June 20, 2009

インド式とは何か

インドで暮らす外国人の多くが口にする言葉に、「インド式」というのがある。英語ではIndian styleとかIndian wayという。

この言葉は東アジアの文化とも西洋の文化とも違った、いわゆるインド特有のやり方を表現する非常に便利な言葉だ。

A 「おととい、夜にテレビが急に壊れて電気屋に電話したら、夜中の10時だっていうのに今から1時間以内に来てくれるって言うんだ。」
B 「へー、インド式だねえ」 (インド式=柔軟)

A 「それなのに実際には、次の日の夜になっても来なかったんだよ」
B 「うーん、インド式だねえ」 (インド式=有言不実行)

A 「それで電話かけて苦情を言ったら、来ようとしたけど奥さんが熱出して来れなかったって言うんだよ」
B 「うーん、インド式だねえ」 (インド式=家族が第一優先)

A 「結局、昨日の夜とうとう修理に来たんだけど、中の配線がイカレてテレビ自体がだめになってるって言うからあきらめかけてたんだよ。そしたら電気屋がものはためしにテレビの裏をがばっと開けて、持ってたドライバーでいろいろいじってなんだかんだいって直しちゃったんだ。」
B 「うーん、インド式だねえ~」 (インド式=状況対処力が高い)

てな感じで延々とありとあらゆる場面で活用できる、よくできた表現である。

インドで暮らす外国人たちの間には、うまく言葉にできないが、インドに対するある種のコンセンサスのようなものが存在している。電車が時間通りに来ない、タクシードライバーがあきらかにウソの運賃を言う、レストランのメニューに載っているたいていの料理が存在しない、といったことで語られるルーズさ。一方で、何か予期しない問題が起こったときにルール外の方法を駆使して機転を利かせて解決する柔軟さ。そういった、よく理解できない、うまくまとめきれないけれど、これはインドとしか言いようがない現象を総じて、「インド式」、Indian style、Indian wayなどと言うのである。

インドでビジネスに関わっている外国人の中には、この言葉をやや軽蔑的な意味で使う人が結構多い。そういう言い方をしている人の話を聞くと、なんとなくインド人の立場に立ってしまい、ちょっと傷つく。でも、インド人の異質なビジネスのやり方と自分の国の文化との間に挟まれてほとほと参っている外国人ビジネスマンにしてみたら、「インド式だからなあ~」とでも言って、自分の苦労を人と共有しなければやってられないのだろう。その気持ちはよくわかる。うまく理解できないことをわかった気にしてくれる機能や、そのわからないことをわからないなりに人と共有するためのコミュニティ言語的な機能も、この「インド式」という言葉には含まれているのだ。

しかし、実際に外国人が「いわゆるインド式だ」、と感じることの本質はなんなんだろう?とつねづね疑問におもう。インドは、つまり、なにが違うのか。最近、この外国人における「インド式」の使用がどうにも気になって、この言葉がはたして総括してなにを意味しているのかを解明したいと考えている。
インドにお住まいの皆さんで、もしなにか面白い仮説を思いついたらご報告下さい。

June 19, 2009

インドよ、汁麺文化を知れ

インドには汁麺がない。みなさん、覚えておいて下さい。

レストランに行ってチャイニーズヌードルを頼んでも、焼きそばのような炒め麺が出てくる。ラーメンのような汁麺タイプの料理が存在しないのだ。スーパーマーケットにはちゃんとカップヌードルやインスタントヌードル、日本の日進のチキンラーメンまで売っている。それなのに、作ってみるとかならず汁のない麺(ヌードルにインドマサラ味が付いたもの)が出来あがる。調味料を含んだスープが、全部ヌードルに吸い込まれてしまうのである。

テレビでも、ときどきインスタントヌードルの宣伝をしているからよく観察しているのだが、やっぱりわざと汁麺にならないように作られているのだ。Maggyというヌードルの宣伝では、なんとヌードルをパンにはさんで食べるシーンまで出てくる。それを見るたびに、どれだけ汁がないんだ!といちいち叫びたくなる。

この「汁麺ない」問題についていろんな人と議論しているけれど、結局「いや、暑いからじゃない?」という結論しか出ない。多分暑いからあつあつのラーメンなんか食べたい人がいないんだろう。でも私は食べたい。

そう思っていたら、ルームメイトの韓国人の女の子がなんと自家製ラーメンスープを開発してくれたので、私の麺生活は一気に向上することになった。ラーメンの汁はちゃんと自分で作れるのです。インスタントヌードルの麺だけ使って、インド風調味料をぽいっと捨てちゃえばいいのです。というわけで、汁麺なし生活で悲しい日本人のためにここで作り方をご紹介します。

【簡単自家製ラーメン汁の作り方】(一人分)

1. 茶碗一杯分のお湯を沸かす。
2. チキンスープの素または野菜スープの素を半分に割って溶かす。
3. 醤油をスプーン1杯ほど入れる。ここで味噌にすると味噌ラーメン、塩にすると塩ラーメン。
4. 野菜と麺を入れて煮る。
5. 煮えたらにごま油かサラダ油をスプーン1杯入れる。

おお、ラーメンだよ!と叫ぶこと間違いなしです。絶対おいしいので試してみてください。

June 18, 2009

インドは暮らしやすいか?

