January 2, 2009

ケララではねじを巻かない(2) Kottayamの友人の静かな生活

ケララに住む友人の家を訪ねた。彼女は半年前にお産のために会社をやめて、ケララのKottayamというところにある実家にお母さんとおばあちゃんと3人で住んでいる。仕事が遅くてなかなか帰ってこないだんなさんと2人のムンバイでの生活では安心してお産はできないということで、田舎に帰っているのである。

仕事中にジョークをチャットしてきたり、おかしいウェブサイトのリンクを飛ばしてきたり、オンラインでヘンな漫画を見つけては社員にマスメールしたりするお調子者で、会社の人気者だった彼女。一緒に働いているときにはときどきケララ風カレーを家から持ってきてくれたりした。「ケララに来るなら絶対声かけてね」と言ってくれていたので、じゃあ旅をするならケララしかないでしょう、ということになったのである。

CochinからKottayamまでは電車で2時間弱。駅前の定食屋でドーサを食べながら友人に電話すると、彼女は家までの道をリキシャのドライバーに説明してくれた。初めてきた土地でも、知り合いがいると思うと不安な気持ちがしない。ココナッツの林に囲まれた村の細い道を走っていると、自分の田舎に帰っていくような感じがしてくる。リキシャが細い山道を登っていって、小さな平屋の一軒屋の玄関から友人が手を振っているのが見えた。

裏山はお母さんの土地だと言う。以前はパイナップル農園だったのだが、今は山の上に住むおじさんが趣味でバナナの木なんかを栽培しているだけで、あとは草や木が伸びたい放題になっている。友人は一日2、3時間ほどオンラインでフリーランスの仕事をして、あとは家族と食事をしたり、裏山をゆっくり散歩したりしてすごしているのだという。遅めのランチを準備してくれると言うので、その間に写真をとりつつ裏山を散歩した。野生のパイナップル、ゴムの木、バナナの木、コーヒーの木、ジャックフルーツの木、コショウの木などがそこらじゅうに生えて森になっている。実に静かである。

山の上まで登ると、友人のおばさん一家の家がある。庭には数匹のヤギと鶏と犬が飼われていて、人になついた若いヤギが頭をなぜてほしがって寄ってくる。友人のおばさんといとこが出てきてケララの現地語で話す。友人が通訳してくれる。庭に生えているココナッツを割って、新鮮なココナッツジュースを飲ませてくれた。

友人の家に戻ると、彼女のお母さんとおばさんが用意したケララのフィッシュカレーとチキンカレー、プラオ(炊き込みご飯)、ライター(ヨーグルトサラダ)、それからタピオカを蒸した穀物をご馳走してくれた。一緒に行った私の友人と母はカレーを初めて手で食べていた。「スプーン要る?」と聞かれて、母は「楽しいからいい」と言って断っていた。実においしい食事であった。

食後のチャイを飲み終わったころには、近くに住んでいる家族が勢ぞろいしていた。友人の母、祖母、おばさん、いとこ2人とおじさん。彼らはクリスチャンである。壁にはおばあちゃんが縫ったキリストの刺繍や絵、家族の写真や、友人が学生時代に書いた絵やもらったトロフィーが飾られている。おなかいっぱいになって家族に混ざってぼんやり座っていると、なんだかもうずっと何日もここにいたような気がしてくる。泊まっていきなよ、という友人の誘いを遠慮して、アレンジしてくれたホテルに車で送ってもらった。

ムンバイにいても時々思うことだが、インドで暮らしていると、日本で暮らしているときにしばしば感じる「何かをしていなければ生きている意味がない」という妙な強迫観念から自由になる。特に何もしていない人が周りにうじゃうじゃいるからである。ケララはムンバイに輪をかけて、ぼーっとしているひとがいっぱいいた。友人のおじさんなんか、2時間ぐらい平気で黙って椅子に座ってぼんやりしていた。そういうのを見ていると、これがほんとの省エネかもしれないと思う。難しそうなことを脳細胞が擦り切れそうになるまで考えて迷宮に陥ったり、腕を振り回して自己主張や議論をしたり、手帳とにらめっこして仕事の時間配分を練ったりしていた生活がいかに無駄な動きに満ちていたかということに気づく。

「何かをしていたいために何かをする」、「予定を空けないために予定を入れる」、「苦悩するために悩む」なんてことを、人はわりとやりがちである。スチャダラパーは「ヒマを生きぬく強さを持て」と歌っている。本当に必要なこと以外の、思考のための思考、活動のための活動を自分の時間から取り払ったとき、その空白は意外にも豊かなようだ。意思を持ち、環境に左右されずにゴールに向かって地道な努力をすることはもちろん貴重かもしれない。しかし、自分の自我をすっかりまわりの空気の中に溶け込ませて、風が吹いて枝が揺れるように時間をすごしてみると、自分の分厚いフィルターとりはずして周りを見ているような、開けた感じがある。

「余計なことをしない」、を今年の目標にしてみようかな、と思った。悪くなさそうだ。

2 comments:

  1. ちょっとずれてるかもしれないけど、このポストを読んで、去年読んだ別のブログ(http://d.hatena.ne.jp/oda-makoto/20081022 )を思い出しました。人類学者がベーシック・インカムについて書いてものなんだけど、ベーシック・インカム思想を支持して「近代に創りだされた(たかだか200年間の)『労働倫理』(「働かざる者食うべからず!」)」の放棄を論じています。ただぶらぶらしている(ようにみえる、もしくはほんとうにそう)人が生きていけないようなシステムは普遍的ではないよね。
    ってわけで、ベーシック・インカムほしいなー。
    私もさすがに何もしてないことがつらくなってきたけど、まだまだがんばってぶらぶらします。

    ReplyDelete
  2. いや、ぜんぜんずれてない。ベーシック・インカムほしいなあ。なんかさ、「先が怖くてお金使えない」って感じがずっとあるでしょ。そうやって不安で人間をあおって働かせるような社会はいやだね。仕事ないのにさ。

    がんばってぶらぶらしてください。金がないけどぶらぶらするひとを応援するぞ。

    ReplyDelete