私と陽子はよく日本、中国、韓国、台湾の人間をまとめて「極東アジア人」と総称している。面白いことに、ムンバイで暮らす極東アジア人たちは国をまたがった不思議な連帯感を持っているように見える。
日本人が集まるパーティーなどに顔を出すと、メンバーの日本人が連れてくる韓国人や台湾人の友人たちをよく見かける。同じようにインドで暮らす外国人といっても、ヨーロッパやアメリカの人たちは門外で、極東アジアメンバーだけが集まる、という現象が起こる。これはとても興味深い。言葉も食べ物も文化もぜんぜん違うのに、それでも「インドに比べたら近い(欧米に比べても近い)」という種類の親近感が発生するのである。インド在住欧米人の間でも似たような現象が起きているのかどうかは分らない。起きていないとすれば、極東アジア人特有の現象として十分研究に値すると思う。
先日もスーパーマーケットのレジで並んでいたら、後ろにいた台湾人の駐在員に声をかけられた。「なに人?」という質問から始まり、彼は「ムンバイにはあんまり台湾人はいないんだよね。韓国人や日本人も少ない。デリーにはもっと一杯いるんだけどねぇ」と語った。極東アジア人会話の典型である。「韓国、日本、台湾はひとくくり」という認識が、当たり前のようにごく自然に顔を出すのが不思議である。
多分、極東アジア人同盟メンバーたちはインド滞在の経験後、「極東アジアはみんな仲間」という認識を持ってその先も生きていくのではないか。これを世界平和に適用するなら、地球人が各国代表を選出してみんなでイスカンダルに引っ越したらいいじゃないか、ということになる。宗教や思想や見た目が違っても宇宙人に比べたら近いじゃないかという理屈でみんなで仲良く暮らせるかもしれない。
しかし、自分と近いか遠いか、似ているかいないかが、「相手を信頼できるか否か」の基準になっているとしたら、それはよくよく考えてみるとちょっと恐ろしい。もちろん、異国にいて自分と似た顔を見てほっとする気持ちは私も同じである。その感覚にどんな意味が含まれうるかを、時々は自己点検する必要があるのだろう。
August 11, 2008
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