先日、日本の地方のラジオ番組の生放送10分コーナーで電話インタビューを受けた。スラムドック・ミリオネアの影響でインドを特集することになり、ムンバイに在住している人のブログを探したらしい。

インドのよさを人に伝えるのは難しい。いわゆる面白いことを語ろうとすれば、必然的に衝撃的な出来事を語ることになってしまい、「うーん、それは大変ですねえ」という印象を与える不本意な結果になってしまう。かといって、暮らしやすいです、楽です、といえばこれはウソになる。

ラジオでも、最初に「どうですか、インドは日本人にとって住みやすいですか」と聞かれて、「うーん、あんまり住みやすいとはいえないかもしれませんねえ。好きな人は好きですけど、ダメな人にはダメみたいですね」と言ってしまい、あっという間に「インドは住みにくい国」という印象を与えてしまった。しかしそれが本当のところである。あんまりいいことばっかり言って、それを真に受けた人がたくさんインドに移住して、あの日本人嘘ついてたな、と後で恨まれてもイヤだし(そんなことはないだろうけど)。

実際、インドが住みにくいと感じる外国人は少なくない。みんな実に様々な問題に遭遇している。分類すると以下のような感じになると思う。

(1)環境問題: 暑い、豪雨、カビ、蚊、ゴキブリ、ネズミ、停電、断水、電車が来ない、その他
(2)人間関係問題: インドのビジネスのやり方についていけない、など
(3)お役所問題: 外国人登録、Visa書類手続き、などなど
(4)食糧問題: 和食が売ってない、韓国料理が売ってない、インド料理は辛い、などなど
(5)治安問題: 痴漢、ナンパ、詐欺、テロ、等

まあ、いろいろある。

いろいろあるとはいえ、ストレスの種類は日本にあるものとぜんぜん違う。もっと問題が可視的でフィジカルである。「あーもう、こんなことがあってあんなことがあって、もう!」と人についつい話したくなる種類のものが多い。だから、日本的ストレスにまいっている人には、けっこう新鮮でいいんじゃないかと私は思う。どこにいてもなにをやっていても、同じように大変だとしたら、まあ、大変さの種類ぐらいは自分で選びたい。

June 6, 2009

寿司レストランに行き損ねた私 ―反復と移動

先週の木曜日、同僚の日本人二人が寿司と中華のレストランに行った。ついていけばよかったんだけれど、レストランがバンドラという電車で1.5時間ほど行ったちょっと遠くの街にあるため、かなり悩んだ末にあきらめた。基礎体力がなく、生きているだけでけっこう精一杯なため、平日に出掛けたりして週中で倒れるのが怖いのだ。だからあんまり新しいことを週中にしない習慣が付いてしまっている。しかし今深く後悔している。頭の中は寿司と中華でいっぱいである。

人の中には、新規なものを追い求めることを好むものと、同じことの反復を愛するものがいる。私は明らかに後者のグループに含まれる。通いなれた場所を好み、気に入った同じメニューを毎日食べる。新しい映画を100本観るより、気に入った1本の映画を100回繰り返し観る。新しい本を次々買うくせに、暇があると何度も読んだ古い本を開いている。

インドで暮らしているというと、知らない人には日々が冒険のように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。私のように、「今日は仕事帰りに駅前にアイスの屋台が出てるかな?」という種類の喜びを糧にして生きている人間にとっては、どこにいても暮らし方はほとんど同じである。自分が偏愛できるものを作って、それと自分との関係をどんどん密にしていくことでエネルギーを発電しているのだ。

茂木健一郎さんは仕事論の対談で以前、「仕事が退屈だ、と言う人は想像力が足りないんだ」と言っていたけれど、私もその意見におおむね賛成である。仕事に限らずたいていのことは退屈するには早すぎる。同じ味のアイスを100回食べても、自分がなぜその味に惹かれるのかまだわからない。人間にしても、同じ人を1年見ていたらかなりの変化がある。成長、成熟、衰え、荒み。関係も変わる。好きになったり嫌ったりを繰り返す。髪型も、暮らしも変わる。去る人、来る人、残っている人。定点からものを見ているからこそわかることがたくさんあり、時間をかけなければ見えないこともある。

一方で、変化がなければ考えや感情が擦り切れていく場合もある。同じことが毎日気にかかったり、同じ相手が毎日憎らしかったり、同じ仕事にうんざりしたり、同じ悩みをずっと抱え続けたり、そういうネガティヴな思考や感情のサイクルが固まってしまうと、同じところをぐるぐるめぐって自分ではそのトラックから逃れられなくなったりする。なにが問題なのかどうしてもわからないときには、さっさと今の持ち物を放り出して新しいことを始めたほうが早い。「今が移るときだ」という瞬間に気づかず逃すと、そのあとしばらくがかなりしんどくなる。

とどまるか、移動するか。