December 25, 2008

ケララでケ・セラ・セラ

「・・・ケ・セラ・セラ なるようになる 未来は見えない お楽しみ・・・」

映画「ホーホケキョ となりの山田くん」はこんなテーマソングで幕を閉じる。覚えていますか?ごくまれにだけれど、頭が混乱してくると遠くのほうからこの歌がだんだん聞こえてくる。なんかややこしいことを考えていたはずが、歌がワンフレーズ頭を流れ終わったときにはいつも笑った口を開けて空を見上げながら階段を上っている自分がいる。ううむ、すごい歌だ。

今週末、休暇をとってケララに行くことにした。ケララはインドの一番南にある州で、椰子の木とビーチとアーユルベーダとハウスボートと魚がある、なんとも平和で幸せな土地らしいと話に聞いてきた。ケララか、いいなあ・・・。ケララ・・・・ケララ、ケ、セラ・セラ・・・というつながりで、最近この山田くんの歌がしょっちゅう頭を流れていて困る。ほとんど仕事にならない。新撰組の隊則みたいに、「社員はバカボンや山田君のテーマソングを歌ったら切腹すべし」という社則があったら面白いのにな。

考えてみると、「なるようになる」とは非常に完結した真実である。それゆえに、聞きようによってはほとんどなにも言ってないのと同じだが、入っていた力をふっと抜くような不思議な効果がある。出口のない問題に直面したときに人にかける常套句のもうひとつに「ものは考えよう」があるが、こっちは必ずしも正しくない。加えて、「あんたのもののとらえかたがパセティックなんだよ」とやんわり人を責める言葉に響くことがあるので、私はあまり好きではない。ここは「なるようになる」に一票を入れたい。でも何のための投票なのかと聞くのはやめてください。

とにかくまあ、ケララは自然の豊富なのんびりした土地らしいので、ムンバイの都会のほこりを落とすのにちょうどよさそうである。しかし、ほんとうにそんな都会のストレスとやらがたまっているのか?これ以上ぼんやりして一体どうするんだ?という自分の内なる声が聞こえないでもない。

December 22, 2008

野心を語る男たち

あんまりこういうことを言うのは気が引けるのだが、そこをあえて言ってみると、私は「自分の野心を語る男の姿」が大の苦手である。誰かが「俺の野心」の話をし始めると、脳が拒絶反応を起こしてしまう。耳栓をして話題が代わるまでじっと耐えている。

夢や野心をもつのはいいし、人の夢の話を聞くのも嫌いではない。しかし、「野心がある男、僕はスゴイ」という前提が話し手の目の奥にキラッと光ったときがもう駄目である。にんげん、「人に尊敬されたい」と自分で思ったらおしまいである。そして、かなりの率の男性が判で押したようにこれをどこかでやる。そういうのを見てかわいいと笑えないところは自分もオトナ気ないなぁ、と反省するんだけれども、どうしても癇に障ってしょうがないのである。

私は男ばっかりの家族・親戚の中で育ったので、女の子一人でちやほやされた部分もあったのだが、不愉快な経験をした経験もかなり多い。男の子たちが外でぎゃあぎゃあ遊んでいるときに、一人だけ大人の手伝いをしてお茶をくんだり男衆にお酒を注いだり、おじさんたちのえらぶったいやらしい薀蓄を聞かされたり。このような不幸な体験の結果として、私は思想的にはややフェミニスト的なところがある。古いと言われれば古いかもしれないが、それにしても俺はエライ武士でおんな子どもを守るのが仕事だ、と思っている現代男性は一向に減らないのはどういうわけか。非常に不気味である。

というわけで、私は幕末に生まれなくてよかった、とNHKドラマ「新撰組」を見ながら毎回ほっとしている。幕末は現代の世よりも野心語り男の率が爆発的に多いはずだからだ。しかしそれは別として、「新撰組」はかなり面白い。

