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January 5, 2009

ケララではねじを巻かない(4) ムンバイの危険な夜

ムンバイに着いた瞬間に、鞄を失くした。

ケララからの飛行機が3時間以上遅れて疲れていたので、ムンバイの空港を出たとき、プリペイド・タクシーのカウンターまでの道のりがあまりにも遠く、近くにいた怪しいカブをつかまえてしまったのである。乗ってみたらドライバーの人相がどうもおかしいので、これはやばいな、と思って隣にいたもう一台のタクシーに乗り換えた。そのタクシーで家に着いた瞬間、自分の鞄がないことに気づいた。

鞄にはパスポートやらカードやらお金やら部屋の鍵やら、すべてが入っていた。絶望して近所に暮らす上司の家に助けを求めに行くと、彼はすばやい判断をしてカード会社の連絡先などいろいろ手配してくれ、タクシー・ドライバーと交渉して鞄を空港から見つけてくるように頼んでくれた。そして、鞄は実に見つかったのである。信じられない思いであった。上司にはもう感謝してもしきれない。神様にもありがとうと言いたい。同行していた母と友達には本当に申し訳なかったです。

ところで、タクシーの料金を払った母いわく、600ルピーを渡したのにドライバーは500ルピーをサッと隠して100ルピーにすり替え、「もらっていない」と主張したという。気づかず「ごめんごめん」と言って再度500ルピーを払ってしまった私。くやしい。さらに、鞄を届けにきたドライバーは鞄と引き換えに1000ルピーを要求した。それも払った。どうもおかしい。彼らはぐるではないのか。鞄の中をよく見てみると、パスポートやお金の位置が変わっている。どうやら、一度は鞄を盗もうとしたが、届ければ1000ルピーという別の条件によって、気を変えたのではないのか。はたしてどこまでが私のうっかりでどこまでが仕組まれた罠だったのか。気持ち悪い事件であった。

ケララでお世話になった友達と電話で後日談を話しながら、「これは絶対ケララのせいだね」と私は断言した。ケララがあまりにも平和だったので、ムンバイの治安の悪さをすっかり忘れていたのである。たった数日のことなのに、私の都会生活の感性が鈍ってしまっていたのだ。ケララの友人に詳しい顛末を話すと、「だから私たち夫婦は子どもをムンバイで育てるのはやめようって決めたんだよ」と言った。家族がムンバイに彼女を迎えに来たとき、クレイジーな電車の光景を見てぶったまげてしまい、娘がこんなところに住んでいたのかと憤慨して、「もう帰っちゃ駄目だよ!」と言ったらしい。それ以来、彼ら夫婦はインド南部で仕事を見つけて暮らそうと計画しているのだという。ふーむ。住んでいる者としては複雑な思いだが、ケララに行った後ではよく理解できる。

人々の目にはカネが映っていて、マフィアがいて、貧乏な人がうじゃうじゃいて、きらびやかなモールが次々に建って、川は汚染でピカピカに光っていて、空気は悪いし、緑がない。ムンバイは美しい街ではない。私は、しかし、嫌いではない。数日ぶりに戻ってきて、会社で一緒に働いている人々に会って旅行の自慢をし、生活の買い物をして、最初はさぼりつつ徐々に仕事をはじめて、まあけっこううれしい。ちょっとずつ自分のねじを巻きながら、でもすこしだけこのままゆるめにしておこう、と思っている。

ケララではねじを巻かない(3) Varapuzha村の原始的な陶芸技術

一緒にケララ旅行に行った友達は陶芸家である。彼女が妹尾河童のインド旅行記エッセイをカバンから出して、本のイラストを指差して、「ここに言ってみたいんだよね」と言う。それはケララのCochinの近くにあるVarapuzha(バラプラ)という小さな陶芸村のイラストであった。その小さな村では、村人全員が陶芸をやっていると書いてある。面白そうなので、ケララ旅行の最後の日にその村を探してみることにした。

バスでCochinに到着すると、すでに夕方であった。リキシャの運転手に村の名前を言うと、「ここから32キロぐらいだから、30分ぐらいで行けるな」と妙に正確な距離を言う。怪しい。しかし、村の場所には自信があるみたいだからとりあえずリキシャを走らせてもらう。村の付近でホテルを探そうと思っていた。

しかし、走るリキシャの上から道の両脇を目を皿のようにして観察していたのだが、ホテルらしきものがさっぱり見つからない。どうも観光地やホテル街からどんどん離れたところに向かっているような様子である。まずいかもしれない、と思ってリキシャを一度止めてCochinの地図を見せて、「今どこで、これからどこへ行くのか地図を指差してくれ」と頼んだのだが、リキシャのドライバーにさっぱり英語が通じない。「あと8キロで村につくよ」とまた妙に正確な数字をいう。怪しい。ケララの現地語はマラヤーナムなので、ムンバイのように片言のヒンディ語すら通じない。困ってリキシャを飛び降りて、道行く人に声をかけて道を尋ねることにした。

