January 30, 2009

The Art of Losing

1月は会社で企画したイベントの準備に追われ、気づいてみるともうすぐ2月である。1月の間に、長く一緒に働いていた人が4人会社を去った。ルームメイトが「親しい人が急にたくさんいなくなって、さみしいんじゃないの」と同情してくれた。代わりにもちろん新しい人との出会いもどんどんやってくる。しかし、やってくる人たちもまた、短い契約期間が決まっているか、いつまで留まるかわからない人たちばかりである。

もちろん日常から親しい人がいなくなるのはさみしい。しかしよく言うように、移動手段が発達した今、距離はさほど重要な問題ではない。自分が知っている人たちが新しい場所に移り、新しい生活をはじめる様子を遠くから聞くのはなかなか楽しい。日本やらチェンナイやらノルウェーやら、いろんなところに暮らす友達のことを考えると、彼らと一緒に自分の想像力も空間的に広がるみたいだ。そんな風に考えたら、喪失感も新たな価値に変えられるような気がする。

「喪失の技術をマスターするのは難しくなんかない」、とエリザベス・ビショップは書いている。

The art of losing isn't hard to master;
so many things seem filled with the intent
to be lost that their loss is no disaster.

(- One Art / Elizabeth Bishop


ほんとにそうだったらいい。

人や人の気持ちのありようは移り変わるから、自分の中になにか変化しない確固としたものを確保しておきたいという思いがある。ある人にとってはそれが家族を作ることであり、ある人にとっては一生の仕事を持つことであるかもしれない。

自分にとってはそのどちらでもなく、では何かと言って、今とくに思い当たるものがない。できればこれからも、背骨がなくてもぐにゃぐにゃと生きていけるようなこだわりのないものでありたい。しかしどこかの節目で自分の存在を外から確認するための何かがほしいと思うときがあるかもしれない、とちょっと想像する。

もし家族でも、仕事でも、自分の能力や技術でもないとしたら、それは何でありうるのか?あるいはこれから先もそんな種類の不安にからめとられず、のらくらと暮らしていけるのだろうか。そうだったらいいが、先のことはわからない。

January 21, 2009

頭が混乱したときは

デスクは、頭の中身の比喩だ。私の会社のデスクの上はいまめちゃくちゃである。

3週間分ぐらいたまったタスクリストの紙、読まなければと思って積み上げてある本や雑誌、壁一面に張り付けたアイディアメモや忘れないことメモ(すでに多すぎでどれが大事なのかさっぱりわからなくなっている)、書きかけの原稿やマインドマップと、もってきては片付け忘れるおやつのお皿。

パソコンのデスクトップもこれにそっくりである。書きかけの企画書やメール、作りかけのファイル、すぐ使おうと思ってショートカットを作っておいた画像やサウンドファイル。やらなければならない仕事に時間と体が追いつかず、整理する暇もないままにエントロピーがどんどん増大していく。

私は自分が企画した仕事と人から回ってくる仕事に精神的な区別をしていない。人からもらった企画でも、好きに料理してくれと言われたらけっこう燃えちゃうタイプである。仕事を断るのが惜しい。それでハイハイ言っているうちに、気づくと明らかに不可能な量の仕事が目の前に積まれている。

1月に、仕事で親しくしている人たちが何人か会社を離れることになった。契約が切れて次の場所に向かう人、結婚して引っ越す人、いろいろである。周りの人が、身内の不幸や病気などといったさまざまな問題に直面している話を聞く。自分もまた、いろいろな種類の決断を日々迫られている。この激しい空気の動きの中にいるだけでけっこう消耗してくる。そんなかんじで、やることは多いし変化は激しいしでかなり忙しい。

