January 12, 2009

行為とは混乱のひとつの様である

年末に、会社が希望者にオリジナルのダイアリーを配ってくれた。私はこれを仕事のToDoリストに使っているのだが、日本の手帳にもよくあるように、各ページに毎日異なる「今日の言葉」がついていてなかなか楽しい。

1月9日にミーティングに参加しているとき、気が散ってダイアリーを眺めていたら、その日の言葉の欄に「Acting is a form of confusion」と書かれていた。



Acting is a form of confusion ( 行為とは、混乱のひとつの様である )



その通りである。You’ve got me.

ケララで得た教訓から、今年の行動指針を「余計なことをしない」にしようと思った。しかし、それが結構できない。小さなことが気に引かかり、盲目に解決にならないとわかっている行動や発言をしては、後になって「ああ、また無駄なことをしたな」と気づく。そもそも行動する前から自分が墓穴を掘ろうとしていることにはうっすら気づいているのだが、ついつい知性より体が前に出てしまう。泰然として状況を見るということが、何事につけても難しい。

何かに自信を失ったり、自分の方向性が見えなくなったときには特に、じっとしていられなくて行為によって欠落を埋めなくてはと考えがちである。うまくいかなかった状態を受け入れることが精神的にきついからだ。しかし、そんなふうに不安や自己弁護のためにことを行うと、必ずそれ相応の結果に行き着く。失敗した字の上に修正液を塗ってその上に字を書き直したら、下がぼこぼこしていてもっと変な字になってしまって、また修正液を塗りなおして・・・みたいなつまらない循環にはまる。そうだな、ホントに、どこかでやめないとな。

・・・というようなことを、毎日手帳を見ながらつらつらと考えてしまう。不思議なことだが、この種の言葉は人の内省をかぎつけて目の前に現れてくるので、なぜ今の自分にあまりにも必要な言葉がここにこのタイミングで書かれているのだろう、ということがよく起きる。無意識に答えを探しているからだろう。

そういえばソンタグは「歳をとって賢くなる人とおろかになる人がいるが、自分はどちらかというと賢くなったほうです」と言っていたけれど、そんなことってそう簡単に言えたもんではない。自分が後者のほうに分類されそうで先が怖い。

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