その辺のおじさんを捕まえて、「バラプラにホテルはあるか」と訪ねてみた。私の発音が悪いのか、「Hotel」がさっぱり通じない。ホテール、ハテール、ホ・テ・ル、といろいろ試してみたのだが、「フタル?」と、ホテルに似た近所の村の名前らしき単語を繰り返される。そのころには騒ぎを聞きつけたリキシャを囲んで村人がどんどん集まっていた。みんな結構ひまらしい。仕方ないので紙にHotelと書いて見せると、野次馬の輪の中にいた賢そうな少女がついに、「ああ、ホテルね!」と叫んだ。「バラプラ村にはホテルはないよ」と言うので、その日は探索をあきらめて、Cochin市内でホテルを探すことに決めた。

翌日、ホテルのフロントに相談すると、タクシーの運転手に陶芸村を探すようコーディネートしてくれた。ホテルから車で1時間強。実にあっという間にその村が見つかった。ろくろのある小さな作業小屋と原始的な窯がある。陶芸をやっているのは、今は村で一軒だけだという。おじさんが原始的なろくろをまわしてつぼを作って見せてくれた。おばさんも出てきて、つぼの口をつける作業をデモンストレーションしてくれる。レンガ造りの原始的な窯が家の裏にあり、そこで3日かけて焼くのだという。帰りに小さなつぼとランタンを買った。

私は今まで予定のない旅をしたことがなかった。しかし今回の旅行で、空港を出た瞬間に何の予定もない時間が広がっている、という旅のやり方が、予定のある旅よりずっと楽であることを知った。新しい土地は、行ってみるまでどんな様子かわからない。何を好きになるのか、何をキライになるのか。ひとつの場所が気に入ったら、そこに長く居ればいいし、気に入らなければ早く去ればいい。そうやって自分に聞きながら進んでいくと、無理をしない旅ができる。もちろんできる限りの時間を確保しておくことが重要なのだが。

January 2, 2009

ケララではねじを巻かない(2) Kottayamの友人の静かな生活

ケララに住む友人の家を訪ねた。彼女は半年前にお産のために会社をやめて、ケララのKottayamというところにある実家にお母さんとおばあちゃんと3人で住んでいる。仕事が遅くてなかなか帰ってこないだんなさんと2人のムンバイでの生活では安心してお産はできないということで、田舎に帰っているのである。

仕事中にジョークをチャットしてきたり、おかしいウェブサイトのリンクを飛ばしてきたり、オンラインでヘンな漫画を見つけては社員にマスメールしたりするお調子者で、会社の人気者だった彼女。一緒に働いているときにはときどきケララ風カレーを家から持ってきてくれたりした。「ケララに来るなら絶対声かけてね」と言ってくれていたので、じゃあ旅をするならケララしかないでしょう、ということになったのである。

CochinからKottayamまでは電車で2時間弱。駅前の定食屋でドーサを食べながら友人に電話すると、彼女は家までの道をリキシャのドライバーに説明してくれた。初めてきた土地でも、知り合いがいると思うと不安な気持ちがしない。ココナッツの林に囲まれた村の細い道を走っていると、自分の田舎に帰っていくような感じがしてくる。リキシャが細い山道を登っていって、小さな平屋の一軒屋の玄関から友人が手を振っているのが見えた。

裏山はお母さんの土地だと言う。以前はパイナップル農園だったのだが、今は山の上に住むおじさんが趣味でバナナの木なんかを栽培しているだけで、あとは草や木が伸びたい放題になっている。友人は一日2、3時間ほどオンラインでフリーランスの仕事をして、あとは家族と食事をしたり、裏山をゆっくり散歩したりしてすごしているのだという。遅めのランチを準備してくれると言うので、その間に写真をとりつつ裏山を散歩した。野生のパイナップル、ゴムの木、バナナの木、コーヒーの木、ジャックフルーツの木、コショウの木などがそこらじゅうに生えて森になっている。実に静かである。

山の上まで登ると、友人のおばさん一家の家がある。庭には数匹のヤギと鶏と犬が飼われていて、人になついた若いヤギが頭をなぜてほしがって寄ってくる。友人のおばさんといとこが出てきてケララの現地語で話す。友人が通訳してくれる。庭に生えているココナッツを割って、新鮮なココナッツジュースを飲ませてくれた。

友人の家に戻ると、彼女のお母さんとおばさんが用意したケララのフィッシュカレーとチキンカレー、プラオ(炊き込みご飯)、ライター(ヨーグルトサラダ)、それからタピオカを蒸した穀物をご馳走してくれた。一緒に行った私の友人と母はカレーを初めて手で食べていた。「スプーン要る?」と聞かれて、母は「楽しいからいい」と言って断っていた。実においしい食事であった。