そういう時は、周りの人をただ見ている。

オフィスは不思議な空間である。一人ひとりの人がなにがしかの問題を抱えていて、何かに迷っていたり、悲しかったり、逆に笑い出しそうなぐらい幸せだったり、それでも朝ちゃんとした顔をしてやってくる。パントリーで友達と冗談を言い合い、ミーティングでまともな意見を言い、働いているとおなかがすくからランチを食べて、きちんとした顔をしたままうちに帰っていく。暗く沈んで泣いている人も、腹を立てて愚痴を言い散らかしている人も、幸せすぎてはしゃぎまわっている人もいない。

そんなふうに想像していると、頭の中がどんなにはちゃめちゃでも、自分も一応しゃんとしていようという気持ちになってくる。みんな、しっかりしている。

January 15, 2009

自由な、仕事の選び方

先日、日本の大学生の人と飲む機会があった。話を聞いていたら、大学生時代の友達が就職活動中に「自分が人生で何をやりたいのかを定義しようとして悩んでいたら、自分がなぜ生きているのか、という哲学的な自己の存在意義まで問いはじめてしまった」と語っていたのを思い出した。

今はどういう雰囲気なのかわからないが、私が育ったころの学校には、「夢を職業にすることが人生の大きな意義である」というなかなか強固なイデオロギーがあった。小学校のときに何度夢の職業を書かされたかわからないし、中学校では元服の歳に生徒全員が将来の夢を墨と筆で書いて体育館に掲示した。

一般的にいえばその結果として、高校、大学時代に本格的な就職難の時代に突入したころ、その夢と現実との落差を埋めるのに苦労した世代である。今は、あの雰囲気が多少は薄れて、学校でももっと実践的な職業、進学指導をしているのではないかと思うが、実際どうなのかは知らない。

私の働いている会社には、英文校正を仕事にする若いエディターたちがたくさんいる。たとえば、大学で医学を学んだ人が、医学論文の英文校正をする。人類学を学んだ人が、人文系の研究論文の校正を仕事にする。そして、彼らは一生エディターでいるわけではない。医学論文のエディターがMBAを取りに大学に戻って次はマーケッターや企業家を目ざしたりする。英語のインストラクターをしていた人が、退職してブティックを開いたりする。

こういうフレキシブルな仕事の選び方は、人生やものごとに一貫性を求める日本の雰囲気からは異質に見える。ふつう、医学を学んだ人が医者にならずに校正者になったら、日本では一種のドロップアウトに聞こえるだろう。しかしここにはそういう価値観があまりないように感じる。

アイデンティティが職業選択とさほど深く結びついていない。私は「アイデンティティ」という概念そのものが今の時代にはあまりそぐわない古いものだと思っているのだが、それでも実際この職業的価値観の多様さを目の当たりにすると驚く。この驚きが自分だけのものなのか、自分の世代に共通したものなのかはわからないのだが。

私の場合も、自己のアイデンティティの確立とやらをやるだけ時間の無駄と決めて、ある意味職業に対して受身になってみたあとから、むしろ自分が自然と浮き彫りになってきたような気配がある。糸井重里さんはどこかのコンテンツで「自分が何をやりたいかではなく、来た球をどう打つかを考えて生きてきた」というようなことを言っていた。飛んできた球をどう打つか、そのバットの振りに結果として自分が表れてしまうのだ。

しかし本当に重要なのは、そこに映る自分とやらを見ないことである。そんなことよりも、打った球がどこに行くかを興奮して眺めているとき、その人は青年期の自意識を越えていける。そんなふうに、自分をどんどん失っていけたらいいと思う。

January 12, 2009

行為とは混乱のひとつの様である

年末に、会社が希望者にオリジナルのダイアリーを配ってくれた。私はこれを仕事のToDoリストに使っているのだが、日本の手帳にもよくあるように、各ページに毎日異なる「今日の言葉」がついていてなかなか楽しい。

1月9日にミーティングに参加しているとき、気が散ってダイアリーを眺めていたら、その日の言葉の欄に「Acting is a form of confusion」と書かれていた。



Acting is a form of confusion ( 行為とは、混乱のひとつの様である )



その通りである。You’ve got me.

