前回サリーの話をしたけれど、それに関連した話である。自分でサリーが着られるようになりたくて時々会社に着ていって人にできばえを評価してもらうのだが、やたらと女の子に「よくやるねえ」と感心されるのでよくよく聞いてみると、最近の二十代前後の女の子の多くは自分でサリーが自分で着られないのである。
若い女子の集団で集まっているときに一人ひとりに聞いてみたら、ほとんどの子が「途中までしかできない」「やったことあるけどすぐ忘れちゃう」とかなんとかそれぞれに言い訳を言って、結局「ねえ、難しいよねえ、あれ」という合意にいたってしまった。彼女らがサリーを着るのはお祭りとかパーティーとか、特別な機会だけなのである。そういうときにはお母さんが出てきてちゃんと着せてくれるから、なかなか着付けができるようにならないのだそうだ。新しい世代である。
ひとりの女の子は、友達の結婚式でデリーに行かなければならず、かといって着付けのためだけに母親連れて行くわけにもいかないので、1ヶ月猛特訓を受けて着付けをマスターしたという。しかし結婚式当日に自力でサリーを着てみたら、体の前に来るはずのドレープが背中に回ってしまって、泣きながら母親に電話して「お願い、助けてー!」と叫んだそうである。道のりは長い。
サリーに限らず、最近の中流階級以上の若い女の子はインドの味噌汁ともいうべきダルがまともに作れない、と以前に行った料理教室の先生が嘆いていた。「豆を煮るとき水を何カップ入れたらいいんですかー?なんて基本的なこと聞いてくるからほんとに困っちゃう」ということである。彼女らのお母さん世代の多くは専業主婦で、娘が結婚して出て行くまで、毎朝お弁当を作ってもたせて学校やオフィスに送り出し、夜はご飯を作って帰りを待っているというのが普通だから、娘が料理を習う機会がないのである。
私も「ほんだし」なしでまともな和食が作れないし、浴衣の着付けは得意だけれども、和服の着付けは自分ではできないから、人のことをとやかくいえる立場ではない。しかし彼女らの子どもや孫の時代にはサリーをまともに着られる人口が相当減っているんじゃないかと思うとなんだかがっかりである。日本の着物と味噌汁が決して消えないように、インドのサリーとダルが歴史から消えることはまずないと思うけれど、サリーが着物と同じように特別な衣装になって、サリー着付け師なんてものが現れてくることはもう必至である。
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