リアルタイムでドラマを見ていた人にとっては「いまさら何いってんの?」という感じかもしれないが、私は最近になって、会社で一緒に働いている日本人の方に完全版DVDを借りて毎日1本のペースで鑑賞しはじめた。日本の歴史がさっぱり頭に入ってないので、新撰組がなにをやるのか、これからどうなるのか全くわからない。だから毎回ハラハラドキドキである。

今、メンバーが京都にあがって「壬生浪士組」を作って活動し始めて、芹沢鴨がめちゃくちゃに暴れているところである。鴨がこれからどうなるのかが、今の私の最大の関心事である。

December 20, 2008

陶器のお皿を買った

最近、自分のために陶器のお皿のセットを買った。インドの建物の床には硬い石のタイルが敷かれている。床に食器を落としてよく割るので、1年ほどずっとプラスティックのお皿を使ってご飯を食べていた。しかし、プラスティックがやや痛んできて使うのにうんざりしてきたのである。

会社のパントリーで雑談をしていたら、社員の一人が「プラスティックのお皿を電子レンジにかけて調理したものを食べてばっかりいると、発がん性物質が体にたまってくるよ」と教えてくれた。私はこういう食品系科学は安易に信じないようにしている。しかし、一度聞いてしまったからには気にしないわけにいかない。うちは癌家系なのである。

というわけで、2、3週間ほどかけて、暇があれば食器屋をのぞいて安い陶器の食器を探して回った。陶器は高いので、失敗するわけにいかない。店を回って食器を持ち上げては、「この食器に何を盛るのか」とひたすらシュミレーションした。

1.パスタなどの麺用食器
(スープパスタ、そうめんなどが盛られる、やや深めの大皿)

2.どんぶりもの用食器
(フライドライス、親子丼、ラーメンなどが盛られる、片手に乗せて重くないサイズの中深皿)

3.デザート、スープ用食器
(ヨーグルト、スープに兼用で使えるお茶碗)

私は趣味の生活者としては最低レベルの人間である。機能以外にこだわりがないのだが、実際に購入しようとすると、
「黄色は人間の食べ物を盛る色として本当に適切なのだろうか」
「この熊のイラストは、今はかわいくても、しばらくしたら私の食欲を殺がないだろうか」
などといちいち細かいことが気になって、なかなかレジまで持っていく勇気が出ない。

そんな風にうじうじしていたのだが、あんまりこのようなことに人生の重要な時間を費やし続けるのも無駄ではないかと考えるようになり、先週ようやく心を決めて、シンプルな白い皿の3点セットを買った。人に見せたら、それだけ悩んで結局これかい、と言われそうなものであるが、ほんのちょっと生活の質が向上したみたいでうれしい。

このお皿セットですでに、親子丼と、2色どんぶりと、にんじんのペペロンチーノと、そうめんチャンプルーを食べた。ふっふっふ。

December 11, 2008

言葉に詰まるとき

Jaya Bachchanは大スターAmitabh Bachchanの妻であり、女優である。インドの芸能雑誌「People」の10月号に彼女のロングインタビューが載っていた。ひとことで言って、「怖いおばさん」という感じの迫力のある女性である。ちなみに、彼女の息子は若手人気俳優、Abhishek Bachchan。その妻もインド一の美人女優Aishwarya Rai。ものすごいスターファミリーのいわば中心を生きている人である。

インタビューの大半は彼女と夫との関係について質問され、インタビュアーを笑い飛ばしたりにらみつけたりしながらばしばしと答えを返す。しかし、半ばで他の女性との関係がたびたび噂される夫Amitabhについて、「ああいう噂は気になるでしょう?」と聞かれると急に寡黙になり、抽象的な表現になる。

「(沈黙)・・・。人間だから、反応はします。暗く反応することもあれば、明るく反応することもある。ふるまいや、様子や、出来事によって毎秒ごとに安心させられて、それでなんとか前に進んでいく。(沈黙)・・・。傷つきやすい年齢や時期にある人はいずれにしたって自分を見失うものです。そして、悲しければ悲しいし、幸せならば幸せなのです。」

