話が長い。これは国民性とはかけ離れた傾向である。なぜそんなに話すことがあるんだろう、と不思議に思って一度話を聞きながらダイアログ分析をしてみたら、どうも同じ説明を微妙に言葉を変えながら3回ぐらい話しているせいなのである。そこまでして説明しないとわかったかどうか心配なもんなんだろうか、この冗長さを削って効率を上げようとは思わないのか、と不思議に思うが、まあ人生には思ったより余す時間があるわけだし、本人がいいと思っているならそこを追求する必要はない。ただし、急いでいるときには結構困る。トイレに入ろうとして洗面所でばったり会ったりするとなかなか聞く側としては問題である。

さらに、彼女はまったく聞き手の意見を必要としていない。すべての話が自己完結しているのである。だから、「あなたはどう思う?」という展開になることがまずない。インディペンデントにも度が過ぎている。別に人の意見なんか必要としていないのだ。自分が思ったことを自分が思ったとおりに実行し、起こった出来事を分析して独自の結論を出し、それを人生に一人で活かしていくだけなのである。だから、私が何か意見なり感想なりを会話の間にさしはさもうとしても、さしはさむ隙がない。さしはさんだとしても、たいていは無視である。時々何かに挑戦するために質問なり感想を投げてみるのだが、たとえ2センテンスねじ込んだとしても、まったく彼女のアンテナには引っかからないのである。まるで虚無に向かって叫んでいるような、なんとも不思議な気分になる。

しかし、この強烈なキャラクターと、Extremely Independentな存在としての不思議さがどうしても気になって、時々コーヒー・テーブルを挟んで尽きない話を聞いている。多分引越しでもしたら、私のことなんかあっという間に忘れ去るにちがいない、と確信が持てる。しばしば頭に空白が訪れて、いろんな人間がいるなあ・・・と軽く意識が遠くなることがあるのだが、気にしてないみたいだからべつにいいのだ。

イス取りゲームではない

小さい組織で働くことの利点は、いろんな種類の仕事がやれることである。一方で、難点は分業化がすすんでいないために、なんでも一人でやらなければいけないことだ。なんでもかんでも。アイディアを出すのも自分、実行に移すのも自分。やったことない仕事をやることが、むしろ日常業務である(今、私の同僚のみなさんは力強く頷いているかもしれない)。そういういろいろをぎりぎりこなして、自分のポジションを徐々に作り上げていくことが、小企業で働くことの創造的な部分である。

世の中にはさまざまな能力のスタイルがある。高度に専門的な能力や興味を持ち、その一つの「深さ」を追求して生きる人もいれば、ありとあらゆることに興味をもって、自分の能力の「面積」を広げていく人もいる。前者の人が成功するためには、その能力を認めて効果的に使う優れたプロデューサーの存在が不可欠であり、後者の人が何事かを成すためには、優秀な技術者を集めることが不可欠である。また他方で、どちらの能力も対して優れていないという場合には、自分をサポートしてくれる人の存在を増やす知恵が必要である。そういう意味で、自分のタイプを見極めて、必要な環境と人脈を自分に用意できるかどうかが結構大切なのだと思う。

私自身はどうかというと、技術者・専門家タイプの人間になりたいと自分では思いながら、興味や能力を一つのことに統合することができない、という感じでふにゃふにゃとここまでやってきた。物事はあこがれたとおりの形を取らない。まだ若いころは、まだその一つに出会っていないだけだと思っていたが、どうやら自分の能力のあり方は、そういう方向性のものではないらしいと感じ始めている。いろんなことがしたいのである。なんにでも首を突っ込みたいのだ。しかし、そのためにたいていのことは未完成に終わる。こういうのは無節操で無軌道ではあるけれど、いわゆる「成功」のようなものを求めなければ、このスタイルでもあるいは品のいい人生が送れないこともないだろう。

組織・社会におけるサバイバル術は、自分の居場所を自分で作ることに他ならない。私たちは別にイス取りゲームをやっているわけではないので、イスがなかったら地べたに座ればいいのである。あるいはコンビニの車止めの上のほうが快適かもしれない。これは仕事に限ったことだけではなく、例えばグループや学校のクラスで自分の居場所がないと感じている人は、誰かが作った場所や役割の枠組みからいったん外に出て、自分で勝手に座る場所を作ってしまえばよい。そうしてみると、意外と自分と似たような離れた場所に座っている人が結構いることに気づくはずである。

そんなふうに、働くことはそれがどんな仕事やポジションであれ、かなり創造的な活動なのだ。どんなに専門的な職業であろうと、研究者であろうと芸術家であろうと、かならず社会には代わりがいる。どんなに有名なミュージシャンであろうと、死んだあとには誰かがその精神的な穴を埋める。一方で、どんなに単純な仕事であっても、人に負けない能力なんか一つもなくても、ちゃんと働く場所はどこかにあるはずだ。自分が必要とされているかどうかは問題じゃないから、とにかく座れそうなところに座ったらいい。立っていたいというなら、勝手にすればいいのだ。

August 7, 2009

病来る ―インドの病院と家族愛

インドで暮らし始めてから、発熱性の疾患に少なくとも10回以上かかっている。ちょっと喉が痛いなー、と思うと、翌日には39度とか40度の激しい熱が一気に出る。どういうわけか、こんなに病気にかかっているのにさっぱり免疫ができない。インドの細菌が強力なのか、あるいはまわりに細菌が多すぎるのだろうと思う。

7月から仕事が忙しくて疲れがたまっていたので、週末は仕事を休んでゴアにでも行ってのんびり海を見ながらゴアカレーでも食べようかなーと考えていたのに、それどころではない。たまった疲労を解消する前に、病気が先に私を見つけたようだ。会社の極東アジア社員連名(単に台湾、韓国、日本出身のスタッフの集まりです)の清栄のみんなが企画した、三国料理パーティーにも行けない。会社のピクニックにも行けない。楽しそうな企画にいっこも参加できない。このままだと病気になるとわかっていただけにものすごく悔しいけれど、よくあることである。

一人で暮らしていると、病気になったときの処理能力がだんだんついてくる。今回なんか、まだ熱が出始めてもおらず、ほとんど症状がない時に、「あ、来る」と気づいてすかさずスーパーマーケットに行き、病気のときに食べられるものと飲み物をそろえた。総合病院に行って、医者に「熱は出てないんだけどもうすぐ出ると思う。死ぬほど寒いからマラリアの検査をしてくれ」と頼んで、夜には感染テストを一通り済ませて薬をもらった。なんでもなかったんだけれど、最近会社の女の子がマラリアにかかったのに、誤診で1週間もちゃんとした治療が受けられなかったので、念のためチェックしたのだ。

ちなみに、ムンバイのような大都市でも、街の機能は家族単位で暮らす人々のために作られていて、一人暮らしの人間には優しくない。病院に行って診察を受けると、簡単なチェックをした後で、「家族かだれか付き添いの人はいるか」と聞かれる。いない、と答えると、「じゃあ自分で受付に行って、まず診察代を払って来なさい」と言われる。この受付とやらが、病気の身で歩いていくにはちょっと遠い。お金を払って医者のところに戻ると、「じゃあ、血液検査をするから、もう一回受付に行って血液検査代を払ってきなさい」と言われる。「えー、また?」と文句を言っても、誰も代わりに行ってくれない。お金を払って、今度は自分で血液検査のカウンターまで行く。血液を採取すると、「夕方ここに結果を取りに来て、それから医師のところにもう一回行ってください」と言われる。一箇所に機能をまとめといてよ、と思うのだが、どうしてかそういうシステムになっていない。

入院したときなんかはもっと大変で、医者が処方箋を出すと、患者かその家族が薬や点滴、注射器をいちいち薬局まで買いに行かないといけない。付き添いなしで入院したりしたら、点滴が必要なほど体調が悪いのに、ベッドから起き上がって自分で薬局まで行って点滴のバッグを買いにいかなければならない。どういう理屈でこんな不便なシステムになっているのかはわからない。

まあとにかく、こういう大変さを何回も経験済みなゆえに、「病院には病気が本格的に悪化するまえに行くべし」という教訓を身にしみて学んでいる。人間、痛い目を見れば多少は賢くなるものだ。不便さからは逃れられない運命である。

今朝起きてみると、料理上手のルームメイトが野菜たっぷりのおじやを作っておいてくれた。ほかほかのおじやを食べながら、インドで暮らす人々は、多分こんな家族の愛で病気に打ち勝つんだろう、と考えた。もちろん、超強力な抗生物質の力を借りながらだけれども。(ちなみに、日本ではだいぶ前から病院で抗生物質をあんまり出さない方針になっていると思うんですが、インドの病院でもらった抗生物質をがんがん飲んでいるとどんな悪いことがおきるのか、知っている人がいたら教えてください。)

July 30, 2009

仕事との距離

仕事が楽しくなっている。人に恵まれて、新しいことやいままでやれなかったことに手をつけられるようになったことが一つ、信頼関係がしっかりしてきて、手足の自由が効くようになったことが一つ、いろいろやってきたことの結果が少しずつ返ってきて、先のヴィジョンが少しだけだが見えかけてきたことが一つ。

私はかなり物事にのめりこみやすく、一度のめりこんでしまうと自己と対象との区別が完全につかなくなるたちなので、今の仕事に関しては常に心理的な距離をとるように慎重にやってきた。メンタルが弱いので、何かと同一化して物事がうまく回らなくなったときに、いつかクラッシュするのが恐ろしい。だから神経回路が固まらないように、オフィスを出たら頭を切り替えて、家にいるときには他の好きなことをすると決めている。この一線を維持するのはなかなか難しいのだが、今のところはまあまあうまく言っていると思う。

月並みなことだが、チームにいいスタッフが集まっていることも仕事が楽になった理由の一つだ。できないことは、自分よりできる人に手伝ってもらえばいい。人には得意不得意がある。会社は、人数によって個人の欠落を埋められる場所である。組織によって文化はそれぞれだろうが、私の働いているチームでは、自分が個人としてどれだけ業績を上げたか、ということはほとんど意識に上らない。企画は関わったスタッフのアイディアの複合体であって、成功も失敗も個人に還元されることはないからである。たとえ自分が関わらなくても、だれかが成功させてくれればいい。「自己実現」のような幼稚なゴールは目指されていない。この文化もまた、仕事に適度な距離感を保つことに一役かっている。

以前にも書いたことだが、頭をやわらかくして、自分に飛んでくる球を打って言われたとおり走っていれば、だんだんゲームのルールがわかってくる。自分がどのポジションを得意としているのか、他の人がどんなプレイをするのか、ゲームの状況が立体になって見えてくる。やみくもにやっていたことに、自分なりの理論や意図がついてくるようになる。そうすれば仕事がちょっと面白くなってくるのは仕方がない。

1年単位の契約を更新しまがら、「仕事は面白いか?」と常に自分に訊ねている。1年契約だとつづけるか選択をすぐに迫られるから、常に考えないわけにはいかない。自分がどこに向かっているかはわからないけれど、まあこいつはもうちょっとだけつづけられそうだ、といつもおそるおそる考えてきた。べつにおそるおそる考えることもないのだが、しらふでいるために、「いえいえ、前線には立っていませんよ」、という心理的距離を保っている必要がある。とりあえず、今のご時世に贅沢な話みたいだけれど、まだまだぜんぜん面白い。

July 21, 2009

寿司と日本人アイデンティティ

最近家族がそろそろ日本に帰ってこいとアピールしてくる。父は「日本人の平均寿命はどんどん延びている。それに比べてインドは空気汚染と水質汚染もひどく環境が悪いらしい。だから早く日本に帰ってこないと、長生きできないぞ」と寿命を理由に脅してくる。母のほうは、「私はどうでもいいんですけど」と言いながら、「ところで、あなたの歯科助手のお友達が最近結婚して仕事をやめたから、近所の歯科医院でスタッフを募集してるよ」と軽くプレッシャーをかけつつ転職をすすめてくる。

心配してくれる人がいるのはありがたいことだと思います。しかし日本のテレビや新聞はあんまり愛知方面にインドのよくない情報を流さないようにしていただければ私としては助かります。

ところで、インドでしばらく暮らしているうちに、だんだんインドを対照として見た自分の日本人アイデンティティが徐々に薄れているように思う。以前にも書いたかもしれないが、インドと日本は社会の構造も人間の行き方も仕事のやり方もかなりちがうために、インドにやってきた日本人は必然的に「日本人としての自分」を意識せざるを得なくなる。その結果、日本の文化にやたらこだわりを強めていく日本人もいる。

私も最初は「何でこんなに常識が違うんだ」、とびっくりして、仕事上で葛藤を起こすこともあったし、自分の理屈が通用しなくて困ったこともかなりあったように思う。でもなんだか今はなじんでしまった。正直なところ、今自分には日本的常識があるかどうかがわりと心配である。

日々の生活でも、ささいなことでインドによって照らし出される日本の異質さと、逆に日本によって照らし出されるインドの異質さがひたすら面白かった。もちろん今でも知らないことばかりで、インドの文化や社会そのものに対する興味は底を尽きない。しかし、以前ほど自分の中に「日本とインド」という強烈な対照性が存在しない。その部分へのこだわりが弱くなったような感じである。時々日本に一時帰国すると、昔の感覚が少しだけよみがえるのだが。

そんなふうで、じゃあ自分にとって何が最後まで捨てきれない日本へのこだわりだろうか、と考えたら、これは寿司かな、と思う。やはり人間、最初に来るのも最後に残るのも低次の欲求ということなのか、日本の食べ物への愛とこだわりだけがいつまでも薄れずに残っていく。人によってはラーメンとかお好み焼きらしいが、私にとっては生の乗った寿司である。お祭りのちらしや、コンビニのパック寿司、農協の火曜日の寿司バイキング、それから祖母が市場で買いたてのまぐろを、酢を混ぜたばっかりのまだほんのりあたたかいごはんに乗せてくれたふわふわの家族にぎりの記憶が、ふしぎなぐらい強い記憶になっていくのだ。

ココナッツオイルに効果あり

先日、新しいサンダルを購入したところ、今までのサンダルと素材が当たる場所が違ったので、足が靴ずれでずるむけになってしまった。一日歩き回っていたら、足の3箇所ぐらいから血が出てとても痛かった。

会社でファッションチェックの厳しい社員のお姉さんに「新しいサンダル見せてよ」と言われたので、「あれはだめ。痛くてはけたもんじゃない」というと、「そういうときは慣れるまでココナッツオイルを塗りなさい」という。またココナッツオイルか、と適当に聞き流していると、彼女は傷口のために絆創膏を持ってきてくれた。

インド人の女子は何かというと「ココナッツオイルを塗りなさい」と言う。ピアスの穴が炎症を起こしたときもココナッツオイル。髪が日焼けで痛んだときもココナッツオイル。なんかがまのあぶらみたいな話なのであんまり信用できないなー、と思いながら会社のレセプションのベンチに座って足に絆創膏を貼っていた。

すると通りかかった受付の女の子が「あ、くつずれ!ちゃんと新しいサンダルにはココナッツオイルを塗りなよ」と言う。またかよ、と思ってスルーしていると、別の女の子が話を聞いていて、「そうそう、ココナッツオイル」と言う。3人に言われたからにはこれは本当かもしれない、と思い翌朝からサンダルと足が当たるところにたっぷりココナッツオイルを塗って出勤することにした。

最初の日はオイルでつるつる滑ってこけそうになり、「これ、危ないんですけど」と文句を言っていたのだが、2日目ですっかり調子がよくなり、くつずれれもできなくなった。買ったばかりだけど捨てちゃおうと思っていただけに、かなりうれしい。人の話はちゃんと聞くものである。

というわけで、毎日靴の手入れや髪のオイルパックにと、ココナッツオイルは大活躍である。近寄るとココナッツくさいかもしれないですが、南国の香りということで許していただきたい。

July 13, 2009

雨が降ればよい

6月の半ばにモンスーンに入ってから、ムンバイは毎日雨が降っている。朝起きると家の中が薄暗く、空はいつもねずみ色に曇っている。この天気がこのまま9月の末まで続くのである。

2年前の7月は、陽子と二人でポワイ湖まで自転車でサイクリングに行った。ポワイまではタクシーで大体2時間ぐらいの距離である。走り始めてしばらくは晴天で、ランニングシャツで走っていた陽子の肩が直射日光でじりじりやけて、低温やけどになってしまった。走り始めてから2,3時間でたるをひっくり返したようなどしゃぶりになり、嵐の中を逆風に向かって自転車で駆け抜ける日本人たちという感じで道端のインド人たちの注目を集めたのを覚えている。あんなとんでもない体験をしたのは、中学校2年生のときに学校のキャンプで連れて行かれた明神山登山以来であった。

その後しばらくして、毎日雨が降って外に出られない鬱々とした状態を打破するべく、電車に乗ってダウンタウンに行き、オベロイ・トライデントの2,000ルピーもするブランチブュッフエランチを食べた。あれは本当においしかった。オベロイ・トライデントのブュッフエには和食のコーナーと大きなデザートのコーナーがある。それだけでなく、メニューに載っている料理は何でも注文できて、シャンパンなんか飲み放題なのだ。

夏が大好きな、以前一緒に働いていた会社の先輩は、「太陽がカーンと照ってるとうれしくなっちゃうんだよね」とよく言っていて、私はそのたびに「へー・・・そうかねえ~」と言っていた。私もお天気は大好きなのだが、どちらかというと普段低めのボルテージで暮らしているので、くもりや雨降りはなんとなくちょうどいい感じがして好ましい。「あー雨だし、遊びに行かなくていいや」とか「空も曇ってるしやる気が出なくてもしょうがないやね」というくらいが安心するのだ。

そんなわけで、毎日傘をもって、降ってはさし、やんではたたみ、ぼつぼつと散歩なんかしたり、朝雨の中を会社に向かったりするのは、やや楽しい。豪雨というのもまた気持ちいいものだ。モンスーンはなかなかいい。