ケララで得た教訓から、今年の行動指針を「余計なことをしない」にしようと思った。しかし、それが結構できない。小さなことが気に引かかり、盲目に解決にならないとわかっている行動や発言をしては、後になって「ああ、また無駄なことをしたな」と気づく。そもそも行動する前から自分が墓穴を掘ろうとしていることにはうっすら気づいているのだが、ついつい知性より体が前に出てしまう。泰然として状況を見るということが、何事につけても難しい。

何かに自信を失ったり、自分の方向性が見えなくなったときには特に、じっとしていられなくて行為によって欠落を埋めなくてはと考えがちである。うまくいかなかった状態を受け入れることが精神的にきついからだ。しかし、そんなふうに不安や自己弁護のためにことを行うと、必ずそれ相応の結果に行き着く。失敗した字の上に修正液を塗ってその上に字を書き直したら、下がぼこぼこしていてもっと変な字になってしまって、また修正液を塗りなおして・・・みたいなつまらない循環にはまる。そうだな、ホントに、どこかでやめないとな。

・・・というようなことを、毎日手帳を見ながらつらつらと考えてしまう。不思議なことだが、この種の言葉は人の内省をかぎつけて目の前に現れてくるので、なぜ今の自分にあまりにも必要な言葉がここにこのタイミングで書かれているのだろう、ということがよく起きる。無意識に答えを探しているからだろう。

そういえばソンタグは「歳をとって賢くなる人とおろかになる人がいるが、自分はどちらかというと賢くなったほうです」と言っていたけれど、そんなことってそう簡単に言えたもんではない。自分が後者のほうに分類されそうで先が怖い。

January 7, 2009

サンダル一足

世の女性の中には、何百足も靴を持っている人がいる。その日の服の色や気分に合わせて履く靴を選ぶのである。玄関でも靴箱でもなく、クローゼットに靴の箱があふれている。その日に履いた靴を拭いて、また次の機会がくるまで大事にしまっておく。ちょっとでいいから、そういう種類の人生を歩んでみたいな、とごくまれに思う。

私には3足しか靴がない。毎日履くサンダルと、スポーツ用の運動靴と、いざと言うときのためのビーチぞうりである。サンダルは毎日のムンバイのぼこぼこの道の出勤と、休日の散歩と、旅行とあらゆる活動に乱暴に使うために、3ヶ月もすればぼろぼろになってしまう。ある日ついにストラップが切れて、駅前の靴修理屋にもっていって直してもらう。直してもらってから1ヶ月ぐらいすると、今度は修復不可能な状態で壊れる。壊れると、オフィスにおいてある緊急用のビーチぞうりを履いて靴屋に行き、新しいサンダルを買う。この繰り返しで今までに4足ほどサンダルをつぶした。

靴屋に行くと、何とあわせてもそれほどおかしくなさそうなデザインで、丈夫で、痛いところのないサンダルを選ぶ。この3条件が揃うサンダルが見つかるまで靴屋をいろいろ回る。だからいつも似たようなサンダルを買いなおしてしまう。このようなこころざしなので、今までに一度も「おしゃれですね」と言われたことがない。サンダルを買うたびに、大学時代に友達が言った、「なんで一張羅のスーツにその汚いスニーカーを履いてくるの?」という言葉がいつも頭に思い起こされる。

一度でいいから、あの人はおしゃれだ、と人に見られてみたいのだが、結構これが難しい。靴屋に行って800ルピーするサンダルを手に取ったら、「これで13個はツナ缶が買える。すなわちそのうち6回は炊き込みご飯にして、4回はツナおろしスパゲティーにして、のこり3回は日本米を炊いて手巻き寿司にできるなあ」と思わず計算してしまう。サンドイッチなら80回は食べられる。私は買い物が大好きなので、よく服や靴やアクセサリーを見に行くんだけれど、そんなふうで、いつも自分が気に入った品物より一ランク低い似た品物を探して買ってしまう。