かなり正直に答えている印象である。これまで何度、マスコミから同じような質問をされたのだろう。しかし、何十年と繰り返されている質問だとしても、まだ冗談では返せないことが人にはあるのだなあと思った。嫉妬や憎しみをかみしめながら家族の中に留まり続けているからか、Jaya Bachchanの口元は普通の人よりずっときつく締まっているように見える。そういう生き方を「執着」と呼んで嫌う人もいるかもしれないが、私はそういうさわやかでない部分を持っている人に惹かれてしまう。

自分が60代になったとき、彼女のような眼光鋭いこわもておばさんになっていたいとはあんまり思わない。できれば余計な苦労をせずに暮らして、どこまでも力の抜けたおばさんがいい。でもまあ、きっとそうもいかないのだろう。

何に耐えて、何に耐えないのか。

長く暮らせば暮らすほど人に語るエピソードは増えていくが、それと同じだけ語ることのできない話も増していく。そして、語られない話が積もれば、それがふいに言葉を詰まらせる引っかかりになっていくのだろう。自分があの年になったとき、いったい何に言葉を詰まらせているのか、何を越えられずに暮らしているのか、まったく想像がつかない。

December 6, 2008

ヨガをやると寝てしまうのですが

前回、唯一のエクササイズは散歩と書いたけれど、実はときどきヨガもやっている。以前にちょこっとだけヨガのクラスに通ったときに習ったポーズをやっているのだが、だいたい一番最初の部分の、仰向けになって呼吸を整えているときにぐうぐう眠ってしまってさっぱりエクササイズにならない。

思い起こしてみると、ヨガクラスに通っていたときにも、最初のポーズで意識がなくなって先生の大声で目が覚めることがよくあった。横になると自動的に睡眠スイッチが入ってしまうのである。リラックスしながら覚醒もしているという状態が保てないのである。他のみなさんはヨガの呼吸法中にどうやって意識を維持しているのか。

さらに思い起こしてみると、病院なんかで診察台の上に横になって先生の治療を待っているときにもぐうぐう寝てしまって看護婦さんに肩をゆすられることがたびたびあった。1、2分が待てない。目を閉じたらほんとにブラックアウトなのである。

そんな風だから、最後までエクササイズをやり切れることがあまりない。眠くなっちゃうなら朝やればいいじゃないか、ということで朝起きてヨガマットに横になると、結局そこで二度寝して気づくと30分ぐらい立っているという状態である。

最近はこの現象を利用して、寝る前にベッドの上でヨガをやることにしている。目が冴えていても、ヨガの腹式呼吸を10回ぐらいやるとあっという間に体が重くベッドに沈んでくる。気づいたら朝になっている。寝つきが悪い人はぜひ試してみてください。

December 5, 2008

長い散歩

ムンバイに越してきてから1ヶ月ぐらい、毎朝ジョギングをしていたことがある。6月にモンスーンが来て、雨にぬれるのがいやでやめてしまった。それ以来は、散歩が私の唯一のエクササイズである。週末に、肩にカバンをかけてふらっと外に出る。どういうわけか、一度外に出るとなかなか帰って来れなくなって、気づくと5、6時間歩き回って夜になっているのがいつものパターンである。

家を出るときには、「鶏肉が食べたいから肉屋に行こう」などといった小さい目的がある。しかし、歩いていると、ついでに電気屋さんを回って最近どんな電化製品が出ているか見てみよう、というまったくどうでもいい仕事を思いつく。肉が腐るといけないから電気屋に先に行く。この辺から流れが変わってくる。

電気屋のある通りを巡っていると、どうしてもDVDショップの前を通るので、中をチェックしないわけにいかない。ときどき掘り出し物があるのだ。店頭の安いDVDを端から引っ張り出してタイトルを一枚一枚見て、「うん、新しいのは入ってないな」と結論する。前に買おうと思ってやめたDVDを数枚購入して、してまた歩き出す。

