March 26, 2009

アイディアは釣りあげる

今朝起きて机の上を見たら、自分の手帳が開いていて、一番最初のページのそのまた前の厚紙の見開きいっぱいに巨大なよれよれの字で「アイディアを見つけることは、釣りのようなものだ」と書いてあった。

私は記憶力が悪いので何か思いついたらメモをする習慣があるのだが、ベッドのそばに電気のスイッチがないので、寝ている間になにかひらめいたときに時々暗闇でメモを取る。そして朝起きると枕元にまったく読めない意味不明なメッセージが残っているということがしばしばある。そういえば昨夜は汚い字でも朝読めるようにできるだけでかい字でページいっぱいに書いたんだった。それにしても、お気に入りの手帳の台紙の部分にこのボールペン書きの汚い字がこのまま1年間残ってしまうのかと思うとかなりショックである。

それは一時忘れるとして、アイディアと釣りの話である。今3月で締めの月ということもあり、仕事で4月からの1年に向けて仕事の計画を立てているのだが、そのおかげで毎日アイディア不足に悩んでいる。ネタは一体どこからどうやって見つけてくるのか?と疲れてぼんやりした頭で考えていて、夜中にもういいやと思って眠りかけた瞬間に、あ、これはなんだか釣りに似ているなと思った。

色の濃い濁った川に釣り糸をたらしているような感じである。糸の先が見えない。でも魚がいるに違いないと信じて根気よく竿を抱えているしかない。もういないと思ったら道具をしまって家に帰るだけだけれど、そしたら食べるものがない。来そうな気がする。なんとなくポイントがあっているような気配がする。下で動いている魚の動きが糸に伝わった・・・ような気がする。こういう期待を心に秘めて、じっくりひとりぼっちで腰を下ろしている感じがする。

これは人とネタ出しをやってもおなじである。みんなで釣りに来ているような感じになる。チーム・ミーティングをしていると、問題だけがどんどんリストアップされていく。「さて、これをどう解決しよう」という段階になると、みんな黙って自分の信じる各ポイントに分かれて、さあ釣るか、という雰囲気になる。こういうときは、自分だけが釣れなくてもだれかが釣ってくれればいい。だれかが何かちっちゃなフナでも釣ってくれたら、そこにポイントを移動するか、それをどうやって料理するかを考えればいいからだ。

以前に別のブログで書いたことだけれど、「ネタはいっぱいある」とただ盲目に信じることが、アイディアをひねり出す一番重要なポイントであると私は思う。釣れないと思って釣りに行く人はいない。みんな釣るために釣りにいく。これが信じられない人は詰まる。川には魚がうじゃうじゃいる。ただ今はエサに引っかからないだけのことである。つれたらどんな魚もうまい。どんなネタも面白いのだ。待っていれば釣れる。あきらめたらもう釣れない。それだけの違いである。と思って、気を取り直してまた考える。

それでどうなったかというと、いろいろな問題は解決策が見つからないまま滞っているけれど、こういうたとえ話は、投げちゃわないためにちょっと役に立つんじゃないかと思っている。

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