July 10, 2009

インドのニューヨーク

韓国から来た私のルームメイトは、「ムンバイはインドのニューヨークだって聞いてたのに、ぜんぜんニューヨークと違うじゃん、これ」とぼやいていた。

ニューヨーク・・・。まあ、デリーはインドのワシントン、ムンバイはニューヨーク、という例えは正しいんじゃないかとおもう。デリーはインドの政治の中心都市であり、ムンバイは経済と文化の中心都市という位置づけである。しかしだからといってムンバイがニューヨークみたいな街かといったら明らかに間違っていると思う。

しかし私にとってのムンバイはけっこうな都会である。たぶん、東京、大阪、名古屋の次ぐらいの都会だと思う。

ムンバイの中心街に行くとコンサートや舞台、アートエキジビジョンなどを頻繁にやっている。アーティストがけっこう集まる街のようである。だからギャラリーやら小さいイベントやらには事欠かない。そういうところは都会だなあと思う。私は愛知出身なので名古屋が文化の中心地たるべきだとは思うのだが、名古屋はいまいちそういう文化的な雰囲気がない土地だ。だから愛知と比べてムンバイは断然都会である。愛知と比べられてもわからないとは思いますが。

さらに若者の町バンドラなんかに行ったら、おしゃれなクラブやバー、ディスコなんかがいろいろあって、いろいろな都会っぽいギラギラしたことが繰り広げられているらしい(が、ホントはよく知らない)。私の以前のルームメイトはよく金曜の夜にクールにパーティーメイクをして、特別な服を着てバンドラのバーに繰り出していた。だから遊びたい人にはちゃんと場所があるのだと思う。

楽しそうだから私もちょっとはのぞいてみたのだがなかなか機会がない。暗くなってから外出して疲れるぐらいなら家でイカでもあぶって飲んでたほうが楽でいいや、という根性だと、なかなかチャンスがめぐってこない。ちょっと気合いを入れてそのあたりの文化を開拓してみるのもいいかもしれない。

July 1, 2009

人生はマッチポンプ

問題が特定できない、という段階が一番困る。「どうもおかしい、うまくいってない」ということだけはよくわかっていても、なにがどうおかしいのかがわからない。この原因探しの前の段階、問題の特定が一番むずかしい。

具体的に言うと、例えば自分の部屋がどうも落ち着かない場合。汚れているわけでもないし、足りないものがあるわけでもないのに、なぜか部屋でゆっくりする気になれない。問題がどこにあるのかわからない。色調なのか、家具のサイズなのか、天井の高さなのか、かけている音楽なのか。

広告の効果がないとき。色なのか、掲載場所なのか、視聴者なのか、メッセージなのか、時期なのか、アイディアそのものなのか。

人間関係がうまくいかないとき。自分が言った言葉ややったことなのか、相手の状況が変わったのか、なにか事件があったのか、ストレスなのか、タイミングなのか、コミュニケーションなのか。

考え抜いて問題が発見できればいいのだけれど、たいていの場合、問題になりうる仮説のリストばかりが大きくなる一方で、どこがおかしいのかはわからずじまいになることが多い。時間切れで、やみくもに何らかのアクションをとらざるを得なくなる。

問題がなんだかわからないと、次にはその存在の定義そのものに疑問をもつようになる。そもそも「落ち着く部屋」とは何か。部屋の機能とはなんなのか。広告とは?人間関係はそもそもつねに良好である必要があるのか?

そんなことをやっているとだんだん疲れてきて、今度はそもそも問題なんて本当に存在するのだろうか、と考えはじめる。今の状態がしかるべき形なのではあるまいか。なにかがおかしいなんて感覚自体が思い込みに過ぎないのではないか。世の中に、「間違った状態」などというものが存在するのか。・・・と思い始めると、だんだんどうにでもなれという気になってきて、ちょっと一晩寝て明日考えよう、という感じになる。

たいていの場合、問題は「決める」しかない。解決策も同じである。「決める」ということは、一番自分が解決したい問題を選んで、一番自分がやってみたい、好きな解決策を選ぶということだ。世界のどこかに自分の知らない真実が存在しているわけではない。作るしかないのである。結局のところ、延々とマッチポンプをやっているだけなのである。むなしいような、楽しいような。

June 20, 2009

インド式とは何か

インドで暮らす外国人の多くが口にする言葉に、「インド式」というのがある。英語ではIndian styleとかIndian wayという。

この言葉は東アジアの文化とも西洋の文化とも違った、いわゆるインド特有のやり方を表現する非常に便利な言葉だ。

A 「おととい、夜にテレビが急に壊れて電気屋に電話したら、夜中の10時だっていうのに今から1時間以内に来てくれるって言うんだ。」
B 「へー、インド式だねえ」 (インド式=柔軟)

A 「それなのに実際には、次の日の夜になっても来なかったんだよ」
B 「うーん、インド式だねえ」 (インド式=有言不実行)

A 「それで電話かけて苦情を言ったら、来ようとしたけど奥さんが熱出して来れなかったって言うんだよ」
B 「うーん、インド式だねえ」 (インド式=家族が第一優先)

A 「結局、昨日の夜とうとう修理に来たんだけど、中の配線がイカレてテレビ自体がだめになってるって言うからあきらめかけてたんだよ。そしたら電気屋がものはためしにテレビの裏をがばっと開けて、持ってたドライバーでいろいろいじってなんだかんだいって直しちゃったんだ。」
B 「うーん、インド式だねえ~」 (インド式=状況対処力が高い)

てな感じで延々とありとあらゆる場面で活用できる、よくできた表現である。

インドで暮らす外国人たちの間には、うまく言葉にできないが、インドに対するある種のコンセンサスのようなものが存在している。電車が時間通りに来ない、タクシードライバーがあきらかにウソの運賃を言う、レストランのメニューに載っているたいていの料理が存在しない、といったことで語られるルーズさ。一方で、何か予期しない問題が起こったときにルール外の方法を駆使して機転を利かせて解決する柔軟さ。そういった、よく理解できない、うまくまとめきれないけれど、これはインドとしか言いようがない現象を総じて、「インド式」、Indian style、Indian wayなどと言うのである。

インドでビジネスに関わっている外国人の中には、この言葉をやや軽蔑的な意味で使う人が結構多い。そういう言い方をしている人の話を聞くと、なんとなくインド人の立場に立ってしまい、ちょっと傷つく。でも、インド人の異質なビジネスのやり方と自分の国の文化との間に挟まれてほとほと参っている外国人ビジネスマンにしてみたら、「インド式だからなあ~」とでも言って、自分の苦労を人と共有しなければやってられないのだろう。その気持ちはよくわかる。うまく理解できないことをわかった気にしてくれる機能や、そのわからないことをわからないなりに人と共有するためのコミュニティ言語的な機能も、この「インド式」という言葉には含まれているのだ。

しかし、実際に外国人が「いわゆるインド式だ」、と感じることの本質はなんなんだろう?とつねづね疑問におもう。インドは、つまり、なにが違うのか。最近、この外国人における「インド式」の使用がどうにも気になって、この言葉がはたして総括してなにを意味しているのかを解明したいと考えている。
インドにお住まいの皆さんで、もしなにか面白い仮説を思いついたらご報告下さい。

June 19, 2009

インドよ、汁麺文化を知れ

インドには汁麺がない。みなさん、覚えておいて下さい。

レストランに行ってチャイニーズヌードルを頼んでも、焼きそばのような炒め麺が出てくる。ラーメンのような汁麺タイプの料理が存在しないのだ。スーパーマーケットにはちゃんとカップヌードルやインスタントヌードル、日本の日進のチキンラーメンまで売っている。それなのに、作ってみるとかならず汁のない麺(ヌードルにインドマサラ味が付いたもの)が出来あがる。調味料を含んだスープが、全部ヌードルに吸い込まれてしまうのである。

テレビでも、ときどきインスタントヌードルの宣伝をしているからよく観察しているのだが、やっぱりわざと汁麺にならないように作られているのだ。Maggyというヌードルの宣伝では、なんとヌードルをパンにはさんで食べるシーンまで出てくる。それを見るたびに、どれだけ汁がないんだ!といちいち叫びたくなる。

この「汁麺ない」問題についていろんな人と議論しているけれど、結局「いや、暑いからじゃない?」という結論しか出ない。多分暑いからあつあつのラーメンなんか食べたい人がいないんだろう。でも私は食べたい。

そう思っていたら、ルームメイトの韓国人の女の子がなんと自家製ラーメンスープを開発してくれたので、私の麺生活は一気に向上することになった。ラーメンの汁はちゃんと自分で作れるのです。インスタントヌードルの麺だけ使って、インド風調味料をぽいっと捨てちゃえばいいのです。というわけで、汁麺なし生活で悲しい日本人のためにここで作り方をご紹介します。

【簡単自家製ラーメン汁の作り方】(一人分)

1. 茶碗一杯分のお湯を沸かす。
2. チキンスープの素または野菜スープの素を半分に割って溶かす。
3. 醤油をスプーン1杯ほど入れる。ここで味噌にすると味噌ラーメン、塩にすると塩ラーメン。
4. 野菜と麺を入れて煮る。
5. 煮えたらにごま油かサラダ油をスプーン1杯入れる。

おお、ラーメンだよ!と叫ぶこと間違いなしです。絶対おいしいので試してみてください。

June 18, 2009

インドは暮らしやすいか?

先日、日本の地方のラジオ番組の生放送10分コーナーで電話インタビューを受けた。スラムドック・ミリオネアの影響でインドを特集することになり、ムンバイに在住している人のブログを探したらしい。

インドのよさを人に伝えるのは難しい。いわゆる面白いことを語ろうとすれば、必然的に衝撃的な出来事を語ることになってしまい、「うーん、それは大変ですねえ」という印象を与える不本意な結果になってしまう。かといって、暮らしやすいです、楽です、といえばこれはウソになる。

ラジオでも、最初に「どうですか、インドは日本人にとって住みやすいですか」と聞かれて、「うーん、あんまり住みやすいとはいえないかもしれませんねえ。好きな人は好きですけど、ダメな人にはダメみたいですね」と言ってしまい、あっという間に「インドは住みにくい国」という印象を与えてしまった。しかしそれが本当のところである。あんまりいいことばっかり言って、それを真に受けた人がたくさんインドに移住して、あの日本人嘘ついてたな、と後で恨まれてもイヤだし(そんなことはないだろうけど)。

実際、インドが住みにくいと感じる外国人は少なくない。みんな実に様々な問題に遭遇している。分類すると以下のような感じになると思う。

(1)環境問題: 暑い、豪雨、カビ、蚊、ゴキブリ、ネズミ、停電、断水、電車が来ない、その他
(2)人間関係問題: インドのビジネスのやり方についていけない、など
(3)お役所問題: 外国人登録、Visa書類手続き、などなど
(4)食糧問題: 和食が売ってない、韓国料理が売ってない、インド料理は辛い、などなど
(5)治安問題: 痴漢、ナンパ、詐欺、テロ、等

まあ、いろいろある。

いろいろあるとはいえ、ストレスの種類は日本にあるものとぜんぜん違う。もっと問題が可視的でフィジカルである。「あーもう、こんなことがあってあんなことがあって、もう!」と人についつい話したくなる種類のものが多い。だから、日本的ストレスにまいっている人には、けっこう新鮮でいいんじゃないかと私は思う。どこにいてもなにをやっていても、同じように大変だとしたら、まあ、大変さの種類ぐらいは自分で選びたい。

June 6, 2009

寿司レストランに行き損ねた私 ―反復と移動

先週の木曜日、同僚の日本人二人が寿司と中華のレストランに行った。ついていけばよかったんだけれど、レストランがバンドラという電車で1.5時間ほど行ったちょっと遠くの街にあるため、かなり悩んだ末にあきらめた。基礎体力がなく、生きているだけでけっこう精一杯なため、平日に出掛けたりして週中で倒れるのが怖いのだ。だからあんまり新しいことを週中にしない習慣が付いてしまっている。しかし今深く後悔している。頭の中は寿司と中華でいっぱいである。

人の中には、新規なものを追い求めることを好むものと、同じことの反復を愛するものがいる。私は明らかに後者のグループに含まれる。通いなれた場所を好み、気に入った同じメニューを毎日食べる。新しい映画を100本観るより、気に入った1本の映画を100回繰り返し観る。新しい本を次々買うくせに、暇があると何度も読んだ古い本を開いている。

インドで暮らしているというと、知らない人には日々が冒険のように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。私のように、「今日は仕事帰りに駅前にアイスの屋台が出てるかな?」という種類の喜びを糧にして生きている人間にとっては、どこにいても暮らし方はほとんど同じである。自分が偏愛できるものを作って、それと自分との関係をどんどん密にしていくことでエネルギーを発電しているのだ。

茂木健一郎さんは仕事論の対談で以前、「仕事が退屈だ、と言う人は想像力が足りないんだ」と言っていたけれど、私もその意見におおむね賛成である。仕事に限らずたいていのことは退屈するには早すぎる。同じ味のアイスを100回食べても、自分がなぜその味に惹かれるのかまだわからない。人間にしても、同じ人を1年見ていたらかなりの変化がある。成長、成熟、衰え、荒み。関係も変わる。好きになったり嫌ったりを繰り返す。髪型も、暮らしも変わる。去る人、来る人、残っている人。定点からものを見ているからこそわかることがたくさんあり、時間をかけなければ見えないこともある。

一方で、変化がなければ考えや感情が擦り切れていく場合もある。同じことが毎日気にかかったり、同じ相手が毎日憎らしかったり、同じ仕事にうんざりしたり、同じ悩みをずっと抱え続けたり、そういうネガティヴな思考や感情のサイクルが固まってしまうと、同じところをぐるぐるめぐって自分ではそのトラックから逃れられなくなったりする。なにが問題なのかどうしてもわからないときには、さっさと今の持ち物を放り出して新しいことを始めたほうが早い。「今が移るときだ」という瞬間に気づかず逃すと、そのあとしばらくがかなりしんどくなる。

とどまるか、移動するか。

May 30, 2009

「誇り」の価値観

これまでの経験からいうと、インド人のヒンドゥ教徒で自分のカーストを自己紹介で言う人間はブラフマンだけである。人に尋ねにくいデリケートな話なのであまり具体的な情報が入ってこないせいか、2年間ムンバイに住んでいてもいまいち現在のインドのカーストシステムがどうなっているのか私にはいまいち全体像がつかめない。しかし一つだけ言える事実は、自己紹介で自分がブラフマンだと言う人はブラフマンの生まれであることを誇らしげに語るということだ。

こういうとき、「あ、そう。・・・で?」という反応以外にはしようがない。その価値観の完全に外にいる人間からしてみれば、なにがどう誇らしいのか、びっくりすればいいのか感心すればいいのか、まるでわからないのである。こういうことがあると、なんとなく不愉快なような、奇妙な感覚が残っていつまでも気になる。そんなことを誇りにして恥ずかしくないのか、と正直反感をもつこともある。

でも実際には、ブラフマンであるということがその本人にとってどういう意味を持つのかは私には分かりようがないので、つまらない議論をしないで黙っているよう心がけている。そういうファンダメンタルな部分で価値観が違う相手とファンダメンタルな部分で話し合っても、意見が一致したりすることはほとんど永久にないといってよい。

何に誇りを持つべきか、持たざるべきかは、文化や個人の価値観によって違うからなかなか他者と共有できない。しかし、それ以前に、「誇り」みたいな高尚な感情そのものの存在が不気味だし、危うい香りがするから好きになれない。人が自分について何かを誇りに思っている様子をみるとなんとなく惨めに見えるし、自分自身の中に何か誇らしい気持ちわいてくると、頭の端でもう一人の自分が自分の幼稚さを笑っている声が聞こえてくる。

それとは反対の表現に「謙虚」があるが、「謙虚」は「誇り」のコインの裏表である。

以前、インドに住んでいるイギリス人の知人に「インドは英語が通じるから、イギリス人には便利は便利だよねぇ」というようなことを言ったら、「自分はイギリス人だから、世界中のどこに行っても英語でコミュニケーションできる。外国の人たちは一生懸命英語を勉強して、イギリスやアメリカの人間と話そうと努力している。そのせいで自分は怠惰になって、他の国の言葉を学んで現地の人と話すという謙虚さを失ってしまう。だからできる限り英語以外の言葉を学ぼうと努力している」と真剣に返された。こういうのをノーブレス・オブリージュというのか、と思った。素晴らしい態度である。

しかし、英語ネイティヴでない人間が聞くと実際にはあんまりピンと来ない理屈ではある。旅行したり、国際的なビジネスやアカデミックな世界では英語ネイティヴであることがアドバンテージになることは確かにあるのかもしれないけれど、それはそれである。何も勤勉だから英語を勉強しているのではなくて、必要に駆られて勉強しているのである。そこを生きる姿勢の話に読みかえられると、必然的に英語ネイティヴでない人間のほうが社会的な立場上、下であると暗に言っているように聞こえる。そういう感覚は、無意識に上からものをいっている人間には感知できないが、文脈的に下の立場にされた人間にとっては身にしみて感じることである。

他人の価値観はほんとうにわからない。共有しようとしないで、ただ現象として理解するしかしょうがない。他人もまた、私の価値観に対して同じだけ謎に思い、ときには反感を感じているのだろう。

May 21, 2009

電子レンジで作る簡単照り焼きチキン

会社の同僚の日本人の方々が、最近ついに電子レンジが使えるフラットに引っ越した。これまでのフラットはアンペアが低すぎて、電子レンジを使うとブレーカーが落ちてしまったのだそうだ。というわけで、お祝いに私の超簡単照り焼きチキンレシピを紹介します。


