March 13, 2009

恐怖の問いかけ

マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」の中で、アメリカのメディアがいかに人間の恐怖をあおって市民を購買に駆り立てているかを描写していた。その傾向は日本のメディアでもかなり強い。

「あなたの肌年齢はいくつですか?」とか、「あなたの彼女はホントにそれで満足していますか?」とか、「女子社員があなたの匂いに顔を背けていませんか?」とか、「この体じゃ水着が着れない!」、「あなたの睡眠の質は何点?」、「正しい枕、使ってますか?」、「え、私の収入、平均以下?」、などなど。この手のメッセージは、例え日本から遠く離れたインドにいて耳をふさいでいても入ってくる。ジャンクメールや、Mixi広告、サーチエンジンの検索結果ページ、Yahooニュースなど、ほとんどがインターネットを介してやってくる。

私はオンラインの教育関連事業のマーケティングの仕事をしていて、広告やPRに携わることもある。そのため、自分はこの手の、人の恐怖を煽り立てる問いかけを世の中に流布する立場にはなるまいと努力している。しかし効果が高いことはよく知っているから、「あちら側」に下る誘惑は常にある。「あれ、自分はどうかな?」と思わせるような意表をつくメッセージを狙ったりすると、けっこうぎりぎりのものができあがることもある。だから、不安や恐怖ではなく、もっとなにか自然でよきものを駆り立てられないかとよく考えている。

不安や恐怖に駆り立てられて取る行動は長く続かない。なぜなら、不安や恐怖はモチベーションとは別のものだからである。つらいダイエットが続かないのと同じように、「やりたいな~」というポジティヴな志向がそこになければ、ながく愛着を持ってことをおこなうことは難しい。逆に、もしそこになにか自発的で求心的なものが存在すれば、行動の結果を滋養にして、自家発電しながら続けていくことができる。

そういう意味では、ダイエット・グッズの販売なんかは一度買ったら終わりだから、肥満の恐怖を駆り立てて新規の客をどんどん増やすことが目標なのだろう。なにも購買者が1年以上そのグッズを毎日使い続けることを望んでいるわけではない。むしろそれは押入れにしまってもらって、また新しいグッズを買ってもらうほうが助かるわけである。

それとは逆に、教育産業では、利用者がどれだけ長くサービスに愛着を持ってくれるかが問われてくる。勉強は、基本的にしちめんどくさいものである。そこを、利用者個人の中に「もっと学びたい」というモチベーションを発見して、サービスを通じてさらにそれを消えないように育てるわけだ。クライアントはみんな個性的過ぎて標準化できない。「いろいろな人がいて、いろいろなニーズがある」というところを越えて、「一般的な人」に受け入れられる何か標準的なものを打ち出すということができない。だから、マスを対象にそのマーケティングを行うのはあんまり簡単なことではない、と常々感じている。

恐怖のメッセージを受け取る視聴者側として一つ心得ておくといいのは、「その問いは “自分にとって” 価値があるか」と一度考えてみることだ。「あなたの睡眠の質は何点?」と問いかけられて、すかさず「うーん、そういえば何点だろうな・・・」と考えたり、反省してしまってはいけない。その前に、「は?睡眠の質とかって、それ、何?意味あるの?っていうか、ばかじゃないの」という態度で、一度人から投げられた問いの価値自体を問うてみたほうがいい。なげかけられる情報やメッセージが、何もかも自分に関係すると思ってはいけない。

これは山田ズーニーさんがコンテンツ「大人の小論文教室」の中で書いていたことから学んだ。山田さんはインタビューでいろいろな質問をされたあと、できた原稿を見てこれは自分ではない、と感じ、なぜそんなことが起きたか考えたという。結果、他人から投げられた、「自分の中に存在しない問い」に無理やり答えることで、自分の表現したいものとは違うものが現れてしまった、みたいなことを振り返っていた。睡眠の質テストのスコアが100点中30点だったからって、ヘンな枕を買ってはいけない。売る側のつまらない標準化に乗せられてはいけない。自分の頭で、自分だけの問いを立てないといけない。

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