July 1, 2009

人生はマッチポンプ

問題が特定できない、という段階が一番困る。「どうもおかしい、うまくいってない」ということだけはよくわかっていても、なにがどうおかしいのかがわからない。この原因探しの前の段階、問題の特定が一番むずかしい。

具体的に言うと、例えば自分の部屋がどうも落ち着かない場合。汚れているわけでもないし、足りないものがあるわけでもないのに、なぜか部屋でゆっくりする気になれない。問題がどこにあるのかわからない。色調なのか、家具のサイズなのか、天井の高さなのか、かけている音楽なのか。

広告の効果がないとき。色なのか、掲載場所なのか、視聴者なのか、メッセージなのか、時期なのか、アイディアそのものなのか。

人間関係がうまくいかないとき。自分が言った言葉ややったことなのか、相手の状況が変わったのか、なにか事件があったのか、ストレスなのか、タイミングなのか、コミュニケーションなのか。

考え抜いて問題が発見できればいいのだけれど、たいていの場合、問題になりうる仮説のリストばかりが大きくなる一方で、どこがおかしいのかはわからずじまいになることが多い。時間切れで、やみくもに何らかのアクションをとらざるを得なくなる。

問題がなんだかわからないと、次にはその存在の定義そのものに疑問をもつようになる。そもそも「落ち着く部屋」とは何か。部屋の機能とはなんなのか。広告とは?人間関係はそもそもつねに良好である必要があるのか?

そんなことをやっているとだんだん疲れてきて、今度はそもそも問題なんて本当に存在するのだろうか、と考えはじめる。今の状態がしかるべき形なのではあるまいか。なにかがおかしいなんて感覚自体が思い込みに過ぎないのではないか。世の中に、「間違った状態」などというものが存在するのか。・・・と思い始めると、だんだんどうにでもなれという気になってきて、ちょっと一晩寝て明日考えよう、という感じになる。

たいていの場合、問題は「決める」しかない。解決策も同じである。「決める」ということは、一番自分が解決したい問題を選んで、一番自分がやってみたい、好きな解決策を選ぶということだ。世界のどこかに自分の知らない真実が存在しているわけではない。作るしかないのである。結局のところ、延々とマッチポンプをやっているだけなのである。むなしいような、楽しいような。

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