1. 鳥の胸肉のかたまりをハイパーシティーかSector-17の肉屋で買ってくる。量、ワンパック。

2. 電子レンジ専用のタッパーに肉をそのまま入れる。コショウと塩をちょっとまぶす。

3. 醤油おおさじ1~2、砂糖おおさじ1~2、蜂蜜おおさじ1~2をそのタッパーに入れて5分ぐらい漬け、肉をひっくり返してまた5分漬ける。

4. 電子レンジに4分かける。肉をひっくり返してまた4分かける。するともう肉に味がしみ込んでしまう。

5. ここで肉を取り出し、タッパーに残った肉汁とソースをフタなしで1~2分煮ると照り焼きソースができる。

6. 肉にソースを絡めて出来上がり。


簡単で失敗無し。おいしいので試してみてください。

May 16, 2009

日本とインドの類似と相違

ちょっと前に、インド人の同僚数人とブッフェ形式の立食をする機会があった。そのときに、食べ終わったお皿を誰が片付けるかということで、遠慮のしあいが起こった。

「あ、私もちょうど食べ終わりましたから、お皿一緒にもって行きますよ」
「いやいや、大丈夫、あとで自分でもって行きますから」
「いえいえいえいえ、ホントに、やりますから、お皿を渡してください」
「いやいやいやいやいや、ほんとに気にしないでいいですから」
「まあまあまあまあまあまあ、やらしてください、ほら、お皿を下さいってば」

・・・みたいなことを延々とやり続けるのである。どっちも譲らないのでいっこうに交渉が終わらない。あんまり長いので、途中でゲームみたいな雰囲気になってきて、お互い「負けませんよ」という感じになる。珍しいことだがときどき見られるのである。へー、インド人もそんなことするのか、とけっこうおどろいた。

先日、仕事で「嫁と姑の争いを止める夫」というイラストを描いていたところ、インド人の同僚がそれを見て「おお、典型的なインドの家庭の図だね」という。いや、日本の家庭のつもりで書いたんだけどね、と答えると、「えー、日本でも嫁姑戦争って存在するのか、インドだけの特徴かと思ってた」と言われた。インドでも伝統的な日本の家庭と同様に妻が夫の家に嫁いでくるのが一般的なので、嫁姑問題はけっこう深刻なんだそうである。古典的なお昼のドラマの題材でもある。

ところかわっても、人間関係のこういった機微は変わらないものなんだなあと思う。

一方で、自分の常識が通じない場面ももちろんよくある。2、3日前も、道を歩いていたらスラムの子どもが3人ほど駆け寄ってきたので鞄に入っていた自分のおやつのあまりの安いカステラを人数分だけ一番先頭にいた子どもに渡した。よく見かける子どもたちのグループだったので、仲間3人でちゃんと分けるだろうとなにも疑わずにあげたら、その子はカステラを一人で全部もってさーっと走ってどこかにかけていってしまった。

「あ」と思ったときには他の子たちが、なんで私にはくれないのよ、という非常に恨めしい目をしてにらんでいた。こういう場合はちゃんと一人ひとりの手にわたさないとだめなのである。昔、小学校でよく兎を飼っていたが、菜っ葉を差し出すと大体5匹もいたらアグレッシブで力の強い2匹ぐらいが走ってきて奪い合いになり、体の小さい子兎はこわがって近づけずご飯にありつけなかったが、あれとおなじなのである。大きい兎が固い菜っ葉に夢中になっている隙に、小さい兎にうまく食べさせるのに苦労した記憶がある。

何が同じで何が違うのかは、人と付き合って経験してみないとわからない。自分のアクションにどんな反応が返ってくるのかをびびらずに、期待をせずに、面白がって観察していると、類似性と相違がさまざまに見えてきて面白いのだ。

新しさの2つの形

仕事で毎日ネタ不足に悩んでいる。思いつきは山のようにリストアップされていくのだが、実際何がいいネタでなにがたんなるくだらないネタなのかを始める前から判断するのが難しい。だからほとんどの場合、うまくいったときの絵が浮かぶかどうかと、思いついたときのアドレナリンの分泌量で決めるしかない。

問題は、「このネタははたして本当に新しいのか」ということである。新しさには基本的に2種類ある。

1. 既存の問題(テーマ)に対するアプローチ方法が新しい
2. 提示した問題(テーマ)そのものが新しい

1のほうは、すでに世の中に存在する、だれもが謎に思っているような問いに新しい角度から答えるやりかたである。ラーメン屋で例えると、「このスープをどうしたらもっとおいしくできるのか?」というファンダメンタルな問題に対して「とんこつと鶏がらを一緒に煮たらどうか」、「昆布を入れたらどうか」、といった新しい解決策をみつける。成功すれば、結果として『もっとおいしいスープ』という、誰もが求めているものが出来上がるので、たくさんの人に愛好してもらえる。

2のほうは、こっちもラーメン屋でいうと新しいラーメン料理を考えるということになる。たとえば、チャーシューを細―く切って麺の代わりにした『これがホントのチャーシュー麺(肉が大好きな人用)』とか、ラーメンを肉まんの中に詰めた『ラーメンまん(戦いません)』とか、そういうやつを開発するわけである。こっちの場合、よほどそのアイディアが「ああ、それだよ、それだったんだよ」という人々の共感を得られない限りヒットしない。そうすると、単なるくずアイディアということになってリスクが高い。

というわけで、仕事では1の新しさを追求することのほうが圧倒的に多い。「こんなの見たことなかった」というホントの新しさで勝負するのは危険だし、難しい。誰かがすでにやっていることの、そのちょっと上を行きたい、そしたら少なくともマーケットがすでに存在しているし、成功すればちゃんと売れることが分かっているからである。ただし、自分のほうがうまくやれるかどうかの保証はない。トライしても、たいていの場合特に新しくもなんともないものができてそれで終わりである。

そういう仕事ばかりしているとだんだん自分が後追いをしているだけだという事実にうんざりしてしまうこともある。とことんくだらなくてもいいから、まったく誰も考え付いたことのないところで新しいとんでもないことをやれたらいいのにという気持ちになることもある。

これは仕事に限ったことではなく、いろんな状況にあてはまる。例えば学術研究で言ったら、1.先行研究が大量にあるテーマ、2.先行研究が一つもないテーマ、である。1の場合はみんながやってるから世の中に価値は認められやすいけれど、自分が他に秀でる見込みが少ない。2の場合はうまくすれば先駆的な研究になるけれど、誰の興味も引かない可能性が大である。

人生にどちらを追求するかは、性格とか好みとかで分かれるのだろうが、自分がどちらに向いているのかはわからない。いずれにしろ、もっと面白い仕事をしたい、というところに尽きるのだが。

May 4, 2009

抜け毛予防シャンプーを買うな―女性の髪と石のフロア仮説

インドでは、なぜか女性用抜け毛予防シャンプーがやたらと販売されている。テレビでもあらゆるメーカーが抜け毛予防シャンプーを宣伝していて、「Hair fall防止80%!こんなに引っ張っても抜けません。」みたいなコピーをじゃんじゃん流している。日本ではあんまり女性用の抜け毛予防シャンプーは主流ではないのでなんとなく変だ、と常々思っていた。

なぜか。インドでは環境と気候のせいで髪が抜けやすくなるのだろうか、と最初は考えていたのだが、最近別の理由に気づいた。

私の仮説では、これは単純にインドの床が白い石作りだからである。実際、インドの家に住んでみると分かることだが、たいていの家は床が大きな白い石のタイルで敷き詰められていて、ピカピカ光っている。掃除をしないで3日も放置しておくと、床の上に落ちた自分の髪の毛が非常に目立って不快なのである。

しかも、これは長い髪をした女性だから、30センチも40センチもある黒い髪がぬらっと床に落ちているのが気になるのであって、男性の場合はせいぜい5センチぐらいの髪が床にぱらぱらしていてもあんまり目を引かない。しかもインド人の女性のほとんどが超ロングヘアである。だから、女性用の抜け毛予防シャンプーが10種類も棚に並んでいるのに、男性用のシャンプーはあんまりバラエティがないのである。

インド人女性はみんな「自分は抜け毛が激しい」とカン違いしているのである。日本の女性も同じぐらい抜けているのだろうが、床が茶色のフローリングだったり畳だったりするから気づかないだけなのだ。きっとシャンプーを作っているメーカーの研究者は、一日に抜ける人間の髪の毛の本数ぐらいは知っているだろうが、マーケティング的にそこは目をつぶって、シャンプー開発に努めているに違いない。

私も「うーん、どうもインドに来てから抜け毛が激しいなあ」と思って抜け毛予防シャンプーを買っていた一人である。しかしこの単純な理屈に気づいて、そうかそうか、と思ってちかごろ普通のシャンプーに変えた。思い込みというのは恐ろしい。A+B=Cという単純明快、誰から見ても当たり前に見える事実が実は仮説の一つに過ぎない場合もある。ちょっと突っ込んで考えればわかったのに、ということには、たいていずっと後で気づく。気をつけなきゃいけないなあ、と思いつつ、ついつい素朴理論に頼って毎日をやりすごしているのである。

May 1, 2009

手紙だけの夫婦愛は成り立つか? ―The Japanese Wife

“Japanese Wife” という短編小説集が、インドの本の全国チェーン店CROSSWORDの2008年ベストセラーに入っていたので買ってみた。表題の作品は、映画化されて今年度公開予定らしい。

雑誌の文通欄で知り合ったインド人の男と日本人の女が、一度も会わないまま文通だけで結婚し、手紙だけのやり取りで夫婦生活を送るという、あるいみでは特殊な愛の話だ。とても短い静かな小説である。ラストがなかなか印象的でよかった。

プラトニックな男女の愛が一生終わらず続く、という状態がどういうものなのかあんまり想像がつかないのだが、ひょっとしたら長く結婚生活を送った経験がある人にはわかる世界なのだろうか。それはいったい友情とどう違うのか。なぜわざわざ結婚という形をとってお互いを縛るひつようがあるのか。などと、お話とはわかっていながらいろいろ想像をめぐらしたりして、ついついまたワイドショーの視聴者状態である。

ちょっと飛躍するようだけれど、結論としては、なにをよしとするかは自分にしか分からないものだ。どういうスタイルで生きるかというようなことは、人の意見を聞いてもどうしようもないことであって、誰にどう思われようと思ったように勝手にやるしかない。小説の主人公たちも、「手紙で子どもはできないだろ」などと周りから突っ込まれるのだが、特に気にしない。すると周りもそれを見ていてだんだん、「あ、これもありなのか」と納得してしまうのである。

昔、古い友人が就職活動のときに就職先に迷って電話をかけてきた。職業相談の担当者に、「周りの人のほうがあなたを分かっている。だから古い友人10人に電話をかけて、どの仕事がむいているか意見を聞いてみなさい」と指導されたという。私は大学で職業指導を選考したので、そんなあほなアドバイスをしている担当者はどこのどいつだ、とびっくりしてしまった記憶がある。

この人と結婚して大丈夫だろうか、この仕事を選んで後悔しないだろうか、などと聞かれたって答えようがない。決断が「正しい」かどうかがポイントではないからだ。私たちは何もウルトラクイズをやっているのではない。

これで自分がハッピーになれるはずがない、とすっかり分かっていながらも選ばざるを得ない道もけっこうある。結局のところ、AからC、どのドアに飛び込んでも地獄である。粉まみれでも、水びたしでも、泥沼でも、どれにしても難儀なわけなら、まあ選んだ瞬間に楽しいものに行ったらいいんじゃないかと思う。あとのことは分からない。

April 24, 2009

外側と内側

ムンバイのマジョリティはヒンドゥ教徒らしい。イスラム教徒とキリスト教徒がそれに続き、シーク教、その他の宗教がさらに続く。ちょっと前にブログでMumbai Meri Jaanという映画の紹介をしたが、それに関連した話である。

たまこのブログでも詳しく書いているけれど、物語の中には、イスラム教の人々を敵視している男が登場する。彼はヒンドゥ教徒で、イスラム教徒を無差別に蔑視し、テロの関係者ではないかとかぎまわり、つけまわしたりする。物語の最後には救済があり、彼はイスラム教徒の青年がいかに自分と同じ魂を持っているかを知るようになる。素晴らしいエピソードである。

しかし、観おわった後にどうしても、これをイスラム教徒の人が見たらどう感じるのか、とちょっと心配になってしまう。ちょうどアメリカの視点から作った戦争映画で、日本兵が実は同じ心を持った人間だった、という描かれ方をするのと似たような薄気味悪さを感じるのではないだろうか。こういう現象は、一つの視点から作品を作ったときにはどうしても起こりうることである。

灰谷健次郎の「兎の目」という小説がある。新任の若い女性教師が食肉工場勤めの家庭の貧しい子どもたちとふれあい、教師としての生き方を見出していく物語で、名作である。貧しさと迫害の外にいる人間からすれば、そこには発見がある。しかし、もともと内側にいる立場からしてみれば、自分たちの中に当然ある人間性を、今ごろ発見されてもね、ということになるだろう。

もちろん迫害されているものにとって、この種の描かれ方に社会的利益がないわけではない。例えば、「パールハーバー」みたいな日本軍が徹底的に悪として描かれている作品が作られるよりは、「父親たちの星条旗」や「硫黄島からの手紙」のような作品が作られたほうが日本人にはメリットがあるかもしれない。

しかし、そこには外側にいる人間の高慢さも同時に現れてしまう。それが、どうしても不気味でならない。

Mumbai Meri Jaanのような作品がムンバイで作られ、受け入れられるということは、部分的にはそれだけヒンドゥ教が優勢であり、ムスリムのほうが弱い立場にあるということの表れにもなる。それをさらに外側から見ている日本人の私にとっては、ただ冷静にその構図が浮き彫りになってみえる。

誰が誰に向かって作品を作っているのか、どれだけ普遍的に聴衆をキャプチャーしているのか、そういう部分が問われるのかもしれない。どこまで自分の立場を超えてものを見ることができるか。他人と生きるときに避けられないテーマだが、そこには限界があるのだ。

April 22, 2009

愛あるかぎり戦いません

ムンバイに来て幸せに暮らしたい人に向けて金言を授けるとすれば一つしかない。「戦ったら負け」、これにつきる。私ものんびり平和に暮らしているようにみえて、今でもごくたまに、この一言を自分に言い聞かせている。なぜなら、インドは実際、変化を容易に受けいれない国だからである。

「ほぼ日イトイ新聞」で原丈人さんという方と糸井重里さんの対談を連載している。それを読んでいたら、原さんが「インドは脅威にはならない。インドは統計的には豊かになったように見えるけれども、実際には貧しい人が増えているばかりだ」という話をしていた。そういわれてみると、実にその通りだと思う。

ムンバイで暮らしていて、確かにインドの経済は発展しているように見える。狭い町に1年で新しいショッピングモールが3つも建ち(そのうちの2件はすでにつぶれかかっているのだが)、雑誌ではモダンなライフスタイルが紹介されて、とにかく物が売れて、車が売れて、経済が動いているように見える。

しかし一方で社会制度はまったく整っていないし、貧乏な人は貧乏なまま、子どもは学校に行かずお皿を洗っているし、役所はめちゃめちゃでろくに機能していないし、ゴミ問題はどうしようもないし、公害のおかげで空気は悪い。チャイ屋はチャイ屋。企業家は企業家。掃除婦は掃除婦。物乞いは物乞い。ある面では、ほとんどの面では、まったく変化が起きているような印象を受けない。

社会自体の構造がよくなっているわけではなく、単に既存の社会システムの上のほうににポンと経済社会のロジックを置いただけのような感じだ。プラモデルの船上にプラモデルのロボットを置いたような印象で、いまいちその2つの融合がうまくいってない。

例えば郵便局に行く。20分並んでいても誰も受付に人が出てこない。いらいらして怒鳴る。すると隣の窓口の人が「そこランチ休憩中だよ」という。じゃあ誰か他の人が出てこいよ、と文句を言ってみる。責任者出せ!と叫んでみる。しかし、もし責任者が出てきたとしても、黙って首を横に振るだけである。どうしようもないね。まあもうちょっと待ってなよ。確かに待ってるしかなさそうである。係りの人が戻るころには疲れきっていてもう怒る気なんかなくなっている。むしろ帰って来てくれた喜びでいっぱいである。

郵便局を出るころには、「ああ、最初から腹を立てなければよかった」と自分の態度に後悔している自分がいるのである。のれんに腕押しとはこのことを言うのか、と達観して、読んだことはないけれど、自分がドンキ・ホーテを気取っていたようなばかばかしい気持ちになる。変わらないものは変わらない。少なくとも、自分がここで叫んだところで変わったりしない。周りを見まわしてみると、腹を立てているのは自分だけである。

そういう経験をいくつか通過すると、そもそも戦うことが何かを変えることにつながるのかどうか、そのやり方そのものに疑問がわいてくる。「やめなさい!」と言われて「はい」とおとなしくいうことをきく相手はそんなにいない。腹を立てたり、人を論破したり、そういうやり方は相手の気を悪くして話をややこしくするだけで、変化をもたらさない。エネルギーの無駄である。戦ったら負けなのである。

これはインドに住んでいない人にとってもあらゆる場面であてはまることだと思う。戦いを挑んだ人間は、その態度そのもので負けが決まっている。そもそも「戦って打破する相手がいる」という空想自体が思春期的で、幼稚なのだ。戦って変えようとするほうが間違っている。相手が人間にしても、制度にしても、文化にしても、それは同じである。・・・というように達観して、なにごとにつけても戦わないことをモットーとして暮らしている。ムンバイで暮らしている方にはご承知の通り、場面によっては言うほど簡単ではない。しかし、このルールを肝に銘じていなければ自分が消耗していく。

敵がい心を捨てて、被害者根性を捨てて、いかにして純粋な愛情によってことを行うかを常に考えるしかない。まあ足を踏み出してしまえば心地よい世界がやってくる、はずだ。

April 20, 2009

ヤギ・・・・・・・の肉

このあいだ近所のレストランで食べたマトン・カレー(正確にはゴート・カレー)が非常においしかったので、マトンを使った料理にチャレンジしてみることにした。ちなみにちょっとややこしいのですが、インドで「マトン」といったら「ゴート」、つまりヤギの肉のことです。マトンといったら普通、羊の肉のことだと思うのだけれど、どういうわけかインドではヤギ肉のことをマトンと呼ぶ。

