October 12, 2009

メンディ地獄

ディワリの準備でうきうきした街を歩いていたら、メンディの露店に出会った。メンディというのは、インドの女の人のおしゃれのひとつで、ヘナという染料で腕や足に模様を描くのである。ヘナは茶色い泥のような染料で、髪染めにも用いられる。肌にヘナの泥でケーキのデコレーションのように模様を描いて、乾かしてから泥をはがすと、肌が模様の通りに赤茶色に染まるのである。見た目は刺青のようにみえるけれど、1週間もすると消えてしまう。

ま、お祭だしね、と思って椅子に座ると、アーティストのお兄さんが、「片手?両手?」と聞いたので、「もちろん、両手、両面、全部おねがいねっ」と景気よくお願いした。以前会社のめぐみさんとはじめてメンディをやった時には手の甲の面にだけ模様を施したのだが、会社でインド人の女の子たちに見せたら、「手のひらもやんないとかっこわるいじゃん」と言われて悔しかったので、次の機会にはちゃんと両手両面をやろうと決めていたのである。

アーティストのお兄ちゃんは若く、仕事は速いがわりと雑であった。片手が終わった時、なにかヒンディ語で私に訴えかけてきたので、「何?」とこっちも一生懸命聞いていたのだが何を言っているのかわからない。しばらくやり取りがあって、どうやら「残りの手をやる前に代金を払ってくれないと、手が使えなくなって財布がかばんから出せなくなるから、今払え」と言っているのだとわかった。「ああ、それもそうだね」といって代金を払いながら、自分の置かれた状況に気付いてはっとした。考えてみれば兄ちゃんの言うとおりで、両手の裏と表に、それも指の先っちょまでヘナで模様を描かれてしまったら、ヘナが乾燥するまでの1時間、まったく何もできなくなる。

リキシャで家まで帰って財布から代金を払うこともできなければ、鍵をかばんから出して家のドアを開けることもできない。お腹が強烈にすいているのに気付いたが、道の露店でサモサや果物を買って食べるのも無理だし、家に帰って運よくルームメイトがなにか作っていたとしても、箸すら持てない。家までは時間をかければ歩いて帰られるとしても、ルームメイトがいなかったらどうしたらいいのか。携帯で電話をかけるのも無理だ。

私がぐるぐる考えている間に、お客が何度か立ち寄ってメンディの値段を聞いたり染料を買ったりしていった。家族で買い物途中の主婦や、夫とデート中の若い妻が「両手両面おねがい」と言っているのを聞きながら、ああ、この人たちは家族がいるからそんな気楽なことが言えるんだよな、ちくちょう、と恨めしい気持ちになった。家族連れならメンディの後にレストランにさえ入っちゃって、夫か姑かなんかがチャパティを小さくちぎってかいがいしく口に入れてくれるに違いない。うらやましい。

メンディ・アーティストが私の仕事を終え、両手の裏と表がヘナの模様でいっぱいになった。ありがとう、とお礼を言って店を出ようとすると、お兄さんが模様を崩さないようにそーっと私のショルダーバッグを肩にかけてくれ、「手のひらを広げてつっぱって、乾くまで模様にしわが入らないようにしないとだめだよ」と注意した。そうか、手のひらを広げて錆びたブリキのロボットみたいな状態でこのまま家まで40分近く歩かなきゃならないのか、と思うと複雑な思いでいっぱいになった。

手を硬直させて人がいっぱいの歩道を歩いていると、周りの人がよけてくれているのがわかってなかなか恥ずかしい。いつもの角にいる物乞いの女の子がかけてきたが、私の姿をみて「あ、今日はしつこくしちゃだめだな」と判断したのか、一度だけ私に声をかけただけで、私の硬直した両腕を見るとすぐに引き下がって去っていった。賢い子である。長い道のりを一人で歩き、自分のアパートの明かりが見えた時、気が緩んだのか肩から革のショルダーバッグの肩かけの部分が落ちてきて左の手首の模様をつぶしてしまった。

「げげっ」と叫んで模様を救おうとして肩掛けをずらすと、肩掛けについたヘナが左の二の腕にびーっと広がってしまった。大変である。そのまま乾いたら、二の腕に謎の茶色いあざのような模様がどでかく残ってしまって一週間は取れない。「ひょえー」と動揺して叫びながら、思わず右手で左腕を触ってヘナを取ろうとしたら、右手の指先にも模様があったことに気づいた。いろいろな部分を取り繕おうとして、いろいろな部分にヘナがへばりついたりはがれたりして、わけがわからない状態になって大混乱である。

あせって汗をかいて顔に髪がへばりついたが、指にもヘナの模様があるので髪をかきあげられない。誤まって染料が顔についたりしたら最悪である。一瞬パニックになったが、深呼吸をして気を取り直し、ルームメイトが家にいることにかけてダッシュで家まで帰った。染料が完全に乾く前に助けてもらわなければならない。

幸運なことに、ルームメイトはちゃんと家にいて、あわてた私を見てびっくりしていた。布を持ってきて腕についたヘナをはがしてくれ、アイスティーを作ってくれた。手が乾いていないのでアイスティーのグラスを持ち上げられず、あきらめてしばらく一緒にテレビを見た。一時間してヘナが乾いたときには、ほっとしてグラスのアイスティを一気に飲み干し、それから台所にあったジンを飲んで気持ちをおちつけ、ラーメンを作って食べた。もう深夜であった。

インドでひとりで生きるのは容易くない…。次にメンディを両手にやるときには誰かを誘って、ちゃんとご飯を食べてから行こうと心に決めた。でも友達と行って二人とも両手両面にメンディをやったら事態は同じである。やはりその誰かは家族か、男か、どっちかであるべきなのか。いや、友達と買い物の途中で行って、一時間交代でやればいいのか。などなどと、いろいろ思いをめぐらせる。まあ、勢いだけで生きるのではなく、ある程度の計画性は必要である、という戒めかもしれない。

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