November 7, 2008

のんきな一人暮らし

この2ヶ月ちょっと、一人暮らしをしている。インドに来る前は実家暮らしだったので、おどろきもものき、インドにきて人生初の一人暮らしである。

9月の頭まで気の合う友達と3人でわいわい暮らしていたので、一人で暮らすとどうなるだろうといろいろ想像していたのだが、生活そのものにはまったく変化がない。あいかわらず、のんびり楽しく暮らしている。一緒に暮らしていた連れには時々会いたくなるけれど、それはまた別の話だ。私はあんまり環境に影響を受けないタイプなのかもしれない。

昔、河合隼雄がある本の中で、「2人で生きるときは1人で生きるように、1人で生きるときには2人で生きるように生きろ」と書いていた。長く家族と暮らす間、この言葉の前半部分をときどき思い出してはややこしいあれこれをしのいできた。今は後半部分の意味についてよく考える。こっちのほうがかなり難解だけれど、このごろ、こういうことかもしれないな、と答えが出そうなときがある。まだちょっとうまく説明できないのだが。

槙原典之の歌に、「武士は食わねど高楊枝」というのがある。奥さんが息子を置いてある日出て行ってしまった夫の気持ちを歌った曲で、中にこんな歌詞がある。

「子どもの代えのパンツがなくなり、
洗濯サボったのを後悔した。
そのとき気づいた、
全ては僕の選んだ未来だと。」

一人で暮らすってそんな感じである。仕事帰りに疲れて買い物をサボったら、次の日の朝食べるパンがない。卵を買いすぎておいてしばらく料理をしなかったら、1週間後に割ったとき腐っている。仕事をしすぎて過労で寝込んだとしても、世話をするのは自分である。自分の行為Aとその結果Bがストレートに結びついていて、実にシンプルなのだ。このシンプルさが私にとっては新鮮である。

人と暮らしているときには、こういう因果関係がわかりにくい。いらいらしているのは自分が疲れているせいなのか、周りの人がうっとうしいからなのか。牛乳が腐っているのは同居人が冷蔵庫に入れ忘れたからなのか、自分が間違えて冷蔵庫の電源を切ったせいなのか。そんな断片、断片のなかで、自分と他者との境目がぼんやりと浮き上がってくる。その意味では、人と暮らしたほうがオトナになりやすいんだろう、と私は思う。よく「自立したいから一人暮らししたい」という人がいるけど、私はその姿勢には基本的に同意しない。

まあどちらにも違った面白さがあるんだなぁという感想である。

3 comments:

  1. 河合隼雄さんの言葉はすごくわかるなぁ。10代後半にこれを知ってたらもっとシンプルだったかなって思った。

    わたしは一人暮らしを初めて相当な時間が経つけど、最近になってようやく無理なく自分の面倒が見られるようになってきたよ。状況見て上手に甘やかすようなことも出来るようになったし。

    一人暮らしも他人と暮らすのも、それぞれに特徴があって、そこから得るものもそれぞれだと思う。私は家族としか暮らしたことのない人が一人暮らしを始めれば、それが新しい何かを得るきっかけになると思うし、自立につながることも無くは無いと思う。特に自分と付き合う距離をはかれない人には有効じゃないかなぁと思うのだけど、どうかな。

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  2. なるほど、自分と付き合う距離ね。
    そういう場合もあるのか。それは考えてみなかった。一人で暮らしていると、自分の状態に対して内省的にならざるを得ないという意味かな?人と暮らしていると、周りのほうが自分の状態に先に気づいたりするもんね。

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  3. うーん、内省的になるからかわかんないけど、自分ために行動できるようになるっていうかな。昔デザインの授業で教わったけど、最初は自分の幸せのために、次は大事な人の幸せのために、その次はその周辺の人、そうやっていくとだんだん多くの人の幸せのためにデザイン出来るようになるって。その肝心な最初の部分が養われる気がするんです。

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