「・・・ケ・セラ・セラ なるようになる 未来は見えない お楽しみ・・・」
映画「ホーホケキョ となりの山田くん」はこんなテーマソングで幕を閉じる。覚えていますか?ごくまれにだけれど、頭が混乱してくると遠くのほうからこの歌がだんだん聞こえてくる。なんかややこしいことを考えていたはずが、歌がワンフレーズ頭を流れ終わったときにはいつも笑った口を開けて空を見上げながら階段を上っている自分がいる。ううむ、すごい歌だ。
今週末、休暇をとってケララに行くことにした。ケララはインドの一番南にある州で、椰子の木とビーチとアーユルベーダとハウスボートと魚がある、なんとも平和で幸せな土地らしいと話に聞いてきた。ケララか、いいなあ・・・。ケララ・・・・ケララ、ケ、セラ・セラ・・・というつながりで、最近この山田くんの歌がしょっちゅう頭を流れていて困る。ほとんど仕事にならない。新撰組の隊則みたいに、「社員はバカボンや山田君のテーマソングを歌ったら切腹すべし」という社則があったら面白いのにな。
考えてみると、「なるようになる」とは非常に完結した真実である。それゆえに、聞きようによってはほとんどなにも言ってないのと同じだが、入っていた力をふっと抜くような不思議な効果がある。出口のない問題に直面したときに人にかける常套句のもうひとつに「ものは考えよう」があるが、こっちは必ずしも正しくない。加えて、「あんたのもののとらえかたがパセティックなんだよ」とやんわり人を責める言葉に響くことがあるので、私はあまり好きではない。ここは「なるようになる」に一票を入れたい。でも何のための投票なのかと聞くのはやめてください。
とにかくまあ、ケララは自然の豊富なのんびりした土地らしいので、ムンバイの都会のほこりを落とすのにちょうどよさそうである。しかし、ほんとうにそんな都会のストレスとやらがたまっているのか?これ以上ぼんやりして一体どうするんだ?という自分の内なる声が聞こえないでもない。