May 16, 2009

新しさの2つの形

仕事で毎日ネタ不足に悩んでいる。思いつきは山のようにリストアップされていくのだが、実際何がいいネタでなにがたんなるくだらないネタなのかを始める前から判断するのが難しい。だからほとんどの場合、うまくいったときの絵が浮かぶかどうかと、思いついたときのアドレナリンの分泌量で決めるしかない。

問題は、「このネタははたして本当に新しいのか」ということである。新しさには基本的に2種類ある。

1. 既存の問題(テーマ)に対するアプローチ方法が新しい
2. 提示した問題(テーマ)そのものが新しい

1のほうは、すでに世の中に存在する、だれもが謎に思っているような問いに新しい角度から答えるやりかたである。ラーメン屋で例えると、「このスープをどうしたらもっとおいしくできるのか?」というファンダメンタルな問題に対して「とんこつと鶏がらを一緒に煮たらどうか」、「昆布を入れたらどうか」、といった新しい解決策をみつける。成功すれば、結果として『もっとおいしいスープ』という、誰もが求めているものが出来上がるので、たくさんの人に愛好してもらえる。

2のほうは、こっちもラーメン屋でいうと新しいラーメン料理を考えるということになる。たとえば、チャーシューを細―く切って麺の代わりにした『これがホントのチャーシュー麺(肉が大好きな人用)』とか、ラーメンを肉まんの中に詰めた『ラーメンまん(戦いません)』とか、そういうやつを開発するわけである。こっちの場合、よほどそのアイディアが「ああ、それだよ、それだったんだよ」という人々の共感を得られない限りヒットしない。そうすると、単なるくずアイディアということになってリスクが高い。

というわけで、仕事では1の新しさを追求することのほうが圧倒的に多い。「こんなの見たことなかった」というホントの新しさで勝負するのは危険だし、難しい。誰かがすでにやっていることの、そのちょっと上を行きたい、そしたら少なくともマーケットがすでに存在しているし、成功すればちゃんと売れることが分かっているからである。ただし、自分のほうがうまくやれるかどうかの保証はない。トライしても、たいていの場合特に新しくもなんともないものができてそれで終わりである。

そういう仕事ばかりしているとだんだん自分が後追いをしているだけだという事実にうんざりしてしまうこともある。とことんくだらなくてもいいから、まったく誰も考え付いたことのないところで新しいとんでもないことをやれたらいいのにという気持ちになることもある。

これは仕事に限ったことではなく、いろんな状況にあてはまる。例えば学術研究で言ったら、1.先行研究が大量にあるテーマ、2.先行研究が一つもないテーマ、である。1の場合はみんながやってるから世の中に価値は認められやすいけれど、自分が他に秀でる見込みが少ない。2の場合はうまくすれば先駆的な研究になるけれど、誰の興味も引かない可能性が大である。

人生にどちらを追求するかは、性格とか好みとかで分かれるのだろうが、自分がどちらに向いているのかはわからない。いずれにしろ、もっと面白い仕事をしたい、というところに尽きるのだが。

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