なんで?と今隣にいる上司に聞いてみたところ、「ふーむ、でもマトンって英語だしなあ。もともとインドの現地語じゃないわけだし、イギリスから来た呼び方だからねえ。他の国はどうなのかなあ、アメリカでもあんまりマトンって食べないしねえ・・・」と、一応親切で議論に付き合ってくれたが、暗に「俺は知らない、他を当たってくれ」というメッセージがこめられていたようであった。どなたか知っている人があったら教えてください。

ということで、スーパーで骨なしヤギ肉のぶつ切りを買って、まずは家に常備してあったポートワインで煮てみた。ワイン煮にしようとおもったのだがワインがなかったのでポートワインを使ったのだ。ちょっと甘いぐらい関係ねえだろ、といういつもどおりの省略・読み替え・仮説検証的料理方針である。30分煮てみた。野菜を投入してビーフシチュー風になったので、ライスを添えて盛り付けてみた。食べてみた。固い。食べられる固さではない。あきらめてナベに戻す。気づいてみると部屋中が獣の匂いでぷんぷんである。

何かがおかしい、と首をかしげて、エクスペリメンタル料理のことで頼りにしている兄に相談してみたところ、水から弱火で煮ればやわらかくなるらしい、という結論を得た。そこで、前日のワイン煮を「洗って」、水につけて消えるか消えないかの弱火で1時間ほど煮直してみた。15分ごとに肉を取り出して押してみては、「いや、まだ早い!」とナベに戻すのと繰り返したところ、肉がとうとうほろほろになった。そこで、大量の醤油としょうがと砂糖を投入して、佃煮風に味付けしてみた。これなら食べられる。

さらに、あまりにも味が濃いので赤米と一緒に炊飯器で煮て炊き込みご飯にしてみたらさらにおいしくなった。うーん、75%ぐらいで成功である。

しかし、ヤギの肉というのは実にまったりとしていて味が濃い。噛んで飲み込んだ後、舌に「ヤギ・・・・・・」という感じがいつまでも残る。だから普通より多い量の醤油を使って濃い味付けで煮込んでも肉の味のほうが勝ってしまう。レストランではたいていマトンはミンチにスパイスをふんだんに投入してケバブにして出しているが、あれがよく理解できる。あのまったりエキスを利用してうまく調理できたら、舌もとろけるシチューとかできそうなんだけれど。もうちょっと研究が必要なようである。

April 17, 2009

「楽」、インドで迎えた30歳の誕生日

インドで30歳になった。ここで迎える3回目の誕生日である。会社にいたのでたくさんの人に「おめでとう」と言われて握手を求められたり、日本にいる上司がたどたどしい日本語で「タンジョビオメデトゴザイマス」と電話をくれたり、チャットやメールで祝ってもらえていい気分である。元ルームメイトのたまこは自分のブログにHappy Birthdayポストをしてくれた。

みんな人の誕生日をよく覚えているなあ、と感心していたら、会社のイントラネットでもSNSでも友達にお知らせがいくようになっているのだ。それだけでなく、会社のレセプションのデスクのところに社員の誕生日リストがちゃんと張ってある。おかげでオフィスの掃除のおばちゃんまでお祝いを言ってくれる。よくできている。

30歳というと、小学校のころの30代の女の先生を思い出したりなんかして、ああ、子どもからみたら私はもうお姉さんには見えないに違いないなあと思うとやや悲しい。インド人はよく「日本人は若く見えるなあ~」などと言うけれど、私は顔の作りや雰囲気が全体的にあんまり若々しくないためか、インド人から年より若く見られたことがない。今日も「いくつになったの」と聞かれて「いくつに見えるか?」と逆に訪ねると、「うーん、29か30か・・・」と言われて、ああそうかい、と思った。まあ、いいんですけど。

地味な小学生だった時代に、きっと自分のようなやつはなにをするにも時間がかかるから、30過ぎたころに人生の花が来るにちがいない。だからそれまでは適当に生きとこう、と勝手に想像していたのだが、人生そういうもんでもないらしい。適当に生きていたら適当な30代がやってくるだけである。

ともあれ、今の気持ちを一言でと問われたら、迷わず「楽」と答える。28でインドにやってきて、多少今までとは変わった苦労をしてみようではないかと考えていたのにもかかわらず、まるで次元がくるっと変わったように安寧な日々がやってきた。こんなに楽に暮らせるもんなのか、と驚いている。そのうちこの安寧をなぎたおす何かがやってくるかもしれない、と恐れないではない。あとから振り返って今が一番の「楽」にならないように鍛錬していきたいものだ。

年齢的にもようやく自分の力量とペースがつかめてきて、もう自分に自分がどれほどのものであるかを証明する必要がなく、他人の目からも自由になり、この2年間で少しずつ余計な力が抜けてきたように思う。力が抜けた分の余力をつかって、これから一年に一つのペースで、何か新しいことをやれたらいいと思っている。

ちなみに私の誕生日の覚え方ですが、4月15日、「ヨ・イ・コ」と覚えると簡単です。記憶術で言うと、「あいの誕生日→お笑い芸人のよいこ→4月15日」と思い浮かべればよいわけです。ふふふ、親切でしょう。

April 13, 2009

ムンバイ、マイ・スイートハート ―映画、Mumbai Meri Jaan-

映画、Mumbai Meri Jaan (ムンバイ・メリ・ジャーン)を観た。去年の8月か9月ごろに公開して、辛口TimeOutが4つ星をつけていた作品だ。よさそうなヒンディ語映画のストーリーを字幕なしで理解するのはかなり困難なので、DVDが出るまで待っていたのである。素晴らしい映画であった。

2006年にムンバイで発生したローカル線の爆破テロにまつわる話だ。電車に乗っていて生き残った人、愛する人に死なれた人、事件のレポートをする記者、事件後に見回りに借り出される警察官たち、ムスリムとヒンドゥ、金のある者と貧困な者。事件後のムンバイ市民の人生をありとあらゆる角度からとらえてまとめ上げている。悲惨なのに、ラストはひたすらやさしい。

インドにいると、人間をステレオタイプで見る傾向が強くなると思う。少なくとも私はこの映画を観て、自分がずいぶん人を分類して見るのに慣れきってしまっていると感じた。金持ち、中流、貧乏。インド人、西洋人、東洋人。ムスリム、ヒンドゥ、クリスチャン。リキシャの運転手と客。警察と市民。テレビの中の人と、外の人。だって外見の違いがとにかくはっきりしているからだ。

もちろん、人を知ってしまえばそういう表面的な違いは瑣末なことに過ぎない。付き合っていれば、個人の人格的な差は文化的な背景の違いとは比べ物にならないほど大きい。友達や同僚の社会的バックグラウンドなんてほとんど知らない。しかしよく知らない、普段あまりかかわりがない人にたいしては、見かけでどういう人間かを判断し、決めている。ベージュの制服を着てひげを生やした警察官に自分と同じような複雑な思いがあるなんていちいち考えたりしない。

それが映画自体のテーマでもある。主人公たちは事件を通じてそれぞれが、それまでの自分とは違った人間の立場に身を置くことになる。被害者だと思っていた人間が人を傷つけるものの立場を経験する。部外者だったものが関係者になる。

この映画のもう一つの魅力は、Vashiに住んでいる人/住んでいた人だけにしかわからないが、われらがCentre One(センターワン)が映画にたくさん登場することである。センターワンとは私の家から歩いて5分のところにある小さなショッピングモールです。周囲にたくさんおしゃれなモールができてしまって倒産の危機に瀕している様子だが、映画にも出たぐらいだしがんばってほしい。どんなにかっこいいブランド・モールができたとしても、センターワンはマイ・スイートハートだ。

だからVashi在住の日本人の皆さんは、サブウェイ・サンドイッチを買うときには必ずInorbitではなくセンターワンを利用していただけるよう、ご協力お願いいたします。

April 10, 2009

幸せの黄色いマンゴー

暑い。今年のムンバイは特に暑くて、4月上旬の今、昼間確実に40度を越えている。オフィスからランチをたべに外に出た瞬間に、「うおおお、あちいいい」と叫ばずにはいられない。

日本では岩盤浴がはやっているが、4月の第一週目の気温と湿度は日本の岩盤浴場と同じであった。空気が体温よりやや熱いぐらいで、じんわり汗をかいて、おお、これは肌と健康にとってもいいに違いない、と思っていた。しかし、第二週目を過ぎると恐ろしいことに、今の気温は韓国式サウナである。分厚い麻のブランケットを体にかけて、タンドールかピザの窯みたいな部屋に入るあれだ。日中の日なたは暑さでとても立っていられない。

インドは南国である。

しかし、4月、5月の一番暑い時期はマンゴーの季節でもある。町中でマンゴーが売っている。スーパーマーケットや果物マーケットだけではなく、道端で商人がマンゴーの箱を担いで売り歩いている。日本でもマンゴー味のデザートはずいぶん人気だけれど、自分で買うにはちょっと高級フルーツですよね。インドでは1個10ルピーぐらいから売っていて安いし、めちゃくちゃおいしい。夏のインド旅行は避けようと思っている方、マンゴーを食べまくるためにこの灼熱の時期にムンバイに来るのもひとつ、オツなプランだと思いますがいかがでしょうか。

大体5個ぐらいをまとめて買っておいて、朝ご飯のときに1個むいて食べる。眠たい朝も、あまいマンゴーを食べると幸せな気持ちになって目が覚める。ときどき晩御飯の後にちょっとお腹がすいていると食べることもある。ふにゃふにゃのマンゴーの果肉をそそっていると、頭がマンゴー色になってまったくいろんなことがどうでもよくなる。マンゴーはおいしいからいいじゃないかいいじゃないか、という感じになって、「あーやっぱマンゴーうまいなー」とつぶやいて布団に入って眠ってしまう。

そもそも私はトロピカルフルーツの類が大好きで、日本に住んでいたときも時々奮発してパパイヤやアボカドやドラゴンフルーツなどをときどき買って食べていた。りんごは硬いし、みかんはすっぱいし、柿はえぐいし、日本のフルーツにはちょっと苦くて意地悪な部分がある。しかしトロピカルフルーツにはそれがない。やわらかくてただただ甘くて幸せいっぱいなのだ。こういう分かりやすい幸せが大好きである。

ドラえもんの道具のなかに「苦労アメ」とかなんとかいうのがあった。のび太の父が「苦労するほど人は立派になる」と説教したために、のび太が苦労したがってドラえもんに出してもらった水あめみたいなやつである。なめると軽い苦労が訪れて、人を立派にしてくれるのだ。

人生の辛酸は人を成長させるとは思う。自分にも、あの痛い経験がなかったら今の自分はない、と思う出来事がいくつかは思い出せる。しかしいっぱい苦労してきた人が意固地で根性曲がりになる例もけっこうあるわけだし、自分も他の人も、一生苦い思いをしないでハッピーにのんきなままやっていけたらそれだけで十分である。いちいち苦労アメなんかなめなくても、つらいことは絶対にやってくる。自分から追い求めることはない。

ということを考えながら甘く熟れたマンゴーを毎日食べている。毎日みんなでマンゴーを食べて暮らせたらこんなに幸せな事はない。あと2ヶ月。その後は、激しいモンスーンがやってくる。

I bought maonges from the fruit market, I am going to take th... on Twitpic

April 4, 2009

変えるのは小さいこと

毎日やるはずのデータ分析をさぼっていることを上司に指摘された。私はいまいち数字が苦手なので、ついつい後回しにしてしまうのである。「何でやらないの?」というので、「うーん、ついつい忘れちゃって」と答えると、「じゃあブラウザのリンク機能を使いなさい」とアドバイスされた。

IEのブラウザについている「お気に入り」の「Links」フォルダにウェブページを登録すると、ブラウザを開けたときに重要なサイトのボタンがメニューに表示されるようになる。「これから、ブラウザを明けた瞬間に分析に使うサイトや重要なページを全部開いて、仕事中ずっと開けっ放しにしておくようにしなさい」という。

はいはい、とそのときは生返事をしていたのだけれど、一応言われたとおりにブラウザをカスタマイズしてリンクボタンを付けてみた。すると驚くべきことに、この数日で仕事のやりかたが見違えるほど変わった。

いままでは「さて、分析するか」と決心してからページを開いていたのだが、今は目の前のリンクボタンをポチッと押すだけだから、精神的なハードルが下がって、思いついたら一日に何回もページを開く。目の前にボタンがあるから、なんとなく手持ち無沙汰になるとボタンを押していることもある。そのおかげでデータを見ながら新しいアイディアを練るようになった。

変えるのは小さいこと、と悟った。それからは、小さきを変えてブレイクスルーを起こすネタを探すようにしている。

煮詰まっているときや追い込まれて抜け道が見つからないときには、何かドラスティックな変化を起こして状況をひっくり返したいという欲求が起こる。人は大きなものにまず目がいくから、「何が悪いんだろう」と考えたときに、もっと瑣末で重要なことには気づかずに、目に付きやすいことを変えようとする。

ホントは右にあるバナーを左に置くだけですむかもしれない。カーテンの色を変えるだけでよかったかもしれない。夜の紅茶を水に変えるだけで効いたかもしれない。でもそれに気づく前にウェブサイトのデザインをそっくり変えてイメージを一新しようとしたり、引越ししてみたり、安眠枕を買ってみたりしてしまう。

でも本当は、「新しいアイディア」は大きくなくていいのである。むしろ小さければ小さいほどすぐに変えられるから、結果もすぐに現れる。そして、努力と費用の大きさとその効果は必ずしも比例しない。知恵がものをいうのである。

March 30, 2009

一人称で語るということ NEVER LET ME GO by Kazuo Ishiguro

この前、開高健の文体が好きだ、というポストの中で、小説のストーリーなんか実はどうでもいい、言葉が心地よければそれでいい、という話を書いたけれど、意見がちょっと変わったので反対のことを書きます。やっぱり物語はスゴイ。

週末かけて、カズオ・イシグロの “NEVER LET ME GO” (邦題:「私を離さないで」)を読んだ。何年か前に一度日本語の翻訳版を読んで衝撃を受けたので、ちょっとショックが和らいで細部を忘れたころにもう一度読み返そうと思っていたのだ。

読んだことのない人のために説明すると、小説は主人公キャシーの静かな一人称で語られる。男女共学のボーディングスクール、「ハールシャム」ですごした子ども時代、その学校の奇妙な雰囲気とルール、学校を出た後の「コテージ」での青春。親友であるルースとトミーとの微妙な関係。キャシーが一見誰にでも覚えのある子ども時代の記憶にまぜて語る数々の謎の後ろには、実は恐ろしい事実が見え隠れしている。「ハールシャム」とは何なのか、子供たちが成長してから始める「donation」とは・・・。ふっふっふ。というストーリーです。

一人称の語りでは、読者はキャシーの視点からしか世界を見ることができない。私たちが普段生きているときと同じ状態だ。人間は自分が認識できるものだけを頼りに、脳の中で世界を構成している。他人にどんな世界が見えているのかは決してわからない。だから、彼女の知らないことは読者にも分からない。キャシーが誤解していることは、誤解したままの事実として読者に知らされる。それにもかかわらず、キャシーの目を通してみる他の登場人物たちの行動や言葉を通して、彼女には見えていない世界が確かにそこにあるということを、読者はずっと感じつづけている。

それが、カズオ・イシグロの作品の、ふつうの一人称スタイルの小説とは違うところである。作者と主人公のアイデンティティは完全に分離している。作者は主人公の口を借りて自分の言葉を語っているのではない。作者の意図は主人公の思いとは別のところにある。その歪みから物語の別の真実を読者に垣間見せようとしているのである。私が読んだカズオ・イシグロのほかの作品、「日の名残り」と「浮世の画家」もまた似たような構造の一人称小説だったと思う。

この一人称の構造も含め、ストーリーは読者が真実に近づくための伏線であふれている。「なにかがある」という思いが本の最後のページまで読者をすごい勢いで連れて行く。どうやったら一人称であれだけ冷静に、主人公とのコミットメントを持たずに他人の心を描けるのか、本当に不思議だと思う。

怖い。どういうわけか英語の原作のほうがずっと怖かった。原作と翻訳を両方読んだほかの人はどう感じたのか聞いてみたいのだが、翻訳を読んだときにはこの背筋が冷えるような恐怖は感じなかった。昨日の夜中に読み終わって、頭に残っているイメージが気になってうまく眠れなかった。怖い夢を見てしまった。大学の倫理学の授業で教材として使うのもいいと思う。ひょっとして、もう使っている学校あるのかな?