いちおうまともなオトナとしてというか社会人として、アクティヴな靴をせめて3足ぐらい持っていたいような気がする。しかし、その中で一番履きやすい靴をどうせ毎日履くんだろうと考えると、あんまりそこにお金を使うことに意味はなさそうである。

January 6, 2009

Being Away

人が海外に出て暮らす決断をするとき、そこには海外で暮らしたいという表向きの動機の裏に、自分の国を離れたい別の動機があると私は想像する。人の事情は知らないから本当のことはわからないのだが。

私の場合、もう何もかも放り出してとにかく遠くに行くしかない、というありがちな願望をつい実行に移した結果こうなったのであって、英語ができるようになりたいとか、異文化を学びたいとか、そういうろくなこころざしはいわばあとづけのようなものであった。だから「なぜインドに来ようと思ったんですか?」という、よくある質問に対しては、自分が聞いても聞かれても、「これは答えのための答えであって本当に聞きたい答えが返ってくるわけじゃない」と最初から疑っている。自分に向かっても時々言うことだが、この種の質問は聞くほうが悪い。仮にも想像力があるのならつまらないことを聞くものではない。

会社のアメリカ人の女性は、「I just like being away」と言った。アメリカが恋しくなることってある?という質問をしたときだったかもしれない。それを聞いて、そうだな、と思った。「離れていたい」というと、日本語ではネガティヴな意味に聞こえるかもしれないがそうでもない。「自分をアウェイに置いていたい」と言えば昔のサッカー選手みたいでかっこよすぎるしそれとも違う。ただその状態が心地よく、自分にふさわしいような気がすると言ったらいいだろうか。仕事も住まいも人間関係もすべてが仮のものに過ぎず、自分が次にどこにいるのかわからないという状態に安堵感を感じるのだ。

私の勤めている会社はインドの企業である。給料はインドで暮らせるレベルのものに限られているし、契約期間も長くない。だから、大人になって職業経験を経てから今の就職してくるアメリカ人や日本人、イギリス人などの外国人たちは、「いずれはどこかに帰る」という種類の人生を歩んではいない人々であると私は見ている。長く勤める気があるわけではない、かといって、来年の今頃自分がどこにいるのかはわからない。どうなってもいいと思っているのではなく、どうにでもなると思っている。だから組織にしがみついたりもしない。

もう一人のアメリカ人の女性は、「私はマネージャーにだけは絶対なりたくない。気楽に休みが取れなくなるもんね」と言っていた。お給料はそりゃあ多いほうがいいけど、それと引き換えに自由を奪われるぐらいならそこそこ貧乏で結構、という感じの人が多いように見受けられる。こういう人たちを眺めていると、自分も離れてみてよかったなぁと思う。

ノー・プロブレムにもいろいろある

「Outsourced」を観に行った。タイトルのとおり、自分の部署の仕事がインドにアウトソースされてしまった主人公が教育係として現地に滞在する、というストーリーのアメリカ映画である。インドに長く滞在したことのある人ならきっと共感できる部分があると思うのでおすすめしたい。

主人公はインドの現地のコールセンターの現状を見てはじめはぎょっとする。周りのインド人が「ノー・プロブレム」を連発するなか、「どこがノー・プロブレムなんだよ、プロブレムだらけじゃねえかよ」と腹を立てるのだが、まいにちの小さな出来事をくぐりぬけながらインドの文化を受け入れていった結果、自分も最後には「ノー・プロブレム」の境地に至ってしまう。主人公が徐々にリラックスしてインドの生活に溶け込んで行く様子は、インドに新しくやってくる日本人が数ヶ月たったころに見せる表情と非常によく似ていて気持ちよかった。

ノー・プロブレムといっても、単に気にしないで放っておこうというのではない。何が起きてもいちいちあわてないで、その場でなんとかしちゃおうという意味のノー・プロブレムである。映画の最初と最後で、主人公のこの「ノー・プロブレム」に対する考え方の変化がとても上手く描かれていて面白い。

