November 27, 2008

起こりえたことと、これから起こるかもしれないこと ―ムンバイの同時多発テロについて

世の中には、「実際に起こってしまったこと」と「まだ起こっていないこと」の2種類しかなく、その中間は存在しない、と村上春樹は書いている。どの小説だったかは忘れてしまったのだが。

それ以外のことを考えても仕方がない。何かを恐れそうになるとき、よくこの文章を思い出した。真実というより、これはそう生きようとする方針であると思う。この文章が心を打つのは、人の心がまさにその「中間」を生きているからなのだ。

現場は家から電車で1時間の距離で、多発テロが起こったほとんどのポイントは遊びに行ったことのある、よく知った場所である。タージマハールホテル、オベロイ、レオポルド・カフェ、ドックヤードロード駅、CST駅、メトロシネマ、マリーンドライブ、ナリマン・ポイント、サンタクルズ。

もしかしたら、自分や友人がテロの現場に居合わせていたかもしれない。たまたま平日のコンサートを聴きにコラバ地区まで遊びに出た可能性だってあった。帰りにレオポルド・カフェからタージホテルまで歩いて、タージのトイレを借りたかもしれない。亡くなった日本人の方はちょうどホテルにチェックインしようとした矢先に銃撃を受けたという。もし到着が5分でも遅かったら巻き込まれなかったのだろうか。

オフィスは危険を避けて自宅待機している社員を除いて、普段と変わらない。ランチを食べに外に出て街を歩くと、ショッピングモールはテロを警戒してシャッターを下ろしている。友達や知人から「気をつけてね」と連絡が来る。インド人の友達が「しばらく外を出歩かないように」と注意してくれる。しかし実際には、どうやって気をつければいいのか、いつまで気をつければいいのかわからない。1ヶ月たって恐怖が薄れ警戒を解いたころに、この街が攻撃にあう可能性がないわけではない。

心は、いいかえればこの世の中は、「起こりえたこと」と「これから起こるかもしれないこと」で満ちているのである。

2 comments:

  1. ニューヨークで9・11を体験した私は、今回のインドのテロもひとごとではない気がします。「同時多発」という言葉に異常に反応してしまうのです。
    「実際に起こってしまったあのテロ」を経験したあと「まだ起こっていない出来事への想像もつかない恐ろしさ」が倍増されました。3000人近くもの人が亡くなったのですから、その中に自分が入っていてもおかしくない数。実際にお友達が亡くなったし。

    人はテロという行為からいったい何を学ぶ(んだ)のでしょうか。
    どこかに存在する考えも及ばないhatredがある日爆発して、そのhatredに対しての知識がない人々が無惨に死んでいくだけ、としか思えないのですが。そしてその後それを利用していろんなことをでっちあげ、弱いものイジメする国家なんかが出てくるだけなんじゃ?

    亡くなられた方に合掌。
    アイさん、くれぐれも体には気をつけてくださいね。

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  2. テロ後、デパートのセキュリティチェックを通るたびに、まあちゃんの「もっとちゃんとチェックしてよ!」という一言が頭をよぎる。

    チェックのうるささに文句を言ってたころはわたしは外側にいたよな、と反省しました。

    まあちゃんはお友達も亡くなっていたんですね。そこで死んでたかもしれないという恐怖はずっと残りますね。

    テロ行為から人は何を学ぶか。うーん、「人はテロを起こす」という事実以外に何を学んでいいのかわからない。私は事件以来、「もしテロリストの一人に出会って話す機会があったらどうするか」と想像しているんだけれど、まず話を聞いてテロ行為をする理屈を理解しようとするべきかどうかを考えはじめると思考が止まってしまう。

    とにかくしばらくおとなしくしてます。ありがとう。

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