March 27, 2009

アルコールの限界値

最近お酒がめっきり飲めなくなった。どうもアルコールに体がアレルギー反応を起こしているらしく、お酒を飲むとしばらくして鼻水が止まらなくなり、ときどきのども痛い。ビールにもワインにも同じような症状が出るところを見ると麦アレルギーとかぶどうアレルギーとかそういう食品アレルギーとも違うみたいである。

アルコール摂取量が一生分の容量を超えたということだろうか。

というのは、大学時代の友人がよく、「うちの父親は海老が大好きで、子どものころから毎日海老ばっかり食べ続けていたら、あるとき急に海老にアレルギーが出るようになりまったく食べられなくなってしまった」と話していたからだ。「人には人生でここまでという摂取量が決まっているのだ」と彼女は主張していた。だとしたら怖い。私は酒以外にもフライドポテトが大好きなのだが、ジャガイモが食べられなくなる日が来るのだろうか。

しかし、だったらご飯はどうなのだろう。日本人は毎日食べているじゃないか。パンはどうなのか。味噌汁や豆腐や納豆をあれだけ頻繁に食べていて大豆アレルギーが発症することはないのか。そう考えるとややこの説はあやしいのだが、海老とか酒とか刺激の強いものや特殊な成分が入っているものにだけ適用できる理論なのかもしれない。

とにかく、鼻水はうっとうしいのでややお酒を控えている日々である。私はわりとよく飲むほうだが、かといって今この世から酒がなくなってもたぶん平気だとおもう。若いころはそうではなかった。自我の防衛が強すぎたのか、アルコールを飲まないと自分が何を考えているのかすらわからず、人にも自分の気持ちが言えないというような時期があった。そのおかげで毎日酒を飲んでいた。

考えてみると私の家族にも似たようなところがある。しらふのときは静かであまり話さないのだが、酔っ払うと普段思っていることをいろいろ言葉にできる。だから人に会う前に酒を飲んで出掛けたりする。私はそれをやりだしたら底がないことを観察学習からわかっているので、落ち込んでいるときと緊張しているときには飲まない、というルールを決めて、これだけは守っていた。幸せなときにだけ飲むのが一番である。

一時期、2年ほど完全に禁酒したことがある。酒の席に出ても「やめましたから」といってまったく手をつけなかった。そのころは何か自分を戒めたかったようで、周りには無理をしているのがわかっていたらしい。それからしばらくしてあっけなく酒を飲みはじめたとき、叔母が「よしよし、それがいいそれがいい」といって、ほっとしたように嬉しそうに私を眺めていたのが印象に残っている。

インドに来てからというもの、気楽な生活で、いつも酔っ払ったように浮遊したように暮らしているからだろうか、前ほど酒を飲まなくなっていった。今は食事にあわせて飲みたいだけである。といっても週に一度は鼻水を我慢しながら飲んでいるのだが。しかしこういうのはある意味、進歩なり成長といえるだろう。

March 26, 2009

アイディアは釣りあげる

今朝起きて机の上を見たら、自分の手帳が開いていて、一番最初のページのそのまた前の厚紙の見開きいっぱいに巨大なよれよれの字で「アイディアを見つけることは、釣りのようなものだ」と書いてあった。

私は記憶力が悪いので何か思いついたらメモをする習慣があるのだが、ベッドのそばに電気のスイッチがないので、寝ている間になにかひらめいたときに時々暗闇でメモを取る。そして朝起きると枕元にまったく読めない意味不明なメッセージが残っているということがしばしばある。そういえば昨夜は汚い字でも朝読めるようにできるだけでかい字でページいっぱいに書いたんだった。それにしても、お気に入りの手帳の台紙の部分にこのボールペン書きの汚い字がこのまま1年間残ってしまうのかと思うとかなりショックである。

それは一時忘れるとして、アイディアと釣りの話である。今3月で締めの月ということもあり、仕事で4月からの1年に向けて仕事の計画を立てているのだが、そのおかげで毎日アイディア不足に悩んでいる。ネタは一体どこからどうやって見つけてくるのか?と疲れてぼんやりした頭で考えていて、夜中にもういいやと思って眠りかけた瞬間に、あ、これはなんだか釣りに似ているなと思った。

色の濃い濁った川に釣り糸をたらしているような感じである。糸の先が見えない。でも魚がいるに違いないと信じて根気よく竿を抱えているしかない。もういないと思ったら道具をしまって家に帰るだけだけれど、そしたら食べるものがない。来そうな気がする。なんとなくポイントがあっているような気配がする。下で動いている魚の動きが糸に伝わった・・・ような気がする。こういう期待を心に秘めて、じっくりひとりぼっちで腰を下ろしている感じがする。

これは人とネタ出しをやってもおなじである。みんなで釣りに来ているような感じになる。チーム・ミーティングをしていると、問題だけがどんどんリストアップされていく。「さて、これをどう解決しよう」という段階になると、みんな黙って自分の信じる各ポイントに分かれて、さあ釣るか、という雰囲気になる。こういうときは、自分だけが釣れなくてもだれかが釣ってくれればいい。だれかが何かちっちゃなフナでも釣ってくれたら、そこにポイントを移動するか、それをどうやって料理するかを考えればいいからだ。

以前に別のブログで書いたことだけれど、「ネタはいっぱいある」とただ盲目に信じることが、アイディアをひねり出す一番重要なポイントであると私は思う。釣れないと思って釣りに行く人はいない。みんな釣るために釣りにいく。これが信じられない人は詰まる。川には魚がうじゃうじゃいる。ただ今はエサに引っかからないだけのことである。つれたらどんな魚もうまい。どんなネタも面白いのだ。待っていれば釣れる。あきらめたらもう釣れない。それだけの違いである。と思って、気を取り直してまた考える。

それでどうなったかというと、いろいろな問題は解決策が見つからないまま滞っているけれど、こういうたとえ話は、投げちゃわないためにちょっと役に立つんじゃないかと思っている。

March 21, 2009

反省しません

向田邦子は「手袋を探す」という有名なエッセーの中で「謙虚は奢り」と書いた。いちいち自分の性格やら行動やらを反省するのはヤメて好きなように欲望のままにどんどん突き進んだらいいじゃないか、と言う話である。意外なことに、向田さんはそう決めるのにけっこう覚悟がいったみたいである。

ごくたまーにだが、気が滅入ったり自己嫌悪に陥りかけたときにこの話を思い出して、「反省しない。」と自分に言い聞かせる。人にちょっとひどいことを言ってしまった後でも「反省しない」。わがままをしたり意固地になって引っ込みがつかなくなったときにも「反省しない」。何かの拍子に高価なものを買ってしまって財布が空になっても「反省しない」。そうすると、ものごとがポンと前に開く。うじうじして人に迷惑をかけなくてすむ。

これには品を保つためのちょっとしたルールがある。反省しないかわりに、「自分は正しいことをした」と思い込むための言い訳もしてはいけないのである。たとえば、誰かに意地悪を言ってしまったあとで、「あれは意地悪じゃない。彼のことを思って言ったんだから親切だったんだ」とかなんとかいって自己弁護をしてはいけない。私って意地悪だなあ、と単に認識するだけである。まわりにも、あの人ちょっと意地悪なところがあるよな、と受け入れられればいいのである。

もちろんだめなところは直らない。同じ失敗を延々とくりかえす。しかし、かわりに「らしい」ところが伸びてもっと面白くなる。放射線状グラフで言ったら、五角形の形が徹底的に崩れた、とがったりまがったりつぶれた人間がだんだん出来上がっていく。人間は歳をとればとるほど遺伝子的な差異が表面化して個性が強くなっていくというが、だったら最初からそういうつもりでやったら面白い。

それに、「あ、この人ぜんぜん反省してないなー」という人を見るとちょっと嬉しくなりませんか?

March 18, 2009

らくらくケララっぽいカレー

前回ブログにコメントを下さった方に、特定の苦味がわからないからといって舌が鈍感というわけではない、と教えていただいたので、気をよくして今日は最近開発した新しいレシピを紹介します。インド(風)料理です。

ケララカレー、というのは、インドの南端にあるケララで作られる、ココナッツがたっぷり入ったカレーです。料理本を見るとココナッツの胚乳を砕いてカレーを作るみたいですが、そういうことをやっていると日が暮れるので、乾燥ココナッツの粉(ココナッツパウダー)を使うのがすぐできるポイントです。

【 らくらくケララっぽいカレー 】

1.ボールにココナッツパウダー(たくさん、たぶんひとつかみかふたつかみぐらい)を入れ、チリパウダー、ターメリックパウダーをスプーンいっぱいずつぐらい入れて混ぜる。あったらジーラというスパイスを入れる。普通ないと思うから気にしないで下さい。牛乳、水を適当に入れて、ペースト状にする。

2.ペーストをフライパンかなべに入れて煮詰める。適当に水を足しながらカレー汁っぽくする。

3.好きな野菜を切って、ガーリックと塩で炒める。トマト、にんじん、マッシュルーム、オクラ、などなど。肉とか海老とかあったらすごい。

4.炒めた野菜とか肉類をカレー汁に投入。煮る。おわり。


簡単です。やや粉っぽいが、味はかなりおいしい。日本では、ココナッツパウダーはお菓子の材料売り場に売ってるはず。チリパウダーは唐辛子の粉。ターメリックはカレー類のスパイス売り場に売ってるかな、と思いますがいかがでしょうか。

March 17, 2009

皺から眠る 開高健の「夏の闇」

開高健の「夏の闇」を読んでいる。久しぶりに、読み出したら字を追う目が止まらなくなる文体に出会った。

物語の内容は、本当はどうでもいい。細部を偏愛するたちなので、本を読むときにストーリーなんかほとんど真剣に追っていない。言葉づかいと、一文の中にあるぎゅっとするひねり、漢語と和語とカタカナのバランスと並び、そういうものを求めているだけである。読んでいて脳に波打つような心地よい文を見つけたら、ずっとぐるぐる同じものばかり読んでいて飽きない。

本の半分ぐらいまで来たが、「夏の闇」は精神的な剥離の恐怖におびえながら旅に拘泥し、怠惰な性と眠りに沈みこんだ中年男の話である。いつも眠たがっていることと、モツが大好きなことをのぞけば、主人公の男と読者である自分との間にほとんど共通点がなく、独白と自己分析を読んでもほとんど身に覚えがないし、その苦悩に共感できない。しかしそれが鋭くて面白い。そんな感じ方をするのか、と新しい他人の感性を学んでいるような感じである。

「私は足の裏や睾丸の皺から眠り始めるのである。そこから形を失い、体重を失っていくのである。」

さっぱりわからない。そういうもんなのか。それはよいとして、「皺から眠り始める」というこの「…から…」の使い方にぐっときてしまい、音楽で言ったら絶妙のところで半音下げられたみたいに頭に残る。ふつう体の部分「から」眠り始めるとは言わない。でもわかりそうな気がする、このもやっとしたところが好きである。

「旅はとどのつまり異国を触媒として、動機として静機として、自身の内部を旅することであるように思われるが、自身を目指すしかない旅はやがて、遅かれ早かれ、ひどい空虚に到達する。空虚の袋に毎日々々私は肉やパンや酒をつぎこんでいるにすぎないのではないか。」

私は旅人をやったことがないし自己の内部を旅する傾向もないので、この内省が身につまされてわかるわけではない。それはどうでもよくて、この「静機として」という聞いたこともない言葉をさくっと使っているところがなんかかっこいい。ここで「動機として」の一回だけでは音感的に物足りなくて「静機として」を思いついて入れたのだろうと思う。「静機」とは何を言うのかよくわからないのだが、こういう飾りが好ましい。一文一文の音と形にこだわっている。

ようはスタイルである。形が全てである。ソンタグはスタイルのない“内容そのもの”は存在しないと言っている。私はそういう深い芸術論は本当はよくわからないけれど、ひとつひとつの文章がかっこよければそれでいいし、そこに全てがあるんじゃないかと感じる。そういう意味では、論文と小説は同じように長文で成り立っているという点を除けば、ほとんど共通点はない。

March 13, 2009

恐怖の問いかけ

マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」の中で、アメリカのメディアがいかに人間の恐怖をあおって市民を購買に駆り立てているかを描写していた。その傾向は日本のメディアでもかなり強い。

「あなたの肌年齢はいくつですか?」とか、「あなたの彼女はホントにそれで満足していますか?」とか、「女子社員があなたの匂いに顔を背けていませんか?」とか、「この体じゃ水着が着れない!」、「あなたの睡眠の質は何点?」、「正しい枕、使ってますか?」、「え、私の収入、平均以下?」、などなど。この手のメッセージは、例え日本から遠く離れたインドにいて耳をふさいでいても入ってくる。ジャンクメールや、Mixi広告、サーチエンジンの検索結果ページ、Yahooニュースなど、ほとんどがインターネットを介してやってくる。

私はオンラインの教育関連事業のマーケティングの仕事をしていて、広告やPRに携わることもある。そのため、自分はこの手の、人の恐怖を煽り立てる問いかけを世の中に流布する立場にはなるまいと努力している。しかし効果が高いことはよく知っているから、「あちら側」に下る誘惑は常にある。「あれ、自分はどうかな?」と思わせるような意表をつくメッセージを狙ったりすると、けっこうぎりぎりのものができあがることもある。だから、不安や恐怖ではなく、もっとなにか自然でよきものを駆り立てられないかとよく考えている。

不安や恐怖に駆り立てられて取る行動は長く続かない。なぜなら、不安や恐怖はモチベーションとは別のものだからである。つらいダイエットが続かないのと同じように、「やりたいな~」というポジティヴな志向がそこになければ、ながく愛着を持ってことをおこなうことは難しい。逆に、もしそこになにか自発的で求心的なものが存在すれば、行動の結果を滋養にして、自家発電しながら続けていくことができる。

そういう意味では、ダイエット・グッズの販売なんかは一度買ったら終わりだから、肥満の恐怖を駆り立てて新規の客をどんどん増やすことが目標なのだろう。なにも購買者が1年以上そのグッズを毎日使い続けることを望んでいるわけではない。むしろそれは押入れにしまってもらって、また新しいグッズを買ってもらうほうが助かるわけである。

それとは逆に、教育産業では、利用者がどれだけ長くサービスに愛着を持ってくれるかが問われてくる。勉強は、基本的にしちめんどくさいものである。そこを、利用者個人の中に「もっと学びたい」というモチベーションを発見して、サービスを通じてさらにそれを消えないように育てるわけだ。クライアントはみんな個性的過ぎて標準化できない。「いろいろな人がいて、いろいろなニーズがある」というところを越えて、「一般的な人」に受け入れられる何か標準的なものを打ち出すということができない。だから、マスを対象にそのマーケティングを行うのはあんまり簡単なことではない、と常々感じている。

恐怖のメッセージを受け取る視聴者側として一つ心得ておくといいのは、「その問いは “自分にとって” 価値があるか」と一度考えてみることだ。「あなたの睡眠の質は何点?」と問いかけられて、すかさず「うーん、そういえば何点だろうな・・・」と考えたり、反省してしまってはいけない。その前に、「は?睡眠の質とかって、それ、何?意味あるの?っていうか、ばかじゃないの」という態度で、一度人から投げられた問いの価値自体を問うてみたほうがいい。なげかけられる情報やメッセージが、何もかも自分に関係すると思ってはいけない。

これは山田ズーニーさんがコンテンツ「大人の小論文教室」の中で書いていたことから学んだ。山田さんはインタビューでいろいろな質問をされたあと、できた原稿を見てこれは自分ではない、と感じ、なぜそんなことが起きたか考えたという。結果、他人から投げられた、「自分の中に存在しない問い」に無理やり答えることで、自分の表現したいものとは違うものが現れてしまった、みたいなことを振り返っていた。睡眠の質テストのスコアが100点中30点だったからって、ヘンな枕を買ってはいけない。売る側のつまらない標準化に乗せられてはいけない。自分の頭で、自分だけの問いを立てないといけない。

March 10, 2009

電子レンジで作る秘密の蒸しケーキ

私は料理がさほど得意ではない。作るのは好きなのだが、面倒くさがりなので細かいところをとことんはしょるためか、基本的に味に深みがない、というか味がない料理ができる。ヘタなくせに、料理本に書いてある通りに作るのが悔しいので、どうでもいいオリジナリティを入れたりしてだいたいおかしくなる。食材をちゃんと用意するのが面倒なのですべてを「にたやつ」で間に合わせた結果、まったく最初の目標と違ったものになる。

前提として、私はちょっと味盲なのである。高校時代に遺伝の授業で生物の先生がなにかの薬品を湿らせた紙をクラス全員に配って、「口に入れてください。はい、味がしなかった者、手を挙げて」と言う。張り切って手を挙げると、先生が「あっ」と嬉しそうにこっちを見た。一番前の席に座っていたので、後ろを振り返ると、ほかに挙手しているものはいなかった。みんななんか苦い味がしたらしい。先生が薬品の紙の束をくれて、家族全員に試してみるように言った。父方の親族は同様に味がわからなかった。そんなふうに鈍感だからか、料理の味にもいまいちこだわりが持てず雑になるみたいだ。というのは単なる言い訳で、あらゆることに大雑把で雑な性格なだけかもしれない。

そんなわけで、普段作る料理はそれでもまともな大人か、というほど雑なものばかりであり、基本的に電子レンジを多用する。電子レンジクッキングの神様、村上祥子さんが私の料理の師匠だが、村上さんの「おいしくするポイント」的な注意をほとんど守っていないのが、師匠に今一歩近づけない理由である。

今日はそんなレシピの中から、私が朝パンがないときによく作っている秘密の電子レンジ蒸しケーキの作り方をご紹介します。

【 秘密の蒸しケーキの作り方 】

1. 深めのタッパーに小麦粉か米粉を入れる。量、適当。「多分、これぐらいだったら、水を入れてのばしてそのあと焼いて膨らんでも食べきれる量だろう」、というぐらい。勘が大切である。

2. ベーキングパウダーを、小麦粉の40分の一の量ぐらいを見繕って入れる。どうやって見繕うかというと、適当。なんとなく40分の一ぐらいかな、というのを粉の面積と深さから判断する。経験がものを言う。

3. 卵1個を溶いて入れる。なかったら無視してよい。入れなくてもとりあえずいける。溶く気力がなかったら、溶かなくてもいきなり入れてかき混ぜたらいける。

4. バター、スプーン1杯から50グラムぐらいの間で調節。「最近、肌が油っぽいわ、私」と思ったら少なめ、「最近、ひじがかさかさしてるわ」と思ったら大目。なしでもいける。今朝はバター入れるの忘れたけれど、ちゃんとできたから大丈夫。砂糖または蜂蜜を、同じ感覚で適当に入れる。

5. 牛乳を入れて生地をのばす。なんとなくもったりとしているぐらい、てんぷらの生地ぐらいがちょうどいい。しゃばしゃばにならない程度。一度でもホットケーキを焼いたことある人なら大体わかるはず。ここでポイントなのは、最悪、牛乳でなくてもいい。水でいい。今朝水で作ったけど、ちゃんとおいしかったです。