文化による考え方の違いは、場合によっては同じものを物差しで計るのと秤で計るのとの違いぐらいにねじれている。それはいったん自分とは異なる文化に浸かって内側からものを見なければ気付かないことである。内側に入るためには自分の信念をある程度捨てなければならない。「正しい」とか「正しくない」とか、万人に共通の正義とか、真理とか、そういうことにこだわりのある人にはこれが結構難しい。

映画の中で、インド人がアメリカ人に「あなたたちは親と一緒に住まないんでしょ?なんで?おかしいよ。そんなに近くに住んでて、めったに会いに行かないなんて」と尋ねるシーンがある。主人公は返事に困り、笑ってごまかす。一緒に映画を見に行ったアメリカ人のDさんは、「あれは、私たちは単にそうしないの。大学に入ったあとはもう親から離れて暮らすのが普通なんだから」とつぶやいていた。私の田舎では、子供夫婦が親の敷地内に親のお金で離れ屋を建てて住むのがわりに一般的である。アメリカとインドの文化の差は、日本とインドよりずっと深いのかもしれない。

どちらにせよ、2つの文化の狭間に一度立ってみると、ねじれた無限の数のものの見方が世の中に存在することに気付かされる。

January 5, 2009

ケララではねじを巻かない(4) ムンバイの危険な夜

ムンバイに着いた瞬間に、鞄を失くした。

ケララからの飛行機が3時間以上遅れて疲れていたので、ムンバイの空港を出たとき、プリペイド・タクシーのカウンターまでの道のりがあまりにも遠く、近くにいた怪しいカブをつかまえてしまったのである。乗ってみたらドライバーの人相がどうもおかしいので、これはやばいな、と思って隣にいたもう一台のタクシーに乗り換えた。そのタクシーで家に着いた瞬間、自分の鞄がないことに気づいた。

鞄にはパスポートやらカードやらお金やら部屋の鍵やら、すべてが入っていた。絶望して近所に暮らす上司の家に助けを求めに行くと、彼はすばやい判断をしてカード会社の連絡先などいろいろ手配してくれ、タクシー・ドライバーと交渉して鞄を空港から見つけてくるように頼んでくれた。そして、鞄は実に見つかったのである。信じられない思いであった。上司にはもう感謝してもしきれない。神様にもありがとうと言いたい。同行していた母と友達には本当に申し訳なかったです。

ところで、タクシーの料金を払った母いわく、600ルピーを渡したのにドライバーは500ルピーをサッと隠して100ルピーにすり替え、「もらっていない」と主張したという。気づかず「ごめんごめん」と言って再度500ルピーを払ってしまった私。くやしい。さらに、鞄を届けにきたドライバーは鞄と引き換えに1000ルピーを要求した。それも払った。どうもおかしい。彼らはぐるではないのか。鞄の中をよく見てみると、パスポートやお金の位置が変わっている。どうやら、一度は鞄を盗もうとしたが、届ければ1000ルピーという別の条件によって、気を変えたのではないのか。はたしてどこまでが私のうっかりでどこまでが仕組まれた罠だったのか。気持ち悪い事件であった。

ケララでお世話になった友達と電話で後日談を話しながら、「これは絶対ケララのせいだね」と私は断言した。ケララがあまりにも平和だったので、ムンバイの治安の悪さをすっかり忘れていたのである。たった数日のことなのに、私の都会生活の感性が鈍ってしまっていたのだ。ケララの友人に詳しい顛末を話すと、「だから私たち夫婦は子どもをムンバイで育てるのはやめようって決めたんだよ」と言った。家族がムンバイに彼女を迎えに来たとき、クレイジーな電車の光景を見てぶったまげてしまい、娘がこんなところに住んでいたのかと憤慨して、「もう帰っちゃ駄目だよ!」と言ったらしい。それ以来、彼ら夫婦はインド南部で仕事を見つけて暮らそうと計画しているのだという。ふーむ。住んでいる者としては複雑な思いだが、ケララに行った後ではよく理解できる。