歩いていると、物乞いの女の子がついてきてなかなか離れないので、まくためにぐるぐるややこしいルートを回ることになる。一度なんか、その子に「ねえ、おばさん、さっきこの道通ったよ」と指摘された。君のせいでしょうが、と言いたい所だが通じないので、その辺の本屋に入って女の子があきらめるまで立ち読みしようと決める。しかし、本屋に入ってしまったらおしまいである。

本屋に入ると、最近入った面白そうな本がないか、棚を順番に眺めてしまう。やたらと時間がかかる。日本語の本だったらどんどん背表紙を飛ばし読みできるけれど、英語の本だといちいちタイトルを熟読しないと何の本なのかわからないからだ。そんなことをしているうちに1時間ぐらいあっという間に過ぎている。

店を出て、さて、と気を取り直したときには、目的の肉屋から遠く離れた場所に立っている。手には途中で買ったDVDと本の袋、水のボトルなどがぶら下がっていて、体はどっと疲れている。もう肉屋まで歩く元気がないので、しばらく立ち止まって一応悩むのだが、「うん、別に鶏肉なんか今日無理に食べなくたっていいじゃないか」と言う話になってそのままうちに帰る。家につくころには日が落ちている。

こんな意味からかけはなれた生活を続けていて本当に大丈夫なのか、と時々心配にならないでもない。せめて鶏肉を食べたかったなら肉を買って帰れよ、と自分を戒める自分がいないのである。このままいくと、どんどんアホになっていってしまうのだろうか。ふーむ。

December 2, 2008

カフェ・レオポルドの再生

今朝から会社で担当している日刊メールマガジンの原稿を書いていたのだが、さっぱり面白いネタが浮かんでこない。最近の習慣で、隣に座って忙しそうにしているマネージャーに「Help me~」と助けを求めたところ、「うーむ」としばらくあごにこぶしをあてて悩んだあと、「あ、そういえば、きのうSがカフェ・レオポルドに行ったらしいよ」と教えてくれた。Sは最近入った新しい英語講師である。

カフェ・レオポルドは例のムンバイのテロ事件で最初に銃撃が始まった現場である。水曜日の夜にたくさんの人が死傷した現場が、日曜日の朝にはもう朝食を始めていたという。その打たれ強さにびっくりしてしまった。

S君に話を聞いてみると、「いやー最高だったよ。すごく込んでて、店に入るのに15分は待ったかな。前とまったくかわらず騒々しくて、人で満杯で、ビールがうまくてさ。」と教えてくれた。各国のテレビクルーがいっぱい押し寄せていてそれがうざったかったのと、壁に銃弾の跡が生々しく残っていたのが事件をどうしても思い出させたけれど、と彼は言った。そりゃそうだろう。

会社の先輩にその話をすると、「きっとテロには屈しないという姿勢を示したんだろうね」と言った。そうかもしれない。人が死んで転がっていた写真の記憶がまだ鮮明な床の上でそんなに早くビールを楽しめるもんだろうか、という疑問がよぎったが、ひょっとしたらそういうことではないのかもしれない。ひどい事件があったからこそ、楽しく幸せにビールを飲むことがある種のリベンジになるのかもしれない。

今週になって自分が明るい気分を取り戻している事に気づいた。事件から1週間は気持ちが不安定でへとへとになってしまっていたけれど、明らかに回復しつつある。怪我もなく、健康で、家族や友達もみんな元気で、やるべき仕事があって、そんなに長くはゆううつでいられないものらしい。壁の銃弾の痕跡みたいに記憶は残る。そこから与えられた問題は山のようにある。そして、それとはパラレルに、たのしくのんきな普通の日々を暮らしていくのである。その複層構造と混沌を否定せずにまるっと受け入れられるようになりたいと思う。

カフェ・レオポルドのざわめきはその気持ちに重なるような気がする。しばらくしたら、私もビールを飲みに行ってみようと思う。