6. 生地をよくかき混ぜたら、ふたをして電子レンジに入れて、レンジ強で3~4分間かける。ここはちょっと注意。かけすぎると硬くなる。心配なら、2分、1分、1分みたいな感じでかける。焼く直前に、果物や野菜などを入れてもよい。これで完成。


以上、6分でできます。かなりおいしい。そう思っているのは自分だけなのか。今朝は小麦粉がなかったのでRawaという名のよくわからない粉と、ベーキングパウダーと水と砂糖だけを使って作ったけど、なかなかおいしかった。いい加減な人間は、試してみてください。

March 9, 2009

痴人か愛か

インドの結婚式については、もう少し書く内容があるのだが、ちょっと息が切れたので別の話題を。

以前、会社の同僚に、「タニザキの小説に『痴人の愛』ってのがあるが、君の名前の意味は『痴人』のほうか『愛』のほうか、どっちなんだ」と聞かれたことがある。『痴人』のわけないじゃないか。

『痴人の愛』の英訳のタイトルは確か『Naomi』だったと思うが、どこかで邦題の直訳の意味を知ったのだろう。先月日本に帰ったときに、日本の本をいくつか持って帰ろうと本屋を物色していてこの話を思い出し、読んでみることにした。谷崎を読むのは多分初めてである。

念のため簡単に紹介すると、大正時代、主人公の譲二という男が、カフェで見初めた奈緒美という15歳の美少女を家に引き取り世話をすることになる。西洋人のような容姿を持つ奈緒美は成長するにしたがって妖艶で性に奔放になり、主人公は誘惑と嫉妬と生活苦に病み・・・という話である。奈緒美も譲二も、昔は新しいタイプの人間として描かれていたのかもしれない。今読めば、意外によくいそうなカップルと言う感じがする。ややマゾヒスティックな男の純愛小説という感じかもしれない。

小説は譲二の語りですすむ。この自己心理描写が、男の理性と欲望のうごきをなんだか生々しく描いていて面白い。たとえば、譲二はしばしばわがままな奈緒美に強く出ようと決心するのだが、奈緒美が実際に目の前にいると、誘惑に負けてどうしてもうまく叱ることができない。だから、腹を立てていたはずの男が、次のページをめくると必死で女に謝っている。「おっ、早いなあ」と感心する。目に余る浮気振りに決別しようと心から決心するのに、また奈緒美のふくらはぎやら長じゅばんやらそういう細かな誘惑にあっさり負ける。ああ、と思って次の章にすすむと、「読者の皆さんは、もうお分かりでしょう」と始まって、ちゃんと女とよりを戻している。笑える。ほほえましい。

こういう女は雑に扱えば向こうから執着してくるだろうに、わからんやつだな、とつっこみを入れながら読む。男は、自分をだまそうとする女にだまされたふりをして、ふりをしている自分が実は女をだましているのだと悦に入ったりする。女に振り回されている男の描写はこっけいでおかしい。くるくる変わる譲二の信念のありようが、男のかかえた心と行動の矛盾そのものである。これは同じ矛盾に悩む男性が読んだら共感できて、自己反省してしまう人もいるんではあるまいかと推測する。しかし、女の立場からからすると「まーた男はありもしない心の矛盾とやらに悩んで、まったく愚かなんだから」と思ってあきれたりする。ことストレートな男女間の相違という観点からものを見るとき、女性というのは基本的に男性を見下げているものである。

本は、いかに自分にひきつけて、自分のために書かれたものとして読むかどうかがカギである。しかし、それをやると自分の場合、ついつい話が下世話になって、そこから学び取る内容は名作からもワイドショーからでもたいして変わらないのが問題である。

March 6, 2009

インドのビッグ・ウエディング(3) 親戚いっぱい

友人には、おじさんとおばさんとおじいさんとおばあさんがいっぱいいる。おばあちゃんを数えていたら6人いた。6人おばあちゃんがいるのは絶対おかしい、と思って聞いてみると、3人は実のおばあちゃんの姉とか妹だった。アンティ(おばさん)もいっぱいいる。とにかくいっぱいいる。家の中はサリーを着て忙しく動き回る女であふれている。家のあっちとこっちでおばあちゃんたちが2グループに分かれてだれかの悪口を言ったり、悪い噂話をしている(ように見える)。

私は家族に典型的な「インドの文化にすごく興味がある外人」として受け入れられ、アンティたちにずいぶんかわいがってもらった。花嫁が支度をしている間に、アンティたちに連れられて街に買い物に行き、親戚の家を一軒一軒回って家族の一人ひとりに挨拶する。なかなかの人数であった。英語ができる友人や同僚たちから離れてアンティと子どもたちだけになると、マラティ語がわからないので、片言の英語と手まねと顔の表情だけでなんとか会話する。どうせ難しい話をすることもないのだから、それでけっこう何とかなるものである。ひさしぶりに外人としてちやほやされた。道端で一人のアンティがジャスミンとバラの花を買って、髪につけてくれた。

おどろくべきことに、3軒の親戚が並んで隣同士に家を建てて住んでいる。一軒目でお茶を飲んだあとで、おばさんが「じゃあ次の家に行こうか」というので、「は?」と思いながらついていくと、隣の家がまた別のおばさんの家なのである。そこで2階のトイレからベランダまで隅々を案内されておやつを食べた後、「じゃあ、今度は隣の家に行くわよ」といって外へ出ると、またその隣がもう一人のおばさんの家である。3軒目のおばさんの家を出た後で、庭先から「ちょっとちょっと、もう一回おいでよ」と前のおばさんに呼ばれて、さっきはいなかった娘やらいとこやらを紹介される。しばらくボーっとしていると、向こうの家から子どもがやってきて「あっちのアンティが来いって言ってるよ」と呼びに来る。
お茶やらお菓子やらバナナやらを立て続けに食べてお腹いっぱいになってしまった。

親戚の子どもたちもいっぱいいる。小さい子どもたちは、親世代とちがって英語が話せる。聞いてみると、学校で習っているのではなく独学しているのだという。こっちの英語はかなりヤクザなのに、彼らは「今、おれ英会話の勉強してんの」という感じで英語で話してくるのでばつが悪い。くだらない宴会芸の手品を教えたり、日本語を教えたり、折り紙を一緒に折ったりして遊んだ。

とにかくうじゃうじゃいる。私は平素よりさほど社交的なことを好むほうではないが、2件目のおばさんの家でお茶を飲んでいるあたりで、「ここは完全に頭を空っぽにして、この流れに完全に飲み込まれて進もう」と決心して、人数をカウントするのも名前を覚えるのもあきらめて、手を引かれるままにぐるぐると回っていたら、ちょっと楽になった。流れ流れて、ちゃんと最後には友人の家までたどり着き、髪につけた花をみんなにほめてもらった。

March 5, 2009

インドのビッグ・ウエディング(2) 運命のある人生、運命のない人生

とにかく数え切れないほどの儀式が立て続けに行われるインドの結婚式。インドの中でも、地域やカーストによってしきたりや衣装なんかがぜんぜん違うらしい。友人のカーストでは、結婚前夜に次のような儀式を執り行う。

1. 白いサリーを着て、ドラムバンドに見送られて、家の近くの祠におまいりする。
2. 家族で地域の一番大きなパールバティ寺院とシバ寺院に行き、お参りして花をもらってくる。
3. 家に司祭が来て、おじさんとおばさんと花嫁の3人で長いお祈りをする。
4. つづけてお母さんとお父さんと花嫁の3人でお祈りをする。
5. それから親戚のおばさんとおばあちゃんが勢ぞろいして、ひとりひとり花嫁に向けてお祈りする。
6. 一同で植木にターメリックを塗りつけてお祈りする。
7. そのあとみんなで花嫁にターメリックを塗りつけてお祈りする。
8. 夕方になったら近所の人や友達、遠い親戚まであつまって、庭でご馳走を食べる。
9. バンドがボリウッド音楽を演奏して、みんなで踊りまわる。花火と爆竹が深夜まで続く。

書いただけでけっこう疲れてしまったが、おもしろいのは儀式に参加する誰もが、そこで何をすべきかを知っていたことだ。

おばさんたちがお盆に色のついた粉や砂糖、線香を乗せてかわるがわる花嫁に向かって祈りをささげている。見ていると、だれも「えーっと、次にどうするんだっけ?」と迷っている人はいない。おばあちゃんたちが儀式の途中でエキゾチックな歌を誰となく歌いだし、合唱になる。よくよく聞いてみると、歌の中に花嫁の名前が歌いこまれている。伝統的な結婚の歌らしい。きっとこれまでに何十回も同じことを繰り返してきたんだろう。

来客にふるまう料理、儀式で着るべき衣装の色や化粧、祈りの言葉、すべてが古くから決められてるしきたりに従っている。彼女の結婚相手すら、同じ街で生まれ、伝統に従って占星術で選ばれた人である。誰と結婚するのか、どうやって結婚するのか、なにもかもが定めなのだ。迷うところがない。結婚は当人たちのものではなく、一族の命運をかけた一大イベントなのである。結婚する友人はもちろん、参加する家族たちみんなが役割に燃えて、喜びに満ちている。

結婚は、生きたら死ななければいけないのと同じレベルで人生に組み込まれた運命なのだ。

「自由という不自由」というのがある。伝統やしきたりから離れた暮らしでは、あらゆることにおいて、自分自身で選び、決断しなければならない。何が正しいのか、何が間違っているか、未熟な心で一抹の判断を下す。あとで失敗の責任を取るのも一人、後悔を味わうのも一人ぼっちである。現代人の生涯には、その種の孤独と不安が常につきまとって、人の精神を不自由にしている。友人たちの暮らしを考えながら、私はそういう「運命のない人生」を送っているんだ、と思った。

どちらが自由で、創造的なのか?

よくある問いかもしれないが。どちらが幸福であるか、という価値的な意味ではない。例えば、運命の定まった人生を送れば、自分が人生に何をもとめているのか、というような内向的な問いの解決に時間を使うことなく、何かもっと外交的なことに向けて時間と力を使えるかもしれない。でも逆に、選択肢が多いがゆえに生じる内向的な問いを解決することだって、創造的である。わからない。たぶん「どちらが」という問いを立てることじたいが間違っているのだろう。

インドのビッグ・ウエディング(1) Virar の黄色い家

先週の土日、2日がかりで同僚の結婚式に行ってきた。式はきっかり3月1日。彼女は去年の7月に婚約して今年の1月に結婚のために退社し、今月末には夫の仕事についてノルウェーに引っ越すことになっている。

ムンバイの北、Virarという村が彼女の出身地。そこからムンバイのビジネスの中心的都市であるAndheriのオフィスまで急行で40分かけて毎日通っていたのだ。実際行ってみると、相当な田舎である。よくも2年もこの長距離をコミュートしていたなあ、とひたすら感心してしまう。

Virar駅を出て彼女の家まで歩いて向かう。舗装されていない土の道である。道の脇に牛やヤギがいる。学校帰りの制服を着た小学生たちがアイスクリーム屋の屋台を囲んで5センチぐらいのちっちゃな赤い棒アイスをみんなで食べている。村の人たちはほとんどマラティ語をしゃべっているのでい、何を言っているのか一言も聞き取れない。そんな村だ。

ムンバイとの大きな差として、庭付き一戸建ての家が中流家庭の主流である。友人の家は黄色とクリーム色でかわいく塗られた2階建ての大きな家で、庭が2つと花と野菜のガーデンがあった。パパイヤ、マンゴー、チクー、バナナ、イチジク、ココナッツ、ナス、オレンジ、ねぎなどを庭で栽培している。玄関には天井からつった木のブランコがある。ムンバイではよっぽどの金持ちでもこんな家には住めない。聞くと、もともと土地持ちの大きなご家族らしい。

庭には結婚式前夜のパーティーのために赤い大きなテントが張られていて、中では料理人たちががご馳走の支度をしている。入り口にはどういうわけかすでにドラムやキーボードをたずさえたバンドが控えている。友人やその家族が玄関で出迎えてくれて家に入ってみると、とにかくおじさんやらおばさんやらいとこやらすでにいろんな人が集まっていてすでにてんやわんやの雰囲気である。前日からすでにいくつか結婚前の伝統行事をこなしてきているらしい。

ひろい螺旋階段をあがって2階の彼女の部屋から外を眺めると、新しくできた高校の建物と、木と山と森と、広い空き地で遊んでいる中学生から高校生ぐらいの少年たちの集団が見える。物売りみたいな人が風呂敷包みを抱えて歌うような宣伝文句を繰り返しながら家の前の道を通り過ぎていく。静かで平和な田舎町だ。

友人の親戚のおじさんやおばさんたちに会うと、「Viraruはどう?」とみんなが聞いてくる。「うん、平和でいいところだね」と言うと、年配の人は「そうでしょう、そうでしょう」とにんまりするけれど、若い人たちは「ね!平和すぎるでしょ!もー、通勤が大変なんだから。退屈だし!」みたいなことを言う。なんか典型的だ。じっさいここから市街地まで通勤するのはたいそうである。私だったら街に部屋を借りて一人で住んだほうがずっと楽だと思うけれど、村の若い人たちはそんなことしない。お母さんが作るお弁当をもって2時間のコミュートに耐え、夜帰ってきてうちのご飯を食べる。なんだかこういうのを見ていると、自分がずいぶんやくざな暮らしをしているみたいに思えてならない。

February 27, 2009

テレビは人をとりこむ

ムンバイに戻ってきた。先週まで2週間ほど日本に滞在していたのだが、その間、テレビや新聞で報道されている話題はほとんどが、中川大臣のG7後の酔っ払い会見と麻生内閣支持率の低迷(11%)であった。

2週間もいると、朝のニュース、お昼前のワイドショー、新聞、週刊誌、車の中のラジオ、食事時の夕方のニュース、寝る前の報道番組とものすごい頻度で同じ内容、同じトーンの報道に繰り返し繰り返し触れるので、その「公共の意見」的なものが頭にどんどんすり込まれていくのがわかる。これはちょっとはっとする経験であった。

人に会うと、同じことが話題に出る。人は半ば自分の意見のように話すが、テレビで報道されているトーンと人の話すトーンはほぼ同じである。そういう一こま一こまを眺めていると、みんな別にそのニュースについて議論をしたいのではなく、話題や意見を人と共有して、「困ったねえ、駄目だねえ、こりゃ」と言いながら和みたいだけのように見える。

例えば、「麻生は駄目だ」というメッセージは「ブレ」という表現使ってふんだんに、ありとあらゆるメディアで流される。その単純でわかりやすいメッセージは、麻生内閣がなぜ駄目なのか、その理由や根拠の情報量よりも圧倒的な量でもって、理屈を理解するよりもずっと速いスピードで「駄目だ」というイメージをまず形成する。実際、本当に駄目なのかもしれないけれど、日本のニュースからしばらく遠ざかっていた者としては、「麻生さん、一体何をやらかしたんだ?」とけっこう面食らってしまう。

テレビや雑誌を真剣に追っても答えが出てこない。人に聞くと、「あの人は漢字が読めない」、「失言が多い」、「定額給付金はろくでもない」という決まった答えしか返ってこない。でも意識的に疑問を持とうとしないで話を聞いていると、だんだんその意見というよりムードのなかに自分も取り込まれていくのがわかる。そのムードが理にかなったものであるか否かはここでは別の問題である。

帰国の前に本屋に立ち寄ったときに、四方田犬彦の『人を守る読書』を見つけた。ムンバイに向かう飛行機の中で読んでいたら、なぜ自分がそのタイトルに惹かれて本を買ったのかがだんだんわかってきた。前書きには「本を読むということは、他者の考えを読むということである」と書かれている。他人の考えを知ることで、それを媒介、または反射板として自分が何をどう考えてるのかがわかるのである。テレビや雑誌が伝えるのは、社会で共有することを目的としたムードである。強力でありながら、責任がだれにも転嫁されない。しかし、一人の著者が書く本はそうではない。本は批判されることを前提に、著者とは違う意見を持つ人に向けて書かれている。

インドでテレビのない生活をしている間は、あまり強い読書欲を感じなかった。しかし日本の特殊な情報のあり方にさらされたあと、脳が足りないものを保障するみたいなかんじで無性に本が読みたくなる。今までテレビを批判的にとらえたことはなかった。自分さえしっかりしていれば、テレビや雑誌の情報も有益な材料になりうると考えていたけれど、四方田さんの本のタイトルどおり、日本で自分でものを考えて生きていくためには、テレビを見ないか、本をどんどん読まないとまずいんじゃないかと思う。そうでないと、取り込まれる。そのムードが善きものであるか否かの判断をするひまは、与えられない。

February 23, 2009

柔らかい刺激

1年ぶりに日本に帰っている。昨年も一度帰国しているのだが、今回は以前の滞在よりも日本とインドのカルチャーショックを感じていない。ひとつあるとすれば、日本はとにかくいろいろなことに、あたりが柔らかい、というか丸い。角が無いといったらいいのだろうか。

成田に着いたとき、空港から新宿まで出るバスを待っていたら、係員が私に向かって何か言った。しかし何を言っているのか聞き取れなかったので、「は?」と聞き返すと、もう一度「…ス」と今度は最後のスだけが聞こえた。「え?な
んですか?」と再度聞き返すと、「もう少しうしろにお下がりくださいますようお願いします」のスだということがわかった。

その後もふいに知らない人に話しかけられて、一瞬相手が何を喋っているのかわからないことがたびたびあった。これは何だろう?と考えていたのだが、どうやら日本人が話すときの音量の平均がかなり小さいようなのである。柔らかい声で抑揚なく話すので、しっかり聞いていないと聞き取れないのだ。