人々の目にはカネが映っていて、マフィアがいて、貧乏な人がうじゃうじゃいて、きらびやかなモールが次々に建って、川は汚染でピカピカに光っていて、空気は悪いし、緑がない。ムンバイは美しい街ではない。私は、しかし、嫌いではない。数日ぶりに戻ってきて、会社で一緒に働いている人々に会って旅行の自慢をし、生活の買い物をして、最初はさぼりつつ徐々に仕事をはじめて、まあけっこううれしい。ちょっとずつ自分のねじを巻きながら、でもすこしだけこのままゆるめにしておこう、と思っている。

ケララではねじを巻かない(3) Varapuzha村の原始的な陶芸技術

一緒にケララ旅行に行った友達は陶芸家である。彼女が妹尾河童のインド旅行記エッセイをカバンから出して、本のイラストを指差して、「ここに言ってみたいんだよね」と言う。それはケララのCochinの近くにあるVarapuzha(バラプラ)という小さな陶芸村のイラストであった。その小さな村では、村人全員が陶芸をやっていると書いてある。面白そうなので、ケララ旅行の最後の日にその村を探してみることにした。

バスでCochinに到着すると、すでに夕方であった。リキシャの運転手に村の名前を言うと、「ここから32キロぐらいだから、30分ぐらいで行けるな」と妙に正確な距離を言う。怪しい。しかし、村の場所には自信があるみたいだからとりあえずリキシャを走らせてもらう。村の付近でホテルを探そうと思っていた。

しかし、走るリキシャの上から道の両脇を目を皿のようにして観察していたのだが、ホテルらしきものがさっぱり見つからない。どうも観光地やホテル街からどんどん離れたところに向かっているような様子である。まずいかもしれない、と思ってリキシャを一度止めてCochinの地図を見せて、「今どこで、これからどこへ行くのか地図を指差してくれ」と頼んだのだが、リキシャのドライバーにさっぱり英語が通じない。「あと8キロで村につくよ」とまた妙に正確な数字をいう。怪しい。ケララの現地語はマラヤーナムなので、ムンバイのように片言のヒンディ語すら通じない。困ってリキシャを飛び降りて、道行く人に声をかけて道を尋ねることにした。

その辺のおじさんを捕まえて、「バラプラにホテルはあるか」と訪ねてみた。私の発音が悪いのか、「Hotel」がさっぱり通じない。ホテール、ハテール、ホ・テ・ル、といろいろ試してみたのだが、「フタル?」と、ホテルに似た近所の村の名前らしき単語を繰り返される。そのころには騒ぎを聞きつけたリキシャを囲んで村人がどんどん集まっていた。みんな結構ひまらしい。仕方ないので紙にHotelと書いて見せると、野次馬の輪の中にいた賢そうな少女がついに、「ああ、ホテルね!」と叫んだ。「バラプラ村にはホテルはないよ」と言うので、その日は探索をあきらめて、Cochin市内でホテルを探すことに決めた。

翌日、ホテルのフロントに相談すると、タクシーの運転手に陶芸村を探すようコーディネートしてくれた。ホテルから車で1時間強。実にあっという間にその村が見つかった。ろくろのある小さな作業小屋と原始的な窯がある。陶芸をやっているのは、今は村で一軒だけだという。おじさんが原始的なろくろをまわしてつぼを作って見せてくれた。おばさんも出てきて、つぼの口をつける作業をデモンストレーションしてくれる。レンガ造りの原始的な窯が家の裏にあり、そこで3日かけて焼くのだという。帰りに小さなつぼとランタンを買った。

私は今まで予定のない旅をしたことがなかった。しかし今回の旅行で、空港を出た瞬間に何の予定もない時間が広がっている、という旅のやり方が、予定のある旅よりずっと楽であることを知った。新しい土地は、行ってみるまでどんな様子かわからない。何を好きになるのか、何をキライになるのか。ひとつの場所が気に入ったら、そこに長く居ればいいし、気に入らなければ早く去ればいい。そうやって自分に聞きながら進んでいくと、無理をしない旅ができる。もちろんできる限りの時間を確保しておくことが重要なのだが。

