兄が正月のお笑い番組をDVDに落としてインドに送ってくれた。2年も日本を離れていると、お笑いの世界もずいぶん様変わりしている。いわゆる正統派が減って、昔は異質だったタイプの笑いが主流になりつつある。新しい芸人さんたちの芸は芸というよりアートに近い。「面白くないギャグをやることが逆に面白い」的なねじれた世界に向かっているようにもみえる。どこか哀しみと退廃のかおりがしている。
哀しみといえば、ちょっと前にいつもここからというコンビが「悲しいとき」というねたをやっていた。「悲しいとき! タリーを注文したら、付け合せのパパドがちょっと湿っていたとき」みたいなやつを紙芝居形式で延々とやるあれである。あれを観ると、なんだか悲しくて情けない人生の断片が、見ようによってはおかしくてかわいい話になるのだなあと思った。現実に起きていることは一つであっても、そこにどのような意味や価値をつけるかによって味わいが変わってくる。
小説を読むことにも似たような効果がある。小説を読むように、現実に起きている出来事を「物語」として見なおすと、そこにふくまれていた価値ががらっとかわってしまう。お金を持っていることと貧乏であること、うまくいいく恋愛といかない恋愛、成功することと堕落すること。一見対照的に見える状況でも、含まれている意味の量はほんとうはかわらない。小説を読んでいると、成功する人生にも堕落する人生にも同様に、意味や味わいがあるみたいに思えてくる。
そんなふうに、ちょっと人ごとみたいにして自分の視点の外側から何かを学ぼうとすると、悲惨だと思っていたどんな状況もたいして悪かないじゃないか、ということになる、ような気がしている。悲しいときは、「悲しいとき!」と叫ぶといいかもしれない。
February 13, 2009
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