それから、日本でもう1つ気になるのは、いたるところでふにゃふにゃした音楽がかかっていることである。オルゴールの音に編曲したゆるいビートルズのメロディーとか、そういうムードミュージック的なものがかなりの頻度でショップやレストランや病院なんかで流れている。これがすごく眠くなる。あんまりしょっちゅう流れていると、自分が実はもう死んでいてここは天国なんじゃないだろうか、みたいな雰囲気になってきて生きた心地がしない。

そんなふうに、日本は人のあたりは柔らかくて優しいし、いろいろな場所に癒しがちりばめられている。きっとその分だけ現実は厳しく人が疲れきっているということなんだろう。しかし実のところ、こういう作りこまれた柔らかさが逆に無用な刺激になって人を疲れさせることもある。「ね、癒されるでしょう?この音楽」とか「ほら、やさしいでしょう、私たち」というその態度につい欺瞞やプレッシャーを感じてしまい、いまいち気分が乗らない。いいからもっとテキトーにやってよ、そのほうがこっちも気楽だからさ、と言いたくなってくる。日本人はもっと余計な力を抜いたらいいのにと思う。

February 13, 2009

「悲しいとき!」

兄が正月のお笑い番組をDVDに落としてインドに送ってくれた。2年も日本を離れていると、お笑いの世界もずいぶん様変わりしている。いわゆる正統派が減って、昔は異質だったタイプの笑いが主流になりつつある。新しい芸人さんたちの芸は芸というよりアートに近い。「面白くないギャグをやることが逆に面白い」的なねじれた世界に向かっているようにもみえる。どこか哀しみと退廃のかおりがしている。

哀しみといえば、ちょっと前にいつもここからというコンビが「悲しいとき」というねたをやっていた。「悲しいとき! タリーを注文したら、付け合せのパパドがちょっと湿っていたとき」みたいなやつを紙芝居形式で延々とやるあれである。あれを観ると、なんだか悲しくて情けない人生の断片が、見ようによってはおかしくてかわいい話になるのだなあと思った。現実に起きていることは一つであっても、そこにどのような意味や価値をつけるかによって味わいが変わってくる。

小説を読むことにも似たような効果がある。小説を読むように、現実に起きている出来事を「物語」として見なおすと、そこにふくまれていた価値ががらっとかわってしまう。お金を持っていることと貧乏であること、うまくいいく恋愛といかない恋愛、成功することと堕落すること。一見対照的に見える状況でも、含まれている意味の量はほんとうはかわらない。小説を読んでいると、成功する人生にも堕落する人生にも同様に、意味や味わいがあるみたいに思えてくる。

そんなふうに、ちょっと人ごとみたいにして自分の視点の外側から何かを学ぼうとすると、悲惨だと思っていたどんな状況もたいして悪かないじゃないか、ということになる、ような気がしている。悲しいときは、「悲しいとき!」と叫ぶといいかもしれない。

February 3, 2009

肉が食べたい

私は少なくとも週に2度か3度、肉が食べたくて、いてもたってもいられなくなる。かなり頻繁である。疲労やストレスに対抗する体内物質はたんぱく質からできている。だからなのかなんなのか、疲れているときほど、「ああ、今肉を補充しなければ死ぬ」、という飢餓状態がしばしばやってくる。

インドではベジタリアンが多いためか、肉は比較的高価である。しかも、チキンとヤギの肉しか売っていない。牛肉は去年の5月に日本に帰ったときから食べていない。やわらかーくて肉汁がたっぷりのビーフステーキなんか食べたら一発で元気になりそうなんだけれど、ないのでとりあえずチキンを食べて飢えをしのいでいる。

マクドナルドのハンバーガーの肉も、サブウェイのサンドイッチのハムもチキンである。ちなみにサブウェイはおいしいけれど、マックのチキンバーガーはかなりまずい。どっちにもベジタリアン用のメニューはあるんだけれど、一度も食べたことがない。ベジ系メニューは基本的に視野に入らないのである。いつも肉の入ったメニューを選んでいる。

先日、会社の同僚のアメリカ人の女性と一緒にご飯を食べに行った。彼女は魚しか食べないベジタリアンである。「私はお腹がすいてないから、あなたの好きなところにいこう」といわれたので、「じゃあ、とりあえず肉」と言って2人でモールの中にあるチキン料理の店に入った。

彼女がガーリックトーストなんて楚々としたものを頼んでいる間に、私はハーフチキン(1羽の半分のチキン)にフライドポテトがついてくるメニューを選び、お皿に山のように盛られた巨大な肉をつかんでかぶりついていた。なんだか妙な図になってしまったなあ、これじゃ私だけが野蛮な獣みたいじゃないかと考えながら、必死で目の前の肉を骨にした。もちろん結果的にはとっても満足して、幸せな気分であった。

どうしてこんなに肉が食べたいのか自分でもよくわからない。ちなみに、よく肉食をする人は血の気が多いと一般的に言うけれど、私はどちらかというと血の気がひいていてエネルギーが常に枯渇しているタイプである。その不足を食事で埋めようとしているのかもしれない。この肉食の問題だけが、インドで暮らしていてつらいことである。安い牛丼とかとんかつとかあったらいいのに。

January 30, 2009

The Art of Losing

1月は会社で企画したイベントの準備に追われ、気づいてみるともうすぐ2月である。1月の間に、長く一緒に働いていた人が4人会社を去った。ルームメイトが「親しい人が急にたくさんいなくなって、さみしいんじゃないの」と同情してくれた。代わりにもちろん新しい人との出会いもどんどんやってくる。しかし、やってくる人たちもまた、短い契約期間が決まっているか、いつまで留まるかわからない人たちばかりである。

もちろん日常から親しい人がいなくなるのはさみしい。しかしよく言うように、移動手段が発達した今、距離はさほど重要な問題ではない。自分が知っている人たちが新しい場所に移り、新しい生活をはじめる様子を遠くから聞くのはなかなか楽しい。日本やらチェンナイやらノルウェーやら、いろんなところに暮らす友達のことを考えると、彼らと一緒に自分の想像力も空間的に広がるみたいだ。そんな風に考えたら、喪失感も新たな価値に変えられるような気がする。

「喪失の技術をマスターするのは難しくなんかない」、とエリザベス・ビショップは書いている。

The art of losing isn't hard to master;
so many things seem filled with the intent
to be lost that their loss is no disaster.

(- One Art / Elizabeth Bishop


ほんとにそうだったらいい。

人や人の気持ちのありようは移り変わるから、自分の中になにか変化しない確固としたものを確保しておきたいという思いがある。ある人にとってはそれが家族を作ることであり、ある人にとっては一生の仕事を持つことであるかもしれない。

自分にとってはそのどちらでもなく、では何かと言って、今とくに思い当たるものがない。できればこれからも、背骨がなくてもぐにゃぐにゃと生きていけるようなこだわりのないものでありたい。しかしどこかの節目で自分の存在を外から確認するための何かがほしいと思うときがあるかもしれない、とちょっと想像する。

もし家族でも、仕事でも、自分の能力や技術でもないとしたら、それは何でありうるのか?あるいはこれから先もそんな種類の不安にからめとられず、のらくらと暮らしていけるのだろうか。そうだったらいいが、先のことはわからない。

January 21, 2009

頭が混乱したときは

デスクは、頭の中身の比喩だ。私の会社のデスクの上はいまめちゃくちゃである。

3週間分ぐらいたまったタスクリストの紙、読まなければと思って積み上げてある本や雑誌、壁一面に張り付けたアイディアメモや忘れないことメモ(すでに多すぎでどれが大事なのかさっぱりわからなくなっている)、書きかけの原稿やマインドマップと、もってきては片付け忘れるおやつのお皿。

パソコンのデスクトップもこれにそっくりである。書きかけの企画書やメール、作りかけのファイル、すぐ使おうと思ってショートカットを作っておいた画像やサウンドファイル。やらなければならない仕事に時間と体が追いつかず、整理する暇もないままにエントロピーがどんどん増大していく。

私は自分が企画した仕事と人から回ってくる仕事に精神的な区別をしていない。人からもらった企画でも、好きに料理してくれと言われたらけっこう燃えちゃうタイプである。仕事を断るのが惜しい。それでハイハイ言っているうちに、気づくと明らかに不可能な量の仕事が目の前に積まれている。

1月に、仕事で親しくしている人たちが何人か会社を離れることになった。契約が切れて次の場所に向かう人、結婚して引っ越す人、いろいろである。周りの人が、身内の不幸や病気などといったさまざまな問題に直面している話を聞く。自分もまた、いろいろな種類の決断を日々迫られている。この激しい空気の動きの中にいるだけでけっこう消耗してくる。そんなかんじで、やることは多いし変化は激しいしでかなり忙しい。

そういう時は、周りの人をただ見ている。

オフィスは不思議な空間である。一人ひとりの人がなにがしかの問題を抱えていて、何かに迷っていたり、悲しかったり、逆に笑い出しそうなぐらい幸せだったり、それでも朝ちゃんとした顔をしてやってくる。パントリーで友達と冗談を言い合い、ミーティングでまともな意見を言い、働いているとおなかがすくからランチを食べて、きちんとした顔をしたままうちに帰っていく。暗く沈んで泣いている人も、腹を立てて愚痴を言い散らかしている人も、幸せすぎてはしゃぎまわっている人もいない。

そんなふうに想像していると、頭の中がどんなにはちゃめちゃでも、自分も一応しゃんとしていようという気持ちになってくる。みんな、しっかりしている。

January 15, 2009

自由な、仕事の選び方

先日、日本の大学生の人と飲む機会があった。話を聞いていたら、大学生時代の友達が就職活動中に「自分が人生で何をやりたいのかを定義しようとして悩んでいたら、自分がなぜ生きているのか、という哲学的な自己の存在意義まで問いはじめてしまった」と語っていたのを思い出した。

今はどういう雰囲気なのかわからないが、私が育ったころの学校には、「夢を職業にすることが人生の大きな意義である」というなかなか強固なイデオロギーがあった。小学校のときに何度夢の職業を書かされたかわからないし、中学校では元服の歳に生徒全員が将来の夢を墨と筆で書いて体育館に掲示した。

一般的にいえばその結果として、高校、大学時代に本格的な就職難の時代に突入したころ、その夢と現実との落差を埋めるのに苦労した世代である。今は、あの雰囲気が多少は薄れて、学校でももっと実践的な職業、進学指導をしているのではないかと思うが、実際どうなのかは知らない。

私の働いている会社には、英文校正を仕事にする若いエディターたちがたくさんいる。たとえば、大学で医学を学んだ人が、医学論文の英文校正をする。人類学を学んだ人が、人文系の研究論文の校正を仕事にする。そして、彼らは一生エディターでいるわけではない。医学論文のエディターがMBAを取りに大学に戻って次はマーケッターや企業家を目ざしたりする。英語のインストラクターをしていた人が、退職してブティックを開いたりする。

こういうフレキシブルな仕事の選び方は、人生やものごとに一貫性を求める日本の雰囲気からは異質に見える。ふつう、医学を学んだ人が医者にならずに校正者になったら、日本では一種のドロップアウトに聞こえるだろう。しかしここにはそういう価値観があまりないように感じる。

アイデンティティが職業選択とさほど深く結びついていない。私は「アイデンティティ」という概念そのものが今の時代にはあまりそぐわない古いものだと思っているのだが、それでも実際この職業的価値観の多様さを目の当たりにすると驚く。この驚きが自分だけのものなのか、自分の世代に共通したものなのかはわからないのだが。

私の場合も、自己のアイデンティティの確立とやらをやるだけ時間の無駄と決めて、ある意味職業に対して受身になってみたあとから、むしろ自分が自然と浮き彫りになってきたような気配がある。糸井重里さんはどこかのコンテンツで「自分が何をやりたいかではなく、来た球をどう打つかを考えて生きてきた」というようなことを言っていた。飛んできた球をどう打つか、そのバットの振りに結果として自分が表れてしまうのだ。

しかし本当に重要なのは、そこに映る自分とやらを見ないことである。そんなことよりも、打った球がどこに行くかを興奮して眺めているとき、その人は青年期の自意識を越えていける。そんなふうに、自分をどんどん失っていけたらいいと思う。

January 12, 2009

行為とは混乱のひとつの様である

年末に、会社が希望者にオリジナルのダイアリーを配ってくれた。私はこれを仕事のToDoリストに使っているのだが、日本の手帳にもよくあるように、各ページに毎日異なる「今日の言葉」がついていてなかなか楽しい。

1月9日にミーティングに参加しているとき、気が散ってダイアリーを眺めていたら、その日の言葉の欄に「Acting is a form of confusion」と書かれていた。



Acting is a form of confusion ( 行為とは、混乱のひとつの様である )



その通りである。You’ve got me.

ケララで得た教訓から、今年の行動指針を「余計なことをしない」にしようと思った。しかし、それが結構できない。小さなことが気に引かかり、盲目に解決にならないとわかっている行動や発言をしては、後になって「ああ、また無駄なことをしたな」と気づく。そもそも行動する前から自分が墓穴を掘ろうとしていることにはうっすら気づいているのだが、ついつい知性より体が前に出てしまう。泰然として状況を見るということが、何事につけても難しい。

何かに自信を失ったり、自分の方向性が見えなくなったときには特に、じっとしていられなくて行為によって欠落を埋めなくてはと考えがちである。うまくいかなかった状態を受け入れることが精神的にきついからだ。しかし、そんなふうに不安や自己弁護のためにことを行うと、必ずそれ相応の結果に行き着く。失敗した字の上に修正液を塗ってその上に字を書き直したら、下がぼこぼこしていてもっと変な字になってしまって、また修正液を塗りなおして・・・みたいなつまらない循環にはまる。そうだな、ホントに、どこかでやめないとな。

・・・というようなことを、毎日手帳を見ながらつらつらと考えてしまう。不思議なことだが、この種の言葉は人の内省をかぎつけて目の前に現れてくるので、なぜ今の自分にあまりにも必要な言葉がここにこのタイミングで書かれているのだろう、ということがよく起きる。無意識に答えを探しているからだろう。

そういえばソンタグは「歳をとって賢くなる人とおろかになる人がいるが、自分はどちらかというと賢くなったほうです」と言っていたけれど、そんなことってそう簡単に言えたもんではない。自分が後者のほうに分類されそうで先が怖い。

January 7, 2009

サンダル一足

世の女性の中には、何百足も靴を持っている人がいる。その日の服の色や気分に合わせて履く靴を選ぶのである。玄関でも靴箱でもなく、クローゼットに靴の箱があふれている。その日に履いた靴を拭いて、また次の機会がくるまで大事にしまっておく。ちょっとでいいから、そういう種類の人生を歩んでみたいな、とごくまれに思う。

私には3足しか靴がない。毎日履くサンダルと、スポーツ用の運動靴と、いざと言うときのためのビーチぞうりである。サンダルは毎日のムンバイのぼこぼこの道の出勤と、休日の散歩と、旅行とあらゆる活動に乱暴に使うために、3ヶ月もすればぼろぼろになってしまう。ある日ついにストラップが切れて、駅前の靴修理屋にもっていって直してもらう。直してもらってから1ヶ月ぐらいすると、今度は修復不可能な状態で壊れる。壊れると、オフィスにおいてある緊急用のビーチぞうりを履いて靴屋に行き、新しいサンダルを買う。この繰り返しで今までに4足ほどサンダルをつぶした。

靴屋に行くと、何とあわせてもそれほどおかしくなさそうなデザインで、丈夫で、痛いところのないサンダルを選ぶ。この3条件が揃うサンダルが見つかるまで靴屋をいろいろ回る。だからいつも似たようなサンダルを買いなおしてしまう。このようなこころざしなので、今までに一度も「おしゃれですね」と言われたことがない。サンダルを買うたびに、大学時代に友達が言った、「なんで一張羅のスーツにその汚いスニーカーを履いてくるの?」という言葉がいつも頭に思い起こされる。

一度でいいから、あの人はおしゃれだ、と人に見られてみたいのだが、結構これが難しい。靴屋に行って800ルピーするサンダルを手に取ったら、「これで13個はツナ缶が買える。すなわちそのうち6回は炊き込みご飯にして、4回はツナおろしスパゲティーにして、のこり3回は日本米を炊いて手巻き寿司にできるなあ」と思わず計算してしまう。サンドイッチなら80回は食べられる。私は買い物が大好きなので、よく服や靴やアクセサリーを見に行くんだけれど、そんなふうで、いつも自分が気に入った品物より一ランク低い似た品物を探して買ってしまう。

いちおうまともなオトナとしてというか社会人として、アクティヴな靴をせめて3足ぐらい持っていたいような気がする。しかし、その中で一番履きやすい靴をどうせ毎日履くんだろうと考えると、あんまりそこにお金を使うことに意味はなさそうである。

January 6, 2009

Being Away

人が海外に出て暮らす決断をするとき、そこには海外で暮らしたいという表向きの動機の裏に、自分の国を離れたい別の動機があると私は想像する。人の事情は知らないから本当のことはわからないのだが。

私の場合、もう何もかも放り出してとにかく遠くに行くしかない、というありがちな願望をつい実行に移した結果こうなったのであって、英語ができるようになりたいとか、異文化を学びたいとか、そういうろくなこころざしはいわばあとづけのようなものであった。だから「なぜインドに来ようと思ったんですか?」という、よくある質問に対しては、自分が聞いても聞かれても、「これは答えのための答えであって本当に聞きたい答えが返ってくるわけじゃない」と最初から疑っている。自分に向かっても時々言うことだが、この種の質問は聞くほうが悪い。仮にも想像力があるのならつまらないことを聞くものではない。

会社のアメリカ人の女性は、「I just like being away」と言った。アメリカが恋しくなることってある?という質問をしたときだったかもしれない。それを聞いて、そうだな、と思った。「離れていたい」というと、日本語ではネガティヴな意味に聞こえるかもしれないがそうでもない。「自分をアウェイに置いていたい」と言えば昔のサッカー選手みたいでかっこよすぎるしそれとも違う。ただその状態が心地よく、自分にふさわしいような気がすると言ったらいいだろうか。仕事も住まいも人間関係もすべてが仮のものに過ぎず、自分が次にどこにいるのかわからないという状態に安堵感を感じるのだ。