January 2, 2009

ケララではねじを巻かない(2) Kottayamの友人の静かな生活

ケララに住む友人の家を訪ねた。彼女は半年前にお産のために会社をやめて、ケララのKottayamというところにある実家にお母さんとおばあちゃんと3人で住んでいる。仕事が遅くてなかなか帰ってこないだんなさんと2人のムンバイでの生活では安心してお産はできないということで、田舎に帰っているのである。

仕事中にジョークをチャットしてきたり、おかしいウェブサイトのリンクを飛ばしてきたり、オンラインでヘンな漫画を見つけては社員にマスメールしたりするお調子者で、会社の人気者だった彼女。一緒に働いているときにはときどきケララ風カレーを家から持ってきてくれたりした。「ケララに来るなら絶対声かけてね」と言ってくれていたので、じゃあ旅をするならケララしかないでしょう、ということになったのである。

CochinからKottayamまでは電車で2時間弱。駅前の定食屋でドーサを食べながら友人に電話すると、彼女は家までの道をリキシャのドライバーに説明してくれた。初めてきた土地でも、知り合いがいると思うと不安な気持ちがしない。ココナッツの林に囲まれた村の細い道を走っていると、自分の田舎に帰っていくような感じがしてくる。リキシャが細い山道を登っていって、小さな平屋の一軒屋の玄関から友人が手を振っているのが見えた。

裏山はお母さんの土地だと言う。以前はパイナップル農園だったのだが、今は山の上に住むおじさんが趣味でバナナの木なんかを栽培しているだけで、あとは草や木が伸びたい放題になっている。友人は一日2、3時間ほどオンラインでフリーランスの仕事をして、あとは家族と食事をしたり、裏山をゆっくり散歩したりしてすごしているのだという。遅めのランチを準備してくれると言うので、その間に写真をとりつつ裏山を散歩した。野生のパイナップル、ゴムの木、バナナの木、コーヒーの木、ジャックフルーツの木、コショウの木などがそこらじゅうに生えて森になっている。実に静かである。

山の上まで登ると、友人のおばさん一家の家がある。庭には数匹のヤギと鶏と犬が飼われていて、人になついた若いヤギが頭をなぜてほしがって寄ってくる。友人のおばさんといとこが出てきてケララの現地語で話す。友人が通訳してくれる。庭に生えているココナッツを割って、新鮮なココナッツジュースを飲ませてくれた。

友人の家に戻ると、彼女のお母さんとおばさんが用意したケララのフィッシュカレーとチキンカレー、プラオ(炊き込みご飯)、ライター(ヨーグルトサラダ)、それからタピオカを蒸した穀物をご馳走してくれた。一緒に行った私の友人と母はカレーを初めて手で食べていた。「スプーン要る?」と聞かれて、母は「楽しいからいい」と言って断っていた。実においしい食事であった。

食後のチャイを飲み終わったころには、近くに住んでいる家族が勢ぞろいしていた。友人の母、祖母、おばさん、いとこ2人とおじさん。彼らはクリスチャンである。壁にはおばあちゃんが縫ったキリストの刺繍や絵、家族の写真や、友人が学生時代に書いた絵やもらったトロフィーが飾られている。おなかいっぱいになって家族に混ざってぼんやり座っていると、なんだかもうずっと何日もここにいたような気がしてくる。泊まっていきなよ、という友人の誘いを遠慮して、アレンジしてくれたホテルに車で送ってもらった。