食後のチャイを飲み終わったころには、近くに住んでいる家族が勢ぞろいしていた。友人の母、祖母、おばさん、いとこ2人とおじさん。彼らはクリスチャンである。壁にはおばあちゃんが縫ったキリストの刺繍や絵、家族の写真や、友人が学生時代に書いた絵やもらったトロフィーが飾られている。おなかいっぱいになって家族に混ざってぼんやり座っていると、なんだかもうずっと何日もここにいたような気がしてくる。泊まっていきなよ、という友人の誘いを遠慮して、アレンジしてくれたホテルに車で送ってもらった。

ムンバイにいても時々思うことだが、インドで暮らしていると、日本で暮らしているときにしばしば感じる「何かをしていなければ生きている意味がない」という妙な強迫観念から自由になる。特に何もしていない人が周りにうじゃうじゃいるからである。ケララはムンバイに輪をかけて、ぼーっとしているひとがいっぱいいた。友人のおじさんなんか、2時間ぐらい平気で黙って椅子に座ってぼんやりしていた。そういうのを見ていると、これがほんとの省エネかもしれないと思う。難しそうなことを脳細胞が擦り切れそうになるまで考えて迷宮に陥ったり、腕を振り回して自己主張や議論をしたり、手帳とにらめっこして仕事の時間配分を練ったりしていた生活がいかに無駄な動きに満ちていたかということに気づく。

「何かをしていたいために何かをする」、「予定を空けないために予定を入れる」、「苦悩するために悩む」なんてことを、人はわりとやりがちである。スチャダラパーは「ヒマを生きぬく強さを持て」と歌っている。本当に必要なこと以外の、思考のための思考、活動のための活動を自分の時間から取り払ったとき、その空白は意外にも豊かなようだ。意思を持ち、環境に左右されずにゴールに向かって地道な努力をすることはもちろん貴重かもしれない。しかし、自分の自我をすっかりまわりの空気の中に溶け込ませて、風が吹いて枝が揺れるように時間をすごしてみると、自分の分厚いフィルターとりはずして周りを見ているような、開けた感じがある。

「余計なことをしない」、を今年の目標にしてみようかな、と思った。悪くなさそうだ。

January 1, 2009

ケララではねじを巻かない(1) Kumarakom Lake Resort

明けましておめでとうございます。去年はなかなかいい年だった。

2008年の締めに行ったケララはムンバイの時計を10倍ぐらいゆっくり回しているような、ゆったりした自然たっぷりの土地で、いっぺんに大好きになってしまった。この旅のおかげか、大晦日は心からリラックスして、安らかな気持ちで新年を迎えることができたような気がする。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の中で、「日曜日にはねじを巻かないのだ」という言葉が出てくる。どこからか聞こえてくる、キリキリとねじを巻くような鳥の声が日曜日には聞こえないのだ。ケララでもその音は聞こえなかった。ねじがゆるみきってあとは惰性でゆるい坂道を進んでいるような様子であった。「私、ムンバイでは3速ぐらいで走ってるけど、ケララでは1速だな」と言うと、一緒に行った友達は「いや、ニュートラルでもいけるんじゃないの」と言った。

3日目に行ったKumarakom Lake Resortはのんびりしたちいさなリゾート地であった。歩いていると、どこからともなく不思議な鳥の声が聞こえてくる。橋を渡って川を越えるときに、青い羽をしたキングフィッシャーがマングローブの枝で休んでいるのを見た。ボートのドライバーに誘われて村を囲んだ川を回る。静かで、だんだん眠くなってくる。子どもが泳いでいる。鴨が家族で川を横切っていく。だれもがゆっくりゆっくり歩いている。みやげ物やも、オートのドライバーも、「要るの、要らないの?俺はどっちでもいいけど」って顔をしている。目を血走らせて客引きしている人なんか誰もいない。

KumarakomからCochinに向かうバスを待っていると、バススタンドで5人ぐらいのタクシードライバーが座っておしゃべりしていた。「バス、ここで待てばいいの?」と聞くと、「いいからいいから、そこに座ってのんびりしてたらいいから。バスが来たら教えてやるからさ」という。「ちなみに俺たちタクシードライバーだからいざとなったらタクシーに乗っけてあげてもいいけどね」と付け加える。でもなんだか、仲間でべらべら喋ってるほうがお客乗せるより楽でいいやみたいな雰囲気である。

体のどこかに入っていた力がすっかり抜けてしまった。ムンバイで、いつもたいして緊張して暮らしているわけではない。どちらかというとかなり普段から力が抜けているほうだと思う。思っていたのだが、ケララでの気持ちはまたそれとも違った。眠っているような感じで目が覚めているというような。心拍数がぐっと下がって、自然と深くてゆっくりした呼吸をしている。まるでヨガの呼吸法の訓練をやった後みたいな感覚である。その感覚が、不思議とムンバイに戻ってからも続いている。何かを習ってきたような、そんな感じである。