私の勤めている会社はインドの企業である。給料はインドで暮らせるレベルのものに限られているし、契約期間も長くない。だから、大人になって職業経験を経てから今の就職してくるアメリカ人や日本人、イギリス人などの外国人たちは、「いずれはどこかに帰る」という種類の人生を歩んではいない人々であると私は見ている。長く勤める気があるわけではない、かといって、来年の今頃自分がどこにいるのかはわからない。どうなってもいいと思っているのではなく、どうにでもなると思っている。だから組織にしがみついたりもしない。

もう一人のアメリカ人の女性は、「私はマネージャーにだけは絶対なりたくない。気楽に休みが取れなくなるもんね」と言っていた。お給料はそりゃあ多いほうがいいけど、それと引き換えに自由を奪われるぐらいならそこそこ貧乏で結構、という感じの人が多いように見受けられる。こういう人たちを眺めていると、自分も離れてみてよかったなぁと思う。

ノー・プロブレムにもいろいろある

「Outsourced」を観に行った。タイトルのとおり、自分の部署の仕事がインドにアウトソースされてしまった主人公が教育係として現地に滞在する、というストーリーのアメリカ映画である。インドに長く滞在したことのある人ならきっと共感できる部分があると思うのでおすすめしたい。

主人公はインドの現地のコールセンターの現状を見てはじめはぎょっとする。周りのインド人が「ノー・プロブレム」を連発するなか、「どこがノー・プロブレムなんだよ、プロブレムだらけじゃねえかよ」と腹を立てるのだが、まいにちの小さな出来事をくぐりぬけながらインドの文化を受け入れていった結果、自分も最後には「ノー・プロブレム」の境地に至ってしまう。主人公が徐々にリラックスしてインドの生活に溶け込んで行く様子は、インドに新しくやってくる日本人が数ヶ月たったころに見せる表情と非常によく似ていて気持ちよかった。

ノー・プロブレムといっても、単に気にしないで放っておこうというのではない。何が起きてもいちいちあわてないで、その場でなんとかしちゃおうという意味のノー・プロブレムである。映画の最初と最後で、主人公のこの「ノー・プロブレム」に対する考え方の変化がとても上手く描かれていて面白い。

文化による考え方の違いは、場合によっては同じものを物差しで計るのと秤で計るのとの違いぐらいにねじれている。それはいったん自分とは異なる文化に浸かって内側からものを見なければ気付かないことである。内側に入るためには自分の信念をある程度捨てなければならない。「正しい」とか「正しくない」とか、万人に共通の正義とか、真理とか、そういうことにこだわりのある人にはこれが結構難しい。

映画の中で、インド人がアメリカ人に「あなたたちは親と一緒に住まないんでしょ?なんで?おかしいよ。そんなに近くに住んでて、めったに会いに行かないなんて」と尋ねるシーンがある。主人公は返事に困り、笑ってごまかす。一緒に映画を見に行ったアメリカ人のDさんは、「あれは、私たちは単にそうしないの。大学に入ったあとはもう親から離れて暮らすのが普通なんだから」とつぶやいていた。私の田舎では、子供夫婦が親の敷地内に親のお金で離れ屋を建てて住むのがわりに一般的である。アメリカとインドの文化の差は、日本とインドよりずっと深いのかもしれない。

どちらにせよ、2つの文化の狭間に一度立ってみると、ねじれた無限の数のものの見方が世の中に存在することに気付かされる。

January 5, 2009

ケララではねじを巻かない(4) ムンバイの危険な夜

ムンバイに着いた瞬間に、鞄を失くした。

ケララからの飛行機が3時間以上遅れて疲れていたので、ムンバイの空港を出たとき、プリペイド・タクシーのカウンターまでの道のりがあまりにも遠く、近くにいた怪しいカブをつかまえてしまったのである。乗ってみたらドライバーの人相がどうもおかしいので、これはやばいな、と思って隣にいたもう一台のタクシーに乗り換えた。そのタクシーで家に着いた瞬間、自分の鞄がないことに気づいた。

鞄にはパスポートやらカードやらお金やら部屋の鍵やら、すべてが入っていた。絶望して近所に暮らす上司の家に助けを求めに行くと、彼はすばやい判断をしてカード会社の連絡先などいろいろ手配してくれ、タクシー・ドライバーと交渉して鞄を空港から見つけてくるように頼んでくれた。そして、鞄は実に見つかったのである。信じられない思いであった。上司にはもう感謝してもしきれない。神様にもありがとうと言いたい。同行していた母と友達には本当に申し訳なかったです。

ところで、タクシーの料金を払った母いわく、600ルピーを渡したのにドライバーは500ルピーをサッと隠して100ルピーにすり替え、「もらっていない」と主張したという。気づかず「ごめんごめん」と言って再度500ルピーを払ってしまった私。くやしい。さらに、鞄を届けにきたドライバーは鞄と引き換えに1000ルピーを要求した。それも払った。どうもおかしい。彼らはぐるではないのか。鞄の中をよく見てみると、パスポートやお金の位置が変わっている。どうやら、一度は鞄を盗もうとしたが、届ければ1000ルピーという別の条件によって、気を変えたのではないのか。はたしてどこまでが私のうっかりでどこまでが仕組まれた罠だったのか。気持ち悪い事件であった。

ケララでお世話になった友達と電話で後日談を話しながら、「これは絶対ケララのせいだね」と私は断言した。ケララがあまりにも平和だったので、ムンバイの治安の悪さをすっかり忘れていたのである。たった数日のことなのに、私の都会生活の感性が鈍ってしまっていたのだ。ケララの友人に詳しい顛末を話すと、「だから私たち夫婦は子どもをムンバイで育てるのはやめようって決めたんだよ」と言った。家族がムンバイに彼女を迎えに来たとき、クレイジーな電車の光景を見てぶったまげてしまい、娘がこんなところに住んでいたのかと憤慨して、「もう帰っちゃ駄目だよ!」と言ったらしい。それ以来、彼ら夫婦はインド南部で仕事を見つけて暮らそうと計画しているのだという。ふーむ。住んでいる者としては複雑な思いだが、ケララに行った後ではよく理解できる。

人々の目にはカネが映っていて、マフィアがいて、貧乏な人がうじゃうじゃいて、きらびやかなモールが次々に建って、川は汚染でピカピカに光っていて、空気は悪いし、緑がない。ムンバイは美しい街ではない。私は、しかし、嫌いではない。数日ぶりに戻ってきて、会社で一緒に働いている人々に会って旅行の自慢をし、生活の買い物をして、最初はさぼりつつ徐々に仕事をはじめて、まあけっこううれしい。ちょっとずつ自分のねじを巻きながら、でもすこしだけこのままゆるめにしておこう、と思っている。

ケララではねじを巻かない(3) Varapuzha村の原始的な陶芸技術

一緒にケララ旅行に行った友達は陶芸家である。彼女が妹尾河童のインド旅行記エッセイをカバンから出して、本のイラストを指差して、「ここに言ってみたいんだよね」と言う。それはケララのCochinの近くにあるVarapuzha(バラプラ)という小さな陶芸村のイラストであった。その小さな村では、村人全員が陶芸をやっていると書いてある。面白そうなので、ケララ旅行の最後の日にその村を探してみることにした。

バスでCochinに到着すると、すでに夕方であった。リキシャの運転手に村の名前を言うと、「ここから32キロぐらいだから、30分ぐらいで行けるな」と妙に正確な距離を言う。怪しい。しかし、村の場所には自信があるみたいだからとりあえずリキシャを走らせてもらう。村の付近でホテルを探そうと思っていた。

しかし、走るリキシャの上から道の両脇を目を皿のようにして観察していたのだが、ホテルらしきものがさっぱり見つからない。どうも観光地やホテル街からどんどん離れたところに向かっているような様子である。まずいかもしれない、と思ってリキシャを一度止めてCochinの地図を見せて、「今どこで、これからどこへ行くのか地図を指差してくれ」と頼んだのだが、リキシャのドライバーにさっぱり英語が通じない。「あと8キロで村につくよ」とまた妙に正確な数字をいう。怪しい。ケララの現地語はマラヤーナムなので、ムンバイのように片言のヒンディ語すら通じない。困ってリキシャを飛び降りて、道行く人に声をかけて道を尋ねることにした。

その辺のおじさんを捕まえて、「バラプラにホテルはあるか」と訪ねてみた。私の発音が悪いのか、「Hotel」がさっぱり通じない。ホテール、ハテール、ホ・テ・ル、といろいろ試してみたのだが、「フタル?」と、ホテルに似た近所の村の名前らしき単語を繰り返される。そのころには騒ぎを聞きつけたリキシャを囲んで村人がどんどん集まっていた。みんな結構ひまらしい。仕方ないので紙にHotelと書いて見せると、野次馬の輪の中にいた賢そうな少女がついに、「ああ、ホテルね!」と叫んだ。「バラプラ村にはホテルはないよ」と言うので、その日は探索をあきらめて、Cochin市内でホテルを探すことに決めた。

翌日、ホテルのフロントに相談すると、タクシーの運転手に陶芸村を探すようコーディネートしてくれた。ホテルから車で1時間強。実にあっという間にその村が見つかった。ろくろのある小さな作業小屋と原始的な窯がある。陶芸をやっているのは、今は村で一軒だけだという。おじさんが原始的なろくろをまわしてつぼを作って見せてくれた。おばさんも出てきて、つぼの口をつける作業をデモンストレーションしてくれる。レンガ造りの原始的な窯が家の裏にあり、そこで3日かけて焼くのだという。帰りに小さなつぼとランタンを買った。

私は今まで予定のない旅をしたことがなかった。しかし今回の旅行で、空港を出た瞬間に何の予定もない時間が広がっている、という旅のやり方が、予定のある旅よりずっと楽であることを知った。新しい土地は、行ってみるまでどんな様子かわからない。何を好きになるのか、何をキライになるのか。ひとつの場所が気に入ったら、そこに長く居ればいいし、気に入らなければ早く去ればいい。そうやって自分に聞きながら進んでいくと、無理をしない旅ができる。もちろんできる限りの時間を確保しておくことが重要なのだが。

January 2, 2009

ケララではねじを巻かない(2) Kottayamの友人の静かな生活

ケララに住む友人の家を訪ねた。彼女は半年前にお産のために会社をやめて、ケララのKottayamというところにある実家にお母さんとおばあちゃんと3人で住んでいる。仕事が遅くてなかなか帰ってこないだんなさんと2人のムンバイでの生活では安心してお産はできないということで、田舎に帰っているのである。

仕事中にジョークをチャットしてきたり、おかしいウェブサイトのリンクを飛ばしてきたり、オンラインでヘンな漫画を見つけては社員にマスメールしたりするお調子者で、会社の人気者だった彼女。一緒に働いているときにはときどきケララ風カレーを家から持ってきてくれたりした。「ケララに来るなら絶対声かけてね」と言ってくれていたので、じゃあ旅をするならケララしかないでしょう、ということになったのである。

CochinからKottayamまでは電車で2時間弱。駅前の定食屋でドーサを食べながら友人に電話すると、彼女は家までの道をリキシャのドライバーに説明してくれた。初めてきた土地でも、知り合いがいると思うと不安な気持ちがしない。ココナッツの林に囲まれた村の細い道を走っていると、自分の田舎に帰っていくような感じがしてくる。リキシャが細い山道を登っていって、小さな平屋の一軒屋の玄関から友人が手を振っているのが見えた。

裏山はお母さんの土地だと言う。以前はパイナップル農園だったのだが、今は山の上に住むおじさんが趣味でバナナの木なんかを栽培しているだけで、あとは草や木が伸びたい放題になっている。友人は一日2、3時間ほどオンラインでフリーランスの仕事をして、あとは家族と食事をしたり、裏山をゆっくり散歩したりしてすごしているのだという。遅めのランチを準備してくれると言うので、その間に写真をとりつつ裏山を散歩した。野生のパイナップル、ゴムの木、バナナの木、コーヒーの木、ジャックフルーツの木、コショウの木などがそこらじゅうに生えて森になっている。実に静かである。

山の上まで登ると、友人のおばさん一家の家がある。庭には数匹のヤギと鶏と犬が飼われていて、人になついた若いヤギが頭をなぜてほしがって寄ってくる。友人のおばさんといとこが出てきてケララの現地語で話す。友人が通訳してくれる。庭に生えているココナッツを割って、新鮮なココナッツジュースを飲ませてくれた。

友人の家に戻ると、彼女のお母さんとおばさんが用意したケララのフィッシュカレーとチキンカレー、プラオ(炊き込みご飯)、ライター(ヨーグルトサラダ)、それからタピオカを蒸した穀物をご馳走してくれた。一緒に行った私の友人と母はカレーを初めて手で食べていた。「スプーン要る?」と聞かれて、母は「楽しいからいい」と言って断っていた。実においしい食事であった。

食後のチャイを飲み終わったころには、近くに住んでいる家族が勢ぞろいしていた。友人の母、祖母、おばさん、いとこ2人とおじさん。彼らはクリスチャンである。壁にはおばあちゃんが縫ったキリストの刺繍や絵、家族の写真や、友人が学生時代に書いた絵やもらったトロフィーが飾られている。おなかいっぱいになって家族に混ざってぼんやり座っていると、なんだかもうずっと何日もここにいたような気がしてくる。泊まっていきなよ、という友人の誘いを遠慮して、アレンジしてくれたホテルに車で送ってもらった。

ムンバイにいても時々思うことだが、インドで暮らしていると、日本で暮らしているときにしばしば感じる「何かをしていなければ生きている意味がない」という妙な強迫観念から自由になる。特に何もしていない人が周りにうじゃうじゃいるからである。ケララはムンバイに輪をかけて、ぼーっとしているひとがいっぱいいた。友人のおじさんなんか、2時間ぐらい平気で黙って椅子に座ってぼんやりしていた。そういうのを見ていると、これがほんとの省エネかもしれないと思う。難しそうなことを脳細胞が擦り切れそうになるまで考えて迷宮に陥ったり、腕を振り回して自己主張や議論をしたり、手帳とにらめっこして仕事の時間配分を練ったりしていた生活がいかに無駄な動きに満ちていたかということに気づく。

「何かをしていたいために何かをする」、「予定を空けないために予定を入れる」、「苦悩するために悩む」なんてことを、人はわりとやりがちである。スチャダラパーは「ヒマを生きぬく強さを持て」と歌っている。本当に必要なこと以外の、思考のための思考、活動のための活動を自分の時間から取り払ったとき、その空白は意外にも豊かなようだ。意思を持ち、環境に左右されずにゴールに向かって地道な努力をすることはもちろん貴重かもしれない。しかし、自分の自我をすっかりまわりの空気の中に溶け込ませて、風が吹いて枝が揺れるように時間をすごしてみると、自分の分厚いフィルターとりはずして周りを見ているような、開けた感じがある。

「余計なことをしない」、を今年の目標にしてみようかな、と思った。悪くなさそうだ。

January 1, 2009

ケララではねじを巻かない(1) Kumarakom Lake Resort

明けましておめでとうございます。去年はなかなかいい年だった。

2008年の締めに行ったケララはムンバイの時計を10倍ぐらいゆっくり回しているような、ゆったりした自然たっぷりの土地で、いっぺんに大好きになってしまった。この旅のおかげか、大晦日は心からリラックスして、安らかな気持ちで新年を迎えることができたような気がする。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の中で、「日曜日にはねじを巻かないのだ」という言葉が出てくる。どこからか聞こえてくる、キリキリとねじを巻くような鳥の声が日曜日には聞こえないのだ。ケララでもその音は聞こえなかった。ねじがゆるみきってあとは惰性でゆるい坂道を進んでいるような様子であった。「私、ムンバイでは3速ぐらいで走ってるけど、ケララでは1速だな」と言うと、一緒に行った友達は「いや、ニュートラルでもいけるんじゃないの」と言った。

3日目に行ったKumarakom Lake Resortはのんびりしたちいさなリゾート地であった。歩いていると、どこからともなく不思議な鳥の声が聞こえてくる。橋を渡って川を越えるときに、青い羽をしたキングフィッシャーがマングローブの枝で休んでいるのを見た。ボートのドライバーに誘われて村を囲んだ川を回る。静かで、だんだん眠くなってくる。子どもが泳いでいる。鴨が家族で川を横切っていく。だれもがゆっくりゆっくり歩いている。みやげ物やも、オートのドライバーも、「要るの、要らないの?俺はどっちでもいいけど」って顔をしている。目を血走らせて客引きしている人なんか誰もいない。

KumarakomからCochinに向かうバスを待っていると、バススタンドで5人ぐらいのタクシードライバーが座っておしゃべりしていた。「バス、ここで待てばいいの?」と聞くと、「いいからいいから、そこに座ってのんびりしてたらいいから。バスが来たら教えてやるからさ」という。「ちなみに俺たちタクシードライバーだからいざとなったらタクシーに乗っけてあげてもいいけどね」と付け加える。でもなんだか、仲間でべらべら喋ってるほうがお客乗せるより楽でいいやみたいな雰囲気である。

体のどこかに入っていた力がすっかり抜けてしまった。ムンバイで、いつもたいして緊張して暮らしているわけではない。どちらかというとかなり普段から力が抜けているほうだと思う。思っていたのだが、ケララでの気持ちはまたそれとも違った。眠っているような感じで目が覚めているというような。心拍数がぐっと下がって、自然と深くてゆっくりした呼吸をしている。まるでヨガの呼吸法の訓練をやった後みたいな感覚である。その感覚が、不思議とムンバイに戻ってからも続いている。何かを習ってきたような、そんな感じである。