ムンバイにいても時々思うことだが、インドで暮らしていると、日本で暮らしているときにしばしば感じる「何かをしていなければ生きている意味がない」という妙な強迫観念から自由になる。特に何もしていない人が周りにうじゃうじゃいるからである。ケララはムンバイに輪をかけて、ぼーっとしているひとがいっぱいいた。友人のおじさんなんか、2時間ぐらい平気で黙って椅子に座ってぼんやりしていた。そういうのを見ていると、これがほんとの省エネかもしれないと思う。難しそうなことを脳細胞が擦り切れそうになるまで考えて迷宮に陥ったり、腕を振り回して自己主張や議論をしたり、手帳とにらめっこして仕事の時間配分を練ったりしていた生活がいかに無駄な動きに満ちていたかということに気づく。

「何かをしていたいために何かをする」、「予定を空けないために予定を入れる」、「苦悩するために悩む」なんてことを、人はわりとやりがちである。スチャダラパーは「ヒマを生きぬく強さを持て」と歌っている。本当に必要なこと以外の、思考のための思考、活動のための活動を自分の時間から取り払ったとき、その空白は意外にも豊かなようだ。意思を持ち、環境に左右されずにゴールに向かって地道な努力をすることはもちろん貴重かもしれない。しかし、自分の自我をすっかりまわりの空気の中に溶け込ませて、風が吹いて枝が揺れるように時間をすごしてみると、自分の分厚いフィルターとりはずして周りを見ているような、開けた感じがある。

「余計なことをしない」、を今年の目標にしてみようかな、と思った。悪くなさそうだ。

January 1, 2009

ケララではねじを巻かない(1) Kumarakom Lake Resort

明けましておめでとうございます。去年はなかなかいい年だった。

2008年の締めに行ったケララはムンバイの時計を10倍ぐらいゆっくり回しているような、ゆったりした自然たっぷりの土地で、いっぺんに大好きになってしまった。この旅のおかげか、大晦日は心からリラックスして、安らかな気持ちで新年を迎えることができたような気がする。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の中で、「日曜日にはねじを巻かないのだ」という言葉が出てくる。どこからか聞こえてくる、キリキリとねじを巻くような鳥の声が日曜日には聞こえないのだ。ケララでもその音は聞こえなかった。ねじがゆるみきってあとは惰性でゆるい坂道を進んでいるような様子であった。「私、ムンバイでは3速ぐらいで走ってるけど、ケララでは1速だな」と言うと、一緒に行った友達は「いや、ニュートラルでもいけるんじゃないの」と言った。

3日目に行ったKumarakom Lake Resortはのんびりしたちいさなリゾート地であった。歩いていると、どこからともなく不思議な鳥の声が聞こえてくる。橋を渡って川を越えるときに、青い羽をしたキングフィッシャーがマングローブの枝で休んでいるのを見た。ボートのドライバーに誘われて村を囲んだ川を回る。静かで、だんだん眠くなってくる。子どもが泳いでいる。鴨が家族で川を横切っていく。だれもがゆっくりゆっくり歩いている。みやげ物やも、オートのドライバーも、「要るの、要らないの?俺はどっちでもいいけど」って顔をしている。目を血走らせて客引きしている人なんか誰もいない。

KumarakomからCochinに向かうバスを待っていると、バススタンドで5人ぐらいのタクシードライバーが座っておしゃべりしていた。「バス、ここで待てばいいの?」と聞くと、「いいからいいから、そこに座ってのんびりしてたらいいから。バスが来たら教えてやるからさ」という。「ちなみに俺たちタクシードライバーだからいざとなったらタクシーに乗っけてあげてもいいけどね」と付け加える。でもなんだか、仲間でべらべら喋ってるほうがお客乗せるより楽でいいやみたいな雰囲気である。

体のどこかに入っていた力がすっかり抜けてしまった。ムンバイで、いつもたいして緊張して暮らしているわけではない。どちらかというとかなり普段から力が抜けているほうだと思う。思っていたのだが、ケララでの気持ちはまたそれとも違った。眠っているような感じで目が覚めているというような。心拍数がぐっと下がって、自然と深くてゆっくりした呼吸をしている。まるでヨガの呼吸法の訓練をやった後みたいな感覚である。その感覚が、不思議とムンバイに戻ってからも続いている。何かを習ってきたような、そんな感じである。